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がらくたにっき |

『イリアス(上)』ホメロス









オデュッセイア』を先に読んでしまって、順番は逆だなとは思いつつ読んだ『イリアス』。
なにげに2021年最後の読了本だった(これ書いているのは2022年だけど)。
正直のところ、『オデュッセイア』の方が面白かったかも…なにせ、こちらはずー--っと戦争のシーン。





それでも、やはり現代ではない感覚で書かれているので、非常に興味深いことには間違いない。





まず興味深いのが、トロイア戦争の初めから描かれているのではなく、終盤を描いているところ。
しかも何の説明もなく、突然、アカイア軍の総帥アガメムノンとかの有名なアキレウスの喧嘩から始まる。その後も、現代の小説のように過去にさかのぼって事情を説明したりもされないので、トロイア戦争のことを知っているのが前提となっているのが分かる。





あと、めちゃくちゃ登場人物が多い!!!
大体はそんなに重要人物ではないのだけれども、ちょっと出てくる人物についても、その来歴や、なんならご先祖様の話まで出てくるものだから、”ひょっとして重要人物なんじゃ…?”と思ったらあっさり死んじゃったりもする。
そういうことで、戦争の情景が集中的に描かれることなく、脱線のようなものも沢山出てくるので、心の余裕がないと楽しめないかも…と思った。ちなみに、私はとっては非常ー--に面白かった。主要人物でなくても、ちゃんとその人の歴史があって、時には神と交わりもあって、と読むと面白い。





そんなこんなで、『オデュッセイア』のようにあまりストーリーラインというものがない。
とりあえず、上巻ではトロイエとアカイアが戦っていて、トロイエにはアプロディテ、アレス、アポロがつき、アカイアにはヘレ、アテナイがついているけれども、ゼウスの判断により神々は戦いから手を引くことになる。アキレウスは冒頭でアガメムノンと喧嘩し、上巻を通して活躍はない。そのためアカイアは劣勢が続き、アキレウスに出てくるよう懇願しても応じない。トロイエ側ではヘクトルがめちゃくちゃ強い。
というのが、身もふたもないおおざっぱな話かと。





昔、「トロイ」という映画があって、アキレウスがブラピだったのは非常ー--に納得がいかなかったけれども、エリック・バナのかっこいいヘクトルとオーランド・ブルームの情けないパリスは妙に合っていて、本を読んでいる時もこの二人のビジュアルがちらついた。





さて、下巻を読もう!










ホメロス『イリアス(上)』松平千秋訳、1992年、岩波書店






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『キトラ・ボックス』池澤夏樹









池澤夏樹の本が読みたくて、特に前知識もなく読んだ『キトラ・ボックス』。
読み始めてしばらくしてから、「あれ…これ、もしかして何かの続き物…?」と思って調べたら、是の前に『アトミック・ボックス』なるものを知り。
でも『キトラ・ボックス』の書評の方には、”前作を読まなくても大丈夫だった”とあったので、そのまま読み進めることに。





結果的には『アトミック・ボックス』は読まなくても大丈夫だったのだけれども…
なんというか、あんまり面白くなかったなー--…と
最初の方はいきなりハードボイルド的で、「池澤夏樹はこんなのも書くんだ!」(というほど読んでないけど)と驚きつつ楽しんだけれども、途中からは話が飛び過ぎて失速するし、最後も尻つぼみだし、割と残念な感じだった。申し訳ないけれども、違う作家が書いた方が面白かったんじゃないかな、とすら思ってしまった。





以下、ネタバレありのあらすじ。














考古学者の藤波三次郎は、日本で見つかった銅鏡が、トルファンから出土した銅鏡に似ていると着目し、そのトルファン出土の銅鏡について論文を書いた可敦に連絡する。
可敦は民博で研究しているウイグル人で、彼女に銅鏡を見せるとやはり同じ物だという。
更にその後、藤波が瀬戸内海の大三島にある銅鏡と似ていることも思い出し、また二人でそこへ銅鏡を見に行くのだ。





見た後、駐車場に行くと、突然可敦が拉致されそうになる。
藤波が野球の心得があったので、玉砂利で犯人を撃退。どうやらその犯人二人は中国人のよう。
藤波は、知り合いの(元カノでもある)宮本美汐を頼り、可敦と三人で、瀬戸内海の離島にある美汐の実家に身を寄せる。





