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がらくたにっき |

フィリパ・ピアス『まぼろしの小さい犬』

河合隼雄の児童文学についての本を読むのにあたって、そこで紹介されている本を読もう企画(自分主催)。
第二弾は『まぼろしの小さい犬』。
これは小さい頃に読んだ記憶はばっちりあるけれども、あまり面白くなかったというネガティブな感想のみで、まったく内容を覚えておらず再読。
再読してみたけれども、やっぱりあまり面白いとは思えなかった……
同じ作者の『トムは真夜中の庭で』はとっても面白かった記憶あるんだけどな…

なんで面白く感じないのかと考えた時、主人公に共感ができないというのが大きいと思う。
そもそも犬を飼いたいと思ったことがないという点で共感ができないし、
想像上の犬を見るために目をつぶって生活するというのが、子どもの頃ですら共感できない、
割と現実主義なところが、この本がはまらない理由かも(現実主義だけどファンタジーとか大好きという矛盾)。

あと個人的に、個人の欲望のために色んな人を巻き込む、というのがいただけないというのもある。
主人公のベンは5人兄弟のまん真中で、我慢を強いられているところがあると言う風に描かれているけれど
最終的には大きな迷惑をかけているのが、自分の正義に合わないのかもしれない。
それだったらわがまま言えよ、自分の欲求を正直に言ってよ、みたいな。

と不満ぶーぶー垂れたけれども、少年の成長物語と考えると、うまく描かれていると思うし、傑作とするのは分かるといえば分かる。
ただ自分の好みではないだけというか。

ということで簡単にあらすじを。

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Category : 児童書
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ドストエフスキー『悪霊1』

1をとっくの昔に読んだものの、なんとなく手付かずのまま、すっかり1の内容を忘れ…
そしてこのブログにも残っていないので、思い起こすこともできず。
ということで再読した。

久しぶりのロシア文学のわちゃわちゃ感。
特に事件があるわけではなく、様々な変わった人たちが出てきて、わーわーなっている感。
あ~好きだな…と思いつつ、これをブログで簡単にあらすじ残すって難しいな、と8年前の自分の同情した。

が、未来の自分のために頑張って書く!

Category : 小説:古典
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エーリヒ・ケストナー『飛ぶ教室』

偕成社
発売日 : 2005-07-01

河合隼雄氏の児童書についての本を読もうと思った時に、しょっぱなが『飛ぶ教室』についてで、こんなにも有名な本を読んでいなかったことに気付き、さっそく読んでみた。
意外とケストナーの本って読んだことないんだよなぁ…『エーミールと探偵たち』も多分読んだことない…

ということで、おそらく初ケストナー作品。
正直なところ、前半部分は全然話に入り込むことができなくて、なんで傑作とされているのかが分からなかった。

まず、作者が登場してきて、夏なのに冬の作品を書かなくてはと追われているところから始まる。
え…物語が作られる舞台裏から話すの?と戸惑い、これからのお話はまったくの虚構の世界だよ、と言われている気がして入り込みづらく感じてしまった。

そして登場人物が突然たくさん出てきて、誰が誰だか分かりにくい!
マティアスとマルティンって名前似てない!?馴染んだ名前ではないので余計混乱…
登場人物一覧くれ~と思ってしまった。

と、最初の方はなかなかすいすい読むわけにいかなくて、私には合わんなと思っていたのが…
最後は「これは傑作だ!!!!」という感想になっていた。
割と号泣したし。
あー確かに傑作だったわ…
難を言ったら、最後にまた作者登場っていうのは、あまり好きな終わり方ではなかったけれども。一応、『飛ぶ教室』の世界と同じ世界線上にいるのが分かって良かったっちゃあ良かったけど。

以下、簡単なあらすじ

Category : 児童書
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榎本智恵子『ブータンの学校に美術室をつくる』

WAVE出版
発売日 : 2013-08-06

図書館の”アジアを知ろう”みたいなコーナーが出ていて、そこにあった本。
なんとなく興味を持って読んでみた。

本書は、著者である榎本氏が青年海外協力隊に入り、そこからブータンのろう学校へ、美術の教員として派遣された時の体験を綴ったもの。
こういう本を読むと、言葉や文化が異なるのは良いとして、衛生面も生活環境をあまりに違う場所へ、その土地の人の役に立ちたいという一心から行く、その志に本当に頭が下がる。

