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がらくたにっき |

翻訳本ってやっぱり苦手

普段はあまり暗い本は読まない傾向がある私ですが、珍しくその手の本を手に取ったのが「黙って行かせて」byヘルガ・シュナイダー ナチス関係の話でした。

ほとんどヘルガ・シュナイダーの自伝的な話らしいです。
ヘルガは57年前、まだ幼い頃に母親に置き去りにされてしまいました。そして27年前に一度会ったっきり、それから一切のコンタクトをとっていませんでした。
幼い子供たち(ヘルガと弟)を持つ母親が出て行った理由は、ナチス親衛隊員としての職務を果たすためでした。母親はアウシュビィッツの看守となったのでした。

話の構成としては、母親の友達からある日突然手紙がきて、母親が痴ほう症を患い、老人ホームに入っているのを知らされるところから始まります。27年前に会った時に、母親がナチス親衛隊員と聞かされ、大きな衝撃を受けたヘルガは、拒絶反応を起こしながらも、会いに行くことにしたのです。
話はヘルガ自身の回想を交えながら、ヘルガが質問することによって明かされる母親の過去が明かされてきます。

その途中途中での、ヘルガの苦悶が身に沁みました;
 
 私は別のことを考えはじめた。
 ナチの犠牲者たちについて読んだり聞いたりしたさまざまな話について思いをめぐらす。
 お母さん、私がナチの女看守の娘であることから自分を解放するには、あなたを憎まなければいけないのよ。でも、それは私にはできない。どうしてもできない。(p137)

 お母さん、あなたを憎ませて! 
 どうかあなたを憎ませて!
 それこそが解決策なのだ。
 ビルケナウであなたの監視下にあって、あなたに生殺与奪の権を握れれていたユダヤ人女性に何をしたのか、身の毛のよだつような恐ろしいことを言って!(p202)

なんとなく読んでいて、確かにヘルガが、自分の母親がナチス親衛隊としてやってきたことに対して嫌悪感を感じているのですが、それよりも、子供のころに捨てられたことに怒りや悲しみを抱いているように感じられました。
自分を捨てたことに関しての恨み、そして自分を捨てて何をしたのかといったらアウシュビィッツの看守、ということに大きな嫌悪感を感じている、といった感じに思いました。

どうやら27年前に会ったことが描かれている本もあるみたいなので、そちらも読んでみようと思いました。
ちなみにタイトルの「黙って行かせて」は、あらすじを読んだ時は母親の言葉だと思っていたのですが(アウシュビィッツに行く時に言った言葉かと)、そうではなくてヘルガの言葉でした;

 私たち二人の、決して交わることのない母と娘の哀しい物語が、今ここで白日の下に晒されている。もはや物語にさえならない物語が。
 黙って行かせて、お母さん。(p244)


ナチスのことといい、戦争のことはこれ以上言葉を連ねても偽善っぽくなりそうなので、今感じていることを頭の片隅にとどめておくことにします。


(ヘルガ・シュナイダー 「黙って行かせて」 高島市子・足立ラーベ加代訳 新潮社 2004年)

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Category : 小説:現代
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本気でこの主人公の行方を知りたい

嫌気がさしてくる前に!ということで2日で読み終えた「深淵 下」。
文体に慣れてきたのか、「上」よりは若干楽しめたのではないかと思います。

「下」ではあた麻田は事件に巻き込まれます。今度は空白の12年間に関する事件でした。
話の発端は、東京にて見知らぬ人に「秋山君(「上」にて病院で目覚めたときの名前)」と呼びとめられたのが始まりでした。呼び止めた人は、麻田が12年間小瀬亜wになっていたところの甥だったのです。彼に事情を話すことによって、12年間の性格に深く関わった人たちと連絡がつくようになるわけです。

今回の事件も殺人事件で、弁護側からアリバイのための立証を頼まれます。被告人は記者で、その事件の夜には秋山にインタビューしていた、というのです。
そこで、それのためと、記憶回復の為に、その土地へ行き、12年間お世話になっていた丹生持節と双葉子の元で世話になることになりますが、なかなか記憶が回復しません。
そして今回の事件の被告人は、どうやら実刑に値し、もしかしたら秋山(麻田)の記憶喪失を知っての上での要請、という可能性もなきにしもあらず、といった感じなのです。
結果的に言うと、麻田は記憶を取り戻します。それは双葉子が発した「おみおつけ」という発音を聞いて、秋山として彼女と深い仲にあったことも含めた、12年間の記憶がよみがえるのです。
ついでに記者のアリバイを崩す実証も明かします。

