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がらくたにっき |

ジェーン・スー『ひとまず上出来』








うー---ん…正直なことを言いますと。
え、本当にジェーン・スーさんのこと言ってたの?と友人に聞き直したい。





四十代独身でも良いのだ、と言っているけれど、その裏から”東京で成功しているんだ”という自負からくると思しき虚栄心が見え隠れするんですけど…
もっと言うと、「良いんだ」と言ってるけど、心から言っているというわけではなくて、自分に言い聞かせてるように見えるというか…





私がひねくれて解釈してるのかもしれないんですけどね。
本当に心の底から四十代独身であることについて何も思ってない自分からすると、タイトルに”ひとまず”とつけているところに、本気で納得はしてないんだろうなと思ってしまった。





本当に申し訳ないけど、私には合わない本でした。
それでも、最後には何か得るものがあるかなーと思って読破したけど、ま、うん、これが答えだね。










ジェーン・スー『ひとまず上出来』2021年、文藝春秋


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Category : 随筆
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田村セツコ「カワイイおばあさんの「ひらめきノート」」










田村セツコ『カワイイおばあさんの「ひらめきノート」』
(左画像クリックでAmazonへ遷移します)







図書館に行った時に、「今日返ってきた本」のコーナーに可愛らしい本が。
よく見ると、小さい頃に姉妹でドはまりした「おちゃめのふたご」シリーズの挿絵をされていた田村セツコさんの本ではないですか!
懐かしさもあって借りてきた。





借りてきてよかったーーー!
心から思う素敵な本だった!!!これは家に置いておいて、何かの折に読みたい本だな。





基本的に、タイトルにある通り、メモ魔(と言っていいのか?)の田村さんが、どんな風に日々の素敵なことをキャッチして、ノートにとどめておいているのか、という内容だけれども、ノート術のようなハウツー本ではなくて、何よりもセツコさんの言葉が本当に素敵。





簡単にセツコさんがどんなノートの取り方をしているかをメモしておくと…





  1. ノートを書くタイミングは、朝起きてから寝るまで、四六時中、好きな時に
    • 持ち歩いてメモする用の単語帳、マザーノート、なんでも挟んじゃうスクラップブックの3つを使い分けている
    • 日記の意味合いが強いノートは、夜寝る前にゆったりとした気持ちで。メモで今日一日集めてきたいろんなことを、より抜いて着地させて、二度楽しむ
    • 「自由に」「気楽に」がルールなので、気分が乗らない日は書かなくてもOK
  2. どこで書くの?…カフェで書くのが最高に贅沢で、至福の時間!
    • メモやノートさえ持ち歩いていれば、家だって、カフェだって、電車の中だって、街中だって、海だって、山だって、書斎になっちゃう
    • 「外ではちょっと「よそ行き」というか、「世間の空気を吸いながら書く」という感じが楽しいの。ほどよい緊張感のなか、アンテナを張りめぐらせてなにかを書き留める空間は、まるで”一人芝居の舞台ステージ”みたいよ。」
  3. 「おっ!」と思ったことを自由に、なんでも書く
    • 言葉を書かない、貼り付けるだけの”ビジュアルメモ”もおすすめ




単語帳とビジュアルブックについて補足すると…
まず単語帖は、リングに革ひもやチェーンをとおして、いつも首からさげているとのこと!
もう何百冊とたまっていて、帽子が入っていたおしゃれな箱やトランクに入れて、時々取り出してあて見たりしてるらしい。





ビジュアルメモは、自分の目が喜ぶようなものを、かたっぱしからペタペタと貼り付けるとのこと。それで疲れてる時に、そういう好きなものをただ眺めて癒されてると。
古いものの上に新しいものも貼り付けて、カオスな感じ(良い意味で!)にしているみたいで、偶然の面白さも出てきているみたい。