ブータンは、世界一幸福な国ということと、王様夫婦が若くて素敵な感じのイメージしかなく、どこにあるのかもいまいち分かっていない状態。
お恥ずかしながら、ヒマラヤ山脈の中にあり、チベット自治国と隣接し(だからチベット仏教の国なんだ~と今更知る)、インドにも面している、非常に小さい国(小さい国なのは知っていた)というのを本書で知った。
国の文化を保護する政策を取っており、外資が入らず、昔からの生活を守っているというのは、王様が民族衣装をずっと着られているところから何となく想像しつつも、信号機までないのにはびっくりだった。
印象としては、文化的鎖国をしながら現状維持しているのかな…という感じ。

チベット仏教の思想が生活の一部、というくらい浸透しており、著者が派遣されたろう学校の生徒たちにも、その考えは影響があるもの。
というのが、輪廻転生の考えが深く沁みついており、前世で人をだましたり、口がうまいばかりで一種お賢明仕事をしなかったりすると聴覚障がいとして生まれると信じられているとのこと。
このように、現代の社会において、科学で証明できるような、病気疾患の原因が、仏教に紐づけられた形で理由付けされているのだ。
それに関して著者は強い違和感を感じており、それは私もそうではあるのだが、果たして我々の考えを押し付けてもいいのかというのが疑問に残った。科学で証明できることといっても、それは科学によって理由付けされているにしかず、いわば宗教で理由付けしているのと、ある意味同等であるかもしれない。もちろん、科学の発展によって治せる病気が抜群に増えた。
でもそれを受けいれて、科学の力を信じることが果たして本当に”幸福”に繋がるのか?というのは疑問。だからといって、病気の部分だけ科学を受けいれて、あるところではそのままにし…と線引きもほぼ不可能。
もちろん、障がいによって人権が侵害されるのは問題だけれども、それすら我々の文脈で見ているのに過ぎないから、ブータンの人に押し付けるのもちょっと違う気がしないでもない。

とはいえ、今まで障がい者の子供は家の中に閉じ込めるしかしてこなかったブータンも、政府が障がい者支援の学校を建て、関係者が積極的にリクルートして生徒たちも入ってきているようだ(逆にリクルートしないと存在を知らない人たちが多い)。
障がい者への差別も減ってきているとのこと。
障がい者も含めた”幸福度の向上”を考えられてきているということだろうか?

と、肝心の美術室を作る前で感想が長くなってしまったが、こうした国に対する支援について、どこまで行うのか、ゴールは何なのかが難しいところだよな…というのが、本書全体の感想だった。
というのが、著者はブータンにはない”美術”の教科を導入すべく派遣されてきたのだが、学校側ではそこまで美術の必要性が分かっておらず(そもそもないんだからしょうがないけれど)、人手不足だから先生が欲しくて手を挙げたという感じっぽい。それに筆者がもどかしさを感じ、本当に頭下がることに子供たちのために奮闘する。
それに対し、”あなたが好きでやってるんでしょ”という感じで、あまり協力的ではないブータンの先生方。受け取るだけ受け取って、それを取り入れて自分のものにしようとは思わない姿勢。

美術室が欲しいとお願いしてもなかなか受け入れてくれず、ストレスも溜まって原因不明の高熱まで出てしまった著者。
それが校長による気まぐれな会議でお願いしたところ、あっという間に解決。
美術室が出来てから本腰入れて美術の授業がスタート。

これまでブータンでは”美術”の学科がないというのは、仏教画などお手本そっくりに描く技能的なものでの美術があっても、自分の想像力を駆使して作品を作り出す、芸術に繋がる美術がなかったのだ。
最初は戸惑う生徒たちだけれども、やはり聴覚に障がいのある子というのは、美術は自分の意志を伝えるツールにもなり得ると著者が言う通り、子供たちが楽しんで制作するようになる。
その姿を見て、例え自分が去った後に美術の授業がなくなってしまっても、この子たちに爪痕を残せれば…という気持ちになっていく様子がうかがえて、それが青年海外協力隊の意義の1つなのかなと思えてきた。

