絵がいやだ・・・
麻耶雄嵩 「神様ゲーム」 2005年 講談社
mixiの推理小説好きのコミュにて、“ミステリーランド”についてのトピがあり、そこにて物議を醸していた「神様ゲーム」。
そういやあ、一時ミステリーランドをよく読んでいたのに、この頃全然呼んでいないなぁーと思って借りて来てみた。
確かに、子供向けじゃないかなー
というか、私は最後のオチがいまいち分かりませんデシタ……
ちょっとここからネタばれです;
麻耶雄嵩 「神様ゲーム」 2005年 講談社
都筑道夫 「幽霊通信 都筑道夫少年小説コレクション1」 2005年 本の雑誌社
「ゆみ子ちゃん、きみのような子どもに、こんな話をするのは、早いかもしれない」
と、和木俊一は、ゆみ子を見つめながら、いいました。
「しかし、この世の中には、そこにいる砂男なんかより、百倍も千倍もおそろしい、手をふれてはいけないものがある、ということを知っておいたほうがいいような気がする。だから話すんだが、薬の中には病人を助けるが、健康な人には毒になるものもあるんだ。麻薬がそうだ。」(p258)
なんだかこの頃児童書づいている気がするが、いやはやなんだか楽して読めるので、図書館で児童書コーナーに行く抵抗感がなくなった今、真っ先にそのコーナーに直行している自分がいる。そんでもって大体は「精霊の守り人」シリーズ、もしくは「盗神伝」シリーズ、もしくは「ミステリーランド」シリーズを借りる。
今回は「ミステリーランド」シリーズより島田荘司の「透明人間の納屋」。島田荘司なんて本格ミステリー界の大御所だ(と思っている)し、その昔好きで読み漁ったこともあるので、大いに期待して読み始めた。
その結果・・・なんか泣けてしまったよ、この話。
事件自体は、密室状態から人が消え、その数日後に海で腐乱死体となって見つかる、というよくある事件で、しかもその真相も大して目新しくない。
でもこの話の神髄は事件ではなくて、大げさに言うと、主人公の男の子と隣で印刷工場を営む真鍋さんの愛だと思った!(この場合の愛は恋愛の愛ではないのであしからず)
ところでこのミステリーランドは“かつて子どもだったあなたと少年少女のための”と銘打っているのだが、今回の場合、明らかに“かつて子供だったあなた”仕様になっていた。
というのは、主人公がもう大人になっていて「かつて子供だった」頃のことを思い出して話が進んでいく形式を取っていて、それがものすごい効果的だからだ。
舞台は日本海をのぞむF市。主人公の本名は出てこず、皆に“ヨウちゃん”と呼ばれている。
父親がいなくて、通っている小学校にも気の合う友達がいない。
> あの頃のぼくは、手探りのようにして毎日を生きていた。大げさに言えば、生き方を探していたのだ。…(中略)…そしてぼくは、ようやく真鍋さんを見つけていた。これが生きる理由だと納得していたのだ。(P22)
そんな真鍋さんと穏やかな暮らしをしていくのかと思いきや
> 何故ぼくにあんなひどいことができたのか。徹底して優しく、ぼくのためだけに生きているとさえ言えそうなくらいに献身的だった真鍋さんに、ぼくは本当にひどいことをした。二度と取り返せない罪を犯した。若者に持つ毒でもない、人間の業でもない、子供にも危険な毒がある。子供だけが持つ毒。あの頃を思い出してぼくはそう思わずにはいられない。(p39-40)
と最初の部分で書かれているものだから、真鍋さんとの幸せそうなやりとりを読んでいても、先を予感してしまうせいか、哀しさを含んでいる気がしてならなかった。
そして、その「子供だけが持つ毒」に直面した時、“ああ、これか・・・”と思うのは、同じような経験をどこかでしていたからか。でもこの主人公に関しては、それが真鍋さんとの別れを意味していて、その後の生活に大きく影響を与えることとなる。
その別れのシーンも悲しかったが、その後、真鍋さんからの手紙なんて、もう・・・ 基本的に事の真相が書かれているのだが、最後の部分