あと、良いアイディアだなと思ったのが、色んなものを貼付けてパンパンになってしまったノートは、きれいな紐やリボンで結ぶ、というの。確かにテンション上がりそう。





以降、まとめてしまうと素敵さが減ってしまうので、長くなるかもだけど引用





 私は子どものころからずっと、娘時代もおばさん時代も飛び越えて、「早くすてきなおばあさんになりたい」と思ってました。だって、おとぎ話に出てくる魔法使いのばあさんって、とびきりチャーミングなんですもの。
 大人になってからも、映画や小説の登場人物や、あこがれの作家や画家などの実在するすてきなおばあさんたちから、たくさん心の贈物をいただきました。彼女たちはなんでも知っているし、長い経験を積んでいるからか、赤ちゃんの顔も、少女の顔も、お色気たっぷりの娘の顔だって持っている。しかもそれがぜんぶ現役で同居しているの。まさに変幻自在。そんな、年齢や時空を超越したおばあさんたちは、みんな「知恵」や「経験」という名の魔法を持っていると思うんです。
 理想とするのは、ユーモアとウィットに富んで、おちゃめで、なおかつ知的でダンディな「おじさま」の要素も兼ね備えた、パリッとしたおばあさん。

p19-20








 たとえば、すごく怒って不機嫌そうな女の人がいたとして、ここでもリアクションをすかさずメモ。「わあ、真面目すぎるのね」「なんでもシビアにとらないように気を楽になさってくださいね」って。本当、余計なおせっかいなんですけれど。

 怒りっぽい人って、きっと責任感が強い人なんですよね。だから、「大丈夫。あなたが手抜きしても世の中はまわっていくから」って、メモを通じて声にならない声を発しています。その人を慰めているのと同時に、自分の癒しにもなっているのね。

 そうして、「なんでも深刻に捉えないように注意しよう」「人が見たときに心配になるような怖い顔はやめよう」と、自分の襟を正したりして。









 猫が大好きです。(中略)
 そもそも、ちょこまかメモをとる習慣も、猫に教えてもらったんですよ。この世界に散らばっている大切なこと、すてきなことって、泡みたいにすぐパッと消えちゃうでしょう?それを、猫が好きなものをピッと捕まえるように、瞬時に素早くピックアップする能力を鍛えたんです。

 猫は我慢強くて、雨が降っても自分でしのいで、なにがあってもケロッとしていて、とっても賢いの。自立しているし、見た目がカワイイ猫ちゃんでも本当に大人っぽい。
 ポール・ギャリコの『ジェニイ』という小説に登場するメス猫のジェニイは、しなやかで賢くて、まるで哲学者みたい。
「『疑いが起きたら―どんな疑いにせよ―身づくろいすること』これが規則第一号なの」
 というジェニイのセリフがあるんだけど、これってものすごい真実だと思いませんか?人間もなにか不安になったり、気分がふさいだりしたら、猫を見習って、深呼吸して伸びをして、「身づくろい」。気持ちがスーッと落ち着いてきます。









 なんでも吐き出していいノートではあるんだけれど、私は昔からひとつだけ、自分に課していることがあります。
 それは怒りに任せてペンを走らせたり、人の悪口を書いたりしないということ。
 もちろん、他の誰かに読まれるわけじゃない、自分だけのノートですから、基本、なにを書いてもいいんです。でも、怒りを生でぶつけるという行為は、子どものときにはやってもいいんだけれど、大人になったら、やっぱり少しアレンジしたほうがいいと思うんです。
 感じの悪い人のことはイニシャルにしたり、ニックネームで書くとか、キャラクタライズして面白い物語風にするとかね。それは誰のためでもない、自分のため。それが、自分に対する礼儀だと思うの。

 汚い言葉でノートを埋めて、あとで読み返したとき、いやな思いがもう一度よみがえるよりは、クスッと笑えたほうがいいですもの。
(中略)

 すてきな、かけがえのない、あなた自身を傷つけないために、「怒り」はユーモアのスパイスで面白く料理しちゃいましょう。
「いやなことを楽しむことができる人生がいちばんすてき」
 最近の私のお気に入りの言葉です。

p72-4








毎晩、眠りにつく前に今日一日の出来事を振り返るんですが、「ああ、あそこはもう少しこうしておけばよかったな」という、反省メモをすることがよくあります。
 けっして「自己嫌悪になるほど自分を責め立てる」というものじゃなくて、「よし、次からは同じ失敗を繰り返さないようにしましょう」という、前向きな反省メモです。