そこで話を聞くと、可敦の兄はウイグルの活動家で、近々デモを決起するとのこと。
可敦自体はそういった活動にいっさい興味はないのだが、たぶん、中国政府に人質にとられ、兄への抑止の切り札に使われるのだろう、と語る。
ヴィザの関係もあるので、この事件は公にしたくない、だから警察にも言いたくない、というのが可敦の希望だった。





前作の『アトミック・ボックス』は美汐が公安を相手取って戦った話らしく、その時美汐に負けた公安の人で、今は美汐の実家の島で郵便局員をしている行田や、美汐の仲間だったジャーナリストにも協力してもらい、誘拐犯の身元調査を行う。





案外早く、美汐の実家もつきとめられてしまったので、今度は藤波のコネを使い、考古学の発掘現場に身をひそめることになる。
そんな折、わずかに皆から離れた隙を狙って、可敦は拉致されてしまう。
今度は、事情を知らない発掘現場の人たちの通報により、事件が大々的に取り扱われることになる。





数日後、可敦は自力で脱出。
それに対しても大きな話題を呼び、大きなニュースになったのだった。





その後、藤波との銅鏡と剣(も銅鏡と一緒にあった)の研究で大きな成果をおさめる。





その成功を祝うため、事件にかかわった人も集めてパーティーを開くことにする。
直前に美汐が可敦にそっと聞いたことをきっかけに、可敦は重大な告白をする。





いわく、可敦にはウイグルの活動家である兄はおらず、そもそも可敦の方が中国政府側だったのだ。それは日本への留学を条件に、そしてたった一人の家族である母親を盾に、中国政府に任命されたミッションで、国外にいる人権団体との接触をはかり、その主要人物をあぶりだすことが目的だった。
そのため、あの誘拐事件は中国政府による狂言で、誘拐から生還した後に大々的な記者会見を行うことで人権団体からの接触を待っていたのだ。
実際、接触があり、”今度会いたい”というメッセージまで受け取っていたのだが、会う算段を取る前に、母親が亡くなったことを知る。
こうして、中国政府からのミッションを履行する理由がなくなったので、人権団体と会うこともなく今日まで至っている、とのことなのだ。





その場にいる人は、可敦が長く日本に留まれるように協力する、と約束するのだった。





で、一応、ハッピーエンド!?





なんだかなー---微妙…





あらすじでは割愛したけれども、この銅鏡と剣にまつわる話も結構あって、どうやって銅鏡が日本に来たのかも物語が入っている。
それはそれで面白いんだけれども、この可敦の拉致事件とあまりにかけ離れさせて、印象にあまり残らない。拉致事件自体も淡々と進むので、そんなに盛り上がりがあるわけでもない。
更に言うと、美汐がちょっといけすかない。。。私の好みの問題かもしれないが…『アトミック・ボックス』を読んでないからかなとも思ったけれども、『キトラ・ボックス』がこんな調子であんまり面白くないので、『アトミック・ボックス』は読まなくていいかな、と思った。


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『夢見る帝国図書館』中島京子









雑誌か何かで紹介されていた本で、図書館好きとしては見逃せないと思って、「読みたい本」リストに入れていた本。
正直に言うと、想像していたものと割と違って、コレジャナイ感を抱きながら読んだ。
良い意味で期待を裏切られたのではないというか。。。





装丁が重厚な感じだったから、そんな本なのかと思ったけれども、そうではなく…
軽いのが嫌だというわけではないけれども、期待と違うと面喰いますよね、という話。
勝手に期待していたので、作者にとっては知ったこっちゃないだろうけど。





それでも「なんだかなー」と思ったのが、話の挿話として「夢見る帝国図書館」というお話が入るんだけれども、それの立ち位置が微妙だった。
いわゆる帝国図書館の変遷がストーリーとして描かれているのだけれども、それが軽い口調。
例えば、





