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がらくたにっき |

ゴキブリが探偵とは・・・・

図書館に随分昔に予約した「チーム・バチスタの栄光」。すっかり忘れたころにまわってきました。
予約したのは映画公開前。今はもちろん上映されている所なし。ま、いいけどね。

「第4回 このミステリーがすごい!」の大賞受賞作だけあって、非常に面白かった!
綾辻行人やら有栖川有栖などなどの本格派が好きな私としては、トリックやら動機やら犯人やらにはそこまで面白さを感じなかったけれども、シチュエーションやらキャラクターがとても良かった。

舞台は東城大学医学部付属病院。
主人公・田口公平は神経内科教室の万年講師であり、愚痴外来と呼ばれる不定愁訴外来の責任者で、出世にもまったく興味なし。
そんなぐうたらな(?)田口はある日、病院長・高階に呼び出され、何かと思ったら、今をときめくチーム・バチスタの調査をしてください、という依頼を受けてしまったのです。
このチーム・バチスタというのは、エース・桐生恭一をリーダーにバチスタ手術を行っている、しかも成功し続けているスーパーチームなのです。ところが、失敗が何回か続いてしまい、それに対し、他でもない桐生が不信感を抱いていて、高階に調査の依頼を行ったのでした。そしてその調査のお鉢が、田口に回ってきたというわけです。

話の途中までは、これが事件なのかどうかも分からず、”殺人”の”さ”の字も出てきません(正確にはちょろっと出てきますが、終始、”ありえない”という観点にあります)。
それが、田口が匙を投げだして、高階が厚生労働省の白鳥圭輔を連れて来たところから、流れが一変します。
この白鳥、一応探偵役なのですが、全然かっこよくもなく、逆にゴキブリっぽいらしい。

それからは、これは”殺人事件”というのが濃厚になっていき、それと同時に桐生と義弟の鳴瀬の秘密が露見し、もちろん犯人も分かります。
そして、最後の最後には田口がなんだか成長したりしちゃいます。

ちょっと面白いな、と思ったのが・・・;

 ウワサは、たちの悪いツタ科の雑草だ。気にし始めると気にしすぎるようになり、気がつくと手足ががんじがらめにからめとられてしまっている。兵藤との問題に決着がついてからしばらくしたある日、俺はウワサに対して過剰な関心を持つことをやめた。決めてしまえば、それは意外に簡単なことだった。(p173)


とりあえず、田口というキャラがツボでした。いわゆるへタレキャラがちょっと頑張る、というのが面白かった。どうやら、他にもこのシリーズであるらしいので、読んでみたいです。

(海堂尊 「チーム・バチスタの栄光」 宝島社 2006年)

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つまらないものをよんでしまった

なんか面白いよ、言われて妹に貸してもらった「さびしいまる、くるしいまる。」by中村うさぎ

妹いわく
「落ち込んだ時に読むと、あ~私より馬鹿な人がいるって慰めになる」
「こうやってホストにはまっていくのねってわかる」
という散々なコメントでしたが、確かに!!!!!

今まで名前は聞いたことあっても読んだことなかった中村うさぎでしたが、こんなカスみたいなエッセイ、よく市場に出てるわ、と思う反面、面白いな~とも思ってしまったのでした。
面白いっていっても、呆れ面白さ、みたいな。

内容は、中村うさぎが、春樹というホストに入れ込んでいく様子がつづられているエッセイなのですが。
というか、ホストの源氏名といえども、こんな実名使っていいの?
そして、がんがん借金して、出版社から前借りとかして、そのうえ全ての根源は、自分が美人でなくてさびしいから、とかって正当化して、そんでもってこれをだらだら書いていいの!?
これが、「赤裸々につづったエッセイで読者の共感を得る」ってやつなのか!?

そして最後のおち in 文庫版あとがき

 そして春樹もまた、その星のひとつ。遠くに見えて近い、近くに見えて遠い、そんな数ある星nひとつ。だけどもっとも美しく、もっとも眩しく輝く星。 
 諸君、それが、私の「春樹」だったのだ。春樹という星を見つけて、その星に願いをかけた日々を、私は決して忘れない。

な~んて言ってたくせに、あとがきでは春樹を罵倒するしまつ。
春樹の本性を知ってしまったのは分かるけど、それはあなたが勝手に夢から醒めただけでしょ!
わざわざ春樹の本性を書かれたって、こっちとしては興ざめなだけだよ!

