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がらくたにっき |

くしゃみが吉兆の表れっていうのが面白い


ホメロス 「オデュッセイア(下)」 松平千秋訳 1994年 講談社



上巻がオデュッセウスの数々の冒険譚がメインとなっているとすると、下巻はイタケへの帰還がメインとなっている。
ただ帰還するだけではなくて、自分の邸で好き放題している求婚者たちの討伐を行わないといけないわけだから一筋縄にはいかない。
帰還してすぐに討伐、というわけではなく、色々と段階を踏んだり、用意周到にしているためかもしれないけど、時々回りくどかったりするのだけれども、それがゆえにクライマックスがきいてきて面白かった!

簡単なあらすじを書くと;
オデュッセウスの話を聞いて、パイエケス人はイタケへ送り届ける。
その船の中で眠ってしまったオデュッセウスをそっと海岸に降ろし、パイエケスの王様・貴族たちが贈った贈り物も置いてパイエケス人は帰る。
しかしポセイダオンは怒り、送り届けた船もろとも石に変えてしまう。これをもって、望む人には送り届けていたパイエケス人は、その習慣を止めることにする。…ってポセイダオン、ひどくない!?と思った瞬間。神だからやりたい放題なんだろうけど。

目を覚ましたオデュッセウスはアテネに出会い、二人で話し合った結果、アテネは皆を欺くためにオデュッセウスを襤褸をまとった老人に変える。
オデュッセウスが留守の間も忠実である豚飼いの元へ行き、歓待を受ける。
そうこうしているうちに、テレマコスも帰ってくる。テレマコスは一人、町に行かず豚飼いの元へ寄る。
そこで老人の姿をしたオデュッセウスに会うのだが、豚飼いが席を外している間にオデュッセウスは本性を明かし、二人で求婚者たちを倒す計画をするのだった。

先にテレマコスが帰り、その後オデュッセウスは豚飼いに連れられて、テレマコスの邸へ物乞いにやってくる。
オデュッセウスの行方を知っている者として、オデュッセウスの妻、ペネロペイアにオデュッセウスは生きている、と伝えたりする。
その時に、オデュッセウスの乳母がオデュッセウスの足を洗い、その時に足の怪我でオデュッセウスと気付かれるシーンもある。声をあげる乳母をさとし、しばらく身分を隠し続けるのだった。
次の日、ペネロペイアは意を決して求婚者たちの前に姿を現す。そしてオデュッセウスの強弓を出してきて、その弓をひいて12の斧を射通した人に嫁ぐと伝える。
求婚者の1人が弦を張ろうとしたがまったくできない。別の求婚者が、今日は神を祀る日だから弓を張るのは愚かなことだ、明日やろう、と言うと皆が同意する。
そこへオデュッセウスが自分が試してみたいと前に出る。
やすやすと弓を張ると、12の斧を全て射通す。
そしてあらかじめ計画していた通り部屋の扉を閉めた中で、テレマコスと一緒に求婚者たちを殺すのだった。

遺体を処分してからペネロペイアに再開し、正体を明かしてハッピーエンド、と思いきや、ちょっと後日談みたいのが入る。
面白いのが冥界のシーンが入り、トロイア戦争で死んだアキレウスやら、その後に殺されたアガメムノンやらが話しているところに、オデュッセウスに殺された求婚者たちがやってきて、どうしたどうした、みたいな話が入るところ。
そのシーンはアガメムノンが、「オデュッセウス、君がうらやましいよ」みたいなことを言って終わる。
オデュッセウスの方は、父親とも再開し、それでめでたし、になるのかと思ったら、オデュッセウスが殺した求婚者の親族たちがオデュッセウスに報復を!と立ち上がる。
またもや争いが!という時にアテネがやってきて、両者の戦いを止めて終わる。ここでやっとめでたしめでたしになる。

下巻になるとテレマコスがちょっと青年になって、あの旅で成長した姿が見られたのも面白かった。
あとアテネが何かとオデュッセウスやらペネロペイアやら、必要に応じて大きく見せたり、輝いて見せたりと、チャーム?的なものを降り注ぐのも興味深い。
オデュッセウスとペネロペイアが再開した夜、語り合う時間を延ばすためか、アテネが曙の女神を足留めするのも面白かった。神のわりに甲斐甲斐しく色んなことをしてくれる。。。