「本がない?書籍館なのに本がない?」
 将来は永井荷風の父となるべき久一郎は、憤った。
「こーれーだーかーらー」
 と、久一郎は怒鳴った。

p35




なんかこの軽い感じ。”帝国図書館”からイメージする雰囲気と合わなくて、しかもだからといって面白いわけでもなくて、この挿話を読むのがかなり苦痛だった。





メインとなる話とも微妙に繋がってないように見えるけど、最後に繋がるのかなーと期待しながら読んだけれども、最終的には別に読まなくても支障はなし、という感じだった。





メインのお話は面白かった分、余計に”なんだかなー”感が募る。





以下、簡単なあらすじ。










主人公がフリーライターだった頃、雑誌記事の取材のため上野に来たところ、ひょんなきっかけで喜和子さんという一風変わった老婦人に出会う。
主人公は子ども図書館の取材に来ていたのだが、喜和子さんは子ども図書館として生まれ変わる前の図書館を愛していて、リニューアルにはご立腹で入ったことがないと言う。





その後も子ども図書館の取材があるため上野に行くことになり、喜和子さんとちょくちょく会い親交を深める。





九州出身だけれども、大分大人になってから身一つで東京に出てきた喜和子さん。
大学教授の愛人をやっていたが、上野に住むホームレスと恋仲になり、それがばれて破局。
それでも時々大学教授と会ったりなんかしている。
喜和子さんはボロ屋に住んでおり、二階には藝大生が間借りしていた。





初めて出会った時に、職業を聞かれた際、とっさに「小説書いている」と言った主人公に、喜和子さんは幾度となく「帝国図書館についての小説を書いて欲しい」と頼んでくる。
喜和子さんは、小さい頃、戦後まもなくの頃に一時期上野に住んでいたことがあり、上野と図書館に並みならぬ愛着を持っていたのだ。
最後にはうっかり「はい」と言ってしまったものの、ずっと手を付けていなかった主人公。





実際に、小説家としてブレークしてから忙しくて、なかなか喜和子さんに会えなくなってしまっていた。





久しぶりに喜和子さんが住んでいた家を訪ねるとあたかたもなくなっており、聞いてみると体調を崩したのをきっかけに施設に入っていることを知る。
施設を訪ねると、喜和子さんの娘に遭遇し、そこで喜和子さんは家を飛び出してきたこと、そのことで娘さんは喜和子さんを相当恨んでいることを知る。





喜和子さんが亡くなってから、お孫さんとSNS通じて知り合う。
お孫さんは喜和子さんと2回くらいしか会ったことがないけれども、馬が合うような気がして、もっと喜和子さんのことを知りたいと思っていたのだ。





主人公も「帝国図書館についての小説を書く」という約束を果たそうと、小説を書こうとはするものの、どう書いたら良いのか分からない。
そんな折に、喜和子さんの恋人だったホームレスの人から、喜和子さんのメモを渡される。
それが喜和子さんが書こうとしていた「夢見る帝国図書館」の冒頭部分で、そこから喜和子さんが小さい頃、一時期だけ上野に住んでいた、ということについて調べ始める。





当時、上野にはバラックが建ち並び、喜和子さんは何らかの理由で、復員兵とその恋人らしき男娼と一緒に住んでいた。
復員兵の方はあまり仕事をしておらず、でも図書館が好きで、「夢見る帝国図書館」というのは実は彼が書こうとしてた小説だったのだ。喜和子さんの記憶では背嚢に入れられて、図書館に連れていってもらったこともあるようなのだ。





最終的にお孫さんが親戚筋から聞いたことによると、喜和子さんは元々関東に住んでおり、父親が戦争で亡くなった後、母親と喜和子さんは親戚の間を転々としていたよう。
母親は九州の家に後妻として入ることになったが、当時は戦後で食い扶持が多いと大変ということで、母親一人で嫁ぐことになる。
喜和子さんは親戚に預けられるのだが家出。どうやらその時に上野に行き、復員兵たちに拾われたようなのだ。
その後は、母親たちが喜和子さんを探すことになり、九州へ引き取られていく。





九州で喜和子さんが嫁いだ先は、非常に古い考えの家で、女性の人権はない状態。
それに耐えられなかった喜和子さんは、娘が大学に入るのをきっかけに、幸せだった思い出の地、東京へ上京したのだった。





…と、メインの話はなかなか面白いんですよ。
最後の喜和子さんの生い立ちを調べていくところは、ちょっとしたミステリーでもあり。というのは憚れる、悲しい話でもあったけれども。





でもでも、何度でも言うけれども、「夢見る帝国図書館」の挿話はいらない!!!
復員兵とか喜和子さんの意志を継いだ主人公とかが書いた態だったら良いですよ。
でもあの軽さは絶対違うでしょ…
と思うと、あの挿話はいったいなんなんだ…と言いたい。