事件が終わって残った問題は、どちらの生活をとるか、ということでした。
一旦東京に戻り、妻を始めとした親戚・知人にことの顛末を語り、裁判からまた出頭要請が来るかもしれない、ということで双葉子の家に戻ることにしました。ところが、そこで途中下車をしたきり、また麻田の行方が分からなくなってしまいます。

そこで話が終わりなのです!!!!!!!!!!
そりゃあ、どっちの女の人をとるかって大きな問題だし、どちらをとっても腑に落ちない気分になるかもしれませんが、それはないでしょ!!?って感じでした。

そして最後の最後までレポート口調。たとえば、最後の方で、双葉子と琴絵が会うのですが、その劇的にもなりえる描写が;

 やがて、会話が、二人の上に復活した。その内容は、ある意味においては「変哲もない」ようなもの――宝満界隈の風光・人情・風俗・沿革などの概要(決して際どくはない遣り取り)――に終始した。一つだけ、次ぎのごとき具体的な提案ないし相談ないし予約を、琴絵が、双葉子に持ちかけた。

[1]目下の差し戻し裁判が終結した時期にも、なおまだ麻田布満=秋山信馬の所在・消息が不明の場合は、
[2]「自分[崎村静雄]は、是非とも宝満城址・虚空ケ丘に行きたい。そして、あなた[双葉子]にも、お会いしたい。」というのが、崎村静雄の強い希望である。
[3]むろん、その節には、改めて御相談することになるが、いまここで、あなたの「原則的な承諾」が得られると、幸甚である。

 双葉子は、「原則的に承諾」した。
 このような経過のたお、琴絵と双葉子の二人は、また双葉子の運転で、海濱学舎に戻った。
 その日の夕食を、琴絵は、丹生宅で呼ばれることになっていた。哲彦も、来る予定。(p302)

う~~ん
もっと時間が経ってまた読んでみたら、違う感想を持つのでしょうか?何年か後に読んでみようかと思います。

(大西巨人 「深淵 下巻」 光文社 2004年)

Category : 小説:現代
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結局主人公は何で生計をたてているのだろう・・・

確か、三浦しをんさんのエッセイに紹介されていた本だったので、何の疑問も抱かずに借りてきた「深淵」by大西巨人。確か確か、エッセイの中では絶賛だったはず。
なのに・・・
なんじゃこりゃあああ!!!!
というほどのつまらなささでした。多分、本自体がつまらない、というわけではなくて、まるっきり私に合わない本だった気がします。

話はなかなか興味深いもので、主人公の麻田布満は、所要で北陸へでかけます。しかしそこの海で泳いで、次に気付いてみたら十数年後に、北海道の病院にいたのでした。タイムスリップというファンタジーではなくて、記憶喪失だったわけです。
東京に戻って、知人や家族に会うと、その空白期間は(当たり前のことながら)麻田は失踪したことになっていました。そしてその間に、妻との間に娘ができていたのです。
それと同時に、自分の友達が冤罪で柵の向こうにいることも知ります。共通の友達が、その人の再審を求める有志の会に入っていることも知ります(ちなみに、彼が投獄されている経緯などは、その共通の友達から知らされます)。
それに対して、麻田は決定的な証拠を見つけ出す事ができ、その友達ははれて再審無罪判決を言い渡されることになったのでした。

話の内容だけ見れば、そんなつまらなさそうですが、なにがあれって文体が非常に独特なのです。多分、これが好きな人は、その文体が好きなのでしょう。例えば冒頭;

 麻田布満という二十八歳の青年が、首都圏・埼玉県与野市〔現在のさいたま市〕の彼の住所から失踪した。それは、一九八五年〔昭和六十年〕七月二十日土曜のことである。もっとも、麻田の肉親、友人、会社同僚などが事態を失踪ないし行くえ不明ないし「蒸発」として充分本気で考慮・心配し始めたのは、七月末~八月初旬ごろ以降のことであって、最初から麻田の身の上を真剣に案じ事柄を重大に考えていたのは、――布満の両親を始め彼の知り合いたちが冷淡非常であったというような意味では毛頭なく、――布満の結婚三年目の妻琴絵だけであったかもしれない。(p10)

