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がらくたにっき |

榎本智恵子『ブータンの学校に美術室をつくる』

WAVE出版
発売日 : 2013-08-06

図書館の”アジアを知ろう”みたいなコーナーが出ていて、そこにあった本。
なんとなく興味を持って読んでみた。

本書は、著者である榎本氏が青年海外協力隊に入り、そこからブータンのろう学校へ、美術の教員として派遣された時の体験を綴ったもの。
こういう本を読むと、言葉や文化が異なるのは良いとして、衛生面も生活環境をあまりに違う場所へ、その土地の人の役に立ちたいという一心から行く、その志に本当に頭が下がる。

ブータンは、世界一幸福な国ということと、王様夫婦が若くて素敵な感じのイメージしかなく、どこにあるのかもいまいち分かっていない状態。
お恥ずかしながら、ヒマラヤ山脈の中にあり、チベット自治国と隣接し(だからチベット仏教の国なんだ~と今更知る)、インドにも面している、非常に小さい国(小さい国なのは知っていた)というのを本書で知った。
国の文化を保護する政策を取っており、外資が入らず、昔からの生活を守っているというのは、王様が民族衣装をずっと着られているところから何となく想像しつつも、信号機までないのにはびっくりだった。
印象としては、文化的鎖国をしながら現状維持しているのかな…という感じ。

チベット仏教の思想が生活の一部、というくらい浸透しており、著者が派遣されたろう学校の生徒たちにも、その考えは影響があるもの。
というのが、輪廻転生の考えが深く沁みついており、前世で人をだましたり、口がうまいばかりで一種お賢明仕事をしなかったりすると聴覚障がいとして生まれると信じられているとのこと。
このように、現代の社会において、科学で証明できるような、病気疾患の原因が、仏教に紐づけられた形で理由付けされているのだ。
それに関して著者は強い違和感を感じており、それは私もそうではあるのだが、果たして我々の考えを押し付けてもいいのかというのが疑問に残った。科学で証明できることといっても、それは科学によって理由付けされているにしかず、いわば宗教で理由付けしているのと、ある意味同等であるかもしれない。もちろん、科学の発展によって治せる病気が抜群に増えた。
でもそれを受けいれて、科学の力を信じることが果たして本当に”幸福”に繋がるのか?というのは疑問。だからといって、病気の部分だけ科学を受けいれて、あるところではそのままにし…と線引きもほぼ不可能。
もちろん、障がいによって人権が侵害されるのは問題だけれども、それすら我々の文脈で見ているのに過ぎないから、ブータンの人に押し付けるのもちょっと違う気がしないでもない。

とはいえ、今まで障がい者の子供は家の中に閉じ込めるしかしてこなかったブータンも、政府が障がい者支援の学校を建て、関係者が積極的にリクルートして生徒たちも入ってきているようだ(逆にリクルートしないと存在を知らない人たちが多い)。
障がい者への差別も減ってきているとのこと。
障がい者も含めた”幸福度の向上”を考えられてきているということだろうか?

と、肝心の美術室を作る前で感想が長くなってしまったが、こうした国に対する支援について、どこまで行うのか、ゴールは何なのかが難しいところだよな…というのが、本書全体の感想だった。
というのが、著者はブータンにはない”美術”の教科を導入すべく派遣されてきたのだが、学校側ではそこまで美術の必要性が分かっておらず(そもそもないんだからしょうがないけれど)、人手不足だから先生が欲しくて手を挙げたという感じっぽい。それに筆者がもどかしさを感じ、本当に頭下がることに子供たちのために奮闘する。
それに対し、”あなたが好きでやってるんでしょ”という感じで、あまり協力的ではないブータンの先生方。受け取るだけ受け取って、それを取り入れて自分のものにしようとは思わない姿勢。