あれがなければもう少し楽しめたのになーと思った一冊だった。










中島京子『夢見る帝国図書館』2019年 文藝春秋






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宮下規久朗・佐藤優「美術は宗教を超えるか」









新聞の広告に出ていて、この対談者だったら面白そうだなーと思って読んだ本。





が、正直なところ期待外れと言ってもいい気がする…
内容は知らないことも沢山あって学びもあるんだけれども、これ対談にする意味あったかね…というくらい会話になっていない。





たぶん、これはお二人が悪いというよりも、編集が悪いような気がしてならない。
何せ、お互いが知識や見解を言い合うという感じで、二人で会話することによって生まれるはずのシナジーみたいなものを感じられない。
これだったら、対談ではなくて共著という形にして、まとまった文書にしても良かったんじゃないかと思った。





あと『美術は宗教を超えるか』というタイトルになっているけれども、そこまで大層なテーマではないかな…
「美術×宗教」みたいな話がメイン。それはそれで良いので、こんな大仰なタイトルにしない方がよかったんじゃないかなと思った。
一応、「美術は宗教を超える」という結論が提示されているが、若干無理やり感が否めない…





あと、ところどころに日本含めた東洋についても触れているけれども(仏教とか)、お二人はキリスト教や西洋美術がご専門なので、それに特化した方がよい気が。ちょっと浅い話になってしまった気がする。





という感じで、文句たらたらな感想になってしまったけれども、それでも学ぶところは多々あったので、簡単に抜き出すと…










  • 美術の始まりは「目に見えないものを視覚化する」
    • 「言葉にできないもの」を文字化したもの→聖書やコーランなどの聖典
    • 「目に見えないもの」を可視化したもの→絵画などの美術
    • したがって、美術を見るときは、目に見える絵画自体を崇拝するのではなく
    • 絵画という痕跡を通じて、絵の背後にいる「見えない神」の存在を知覚しなくてはいけない
  • いかにして痕跡を通じて、神自身に到達するのか
    • 例)部屋に漂うコーヒーの香りを言葉で表現できない。
    • アナロジー(類比)でしか表現できない知覚を言語でそのまま表現するのは不可能
    • それと同じく、人間は神についてそのまま語ることはできない








  • イコンと偶像崇拝は何が違うのか
    • イコン=「窓」
      • 聖像は「窓を通して神に祈る」という行為
      • 16世紀、プロテスタントの台頭によりおこったカトリックの改革の結果;
      • イコン=礼拝や崇拝ではなく、崇敬の対象。聖人や聖物、マリアの像などもすべて崇敬が目的
        • 「崇拝」=adoration, worship…対象は神だけ
        • 「崇敬」=veneration…対象は聖物、聖画像も含む
    • 偶像=中に神がいる








  • ITとカトリックの意外な関係
    • MicrosoftのWindows=「窓」
    • アイコン=イコン
      • ビル・ゲイツはカトリック
      • カトリックは移民や難民の出身者が多く、アメリカのWASPから見て、学歴や教養のレベルで劣るという偏見がある
        • アメリカの歴代大統領の中でもカトリックは二人のみ(ジョン・F・ケネディとジョー・バイデンのみ)
      • カトリックのビル・ゲイツ…庶民にも分かりやすく、誰でも使えるコンピュータの開発を目指した
    • Apple社:リンゴは「知恵の実」で、アダムとエバを連想させる
    • クラウド・コンピューティング:「クラウド(雲)」=中世の神学者『不可知の雲』で示されるように知恵のシンボル
      • 雲は吉兆の象徴
      • 西洋絵画ではよく聖人や神の周囲に、雲がかかった光景が描かれる








  • AIとバイオテクノロジーの宗教性
    • AI・バイオテクノロジーの背後…「聖霊の働きによって人間が神になる」という信仰がある
      • AIがめざすもの=人(神)の手によって機械(アダムとエバ)に知を授けること⇒人間が神になること
      • バイオテクノロジー=「生命はデータの集積である」という仮説から、生物のアルゴリズム(計算可能な手続き)を解析し、データ(聖霊)の働きによって生命を操作しようとする