と批難たらたらですが、最後に一言。
中村うさぎさんの旦那さん、あっぱれだよ。こんな人の側にいられるなんて。


(中村うさぎ 「さびしいまる、くるしいまる。」 角川文庫 平成18年)

Category : 随筆
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金持ちになってパトロンになってみたひ

美術史を勉強していた時代が懐かしくて手に取った一冊「芸術のパトロンたち」by高階秀爾
もともと、美術の作品自体についてとか、アーティストについてだとかにそこまで興味があったわけではなく(もちろん、見るのはすごく好きですが)、どちらかというと、この社会情勢だからこういう作品ができたのだ、という「社会の中の美術」というような観点が好きだったので(なんか自分でも何書いてるのかわからなくなってきたのですが・・・)、とても面白かったです。

とりあえず目次という名の項目は;
序章 パトロンとは何か
1   パトロンの登場
     フィレンツェの同業者組合
     商人と銀行家
     神の代理人
2   栄光のパトロン
     地上の君主たち
     教皇と枢機卿 
     バロック・ロココの市民たち
3   パトロンの拡大
     芸術の大衆化
     市民芸術の勝利
     展覧会とアカデミー
4   新しいパトロン 
     美術批評とジャーナリズム
     画商と画廊
     政府・収集家・企業
終章 パトロンの役割


当たり前のことながら、パトロンのあり方が変われば、アートも変わる。その対象者が変わるんだから、それ自体が変わるってわけなんだなあ。ということがよくわかりました。
なんだかアートというと、金儲けから離れているものと思われがちだけれども、見る人がいないと成り立たないものなわけだから、結局はこの世に密着している気がします。
今は、アーティストが自立しているようだけれども、いくらある人が「これはアートだ!」と作品をひっさげてきても、誰も認めなければ、それはアートになりえないんじゃないか??
結局、広告だとかその他もろもろのグラフィックと“アート”の違いは、(まあ役割があまりに違うだろうけど)対象者の目をとらえる時間の違いなのではないか?つまり、広告だとかは一瞬でもでも対象者の目をとらえればいいのに対して、“アート”というのはもっと長く、「眺め」られなくてはいけない、と。

などとうだうだと考えてしまいました。あまりに乱暴な考察ですが。

やっぱりこういうのを考えるの、楽しいな・・・


(高階秀爾 「芸術のパトロンたち」 岩波新書 1997年)
     

Category : その他
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おごれる者も・・・

いよいよ本当に「おごれる者も久しからず」になってきた「新・平家物語」。
頼朝と義経は対面して、源氏軍も大きくなってきました。
もう一つの源氏軍、木曾義仲率いる一軍も活気を成してきました。

それなのに、肝心の平家方と言えば。
平清盛はいよいよ死んでしまい、平家の総領は若干37歳の宗盛。その他の平家の公達は若いのです。そのうえ、すっかり平和に慣れ、公家生活に慣れ、およそ戦には向かない。

一方、源氏方はというと、頼朝軍と木曾軍同士でにらみをきかしていたり、頼朝軍の中でも不仲が生じていて、そこまで大きな動きはないといえばない。
でも木曾軍は、大将の木曾義仲をはじめ、猛者が集まっている。なにせ、北の方の巴御前、愛人の葵御前も立派な女武者なのです。
私はなんといっても、この木曾軍が一番好きです。女にすぐなびく義仲、嫉妬しあう巴御前と葵御前、と人間関係はどろどろしていますが、美青年の義仲の両脇に美しい女武者二人、という図が美しすぎる・・・