美術室が欲しいとお願いしてもなかなか受け入れてくれず、ストレスも溜まって原因不明の高熱まで出てしまった著者。
それが校長による気まぐれな会議でお願いしたところ、あっという間に解決。
美術室が出来てから本腰入れて美術の授業がスタート。

これまでブータンでは”美術”の学科がないというのは、仏教画などお手本そっくりに描く技能的なものでの美術があっても、自分の想像力を駆使して作品を作り出す、芸術に繋がる美術がなかったのだ。
最初は戸惑う生徒たちだけれども、やはり聴覚に障がいのある子というのは、美術は自分の意志を伝えるツールにもなり得ると著者が言う通り、子供たちが楽しんで制作するようになる。
その姿を見て、例え自分が去った後に美術の授業がなくなってしまっても、この子たちに爪痕を残せれば…という気持ちになっていく様子がうかがえて、それが青年海外協力隊の意義の1つなのかなと思えてきた。

今の体制を今すぐ変えるのは不可能で。
そして彼らの今の思想がまったくの間違えというほど傲慢になってはいけないはずで。
そうなると、子供たちに別の文化(この美術の考え方でも立派な文化だろう)を紹介することで、それを取り入れるのか、もしくはやっぱり不要とするのか考えて、未来を作ってもらうということに託すのが重要な役割なんじゃないかなと思った。

と言いつつ、この著者のすごいのが、子供たちの作品展を催すまで漕ぎつけて、他の先生方にも美術の素晴らしさを共感してもらえたところ。
校長先生にも「(中略)ぼくは美術の授業を受けたことがない。美術はただ、先生が黒板に描いた絵をまねすることだと思っていたけど、展示を見て、それはちがうとわかった。ほんとうにすばらしかった。子どもたちがあんなに喜んで展示を見る姿は、想像を超えていたよ。なぜもっと早く、気づかなかったんだろう」(p151)と言われるほど。
そしてこれから正式導入される美術学科のために、著者が行った美術教育の記録を記したものを、教育大臣と直接会って副教材として認めてもらえるまでに至ったのは、本当にすごい!!!

ブータンでは来世で会うかもしれないということで、「さよなら」という言葉はないそうで、
それでかは分からないけれども、青年海外協力隊員が別れの時はあっさりしていると言われたそうだが、著者との別れでは「一番美術が楽しかった」だの「必ず美術の教師になって、日本に会いに行くよ。次は日本で会いましょう」だの、涙流した子たちも出てきたとのこと。それはそうだよ!!!数々の困難を、子供たちのためにというただその一心だけで、乗り越えて、乗り越えられた背景にはこの子供たちの”美術が好き”という姿があって、更に大人たちまで動かしちゃったんだもん!

割と短い本だったけれども色々考えさせられ、最後はもらい泣きしてしまった一冊だった。

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スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ『戦争は女の顔をしていない』




結局読んだのは、皮肉にもロシアのウクライナ侵攻が激化している時。本書とはロシアの立場が逆転してしまっている。





本書に描かれている凄惨な内容を読むと、
なぜ自分たちがドイツの侵攻に必死で抵抗したのと同じように、ウクライナも抵抗すると思わないのか、
なぜ自分たちが理不尽な気持ちでいたように、今ウクライナで人々が同じ気持ちになっていると思わないのか、
なんというか、愚かしい歴史が繰り返しているという虚しさみたいなものを感じた。





おそらく本書は、それまで語られず、むしろ煙たがられていた「女の戦争」に焦点をあてるというのが目的だったんだろうけど、今この時期に読むと、また違った様相をしてくる。





簡単に本書について紹介すると
本書は、ジャーナリストとして初めてノーベル文学賞を受賞したスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの処女作である。
第二次世界大戦時、『独ソ戦』で読んだ通り、ナチスドイツが不可侵条約を破ってロシアに攻めてくる。その時ロシア側では、男性だけではなく女性も志願し従軍した。しかし、こうした女性は第二次世界大戦後、語られることはなかった。