 ずっとノートと向き合い続けていると、ノートがもうひとりの自分のようになってくるものです。誰よりも私のことを理解してくれる、いちばん頼りになる存在ね。
 書いていると「心のマッサージ効果」がすごいの。だから、ノートは自分にとって名トレーナーなんですね。そして、いちばんの応援団でもあります。
 けっして自分を甘やかすとか、うぬぼれるとか、そういうことではなくて、謙虚さと感謝の気持ちは持ったままで、自分で自分を褒めて、応援してあげましょう。疲れたときには頭を撫でてあげましょう。自分をハグしてあげましょう。「よくがんばったね」「大丈夫、私がついているから!」「フレーフレー!私」ってね。(中略)

 私も日常的に独り言をよく言います。声にはめったに出さないけれど、多重人格みたいに、いろんな人が私のなかに住んでいるの。これもノートの効果ね。そしてその全員が、私を応援してくれます。今朝も、私のなかの敏腕マネージャー兼生活指導係が、「悪いけど床にこういうものを置かないでくれる?」って叱るので、「はい、わかりました」と、片づけました(笑)。

p89-91








「老い」に関してもそうです。だいたい、「女性は若くなければ価値がない」なんてしきりに言いたがるのは、一部の日本人の男性ぐらいよ。もっと世界に目をむけてみて。
 若いころ、雑誌の「パリの街角スナップ」でたまたま見かけた白髪の女性に衝撃を受けたんです。映画スターでもなんでもない、普通の人なんだけれど、カフェでお茶しているその姿が、そして発しているオーラが、本当にカッコいいの。自立していて、自由で、堂々としていて。年齢も性別も、なにもかも超越していて。「人とくらべない」「くらべさせない」説得力があるのね。
 中国語では、老眼のことを「老花眼」と言うそうです。視力がぼやっとやわらかくなってきて、この世のすべてが美しい花のように見えてくるっていう意味なんですって。すてきよね。なんでもものは考えよう。

p110








 たくさんの顔を持つ「理想の私」の複合体のなかに、「すてきなおじさま」が住んでいます。これは最重要人物です。知的でダンディで、ハードボイルとで、ドクターみたいな学者みたい、ときには探偵みたいな。(中略)いろんな人の「すてきエッセンス」を凝縮したおじさまです。女性ってやっぱり、ゆらぎやすいし、弱い部分もある。だから、心のなかにストイックでカチッとしたおじさまを住まわせて、「いいかげん涙を拭いたら?」「君のプライドはどこへいっちゃったの?」と諭してもらうの。たちまち上機嫌になります。





異様にたくさんの引用になってしまった…これでも厳選したつもりなんだけど絞り切れず…





言うまでもなく、すぐさまノートを買い、ビジュアルブック的なものを作り始めてみた。
早くいっぱい埋めたいんだけど、あまりときめく物に出会えておらず…アンテナもうちょっと高くしないといけないかな~なんて思いながら





因みに、このノートの冒頭は、本書のあとがきをカラーコピーして貼っている。
実は、なぜかこのあとがき読んだ時に涙が出てきて、それがなんでなのか自分でもはかりかねるところがあるんだけど、たぶん、琴線に触れたんだろう…





偶然ではあったけれども、運命とすら思えるくらい、すごい良い本だった―!










田村セツコ『カワイイおばあさんの「ひらめきノート」 』 2016年 洋泉社




Category : 随筆
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扉絵にある小さいころの写真が可愛い


アゴダ・クリストフ 「文盲 アゴタ・クリストフ自伝」 2006年 白水社


通っている通信の大学の講義で、「第二言語で書いた作家」の例で出てきた本書。
「悪童日記」が大好きだったので読んでみることにした。

自伝とはあるけれども、はっきりとした出来事が時系列に書かれておらず、エッセイのような書き方をしているので、クリストフのバックグラウンドを知らないとぼんやりとした印象しか受けない。
ということで、解説から読んでやっと腹落ちした感が出た。

母国語で書いていないという点では、同じく母国語ではない言葉で書いた本「べつの言葉で」を読んだけれども、状況がまったく異なる。
クリストフの場合は、ハンガリーの動乱期に祖国を脱出し、スイスへ亡命したのだ。そこでなかば強制的にフランス語を習得することになるのだ。
それが特徴的なのが「母語と敵語」である。
9歳まで他の言葉があるということを想像すらできなかったが、9歳の時に、住民の4分の1がドイツ語を話している国境の近くに引っ越す。