とにかく説明的で、このままずっとこの調子で続くのです。なので、感情移入はもちろんできません。
その上、話の流れが異様に分かりにくく、話があちこちに飛ぶのです。登場人物をよりよく知らせるためか、彼の思想論を書き綴ってみたり、事件をより深く理解させるためか、他の事象の概論やらを書いてみたり……。とにかくつかみにくい。そして、万事が説明的な文章で淡々と進む。
というわけで、報告書とか論文を延々と読んでいるような感じです。

自分に合わない本だとひしひしと感じているけれども、上を読んでしまったので、気合入れて下を読まなくては。

(大西巨人 「深淵 上」 光文社 2004年)

Category : 小説:現代
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盛者必衰の理をあらわす

住居が変わったおかげで、平家物語のフォーマットも変わってしまいました。おかげで3巻の半分よりなので、長さ的には短いです。

さて賊につかまって義経ですが、それは堅田の一味で、義経の叔父新宮十郎行家の仲間でした。そこで義経は叔父たちのたくらみを知るのです。まず、その時京都で悪名を轟かせていた義経とは叔父の息子で、平家方を煙に巻こうという叔父の策戦でした。そして、平治の乱の時に寝返って平清盛に仕えた、源三位頼政が実はこちら側だったということを知らされます。
それを知って驚いたのは義経と一緒にいた有綱(彼は草の根派でした)で、真相をただしに単身京都に行きます。そこで頼政や、父仲綱、その弟兼綱は、平家に仕えるふりをし、源氏勢には蔑まれながらも、虎視眈々と平家打倒の機会を狙っていたことを知るのです。その日のために、質素に暮らしつつ、兵具を貯蓄しながら… と涙をさそうお話なわけです。

義経の方はというと、影義経(叔父の息子)が弁慶によって捕らわれ、別当時忠(清盛の義弟)のもとに監禁されてしまいます。そこで立ち上がったのが行家率いる堅田軍団でした。しかしそれも惨敗に終わり、行宗(影義経)を救出できないおろか、行家は重症、多くの人が捕らわれたのでした。そこで解決に身を乗り出したが我らが義経。
捕らわれた面々とひきかえに単身のりこむのです。それに対して時忠は天晴れなやつ、と丁重にもてなすのでした。その時忠の邸で出会ったのが、義経にこれから深く関わる二人でした。一人は弁慶で、偽とはいえ義経を捕らえた手柄のために、ここに留め置かれていたのでした。そしてもう一人は、義経をもてなすために呼ばれた白拍子一団の中にいた静御前でした。この弁慶との出会いが印象的だったので引用を;

 九郎はふち、廊の途中で、足をとめた。
 庭面の秋草は、もう枯れ伏し、銀鼠色の絹糸をくねらせたような遣り水だけが、その下を縫っている。所々の大きな楓が、紅を撒き、かなたの透かし牆(がき)の根には、かむろ菊が、ほの白い。
 その牆の木戸に、ひとりの大法師が立って、九郎の方を見ていたのである。先ごろから泊まっていた西塔の弁慶であった。大きな眼をした大法師かな、と九郎は思った。無遠慮に、自分の方を、なおもじっと見すましている。といって、べつに害意のある眼でもない。
 九郎はすぐまっ直ぐに歩き出した。
 絵ぶすまをはめこんだ一間には、時忠が、妻の帥ノ局や、美しい姉妹とともに、夜の食事を一つにと、かれの姿を待っていた。(p304)

その後、時忠の計らいも空しく、清盛より打ち首の令が出てしまいます。そこで時忠は、義経を解放するふりをして、弁慶にその道で討たせることにします。でもそれは、平家の公達をだまくらかす策戦で、本当は解放してすぐに、娘に追いかけさせ、女物の被衣と女下駄やら紙片を渡させるのです。そこで平家方から逃げれたと思いきや、ある意味、だまされた弁慶が追いかけてきて、ここで有名な五条の橋での対面となるのです;

