G・ガルシア=マルケス 「コレラの時代の愛」 木村榮一訳 2006年 新潮社
知り合いが面白いと言っていたし有名だし、といって借りてきた「コレラの時代の愛」。
正直、これほど読みにくい本だとは思わなかった。
自分にまったく合って無かったと思う。結構読んだな、と思っても全然ページが進んでいなかったり。
でも頑張って読み切ってやった!
私の読解力が足りないせいかもしれないけれども、支離滅裂に見えて本当に読むのが困難だった。
それで一生懸命に読んだのにあの結末って!!!
まず話は、年老いた医師のウルビーノ博士のチェス仲間が自殺するところから始まる。
彼の遺書を読んで愕然としてウルビーノ博士は、彼の恋人に会いにスラム街に行く。
てっきりこの遺書の内容から話が始まるのかと思いきや…
ウルビーノ博士はこの後すぐに、逃げた鸚鵡を捕まえようとして梯子に登ったところ、そこから落ちてしまう。
“え?”と思いつつも、未亡人のフェルミーナ・ダーサが哀しみ
房飾りのついた部屋履き、枕の下のパジャマ、化粧台の鏡の中の、夫がいなくなったためにできた空白、自分の肌にしみついた夫の匂い、どれもこれも涙の種になった。<<愛する人が死ぬときは、身の回りのものもすべて一緒に死ぬべきだ>>という漠然とした考えが頭に浮かび、思わず身体が震えた。(p83)
という箇所を読んでいいな、と思ったりなんかした。
が、フロンティーノ・アリーサという男が現れ、“この時を待っていた”と求愛してくる。
“え?”と再び思っている内に、あれよあれよとフェルミーナ・ダーサとフロンティーノ・アリーサの恋の物語が始まるのだった…
じゃああのチェス相手の自殺はなんだったんだ…???
二人の仲はフェルミーナ・ダーサが女学生の時に遡って語られる。
フロンティーノ・アリーサが一目ぼれしてしまい、ずっとフェルミーナ・ダーサにつきまとい、ついに手紙をやり取りする仲となる。
それに気づいたフェルミーナ・ダーサの父親は、娘には良い家柄に嫁がせようと思っていたので、二人を引き離すために、遠く離れた自分の故郷へと連れて行く。
実はそれでも二人は秘密裏に手紙のやり取りをしていたのだが、父親はほとぼりが冷めたと思い、娘と二人で戻ってくる。
学校を退学させられたフェルミーナ・ダーサは家事を仕切ることになるのだが、市場へ行く途中でフロンティーノ・アリーサに出会う。
が、今まで理想化しすぎたのか、本物に出会った時にはものすごくがっかりして、彼とは決別するのだった。
こうしてフェルミーナ・ダーサとフロンティーノ・アリーサは別々の道を進むのだが、フロンティーノ・アリーサはずぅぅぅぅぅぅっと引きずってフェルミーナ・ダーサを想い続けるのだが、これが本当に気持ち悪い。
引きずりはしつつも、色んな女性と関係を持つ。持ちながらも決して本気にならない。
それが純愛というのか知らないけれども、粘着質で気持ちが悪かった。
しかも禿げて貧相なおっさんと思うと、本当にダメ… なんで関係を持った女の人達は、彼と関係持ったのか謎すぎる。
挙句の果てには、あどけない少女に手を出すところが気持ち悪すぎ。
そんでもって少女は、フロンティーノ・アリーサしか知らないからぞっこんとなってしまうのだが、その頃ちょうどウルビーノ博士が亡くなって、再びフェルミーナ・ダーサとのチャンスが訪れたものだから、フロンティーノ・アリーサは彼女を相手にしなくなる。
それに絶望した彼女は自殺してしまうのだった… それに対して良心の呵責があまり見られないのはいかがなものか!?
とフロンティーノ・アリーサのことが嫌過ぎて本当に読むのが苦痛だった。
まだフェルミーナ・ダーサの方はいい。
割とまっとうな人生を送り、ウルビーノ博士と結婚する。
もちろん順風満帆な人生ではなく、大ゲンカの末に関係を修復すべく二人で頑張ったり、ウルビーノ博士が浮気したり…と、夫婦の歴史が刻まれていくのだった。
そこらへんまでは、フェルミーナ・ダーサ側の話は良かった。
が、ウルビーノ博士が亡くなり、フロンティーノ・アリーサが近付いてからは、物語があらぬ方向へと行く。
フロンティーノ・アリーサは恋文では彼女が怒る、と察し、人生とは的な手紙を送るようになる。
こうしてフェルミーナ・ダーサの心をがっちり掴み、二人でクルーズの旅に出かけるのだった。
そしておぞましい(失礼)ことに、二人は結ばれるのだった…
いくらウルビーノ博士が亡くなって哀しいところを救われたからって、こんなきもいフロンティーノ・アリーサとできるなんて…
しかも爺さん婆さんカップルなんて…
ということで読み終わった時には“なんじゃこれ!!!”と怒りを感じつつも、やっと読み終わって解放されたことが嬉しかった。
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ハーパー・リー 「アラバマ物語」 菊池重三郎・訳 昭和63年 暮しの手帖社
読書会にて紹介する本を探している時に、そういえばこの頃のヒット…と思ったのが“To Kill a Mockingbird”。
さっそく日本語訳を探してみたが、なんと昭和63年版しかない!
最初は図書館にないだけかと思ったが、Amazonで探したがやっぱりなく。
お次に「アラバマ物語」というタイトルでないのかもしれない、と思って“ハーパー・リー”で探したが、やっぱりなく!!!
