fc2ブログ

がらくたにっき |

タイトルは11篇あるから、ということだろうか

津原泰水 「11」 2011年 河出書房




久し振りに津原泰水が読みたくなって、適当に借りてきたら、短編集でちょっと残念。
これが2018年の初読了本になった。
「奇譚集」と系統が同じで、ちょっと不思議な本だった。
理解しがたい物語もあったけれども、津原泰水ワールド満載だった。

以下、各話の簡単なあらすじ;

スポンサーサイト



Posted by nizaco on  | 0 comments  0 trackback

表紙がかわいいが、内容とあまり関係ない

猫舌男爵

皆川博子 「猫舌男爵」 2004年 講談社



読書仲間が面白いと絶賛していたので読んでみた。
うーん…短編集だったのがいけなかったかな。
相変わらず短編集は苦手である。連作ならまだいいのだが。

Posted by nizaco on  | 0 comments  0 trackback

食べ物の話のゲテモノ食い的なところが好き

津原泰水 「ピカルディの薔薇」 2006年 集英社




「猫ノ眼時計」を図書館で借りてきたら、なんと「蘆屋家の崩壊」の続き本ではないか。そんでもって間に「ピカルディの薔薇」があるではないか。ということで慌てて借りてきた「ピカルディの薔薇」。
「蘆屋家の崩壊」の猿渡氏が好きなのでいそいそと読んだ。

思うに、「綺譚集」で“あまり合わないな…”と思いつつも妙に印象がずっと残っていて、むしろ時間が経てば経つほど“面白かったのかも”と感じていたのが、今読むと文章が好きということが分かった。
それから「蘆屋家の崩壊」から始まるシリーズでいえば、飄々さが含まれていて尚良しというわけだ。

「蘆屋家の崩壊」と同じく「ピカルディの薔薇」も連作となっているので、各話の概要を記す。

Posted by nizaco on  | 0 comments  0 trackback

表紙のWattsのHopeはめっちゃ好きな絵だけど、この小説のイメージじゃない

山尾悠子 「ラピスラズリ」 2003年 国書刊行会




読書会で勧められた「ラピスラズリ」。
私にとっての幻想小説というか不思議的な話は、読んでる時になかなか面白いと思えないのだけれども(何しろぱっきりはっきりしたエンターテイメント小説好き)、読み終わってしばらくしてふと思い出すことが多い気がする。

「ラピスラズリ」もまさにそんな本で、馴染めずに読み終わるのに時間かかったし、終わっても“うーん”って感じだったけど、2・3日経った今頃じわーっと来てる気がする。
冒頭部分で絵の話があるので、思い出すのもなんとなく絵画的でもある。

とは言いつつも、結構この種の小説の文章は好き。例え意味が100%理解できなくても、物語の筋がぼんやりとしか判別できなくても、文章だけでも十分楽しめる。例えば;

 夜の水面を伝わる波紋のように感覚はさらに拡がっていき、幾つかの石の建築群を隔てて弛緩した眠りに漂う者たちのことをゴーストは知っていた。…(中略)…夜は冷たく閉ざされているようでいて呟きに満ち、それはたとえば枝で身じろぎする鳥や溶けて地面に染み込んでいく水の気配でもあった―闇に増殖する菌類や朽ち葉の蔭で越冬する虫の眠り、水を蹴って軽やかに逃げ去っていく肉球のある肢のうら。冷ややかに閉ざされていたゴーストの世界に風が通ったのがその時であり、またさらに遠くには裸か木の影に包まれて嘆き悲しむ者の存在なども感じられたのだったが、しかしそれらはいちどきに犇きあったので、すべての意味を知ることはとても無理だった。(p40)

この独特の言い回し、いいなぁ~。

それはそておき、本書は
 ・銅版
 ・閑日
 ・竃の秋
 ・トビアス
 ・青金石
という章から成っている。
一つ一つが独立しているようで、微妙に連動している。


まず「銅版」では、たまたま入った深夜までやっている画廊で見つけた三様の銅版画について語られる。
それぞれの絵のタイトルは<人形狂いの奥方への使い>、<冬寝室>、<使用人の反乱>というもので、冬になると冬眠する邸の人びとの様子が描かれている。

それに連動するかのように、次の「閑日」と「竃の秋」は、まるで絵の話のような内容になっている。
まず「閑日」は、冬眠のために冬寝室に入ったものの途中で起きてしまった少女の話になっている。ひもじいのに使用人に通じる扉は固く閉ざされており、そこでゴーストに出会うという話。

次の「竃の秋」は一番長い話になっている。
舞台は同じ邸で(多分)、「閑日」では“少女”とか“少年”というように名前が出て来なかったのが、ぞくぞくと名前が出てきて、一気に立体感が出る。
ここには“人形狂いの奥方への使い”が出てきて、人形もどっさり出てくる。
人形を届けに来る使いが、この邸でふつりと姿を消してしまったり、こんな人形を注文しているのに、実は財政的に逼迫していて借金取りが来ている、と何やら不穏な空気を醸し出している。
そうはいっても、着々と冬眠の為に準備を進める使用人たち(使用人たちは冬に眠らない)。
そんな折に地震があって建物が崩壊して…といった話。


ここまで銅版画の画題が小説になったかのような物語が続いたので、「トビアス」もそんな話かと思ったら、突然日本の名前が出てきた。
実はこれがちょっとひっかかって、この小説の印象が“う~~~ん”という風になってしまった。
この唐突さがなんとも…。
確かにここに出てくる人たちも冬に眠るのだが、設定があまりに変わり過ぎて繋がりが見えにくい。
過疎が進む村で、女性ばかりが集まって共同生活する邸で、なんか知らないけど主人公とその母親らしき女性が逃げなくては行けなくて…とか、私の頭では“???”という感じだった。
特に、その前までの話の世界に浸ってたtのに、突然天井の低い日本家屋の話になるなんて、頭が追い付いていきませんよ。

最後の「青金石」は、またもや西洋に話が戻る。
何せ出てくるのアシジの聖フランシスコ。
彼が、冬に眠る人として出てくる。非常に短い話だったので、正直あんまり印象がない。

とりあえず不満もありつつも、冬眠するっていうアイディアが面白かった。

Posted by nizaco on  | 0 comments  0 trackback

久しぶりに少年探偵団が読みたくなってしまった

江戸川乱歩 「日本幻想文学集成⑭ 江戸川乱歩」 別役実編 1992年 国書刊行会




以前読んだ、谷崎潤一郎の「白昼鬼語」にて江戸川乱歩の「押絵と旅する男」が言及されたので読んでみた。
比較をされていたから比べてしまうが、私は谷崎潤一郎の「白昼鬼語」の方が面白かったな、と思う。

Posted by nizaco on  | 0 comments  0 trackback
このカテゴリーに該当する記事はありません。