 下駄の音が、橋板を一と蹴りした。もとの所に九郎は見えない。九郎の位置は、弁慶の勘を狂わせた。…(中略)…
「あっ」
 弁慶は、両腕のしびれに身まで竦んだ。薙刀の柄を、塗下駄に、蹴られたのである。
 柄は、離さなかった。しかし、蛭巻にからみついた被衣は、次のうごきで妨げた。
 うろたえとともに、当然、相手の襲撃が予感され、かれの五体は、本能的な防禦のかたちに移っていた。しかし、狼狽はまたすぐ次の狼狽を、重ねていた。タタタタと逃げる跫音が、もう遠くにしていたからである。
「やや。……?」
 月に光る塗下駄の裏と、主のいない被衣がそこに見えただけで、当の九郎は、あたりにもいなかった。…(中略)…
「待てえっ。逃ぐるとて、逃がそうや」
 しかし、九郎は迅い。
 身についている鞍馬育ちの身軽さである。
 水を跳び、洲を走り、いつか四条河原を、東の岸へ渉っている。そこで、ふと立ちどまった。弁慶の呼ばわる声に振り向いた。そして執念ぶかくなお尾けて来る遠い影をみとめた時、かれは初めて、ニコと笑った。白い歯と片頬の笑くぼが、月の下でたしかに笑った。(p322-323)

そうして義経は、弁慶を弁慶の母(前に義経に助けられて、義経に恩義を感じて付いて来ている)のもとへと連れて行くのでした。それから二人をそこに置いて、奥州平泉と向かうのでした。

京では地震がおき、それがきっかけとして、後白河院を中心にした平家打倒の動きが発覚します。それがきっかけに福原にいた清盛は京にはせ参じ、後白河法皇を鳥羽へ幽閉してしまうのです。一番のびっくりは、清盛の腹違いの弟、頼盛がその一味だったのです。しかし清盛は彼を許してしまい、そこに彼の甘さが出てしまうのです(頼朝や義経を助ける時点で充分甘いけど)。

最後の大きな事件は、以仁王の反乱です。
彼こそが頼政が頼みの綱としている人でした。以仁王に令旨を出させて発起するのですが、思ったよりも兵が集まらず、以仁王、頼政を初めとしたその一門はあえない最期を迎えるのです。

今回のツボな人は渡辺唱(となう)でした。彼は頼政の従者で、いつも頼政に「唱、唱」と呼ばれていて、主人の苦渋を共にしたのでした。そして頼政の自害後、主人の遺体と共に行方をくらますのです。
ちなみに彼の一門は全部名前が一文字です。競(きそう)とか省(はぶく)とか授(さずく)とか与(あたう)とか続(つづく)とか加(くわう)とか。嵯峨源氏、渡辺党の風習らしい。と、読んでふと思ったけれども、この渡辺党って、渡辺ノ綱の末裔か??彼も確か、源頼光に仕えていたのでは??

やっと頼朝が動き出しそうです。それまで延々と政子といちゃこらついていたおかげで、私の中では古風に言えば色情魔としか見えないのですが。かっこよくなることを祈りつつ、先に進もうかと思います。

(吉川英治 「吉川英治全集34 新・平家物語(三)」講談社、1981年)

Category : 小説:歴史
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継続は力なりって感じですよね

ずっと前から手元にあったのに、なかなか読まなかったのがこの本、「いつまでもデブと思うなよ」でした。
レコーディングダイエットのことね、と思いながら、本を読む気もなく、ついでに読んでもいないのに、やってみて挫折をして、何ヶ月も経った今、改めて読んでみたのでした。それを読んで、こりゃ続かなかったわけだ!と気付かされました(当たり前か)。心得をきちんと読まない限りダイエットの準備ができず、段階の説明を聞かないと続かないわけです。
ということで、まとめ

1) 助走;①体重を毎日計る②口に入れたものすべてをメモする③ガマンしない(p105)
   この段階では、まず自分がどんなものを食べているのかを徹底的に調べるのを目的とする