  • 日本とキリスト教
    • 日本のキリスト教の普及…マリア信仰によるところが大きい
      • 布教のためには、平明で分かりやすく、写実的で本物そっくりに見える絵画が効果的
      • キリシタンの遺品で現存する9割近くがマリア像
      • 遠藤周作曰く、日本人は母なるものに憧憬を抱いている⇒キリストのように「厳しく裁く神」には距離を置くところがあった
      • 日本人の性格に気付いた宣教師は、マリアの慈しみを巧みに用いて、民衆の感情に訴えた
    • 踏み絵について
      • 仏教ではキリスト教のイコンと異なり、像自体を神と見なす
        • 鎮座する仏像自体が衆生を守ってくれる
        • 秘仏の発想…存在自体に意義があるので、わざわざ見る必要がない
      • イコンは神を見る窓なので、秘仏のような扱いはあり得ない
      • イコンが「窓」である以上、画像自体には霊的な力は備わっていない⇒本来、聖人や聖物、マリアが描かれた絵を踏みつけるのは問題ないはず
      • ところが、日本の隠れキリシタンの大半は、仏像や仏画からの連想で、神の絵自体を「神」と考え、足蹴にできなかった








  • イコンを禁止したプロテスタント
    • プロテスタントには、イコンの神学のような難しい話がよく分からなかったのだと思われる(佐藤氏)
    • プロテスタントの宗教改革…当初は、無知蒙昧な運動だった
    • それが機能し拡大するようになったきっかけ⇒科学の発達と啓蒙主義
      • 世界一周・地動説の立証によると、「天」=「上」の概念が変わり、神をめぐる意味が変容した
      • カトリック…科学の発展に対して、宗教的・霊的な真実と、科学的な真実は別物という説明を行う→説得力に欠ける
      • プロテスタント…宗教の本質は直感と感情であると考え、神の場を「心の中」に設定→啓蒙的理性とたいへん折り合いがよかった








  • カラヴァッジョの《聖マタイの召命》はさまざまな解釈ができるという話より
    • 優れた絵画、文学や哲学のテキスト…必ず複数の読みができる
    • しかも、複数の解釈がどれも首尾一貫している
    • こうした作品に数多く触れるのは、社会生活を営むうえでも有益
      • 会社や組織のなかで起きるさまざまなトラブル…文脈の見方を変えるとまったく別の見方ができる
      • 他者の考え方、内在的な論理を理解するということになる








  • キリスト教の創始者は誰か?
    • 教祖はイエス・キリスト
    • 開祖はパウロ
    • キリスト自身は、旧宗教のユダヤ教を壊してゼロから新宗教を作るつもりはなかった









宮下規久朗・佐藤優『美術は宗教を超えるか』 2021年 PHP研究所






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ディーリア・オーエンズ「ザリガニの鳴くところ」









「2021年本屋大賞 翻訳小説部門 第1位」という『ザリガニの鳴くところ』。
が、読んだきっかけは、母が「池澤夏樹さんが絶対読むべき本って言ってた!」と言っていたのを聞いて、そら絶対面白いわ、と思って読んでみたら…





いやーーーーー面白かったーーーーーーーー





これは本屋大賞取るわ。
本当に、時間があっという間に過ぎる!というのを久しぶりに経験したわ~





これが69歳にして初めての小説っていうからびっくり。動物学者さんなので、執筆自体は他にもされていたようだけれども、こんな魅力的な作品が書けるってすごい!





ということで、以下簡単なあらすじ。
因みに、ちょっとミステリー仕立てになっていて、ネタバレを含むので注意!!!














舞台はノース・カロライナ州の湿地。





2つの時間軸で話が進む。
1つが1969年から始まる時間軸。





沼地でチェイス・アンドルーズの死体が発見される。
チェイスは町で裕福な家の生まれで、クォーターバックも務めた人気者の青年。
火の見櫓から落ちたようだけれども、足跡もない。





最初は事故として処理しようとしたが、チェイスがいつもしていた貝殻のペンダントがなくなっていることが分かり、他殺ではないかという疑惑が生まれてくる。





2つ目は1952年から始まる時間軸。どちらかというこちらがメイン。





湿地のはずれに住むカイアが主人公。ホワイトトラッシュと呼ばれる、まだ人種差別が残る時代において白人ではあるものの、自堕落、暴力的、不衛生などなど、人格的にも劣る存在として差別される家の子だった。





カイアが6歳の頃、突然母親が子供たちを残してどこかに行ってしまって、帰ってこなくなってしまう。
残った兄弟たちもどんどん姿を消し、残ったのは酔っ払って暴力をふるう父親と一つ上の兄のジョディ。