今の体制を今すぐ変えるのは不可能で。
そして彼らの今の思想がまったくの間違えというほど傲慢になってはいけないはずで。
そうなると、子供たちに別の文化(この美術の考え方でも立派な文化だろう)を紹介することで、それを取り入れるのか、もしくはやっぱり不要とするのか考えて、未来を作ってもらうということに託すのが重要な役割なんじゃないかなと思った。

と言いつつ、この著者のすごいのが、子供たちの作品展を催すまで漕ぎつけて、他の先生方にも美術の素晴らしさを共感してもらえたところ。
校長先生にも「(中略)ぼくは美術の授業を受けたことがない。美術はただ、先生が黒板に描いた絵をまねすることだと思っていたけど、展示を見て、それはちがうとわかった。ほんとうにすばらしかった。子どもたちがあんなに喜んで展示を見る姿は、想像を超えていたよ。なぜもっと早く、気づかなかったんだろう」(p151)と言われるほど。
そしてこれから正式導入される美術学科のために、著者が行った美術教育の記録を記したものを、教育大臣と直接会って副教材として認めてもらえるまでに至ったのは、本当にすごい!!!

ブータンでは来世で会うかもしれないということで、「さよなら」という言葉はないそうで、
それでかは分からないけれども、青年海外協力隊員が別れの時はあっさりしていると言われたそうだが、著者との別れでは「一番美術が楽しかった」だの「必ず美術の教師になって、日本に会いに行くよ。次は日本で会いましょう」だの、涙流した子たちも出てきたとのこと。それはそうだよ!!!数々の困難を、子供たちのためにというただその一心だけで、乗り越えて、乗り越えられた背景にはこの子供たちの”美術が好き”という姿があって、更に大人たちまで動かしちゃったんだもん!

割と短い本だったけれども色々考えさせられ、最後はもらい泣きしてしまった一冊だった。

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酒井順子『金閣寺の燃やし方』

著者 : 酒井順子
講談社
発売日 : 2010-10-29

三島由紀夫の『金閣寺』を読んで、どれだけ史実と思ってWikipediaで調べたら、
同じ題材で水上勉も書いてるし、両者の比較本も出てるとあって読んでみた。

結果、水上勉の『金閣炎上』はとても読みづらく挫折…なんか報告書を読んでるみたいに淡々としていて苦痛でした。。。
さわりしか読んでないけれどもとっとと比較本『金閣寺の燃やし方』の方に移行したのだった。

本書によると、水上勉は三島由紀夫の『金閣寺』を読んで、それはそれで文学としては認めたものの、実際の金閣寺炎上事件とは違う、と違和感を感じて書いたそうだ。
金閣寺が燃えたのは1950年、三島由紀夫が25歳、水上勉は31歳の頃。
三島由紀夫が『金閣寺』を出版したのは、事件の6年後、1956年。
水上勉はその後、金閣寺消失をテーマに『五番町夕霧楼』(1963年)、『金閣炎上』(1979年)を執筆。
その中でも『金閣炎上』は、三島由紀夫の『金閣寺』への答えともいえる作品だろう、とのこと。

この二人の最大の違いは金閣寺炎上に対するアプローチだった。
三島由紀夫が金閣寺炎上について書いたのは、放火犯の林養賢が金閣寺に放火した動機の一つとしていた「美への嫉妬」に非常に興味をそそられたからだった。結果、「美への嫉妬」、「美」についてをテーマにして書いたのが『金閣寺』であって、養賢自身にもみじんも興味を持っていなかったもよう。

対して水上勉は、林養賢に自分を重ねるところが多かった。というのが生い立ちが非常に似ていて、出身地も同じ若狭(まったく同じ集落というわけではないが)、幼くして親元を離れ、禅宗の寺に預けられたというところまで一緒だった。また水上勉は林養賢にも会っていた、と本書はなっているが、Wikipediaさんによるとここは水上勉の創作らしい。
養賢に自分を重ねていた水上勉は、三島由紀夫の描く『金閣寺』の修行僧(名前は溝口になっている)の描写を読んで、強い違和感を感じたのも想像に難くない。