アレクシエーヴィチ氏は言う。戦争の本は常に男性の目線で書かれており、女性が話すとしても「男の」戦争観の中で語られる。戦後生まれのアレクシエーヴィチ氏は、家や戦友たちの集まりの時だけに女性たちが少し語る内容に衝撃を受け、本書を書こうという動機に至った。





あちこちに赴き、従軍した女性たちに聞き取りをした内容が記述され、ところどころにアレクシエーヴィチ氏のコメントが入っている。
コメントは、聞き取りの大変さ、そこから見えてくる戦後の女性たちの苦悩が見て取れる。





本書は内容の性質上、まとめるということはできないので、印象的だった部分の引用をしていく。










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大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』








第一の感想として、自分が受けた学校教育では、日本史においてはもちろんのこと、世界史においても近代史をやらなさすぎる、ということだった。
他の学校ではやっていたのかもしれないけれども、少なくとも私が履修した世界史は第二次世界大戦が勃発しそうなところで終わっていた気がする。
本当にお恥ずかしながら、独ソ戦について全然知らなかったので、無知であったことへの反省も含めて勉強になった。





以下、簡単に自分のためのメモ。
ただし、戦況についてはかなり詳しい時系列に沿った説明があったが、今回は割愛した。










戦争の被害の大きさを知るための指標の一つとして、死者数を挙げる。





ソ連は1939年の段階で、1億8879万人の人口を有していた。
第二次世界大戦で戦闘員866万8000ないし1140万人が死亡。
軍事行動やジェノサイドによる民間人の死者は450万ないし1000万人、ほかに疫病や怪我により、800万から900万人の民間人が死亡。





ソ連において、死者の総数は、冷戦時代には国力定家のイメージを与えてはならないという配慮から、公式の数字として2000万人とされていたが、ソ連が崩壊し、より正確な総計が取られるようになってから上方修正され、現在では2700万人が失われたとされている。





一方、ドイツは1939年の段階での総人口は6930万人だった。
第二次世界大戦で戦闘員444万ないし531万8000人死亡。
民間人の被害は150万ないし300万人におよぶと推計されている(この数字は独ソ戦の損害のみならず、他の戦線でのそれも含む)。





参考に日本では、1939年の総人口が約7138万人に対し、
動員された戦闘員210万ないし230万人が死亡、
非戦闘員の死者は55万ないし80万人だった。





ソ連、ドイツにおいて、戦闘のみならずジェノサイド、収奪、捕虜虐殺が繰り広げられた。





<背景>





1933年に権力を握ったヒトラーは、大規模な財政出動によって不況から脱却をはかり、景気は回復した。
軍事拡張を実行したが、体制への支持を失うことを恐れたため、国民の犠牲を強いることは避けた。
戦争準備と国民の生活水準維持という二兎を追うことで、財政は逼迫。
「持たざる国」であるドイツは、貿易の面でも問題に直面。
また、好景気により労働力不足にもなる。





結果、他国の併合による資源や外貨の獲得、占領した国の住民の強制労働により、ドイツ国民に負担をかけないかたちで軍拡経済を維持することに。
つまり、対ソ戦になる前から、通常の純軍事的な戦争に加えて、「収奪戦争」の性格を帯びていた。
また、ポーランドやユーゴスラヴィアなど、ナチスの眼からみた「劣等遵守」の国々に対しては、人種戦争の色彩が濃厚に。





対ソ戦に関しては、イデオロギーに支配された「世界観戦争」、具体的にはナチスが敵とみなした者への「絶滅戦争」が全面的に展開されることになる。





ドイツの計画は
第一段階で、ヨーロッパ大陸においてソ連を征服し、東方植民地帝国を建設、ナチズムのイデオロギーにもとづく欧州の「人種的再編成」を行い
第二段階で海外進出に乗り出す。