順番が逆になってしまったけれども「イリアス」も読みたい。

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Category : その他:神話
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2021年初読了


ホメロス 「オデュッセイア(上)」 松平千秋訳 1994年 岩波書店


ターナーの「ポリュフェモスを嘲るオデュッセウス」についてレポートを書くことになったものの、このシーンについて詳細が書かれている解説がなかったので、本を読むことに。
そしたらレポートのため云々を別にして、めちゃくちゃ面白かった。
元々ギリシャ神話は好きだから(というほど詳しくは知らないけど)、物語として面白いんだろうなというのは予測していたけれども、ギリシャ神話を物語として語り直されたものとは違い、ホメロスの表現も当たり前ながら翻訳されているものだから、そういった今にはない表現方法が面白かった。

例えば、「翼ある言葉をかける」という表現がよく使われるのだが、言葉に翼が生えているってなかなかお目にかからない表現。解説によると、ホメロス独得の枕詞で、解釈は2つに分かれるらしい。
本訳のように「翼ある」とした場合は、言葉を取りに例えたことになるし、もう1つの解釈として「羽根のついた」として、矢になぞらえたという説も有力らしい。
いずれにしても、”速い”ということが含意されている、というのは同じではあるけれども、矢ととる後者の場合は、羽根を具えて的確に的に当たる、ということも暗示されていると解釈もされているらしい(訳者の方は「いかがなものか」と疑問を呈しているけども)

女神アテネに対しての枕詞的に使われている「眼光輝く女神アテネ」というのも、少女漫画でよくある瞳に星が散りばめられているのを想像して、こういったところは時代や国を越えて一緒なのかな…と思った。

同じといえば、空腹について語るオデュッセウスの言葉に同意しかなくて、表現が秀逸と思ってしまったので引用;

…(注略)…これまで耐えてきた苦しみを悉く数え上げれば、もっともっと苦難の数々をお話しすることもできましょう。しかし今は、しばし悩みを忘れて食事することをお許しいただきたい。じっさい、このいまいましい胃の腑より厚顔無恥なものはありますまい。いかに疲労困憊しておろうと、いかに悲しみを胸に抱いていようと、自分のことを忘れるでないぞと強引に迫ってきます。今のわたくしもその例に洩れず、胸は悲しみに満ちておりますのに、胃の腑めは食え飲めとしつこく責めますし、わたくしはこれまで蒙った苦労を忘れさせ、ひたすら自分をいっぱいに満たせと申します。(p180)



以下、上巻のあらすじを;

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ギリシャ神話と言えば、今も昔も変わらずアポロ推し


Stephen Fry "Mythos: The Greek Myths Retold" 2018, Penguin Books



久しぶりのStephen Fry。
コラムか何かで、この続編である”Heroes”についてのStephen Fryのインタビューがあったので、まずはこちらを購入。
元々ギリシャ神話が好きで、更にStephen Fryで面白い訳がない。
彼の軽妙な語り口は健在で、さくっとギリシャ神話を知れる良い本だった。

今まで知らなくて「へー!」となった3大エピソードは、
・アテネの出生にまつわる話
・パンドラの箱の最後に入っていたのは「希望」とは限らないこと
・「王様はロバの耳」の原型となる話
だった。

まずアテネの出生にまつわる話。
ゼウスのmentorであったメーティスと良い仲になったゼウス。ヘラとの結婚式の時にメーティスを追いかけまわす始末。
メーティスはハエの姿に変わって逃げ、ゼウスはトカゲとなりメーティスを食べてしまう。
既にゼウスとの子を妊娠していたメーティスは、ゼウスの中で出産。それによりゼウスは激しい頭痛を起こし、自分の頭をかち割ると現れたのが、その子供、アテネだったという話。
頭をかち割ったというのがびっくりだったけれども、それより面白かったのが、メーティスは叡智の神。
わざとハエになってゼウスに食べられたのではないかという。こうして、ゼウスの頭の中からことあるたびに助言を出すことになったのだ。
力の強い神に叡智が宿ったという発想が面白いなと思った。