2) 離陸;①体重・体脂肪率を毎日計る②口に入れたものをすべてメモし、カロリーを計算する③どうやれば総カロリー数を減らせるか想像してみる。でもガマンはしない(p118)
   これも知るのが目的。助走をきちんと経験して「もういいや」と思ったときに始める。ここに出ている、カロリー計算お役立ちサイトをメモっとくと;
<自炊>
イートスマートのサイト(http://www.eatsmart.jp/do/search/go)
しらはせのサイト(http://www.dance.ne.jp/~sirahase/dish/kcal/calorie_table01.html)
<外食>
ものぐさ主婦の外食カロリーチェック(http://i.kcal.fc2web.com/)
<両方に>
摂取カロリー・消費カロリー大辞典(http://muuum.com/calorie/index.html) (p116)

3) 上昇;①体重・体脂肪率を毎日計り、口に入れたすべてのものをメモし、カロリーを計算する②一日の摂取カロリーを年齢・性別にあわせて決め、それを守る③食べ過ぎても後悔や反省はせず、翌日からのフォローで切り抜ける④毎日、水を二リットル飲む(p140)
  好きなものがカロリー高のものでも、全部食べずにすることによって、食べつつもカロリーを抑える、という形式

4) 巡航;①七五日目あたりに体調の変化がある②体重や体脂肪は脈動的に変化する③停滞期にはいろんなダイエット法を併用して乗り切ろう④豆乳野菜ジュースはオススメ
    この時期になると、体の自然な原理によって、飢餓感に襲われたり、体重が思ったより減らなかったりするらしい。気分までも下降し鬱気味に…。そこで一番いいのが(そしてここがレコーディングダイエットのメリットの一つだろうけど)、今までの記録をみること;

 人間、他人は案外簡単に裏切れる。しかし、がんばってきた自分の実績を裏切ることは、そう簡単にできるものではない。…(中略)…
 ほら、ゲームで保存していたデータが消えてしまったときの、衝撃や落胆を思い出してほしい。たかが「遊び」なのにあれだけショックを受けるのは、人間というのは「今までの自分の努力や時間が無駄になる」ことを何よりも怖れ嫌う生物である証拠だ。
…(中略)…
 そういう時に、いままでの記録を見ると、「もったいなくてやめられない」という気分になるのだ。

あとユニークで面白かったのが、体脂肪重量をはかる、というものでした。それは体重×体脂肪率で出すもので、確かに、分かりやすい。
あとは、この停滞期に色々やってみると良いらしい(体が順応していないダイエット方で、体を驚かすと、減ったりするらしい)。その中であげているのが、豆乳野菜ジュースダイエットで、これは豆乳200cc、野菜ジュース200ccを混ぜて、朝食で食べる、というもの

5) 再加速;①食べ物の好みの変化に気をつけよう②「満腹」や「ちょうどいい」の直前、「まだちょっと足りない」で食事をやめよう③「○○が食べたい!」という欲望ではなく、「○○を欲しがっているな」というからだの欲求を自覚しよう(p182)

6) 軌道到達でダイエットの終わり、となる

ダイエットの指南書として、この先重宝しそうな本だけれども、それと同時に、普通の本としても面白かったです。なんだか成功者の本というか、伝記(というとちょっと大げさかもしれないけれども)というか、ある人物が(ここでは岡田さんが)どんどんと成功していく(ここではやせていく)のを読むのは爽快というか。
ということで、今日からレコーディングダイエットをしようと決意したのでした。

(岡田斗司夫 「いつまでもデブと思うなよ」 新潮新書 2007年)

Category : その他
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沙羅双樹の花の色

さて、平家物語も第三段。

この巻では、平家はその繁栄の絶頂を謳歌することとなります。
清盛関係でいえば、妓王御前や仏御前といった白拍子が出てきたり、清盛が剃髪したり、福原(今の神戸)が開港して宋との国交が始まったり、娘が安徳天皇を産んだり、鹿ケ谷の会合があり、そして最後には小松重盛が死んでしまうところまでいきました。
そんな絶頂ぶりだけれども、陰りがもう少しずつ出てきているという状態で終わりました。

でもこの巻のメインといえば義経と頼朝でしょう。
まず頼朝は(義経の方が登場は早いですが)、もう早、30くらいになっていて、北条政子とちちくりあってる感じだったりします。ここに描かれる頼朝は、女遊びが派手で、それでいて、何を考えているのか分からない、という設定となっていました。
北条家は平家側で(だから頼朝を監視している立場)、政子の父親はそれを知ったときに怒り狂うわけだけれども、最終的に二人の本気(というか政子の気持ち)を汲んで、政子の結婚のドタキャンを許してしまう形をとります。そしてその時に、覚悟をきめるのでした。