<ソ連>





1937年に大粛清が行われていた。
これは、レーニンが没したのち、スターリンの権力基盤はなお不安定で、
自分を追い落とそうとしている者が多数いる、という強迫観念にとらわれたスターリンは、秘密警察を動員、自分の先輩や仲間を含む、ソ連の指導者たちを逮捕・処刑。





1937年~8年にわたって、3万4301人の将校が逮捕、もしくは追放。内、2万2705名は銃殺されるか、行方不明となっており、実態は今も判然としない。





このことは、高級統帥、すなわち大規模部隊の運用についての教育を受けた将校、ロシア革命後の内戦や対干渉戦争での実践経験を有する指揮官の多くを、ソ連軍から排除してしまったことを意味する。





ナチスドイツ軍が不可侵条約を破って侵攻してくる情報も得ていたのに、疑心暗鬼になっていたスターリンは数々の有益な情報をすべて無視し、
そのため軍に防御も命じず、ドイツ軍の侵攻を許してしまう。





<戦況>





ドイツ軍にとって「絶滅」が目的となっているので、捕虜も殺してしまう。
それがかえってロシア軍の抵抗を強め、ドイツ軍は大いにてこずる。
そのため、途中で”殺さない”という方向転換をするものの、劣悪な状況で労働させたりと人道的な扱いをせず、死亡率が高かった。





ロシア軍も対抗とばかりに、ドイツ軍捕虜に対して人道的な扱いを行わなった。
戦況がロシア軍にとって有利となり、ドイツ本土に踏み入ることになったソ連軍将兵は、敵意と復讐心のままに、軍人ばかりか民間人に対しても略奪・暴行を繰りひろげる。
ソ連軍の政治教育機関は、抑制するどころか煽った。
「報復は盛儀であり、報復は神聖でさえある」(イリア・エレンブルグの書いた記事、p201)
更に、ベルリンを陥落した際には、略奪、暴行、殺戮をくり返していた。蛮行を恐れて詩を選んだ例も少なくない。正確な数字は特定されていないが700ないし1000人以上が自殺したと推定される。





<スターリンの外交>





ソ連のみが不均衡なほどにドイツの圧力を引き受けている、その代償として、勢力圏の拡大を認めよ。
チャーチル英首相とローズヴェルト合衆国大統領に、連合軍側でのソ連の貢献を誇示し、要求を出した。
米英側も、ソ連という重要な同盟国をつなぎとめる必要から認めざるを得なかった。
スターリン・ソ連の外交目標はドイツを徹底的に打倒することを前提として、中・東欧の支配を米英に認めされることへと固まっていく。










大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』、2019年、岩波新書









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そもそもファーウェイを買う人の気が知れないとは思っていた


楊逸 「わが敵「習近平」」 2020年 飛鳥新社


母が友人に借りたとかで、興味本位に読んでみたもの。
文化大革命に巻き込まれ、天安門事件を目撃した、芥川賞作家の楊逸氏が、今回のコロナ・パンデミックを受け、書いたもの。
どこまでが事実かは分からないところだが、中国共産党がいかにひどいか、そして世界がどれくらい中国の影響下に入ってしまっているかという危機感が煽られた。

コロナの件だけではなく、ウイグル自治区の問題、チベットの問題をはじめ、何よりも中国人自体が人を信じない国民性になってしまったことも非常に怖い。あんな世界一をほこる人口の人全員が、人を信じないで政策や、世界征服を推し進めたらどんな世界になるのか。考えるだけで怖い。

そして、こんなにも地理的にも近い日本において、なんて日本人はのんきなんだ…自分も含めてだけど……
うすうす感じていた、メディアの親中ぶりも驚く。
アメリカだって完璧に良い国なわけではない。でもまだ民主的で自由がある。
それが中国一強の世界になったら…怖すぎる!
朋友と言っていたロシアや北朝鮮が、今回のコロナで我先に中国をシャットダウンしたところに、本当に信用ならない国だということが分かるというのも、妙な説得力があった。