父親は戦争で負傷したため、年金生活を送っているが、それが唯一の収入源であるものの、博打はうつわ、酒は飲むわで貧乏生活を余儀なくされている。





ついには、ジョディも父親の暴力に負けてカイアを置いて去ってしまい、取り残された6歳のカイアは、買い物に料理、洗濯とすべてを行わなくてはならなくなる。





一時期、父親と良好な関係を築くが、ある時母親から手紙が来たことがきっかけで、父親は家に寄り付かなくなり、ついには父親も帰ってこなくなってしまった。それがカイアが10歳の時であった。





そこからカイアは1人で生活することになる。





船着き場の燃料店<ガス&ベイト>の黒人の店主ジャンピンと交渉し、彼に貝を売って、そこで得たお金でなんとか食いつないでいた。
父親がいるふりをしていたが、ジャンピンは見抜いており、ジャンピンの妻メイベルが服などの助けも施す。





独りぼっちで生きていたカイアだったが、テイトという少年と仲良くなる。
彼は元々ジョディの友達で、カイアが小さい頃にも会ったことがあるらしい。





カイアは1回だけ学校に行ったことがあるが、からかわれてから行くのを止めてしまったため、字が読めなかった。それをテイトが教えてあげる。
カイアはぐんぐんと学力をあげていき、それまでも行っていた湿地の観察も本格的になる。





テイトと良い感じになっていくが、優秀なテイトは大学に行くことになる。
家族に捨てられたカイアは、テイトが自分も捨てるのではないかと恐れるが、テイトは必ず戻ってくることを約束する。





が…結局、テイトは戻ってこないのだった。





実際にはテイトは戻って来たのだが、アカデミックの世界に進みたいテイトは、カイアの姿を見て、その世界に連れていけないと思って去っていくのだった。





その代わりにカイアの前に現れたのがチェイスだった。
プレイボーイのチェイスは、元々は物珍しい「湿地の少女」の初めてをもらうだけに近づいた。
しかし、カイアが美しく、純粋だったこともあり、カイアにどんどん惹かれていく。
チョイスがずっとした貝のペンダントはカイアがあげたものだった。
チョイスは将来を約束し、カイアと結ばれ、恋人同士になる。





が…またもや…なかなか両親に紹介してくれないチョイスに不信感を抱いていたのだが、ひょんなことから、カイアはチョイスが町の女性と結婚したことを新聞で知る。





それと前後して、テイトに再開する。テイトはカイアに許しを乞うが、当時チョイスを交際していたカイアは完全に許すことはできなかった。
が、カイアの湿地に関する絵や観察の成果を見て、テイトは出版社に送り、なんとそれが出版化されることになる。しかもシリーズで。
おかげで、カイアは大きな収入を得ることができるようになったのだ。





そしてなんと、兄であるジョディが姿を現す。軍隊に入り、大学にも入学したジョディは、カイアの本を読み訪問したのだった。
ジョディから、母親が数年前に亡くなったことを聞く。





母親は元々裕福な家の娘であった。父親の家も元々裕福だったが没落。それでも美しい娘だった母親に一目ぼれした父親は何とか口説き、二人は結婚する。父親は生来どうしようもない男で、学校も中退、仕事も辞めてしまう、そして博打に酒にと手を出すのだった。きわめつけは戦争に行き、しかし臆病風にふかれてもたついている内に怪我、それを名誉の負傷として称賛されたが、自分の弱さにほとほと嫌になり、ますます酒に溺れるようになったのだ。





母親はどんどん転落していくなかで、なんとか住む環境を整えようとしたが、父親の暴力に心が病み、ある朝、衝動的に家出をしてしまう。我に返った時には子供たちを置いてきてしまったことに愕然とし、父親に子供たちを引き取りたいと手紙を出したが、「帰って来たら子どもを殺す」という父親からの手紙で戻ることもできなくなってしまったのだ。良心の呵責に苛まれたまま亡くなったというのだ。





ジョディと良い思い出を共有した後、またやってくるという言葉を残してジョディは帰っていった。





その後くらいに、ずっと避けていたチェイスにつかまり、なんとチェイスは結婚しても関係を続けたいとカイアに迫るのだった。
それに反抗するカイアに暴力をふるうチェイス。逃げのびたカイアは恐怖に震える生活を送ることになる。