>あのF市での暮らしは素晴らしかった。何もない街だったけれど、ぼくは最愛の人たちに巡り合えて、生きる意味と喜びを知った。それがどんなに大きなものかも。…(中略)…
その前のぼくには何もなく、その後のぼくにも何もない。今この地獄の釜の底で目を閉じると、ぼくの精神はあの日本海べりの小さな田舎街に、吸い寄せられるように戻っていく。あの聡明でシャイで、しかし向上心強く、時に上目遣いに、はにかんだように笑う少年と暮らした何年かは、ぼくには人生最上の日々でした。あれこそは、追い求めていた地上の楽園だったと今は解ります。 (p306)
ああ またもやこれを読んでいるうちにも涙が出そう・・・ ううう
なんか自分の琴線にものすごく触れる作品だったようだ。
さ、さすがです巨匠・・・
(島田荘司 「透明人間の納屋」 2003年 講談社)
”悩めるリンタロウ青年”と称される法月綸太郎(綾辻行人の「どんどん橋落ちた」参照)。いつもは哀切漂う小説が多いが、このミステリーランドシリーズのタイトルが「怪盗グルフィン、絶対絶命」。
どうしたんだ!? リンタロウさん!! と思って、さっそく借りてきた。
いつもの鬱々とした感じから一変して、舞台がアメリカのせいかやたらポップな感じ。
例えば主人公の怪盗グリフィンが銃に撃たれてから意識を取り戻したシーン。
…(中略)…血圧と体温をチェックしてから、ドクターは満足そうに言った。「あなたはラッキーな患者だ。」
「まさか。ぼくは銃で撃たれたというのに。」
「命中したのは一発だけです。…(中略)…脾臓を貫通。あなたはすぐこの病院へかつぎこまれ、脾臓の摘出手術を受けました。」
「―脾臓(ここに傍線)?」
「…(中略)…でも心配はいりません。…(中略)…盲腸を切るのとおなじで、今後の生活に支障をきたすこともないでしょう。」
グッバイ、ぼくの脾臓。喪失感をよそに、ドクターはつづけた。(p92-94)
こんなカラッとした軽口なんて、他の法月作品には見られない気がする(私の覚えている限り)。
肝心な話はというと、タイトルから察せられる通り、怪盗グリフィンが主人公。
絵をメット美術館の絵が贋作なので、それを真作とすり替えてほしいという依頼が来る。それの手口がなかなかスピードも速く面白かったのだが、それはただのグリフィンをつる餌でしかなく、あっさり終わってしまった。
本題は、CIAの要請でカリブ海に浮かぶボコノン共和国へ忍び込み、大統領と共に独立に導いた将軍が所有する土偶を盗んでくる、という話だった。
基本的には007っぽくてなかなか面白かったが、ボコノン共和国の歴史部分がどうにもこうにも退屈だった。突然話のテンポが減速しどうにもこうにも、辛抱の足りない子供だったらほっぽりだしそうな勢いだ。それを乗り越えた先が面白かったので良しとするが。
このミステリーランドシリーズ。もうすでに何冊か読んでいるが、皆アプローチの仕方が違ってなかなか面白い。綾辻行人のように子供向けとは思えないくらいいつもの調子であったり、有栖川有栖のようにやけに子供子供していたりと。
法月綸太郎の場合は有栖川有栖よりだが、なんだかいつもの法月氏の調子を突き破って違う姿を見せてくれた感じがする。
そんなこんなでミステリーランドシリーズ、なかなか面白い企画だとつくづく思った。
(法月綸太郎 「怪盗グリフィン、絶対絶命」 2006年 講談社)
「精霊の守り人」シリーズを借りようと児童書コーナーに行ったのに、続きの巻がなくてちょっとがっかりして目線をあげたところに、ミステリーランドシリーズがずらっと。
何人か自分の好きな作家の作品を読んだことがあったので、目を通していると綾辻行人の文字が!ということで、いそいそと借りる。奥様の小野不由美の「くらのかみ」が今のところこのシリーズ内でダントツに面白かったので、ちょっと期待しつつ
タイトルの「びっくり館の殺人」から察するに、綾辻行人のデビュー作で代表作(と勝手に私が思っているが概ねあってると思う)の館シリーズなんだろうなぁ、とふんでいたが果たして。主人公の永沢三知也が古本屋で鹿谷門美の「迷路館の殺人」を手に取るところから始まる!