自分にできることなど本当にちっぽけだけれども、ありきたりな言葉になってしまうけれども、意識を持つことが大事だと思った。
とりあえず選挙に行く!(今までも行ってたけど)

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数字を縦書き漢数字で書かれると、あまりピンとこない

猪瀬聖 「アメリカ人はなぜ肥るのか」 2010年 日本経済新聞出版社


これまた「読みたい本」リスト消化キャンペーン本。
その昔、当時よく行っていた読書会で紹介された本(だと思う)。
アメリカには超肥っている人が多いのはよく知ってるので、単純に興味をそそられた。

読んでみると、最初の方は事実の羅列という感じで、
結局「なぜ」の部分がちょっと浅かったような気がするけれども
好奇心は満たされたと思う。

ジャンクフードの話がものすごく出てくるので
妙にジャンクフードが食べたくなってしまって、
ポテトチップスを食べながら読むという、
ダメジャナイカ状態であったのも、思い出として書いておこう…

簡単にまとめると、
まず事実として;
・アメリカの3分の2が肥満である
・肥満が大きな問題となり、アメリカの未来を脅かしている
 なぜなら
  -志願兵が肥満の為に入隊できないということが起きており、軍事面に影響を与える
  -救急医療の現場で、肥満体に対応する器材が必要となり財政を圧迫させる
   など
・貧困層ほど肥満率が高い

肥満の原因として、ジャンクフードや甘い清涼飲料水は当たり前のことであるが
2つの方向から原因を探っていた。

まず「なぜ貧困層が肥満率高いのか」というアプローチ。
・貧困層で肥満率が高いのは、貧困であるが故にジャンクフードに走ってしまうから
・外は治安が悪いので、子どもたちは室内で遊ぶことになり、よって摂取したカロリーは消費されない
・ファストフード店以外、治安の悪い地区に店を出そうとしない為、ファストフード店しかチョイスがなくなる
・フードデザートと言われる、新鮮な野菜を売っている店がない地域が増えている
・フードデザート現象は、中級階級以上が治安の悪い地区より郊外へ流出したのに際してスーパーマーケットも流出、代わりにファストフードのチェーン店やドラッグストアが入ることで起きる

そもそも、なぜこんなに味が濃くて、ものすごく甘い物が好まれるのか、
アメリカ人は味音痴なのか、という話になるが、
味覚というのは子供の時に形成される。
そして、アメリカの貧困層の場合、子どもの頃からジャンクフード漬けになるのだ。

原因は以下の通りである
・学食がジャンク化している
・その大きな原因が学校の予算不足である
・学校の予算は、その地域の固定資産税から捻出される
 →貧困層の多い地域はあてられる金額が低い
 →移民が多く、給食を必要とする子供の数が多い
・予算不足となると必然的に安価な加工品を使うことになる
・民間企業が侵入している
 →給食とは別に「コンペティティブ・フード」として販売されている
 →給食ではないので、規程の栄養素が含まれなくて良い
 →企業のメリットしてはブランドの売り込み
 →懐の厳しい学校としては頼らざるを得ない
・清涼飲料水に関しては、ドリンク販売権契約を学校と契約を結んでいる
 →清涼飲料水企業(コカ・コーラなど)は学校での販売権を得る
 →売上が目標を達成すれば、学校側にボーナスが出る
 →教育費が削減された学校側としては、教材を購入するのにも四苦八苦していた

次のアプローチとして、もう少し深いところからのアプローチである。
そもそもジャンクフードは何故安いのか?
こんなにも批難されているのに何故企業はジャンクフードや清涼飲料水を売り続けるのか?
といったところに結び付く。