という話と同時進行で、チェイスの捜索の話が進む。
チェイスの死は他殺と推測され、その容疑者としてカイアの名前があがる。





しかし、カイアには強力なアリバイがあった。それはチェイスが死んだ日、出版社の担当に呼ばれてまったく別の町にいたのだ。
しかし朝方、カイアのボートを見たという目撃情報があり、カイアは逮捕されてしまう。





皆に嫌われている「湿地の少女」ということで、偏った結果にならないか心配されるなか、敏腕の弁護士がつく。
しかし、弁護士が手を焼くほど、カイアは何も話さない。
ただ、弁護士の腕がたち、カイアのボートを見たという人たちも、朝方の靄の中ではっきりと顔を見たわけではない、という話や、チェイスの服についていた繊維がカイアの家から押収したマフラーと同じということも、その日に付いたのか、もっと前に付いたのか定かではない、といった反論を返していく。





そして…カイアは圧倒的な不利だったのに、陪審員たちは「無罪」とするのだった。
こうして、カイアは家に戻り、チェイスも結局他殺なのか事故死なのか分からないまま、この事件の幕は閉じる。





投獄されている間もテイトはカイアを献身的に支えており、そのおかげもあって、カイアとテイトは結ばれ、結婚する。
残念ながら子どもには恵まれなかったが、ジョディの家族との交流があり、寂しさが紛れた。
カイアの本は受賞し、ノース・カロライナ大学のチャペルヒル校から名誉博士号を贈られ、テイトも研究者とした研究所で働いた。





そして64歳でカイアは生涯を閉じる。





悲しみにくれるテイトは、隠された箱を見つける。それを開けると中には、地元の詩人であるアマンダ・ハミルトンの手書きの詩が出てくる。ここで、カイアがアマンダ・ハミルトンであったことが分かる。





自然や愛を扱った詩ばかりのなか、異色の詩を見つける。それは確実に、チェイスの犯罪を書いた詩であった。そして貝のペンダントも見つかる。つまり、カイアこそが犯人だったのだ。










ちょっと最後が、いや、カイアが犯人なんだろうなー…とは思っていたけれども、あのカイアのことを強く信じていたテイトとか弁護士さんたちの努力って…と若干あっけにとられてしまった。
が、それはこちらの都合であって、なんでカイアがチェイスを殺したのか示唆するシーンがある。
それが、蛍のメスがオスとの交尾後、オスを食べるシーンで





 ここには善悪の判断など無用だということを、カイアは知っていた。そこに悪意はなく、あるのはただ拍動する命だけなのだ。たとえ一部の者は犠牲になるとしても。生物学では、善と悪は基本的に同じであり、見る角度によって替わるものだと捉えられている。





ちなみに、カイアが犯人だとテイトが分かった詩も「蛍」というタイトル。
人間社会よりも自然社会に身を置いていたカイアは、自分に大きな危害を与えるチェイスこそ、平安に暮らすために排除しなくてはならない対象であり、それに対する罪悪感は、通常の人間とは違ってあまり抱かなかったのだろう、と思う。蛍だけではなく、カマキリも、メスが同族のオスを食べることが言及されているところからも、そこらへんの抵抗感が薄かったのだろう。
ただ、人間社会のことも分かっているから、偽装してアリバイを作り、裁判で不利なことを言わない、といった知恵も働かせたのだろう。





それに対して、善か悪かとカイアに問うのはナンセンスなことなのかなと思った。
そういうカイアを作ったのは見捨てていった周りの人間だし、もっと広い目で生物というくくりで見れば、自分の安全のために脅威を殺す、というのは自然なことだし、ということで。
そしてこういう視点で書けたのは、動物学者の作者ならではなのかなとも思った。





ちなみに、タイトルとなっている「ザリガニの鳴くところ」とは、”茂みの奥深く、生き物たちが自然のままの姿で生きている場所”ということらしい。





処女作ということで、”こんな長い間人間としゃべったことなかった女の子が、字を読めるようになったからって、突然本読めるようになるか?”とか”初めて読んだ文章があまりに高度”とか、細かく見るとつっこみたいところがあるが、読んでいる間はまったく気にならないくらい話の展開が卓逸で、夢中になって読んだ。





今のところ、今年で一番面白かった本!










ディーリア・オーエンズ『ザリガニの鳴くところ』友廣純訳 2020年 早川書房






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