義経はというと、鞍馬から、天狗の名の下身を隠していた源氏の残党と、奥州藤原氏秀衡の手下吉次の手を借りて、出て行きます。しかし、まず京都で機を計ったり、奥州に行く道すがらで吉次から逃げてしまったりと、奥州にたどり着くまでに時間がかかります。それでもって、奥州での滞在期間は短く、そこから逃げ出して京都に戻ってしまうのです。この巻は、義経一向が近江へ行く途中に、源氏残党らしき軍団に間違って捕まってしまうところで終わりました。

この平家物語の面白いところが、義経がまったくもってかっこよく書かれていないところです。判官びいきの言葉が生まれたくらいの義経であるから、普通だったら、紅顔の美青年であったりしそうなものなのに、逆に、とんでもない野生児でどうしようもない(なんか猿っぽいイメージ)青年なのです。しかも小さい時の栄養失調のせいで、背がとても小さい、という描写が何回も出てくるしまつなのです。
それでも魅力的なのは、子供っぽさが残り、母親や頼朝(佐殿)に恋焦がれているところがあるからでしょうか。その義経がまつわるシーンで、ことさらかっこよかったのが、次のシーンでした。吉次に連れられて奥州へ向かう道すがら、あと一歩で坂東と言う所で、吉次が水を探してどこかへ行ってしまった時のことです;

 …(中略)…あぶみ疲れの足を、自分も踏み癒していた九郎は、やがて、草の上にゆったりすわりこんだ。そして、また伊豆の海、伊豆の島じまを、はるかにながめやっていた。
(―――まだ見ぬ義兄の佐殿とは、、どんな方であろうか)
…(中略)…さながら、義兄の頼朝に、会って語ってでもいるように、凝然と、なお心も眸も遠くしていた。
 すると。さっきから、かれの後ろに聞えていた声が、またおそるおそるいった。
『せっかく、御休息のていとは存じますが……。源九郎様……義経様』
ふと、耳にとめて、かれは振り返りざま、
『なんだ、吉次』
 と、うるさげにいった。
 しかし、後ろに見えた者は、吉次ではなかった。
 見なれぬ侍がふたり、かれの背へ向かって、両手をつかえていたのである。(p222-223)

か・かっこよすぎる・・・ こんな風に、義経のほうは色んな源氏方の人々と会って行きます。

 平家物語を読み進む楽しさの一つに、「あっ!この人はもしや!」というのが度々出てくることです。例えば、義経が奥州に旅立つ前、京都にて女の子の格好で、白拍子の家で隠れているのですが、そこで仲良くなった女の子が“静”という名前なのです。ということは、静御前・・・?みたいな。
 それとか那須与一(余一となっていたけれども)が出てきたり、忠信って「義経千本桜」で狐がなりすます人じゃなかったかしら?とか、もちろん弁慶も出てくるし(叡山の法師だった)、俊寛が出てきたり・・・。どれだけこの平家物語にまつわる話が、日本文化に浸透しているのかがよく分かります。

 …(中略)…その清盛も、近ごろの人災天災になんの施策も見せてはいない。ただ平家の安泰と、子孫の繁栄のほか願いもないかのようであった。ようやく、かれもまた、古今の英雄とか成功者とかいう者が行きつく晩成期の愚に返って来たものであろうか。
 時しも。 
 …(中略)…今を盛りの栄花が、常春を誇っているようであった。
 けれど、ほんとは、天災人災の連続こそ、司権者の致命になろう。無関係なはずはない。
 答えは、時が来てみれば、余りにも分かりすぎていたことである。けれど、時の至る寸前までも、悟れないのが、敵味方とも、人間の常であった。花は、散る支度をし初めるときが、花の一生のうちでいちばん美しいし、盛りにも見える。(p436)

こうして、平家の盛りに陰りが出てきて、源氏方の草の根の動きが活発になっていくようです。


(吉川英治 吉川英治全集34 新・平家物語(二) 講談社 昭和42年)

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