ジャンクフードが安い、というのは当たり前すぎて深く考えたことがなかったが、
アメリカの農業に大きく関係していた。
・1973年 前年の異常気象で食料品の価格が高騰
・農業支援策として、トウモロコシや穀物の各農家に直接補助金を支払うということをした
・その後、トウモロコシの生産量が回復し、販売価格が生産コストを下回るという状態になる
・それでもトウモロコシ農家は、作れば作るほど補助金が出るというので、作付面積を増やしていく
・トウモロコシは安価に売られることになる
・トウモロコシは様々な食料品の原材料になる
  -甘味料のコーンシロップ
  -肉牛を育てる飼料

企業がなぜこんなにジャンクフード・清涼飲料水を売り続けるのか、という点だが、
・アメリカ企業は社会的責任を果たすことを求められる
・肥満問題もその一つではある
・同時に、絶えず株主から厳しく利益拡大が求められる
・社会的責任と利益拡大が相反する場合、利益拡大の方を取る
 →アメリカ経済は、株主利益を過度の重視する
・この経済の仕組みが、利幅の厚いジャンクフードに走り、国民の食欲を限界まで刺激する

因みに、アメリカの食事でしばしば話題に出るのが、その量だが、
徐々に増えていったのかと思いきや、
アメリカンサイズの生みの親がいるのを知って驚いた。
それはデヴィッド・ウォラ―スタインという実業家で、
1960年頃、映画館の儲けを増やす方法を考えていた時、
客が一人前では物足らなさそうだけれども、人目を気にして2つ目を買わないことに目を付ける。
一人前の量を増やし、値段も高めに設定したら、これがずばり当たった。

マクドナルドの創始者に乞われて取締役になった際も
ポテトを巨大サイズ化を提案し、そのおかげで1970年代の不況時でも
マクドナルドは売上高、来客数ともに再び上昇したのだった。
肥満に関する歴史があるって、なんかすごいな…

アメリカの肥満は、世界にも輸出されている。
というのは、アメリカでは人口がそんなに増えていない。
ということは、食糧の消費量というのは増えない状態が続いているのだ。
それでも株主を満足させないといけない。となると、ジャンクフードの輸出に繋がるのだった。

主要国の肥満率が出ていたのだが、1位から5位が次の通りである;
1位 アメリカ
2位 メキシコ
3位 ニュージーランド
4位 オーストラリア
5位 イギリス
因みに6位がカナダである。
上位を見て笑ってしまうのが、メキシコは除いて
見事に食べ物がおいしいと聞かない国。
本書ではあまり言及していないが、食への興味も肥満に関係しているのではないかと思う。
現に、おいしいと言われているイタリアやフランスは、大分下の方にある。
因みに、日本は最下位であった。

とはいえ、日本も安心できない。
周りを見渡せば、アメリカ産のチェーン店はたくさんあるし、
アメリカの甘い物は甘すぎて日本人には合わないと思いきや、クリスピークリームドーナツはバカ売れ、
更に特盛、メガ盛りというのが人気を博している。

そもそも日本人を含めたアジア人は遺伝子的に太りやすいらしい。
食糧事情の悪い状態が長く続いた地域で生活してきた人種や民族は、
有能な「倹約遺伝子」を持っている。
「倹約遺伝子」というのは、人類は飢餓に備えるため、食物から摂取したエネルギーを脂肪として効率よく体内に蓄えるメカニズムを発展させてきたのだが、その働きを担う遺伝子を指す。
有能な倹約遺伝子を持っている、ということは、つまりは、摂取エネルギーの量が少なくても、たくさんの脂肪を蓄えることができるのだ。
(今となっては無駄に有能としか言いようがないが…)

本書は2010年ということで、若干古い話ではあるが、
日本でアメリカ産チェーン店が撤退した話はあまりないし、
ジャンクフードがなくなったわけでもなければ、
そういったチェーン店がヘルシーになったわけでもない。

企業が自己中としか思えない気がしないでもないが、
企業が売るのは買う人がいるわけで、強靭な精神をもって歯向かっていかないと
肥満社会に打ち勝つことはできないんだな、という難しさを感じた。
と言いつつ、ポテトチップスを食べてしまったのだが…

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