パンドラの箱について、飢餓や諍いや疫病などが飛び出た後に希望が残った、というのは知っていたけれども、その希望が飛び出ていなかった、というところから「へー!」だった。
つまりパンドラが開けてはいけないという箱(英語ではjarという表現だった)を開けて、色々飛び出したので慌てて蓋をしたら、その中に希望が残っていた、というのだ。
希望が閉じ込められてしまったということはマイナスに捉えられることが多いけれども、必ずしもそうではないという。
ギリシャ語では"Elpis"が残っていたのだが、一説ではElpisは希望ではなく、"expectation"という意味で、更には"expectation of the worst"、そしてforeboding、dread、impending sense of doomを意味するというのだ。この解釈からすると、一番悪いものが箱の中に閉じ込められて、やれやれよかったという状態らしい。
 …without it (Elpis) man is at least denied a presentiment of awfulness of his own fate and the meaningless cruelty of existence. With Elpis locked away, in other words, we are, like Epimetheus, capable of living from day to day, blithely ignorant of, or at least ignoring, the shadow of pain, death and ultimate failure that looms over us all. Such an interpretation of the myth is, in a dark manner, optimistic.(p399)
もう一つの説、Nietzcheの説は、同じく悪いものが残ったという考え方だけれども発想が異なる;
…hope was the most pernicious of all the creatures in the jar because hope prolongs the agnoy of man's existence. Zeus had included it in tha jar because he wanted it to escape and torment mankind every day with the false promise of something good to come. Pandora's imprisonment of it was a triumphant act that saved us from Zeus's worst cruelty. With hope, Nietzsche argued, we are foolish enough to belive there is a point to existence, and end and a promise. Without is we can at least try to get on and live free of delusional aspiration. (p399)
このargueのまとめ方も好き;"Hopefully, hopelessly, we can decide for oursevels."

「王様の耳はロバの耳」の原型は、本当の話はもっと哀しいということでインパクトが強かった。
この主人公となるミダス王は、他にディオニュソスに願い事をかなえてあげると言われて、触ったものが全部金になるように、とお願いして大変な目に合っている。
その後、パンに心酔し、アポロとパンの音楽対決で、パンも含めて全員がアポロの勝ちを認めた中で、ミダス王だけがパンの方がよかったと言い、アポロを怒らせてしまう。「お前の耳はおかしい!」と言われて、ロバの耳になってしまったのだ…哀れ。
童話では、ロバの耳と皆にばれて、「隠さなくなって良かった!」とめでたしめでたしな終わり方だけれども、実際にはばれて己れを恥じた王は自害してしまうのだ。哀れ過ぎる…

学術的な話は注釈や後ろのappendexで、基本的な中身は軽く書かれている。
例えば、自分の牛を盗んだ者を探し当てたアポロが、生後1日にヘルメスに会うシーン。
ヘルメスの口調が笑える。
"Put it there, Pol. Delighted to meet you. Hermes, latest addition to the divine roster. You'll be my half-brother, I think? Mother Maia here took me through the family tree last night. What a nutty bunch we are, eh? Eh?"(p107)
カジュアルな口調で神々の会話が進む。

あと結構お気に入りだったのが、Ganymedeの美青年ぶりの説明。
Girls and women of all ages had been known to scream and even to faint when he looked at them. Men who had never in all their lives considered the appeal of their own sex found their hearts hammering, the blood surging and bounding in their ears when they caught sight of him. Their mouths would go dry and they found themselves stammering foolish nonsense and saying anything to try to please him or attract his attention. When they got home they wrote and instantly tore up poems that rhymed 'thighs' with 'eyes', 'hips' with 'lips', 'youth' with 'truth', 'boy' with 'joy' and 'desire' with 'fire'.(p306)

そうかと思うと、本文でも鋭い考察が入る。例えばナルキッソスの話にて、ナルシズムの話の後、こんなコメントが;
Perhaps narcissism is best defined as a need to look on other people as mirrored surfaces who satisfy us only when they reflect back a loving or admiring image of ourselves. When we look into another's eyes, in other words, we are not looking to see who they are, but how we are reflect in their eyes. By this definition, which of us can honestly disown our share of narcissism?(p344)

熱が冷めないうちに、この次の"Heroes"を読まなくては!

Category : その他:神話
Posted by nizaco on  | 0 comments  0 trackback
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