ハンガリー人であるわたしたちにとって、ドイツ語は敵語だった。なぜならそれは、オーストリアによるかつての支配を想い起こさせたし、しかも、当時わたしたちの国を占領していた外国の軍人たちの言語でもあったから。(p40-41)

更に、一年後、ロシアに占領され、ロシア語が学校で義務化されてしまう。
そして21歳にスイスのフランス語圏に亡命し、フランス語を習得するようになるのだが、

 わたしはフランス語を三十年以上前から話している。二十年前から書いている。けれども、未だにこの言語に習熟してはいない。話せば語法を間違えるし、書くためにはどうしても辞書をたびたび参照しなければならない。
 そんな理由から、わたしはフランス語もまた、敵語と呼ぶ。別の理由もある。こちらの理由のほうが深刻だ。すなわち、この言語が、わたしのなかの母語をじわじわと殺しつつあるという事実である。(p43)


「敵語」という強い言葉の中に秘める、彼女の悲痛な思いと、それでも物語を紡ごうとする貪欲さを感じる。

全体を通して、「悪童日記」の三部作のように、自伝であってもひたすら客観的に、冷静に書かれている。
もちろん、自伝だから感じたことも書かれているけれども、最小限にとどまっていて、大半は読者が想像しなくてはいけない。
でも、彼女のような体験をしたことがない私として創造に限界があって、そこに彼女からの拒絶を感じた。
淡々とした文章に悲しみの深さは感じられるけれども、それを理解しようとすると、理解しようとするのがおこがましいのでは?と思ってしまうというか…

そんなわけで、自伝ともエッセイとも言い難い、非常に特別な本だと思った。

Category : 随筆
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新しく言語を学びたいと思った(すぐ感化される)


ジュンパ・ラヒリ 「べつの言葉で」 2015年 新潮社


大分昔に行った本の交換会でゲットした本書。
ずっと読むことなく本棚で眠っていたが、このコロナ騒ぎで図書館に行けなくなってしまい読み出した。
読むまでこの著者のことを知らなったけれども、ピュリッツァー賞を受賞したりと著名な作家らしい。
アメリカ人の著者がイタリア語に恋に落ち、ついにはローマへ移住して、初めてイタリア語で書いたエッセイが本書。
エッセイだけではなく、非常に短い短編も2作入っている。

正直なところ、最初の方はあまりピンとこなかった。
”イタリア語で書いた”というのがミソなのだろうけど、翻訳された日本語で読むと、いまいち実感がわかない。
多分、イタリア人とか、イタリア語をよく知っている人が読めばまた違うのかなーと思いながら読み始めたものの、途中からぐっと共感がわき起こる。
多分、母国語でない国に住んだことがあれば誰でも感じるような。もしくは、自分の容姿と合っていない国に住んだことがあれば(例えば日本人が欧米諸国に住むような)、めちゃくちゃ分かる。
著者の場合、インド人の両親がアメリカへ移住したことから、アメリカですら100%自分の国、という認識が持てないなかでのイタリアへの移住なので、更に複雑になっている。

以下、興味深かったり、印象的だったところから抜粋;

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この「×」はへそだと思っていたのだが、あまりに高いのでへそではないのかと思い出してきた

カレー沢薫 「負ける技術」 2015年 講談社




どこか雑誌の本の紹介に載っていた本書。
何に惹かれて読もうと思ったのかすっかり忘れた上に、
作者であるカレー沢氏のことを何一つ知らなかったが、面白かった。

まずカレー沢氏が漫画家ということを知るところから始まったのだが、
ダメダメ具合をエッセイにしていて、そこが面白い要素となっている。
ついでにイラストもかわいくて面白い。

ただ、リア充のことをやたらと目の敵にしているが、
自分こそ結婚しているし、遠恋したことがあるみたいだし(それが結婚相手なのか分からないが)
あまり説得力がない。
自分でもそこら辺を突っ込んではいるものの、全然説得力がない。
ダメダメエッセイの分野でいえば、三浦しをんの方がずっと面白いなと思ってしまった。
(もちろん、未婚者だということだけではなく)

とはいえ、基本的には楽しく読ませてもらったので、
その中でも面白かったところを抜粋しようと思う;

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