人さまのブログなどを巡っている内に、どうやら本当に本当に!本書しかないことが分かった。
なぜ!?
こんな素晴らしい作品なのに!!!
やはり訳が古いと読みにくいったらありゃしない。
「ちわぁ」ってなんじゃ!!??って感じ。
それでも元がいいから、やっぱりジーンとくるところは来るし、裁判のシーンはドキドキする。
日本語訳がひどいから読書会で紹介するのはどうかと思ったが、やっぱり布教して皆が読めば新訳が出るんでないか…?と密かな期待。そんな影響力ないけどね、自分。
こんな素晴らしい作品が知られていないなんて本当に残念!
インターネット上の書評にて“天使と悪魔が出会ってしまったら…?”的な内容が書かれていて、それにつられて“読むリスト”に入れていた「永遠の七日間」。あまり恋愛小説を読まない私としては珍しい。
それでその後、Amazonの内容紹介で“天使と悪魔”という単語は出てこないし、内容の欄にも「愛は人を育てるのか、人が愛を育てるのか―。嘘を知らない女と真実を語らぬ男。二人の出逢いは、神の誤算か、悪魔のたくらみか?今宵、あなたに「めぐり逢い」という名の奇跡が舞い降りる。」と書かれているのみ。あれ?私が期待していたものと違うのか!?と思って、気になって借りてみた。
そしたら、期待通りでしたよ。
主人公はCIAのゾフィアと、初っ端から人の不幸を楽しむなんだか怪しげなルーカス。本性はCIAってのはCentral Intelligence of Angels(ぷっ)ということでゾフィアの本性は天使、ルーカスは悪魔。
そしてゾフィアは上司のミカエルに呼ばれて、ミスターこと神と面会する。そこで語られたのが、悪魔のボス・ルシフェルとの不毛な戦いの終結のため、賭けを行うことにした、その賭けというのは七日間でどちらが多く人間を天使サイド/悪魔サイドに引きずりこめたか、というものだった。
まあ、それでこれはラブコメですので、同じ任命を受けたルーカスとゾフィアは、偶然にも出会い、恋に落ちるわけです。そして、途中でお互いに敵同士だと気づくが、二人の愛は止められない!
でもその賭けの七日間が終わってしまえば、二人はまた別の世界で住まなくてはいけなくなる。ということで、ルーカスが天使の世界に入るために善行を試したり、ゾフィアが悪の道に入ろうとしたりするのだが、うまくいかず、さてはてどうしたものか・・・
あ、これはラブコメなので、やっぱりハッピーエンドです。
最後の訳者のあとがきで;
貴重な休日に、木陰で(あるいは気持ちのいいカフェの一画、もしくはほかのお気に入りの場所で)リラックスして、自分を甘やかすために本を読む。保証してもいい。そういう読書をしたいと願っている人にこそ、この本はオススメだ。( p131)
とあるように、頭を空っぽにして読むのに丁度いい小説だった。それでいて本当に馬鹿馬鹿しいわ!という小説でもなく、適度にいい事が書かれている。例えば;
「人間に想像できる無限の善なんていうものはありはせんよ、ゾフィア。なんといっても、善は悪と違って目に見えないものだからな。あれこれ計算して導かれるものでもないし、厚かましくも言葉にされたらその意味も失われてしまう。善というのは、ごく小さな気配りを無限に集めたもので、それがひとつひとつ重なったものが、いつの日か、きっと世界を変えることになるんだよ。だれでもいいから訊いてごらん、世界の流れを変えた人物を五人あげてみろ、とな。そうだな、たとえば民主主義を生み出した者とか、抗生物質の発明者とか、平和をもたらした者とかいるだろ。奇妙なことだが、そういった者の名前まで覚えている人間はあまりいないんだよ。独裁者五人の名前ならば簡単にあげられるのにな。重い病気の名前なら知っているが、克服できた病気の名前は覚えていない。だれもが恐れる悪の極みとは世界の終末のことだが、善の極みについては、だれもが忘れているようじゃないか。創造の日というものがすでに存在しているというのにな。(p92-3)
とか、二人が敵対するもの同士で、これからどうしよう?という時につぶやくルーカスの言葉も;
「ベルリンの壁が崩れた日、人間たちはどちらの道もそっくりだと気がついた。壁のどちら側にも家が並び、車が走りまわり、夜にもなれば街灯に照らされる。幸福と不幸は同じようにはいかないが、西側の子どもも東側の子どもも、互いに相手が話に聞いていたのとはまったく違うことに気がついた」(p233)
じっくり考えると“そうかな・・・?”と思ってしまうが、読んでいる最中はしんみりしてしまう。
そうかと思えば、ルーカスが受付嬢に“アメリカ人は働きすぎだ。フランスでは法律できちんと労働時間が制御されている”的なことを言うと、受付嬢がそれに反発して;
「…(中略)…フランス人といっても、蝸牛を食べてる人たちじゃありませんか。…(中略)…」(p96)
と言えば、ルーカスも
「あんたはガーリックとバターの味を知らないらしいな。知っていたら、口が裂けてもそんなことは言えないはずだ」(p97)
と言い返すのは、作者がフランス人だと思うと“やっぱりフランス人はアメリカ人が嫌いなのね”と思ってぷっとしてしまう。まあ、その後に受付嬢が「ガーリックとバターがおいしかったわ」的なことを言うのはやりすぎだと思うけど。
作者は映画“Just Like Heaven”の原作者らしいが、あの映画と同じく、ラブコメ・エンターテイメントの真髄!という感じで、楽しく読めた一冊だった。
(マルク・レヴィ 「永遠の七日間」 藤本優子・訳 2008年 PHPエディターズ・グループ)