この鹿谷門美は言わずもがな、館シリーズに出てくる島田潔氏で、確か「迷路館の殺人」は氏のデビュー作となっている(もちろん現実の世界にもあるし、蛇足ながら館シリーズの中でこれが一番好き)。
そしてそして!この「びっくり館」も中村青司によって建てられたということを、しょっぱなから主人公が思い出すことから読者も知ることとなる。ある意味、「中村青司が建てた」という記述で、この作品がまぎれもなく「館シリーズ」なんだ、と証明されたようなものかもしれない。
そんなわけで、最初のシーンでアドレナリンがどばぁぁぁぁっと出て、ふんふん鼻息荒くページをめくっていくことにあんった。
永沢三知也が「迷路館の殺人」を手にとったところで記憶が蘇り、回想していく形で話が始まる。
話の流れとしては、大学生の三知也が「迷路館の殺人」を手に取り、自分が小学6年生の時に遭遇した「びっくり館」でおきた、その館の主、つまり友達の俊夫の祖父が殺害された事件を思い出す。
そしてそこから、兵庫県A**市(たぶん芦屋市)に引っ越してきたばかりで、「びっくり館」の噂を聞いた頃から事件までの回想が始まる。
三知也が「びっくり館」に忍びこんだことから、そこに住む同い年の俊也と友達になるのだが、こういう話でよくあるように、俊也は病弱で美少年。「びっくり館」には祖父と二人きりで住んでいる。
母親も姉もいたようだが、姉の梨里香はおととし死んでしまい(後で母親に殺されたということが判明する)、嘆き悲しんだ祖父は腹話術用の人形にリリカと名づけて、その人形を梨里香として扱っている。
謎に包まれた屋敷に祖父と病弱な美少年、不吉な過去、気味の悪い人形、仕掛けのある屋敷、奇行に走る祖父。
とまあ、横溝正史的なというか、江戸川乱歩的なというか、怪奇な雰囲気と、主人公の三知也の悲しい過去も絡んできて話は進み、殺人事件へとつながる。
祖父は「リリカの部屋」と呼ばれていた部屋で、ナイフを刺されて死んでいたのだが、当然のことながら密室状態だった。
その間寝続けていた俊夫は、放心状態になっていて誰が話しかけても反応がなく。三知也は、前々から決まっていたとおり、父親に連れられてアメリカへと旅立つのだった。
そうして日本の大学で勉強するために、三知也はアメリカから日本に戻ってくるのだが、「迷路館の殺人」を手に取るまでその記憶を封じ込めていた。
誰が殺したのか、どうして密室だったのか。
それがここから推理されていくのかと思いきや……
三知也たち(発見者は三知也だけではなかった)が知っていて、世間を含め読者も知らなかった事実が明かされていくのだった……
最後はなんとも後味の悪いものだった。
ん~ 初期のいわゆる「本格派」のような感じが好きなのだが、どうも「暗黒館の殺人」といい、この「びっくり館の殺人」といい、おどろおどろしさを出すのはいいけど、ちょっとファンタジー入っていて、それが私には合わない気がする……
なにはともあれ、”かつて子どもだったあなたと少年少女のための”とうたわれているけれども、文体もそんなにいつもと変わっていなくて、どちらかというと「かつて子どもだったあなた」に重点がいっている気がした。
最後に蛇足ながら、すごく話の本筋とは関係ないながら、結構好きな表現があったので;
根拠といえるほどの根拠もない、およそ非現実的な考えかもしれない。何そんな、オカルト映画じみた妄想にとりつかれて……と、百人の他人に話せば百人みんなに笑いとばされてしまうかもしれない。けれど―。(p344-355)
思えば、推理小説系って主人公がこういう風に逡巡することが多いのだから、推理作家はこういう表現方法を色色考えなくてはいけないのかな、とふと思った。
(綾辻行人 「びっくり館の殺人」 2006年 講談社)