個人的にとても分かりやすかったのは以下の文章;
三島は、自らの思想地図を説くのに最も適当な狂言回しとして、林養賢をピックアップしました。三島は、金閣寺放火事件という出来事のガワを借りて、そこに自らの思想を充填したのであり、だからこそ「金閣寺」は、小説なのです。
 対して水上は、実在の人物である林養賢の隣に、自分が降りていきました。林養賢が立っていたのは、日本の、そして仏教界の、「下」であり「底」であり「裏」。そんなじめしめした地帯にこよなく親しみを抱く水上は、養賢の脇に立って事件を追体験したのであり、だからこそ「金閣炎上」はノンフィクション(であると私は認識しております)なのです。三島の華麗なテクニックによって、林養賢という放火犯が、美に復讐する抽象的な犯罪者・溝口という存在に変わったのを見たことが、水上にとって執筆の一つのきっかけになったことは、間違いないでしょう。(157-8)
もう一つ、この二人の違いを語る上で重要になってくるのが「裏日本」と「表日本」の概念。
現在、少なくとも私の世代では「裏日本」「表日本」という言葉を聞いたことがないと思うし、実際、差別用語として避ける言葉となっているらしい。
でも元々は地理的な用語として使用されていたものが、明治の中頃になると太平洋側と日本側の格差が意識されるようになり、戦後、「裏日本」「表日本」の格差をなくす努力が重ねられたとのこと。

そんな中、林養賢や水上勉は裏日本出身で、三島由紀夫は表日本出身というのも、大きなポイントなるようだった。
水上勉の他の本などでも、”京都にかしずく若狭”という構造が書かれ、若狭のものはすべて京都に持っていかれ、若狭はいつまでたっても豊かになれないという状況が書かれているそうだ。
それを考えると、水上勉にとって、同じ若狭出身の林養賢が、若狭がかしずく相手となる京都にある金閣寺、
しかも観光客がわんさか訪れお金を落としていっているのに、修行僧である林養賢にはまったく還元されず貧しい生活を強いられている、
その金閣寺を放火するというのは、非常に大きな意味があったことが伺える。

それを三島由紀夫が、まったくコンテキストで事件を物語化してしまったとなると、大きな違和感を感じ、それを拭い去る方法として『金閣炎上』を書いたのではないかと容易に想像できる。

一方で、こうした事情を全く知らない私のような人が読むと、三島由紀夫の『金閣寺』の方が小説として成り立っていて、三島由紀夫がこの小説を通して何を語りたいのかが分かりやすく、よって読み応えを感じるんだとも思った。


もう一か所、本書の結にあたる「おわりに」に記載されているものを引用;
 三島由紀夫の「金閣寺」、そして水上勉の「金閣炎上」「五番丁夕霧楼」。両者の作品を読むことは、日本人の中の二つの感覚を、知ることになります。裏日本の小さな集落の貧しい寺に生まれた吃音の少年が、小僧として金閣寺に入って、やがてその寺を燃やすまで。それを水上は、養賢の側に立ち、と言うより養賢とほぼ一体化して、放火に至るまでの精神がいかにして醸成されたかを、細かく開陳していきました。彼の筆致は、裏日本に限らず、日本のあちこちに存在したであろう多くの日の当たらない道を歩いてきた貧しい人々に寄り添おうとしています。
 対してに三島は、金閣の側から書いているような気がするのです。金閣が象徴するのは、日本人が憧れてきたものであり、目指してきたもの。金閣と一体化した三島は、自分の周囲で右往左往する人間達を描き、その人間を利用することによって、最後は自分が消滅したのです。(p252-3)

こうして比較本を読むと、『金閣炎上』も読もうかなと思ってきたけれども、三島由紀夫の『金閣寺』の印象が強いうちは、どうしても小説化された方と比較しがちになってしまうので、もう少し忘れた頃に読んだ方がいいのかなとも思った。

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