と戯言はこの辺で、引用ダイジェストを。
やっぱり吉川英治。文章がかっこいいわ・・・


(清盛が頼朝軍の挙兵を聞いて悪夢にうなされつつ、自分の所業を思い起こすシーンにて)
「しかし、おれにも、いい分はある」
 ・・・(中略)・・・
「院政の弊害は久しいことだ。・・・(中略)・・・おれが天魔外道なら、法皇は大魔王だろう。何ゆえ、おればかりを世は責めるのか。---稀代な魔王を降伏せしめるには、稀代な外道にならねばできぬ。・・・・・・・おう、憎まば憎め、清盛の今は、むかし、日吉山王(ひえさんのう)の神輿へ矢を放ったあのおりの心と違っていない」
 自分の声で、夢がさめる。
 和田ヶ崎の松風と浪音が、夜は、雪ノ御所の深くまで、とどろに聞こえていた。
 むかし、かれが神輿に矢を射たときは、民衆の石の雨が、かれに加勢して、山法師と闘った。
 けれで、清盛が今日、つがえている矢には、一門のほか、味方がない。民衆の石は、かえって、清盛へ降りそそがれている。(p105)

(かつては源義朝に仕え、没後には平家の禄を食んできた斎藤別当実盛。その実盛の元へ、源氏のもとへ戻ろう、という誘いが来る)
「では、実盛どのには、このまま都に居残るおつもりか」
「いや、てまえも東国へ立つことは立つが、主命やむなく、維盛卿の軍に従いて参らにゃならぬ」
「えっ、佐殿を敵にまわして」
「されば、なんの能もない老後の二十年を養われて来た恩も思われ、今さら平家に裏切りもでき申さぬ。あわれ、御帰国の後、武蔵七党の友輩が、なぜ実盛はきょうの御旗の下に見えぬぞ---と問うたなら、実盛の心底はかくのごとしと、嗤うておくりやれ」
「余人ならぬ御辺のこと。よくよくなお覚悟ではあろう。嗤うどころか、聞く身も辛うござる」
・・・(中略)・・・
 それから三人は、淋しい一夕の酒をともにした。あすは敵味方、永遠の別杯となるかもしれない。しかし、おたがいの立場と、考え方は、自由であった。充分理解し合える仲の友でもあった。(p112)
<この潔い実盛は、かつて自分がその命を救った、義仲の軍と対面することになり、自ら討たれるのであった>

(頼朝とせっかく対面したのに、頼朝に冷たくあしらわれる義経。ついに、自分を慕ってついてきてくれた部下とも離れ離れにされてしまった(頼朝は、義経を慕ってきた、というのに快く思わなかったらしい))
 九郎殿山は、急にさびしい。義経は、馬にさえ盲愛を感じるたちである。人への愛執が人いちばい強い。部下とでも、そうだった。人の世のうちで、もっとも辛いことのように、別離を淋しがる。
 そうしたところへ、ある日、この九郎殿山へ、一個の大法師が、旅草鞋(たびわらんじ)を踏みしめ、身にふさわしい大薙刀を片手に、ゆらりと訪ねて来て、
「これは、都の仁王小路に潜み、久しく、君のお便りをお待ちこがれていた武蔵坊弁慶でおざる。かく、鎌倉まで下られながら、何ゆえ、弁慶には、一片のお便りも賜わらぬにや。---お恨みを申しに参ったりと、お取次ぎありたい。かつての、主従のおちかいは、そも、一時のおん戯れか否か。---弁慶でおざる。弁慶参ったと、わが君へ、ご披露なありたい」
 と、仮屋の門へ向かって、どなっていた。(p147)

(今回も麻鳥の出番があった。もしかしたらこの本の中で一番好きなキャラかも。その麻鳥は医者となって貧民を救い、その腕をかわれて平清盛を看ることとなる。結局清盛は死に、麻鳥はそのまま姿を消すが、平家軍が北上する際、平家の公達の一人、皇后宮亮経正(こうごうぐうのすけつねまさ)が竹生島(ちくぶじま)に立ち寄った時。ちなみに経正は琵琶の名手(能にもあったはず)、禰宜に竹生島の社に伝わる琵琶”仙堂”で一曲請われる。それを
「幼少より、琵琶は好むものだが、さりとて、仙童を弾じるほどな技能はない。・・・・・・それよりもこの静かなる鳰の湖(におのうみ)に、まなこを半眼にし、耳を澄ましていたがよい。---暮れかかる雲も何やらん歌うているげな。---波のささやき、松風のことば、あらゆるものが天楽の奏でであろうが。なんで、この自然の音楽をよに、経正が下手な琵琶などを、妙音天女も聞こし召そうや」(p333)
と断った後に、麻鳥にばったり会うのだった(禰宜は麻鳥の叔父))
「…(中略)・・・それにしても、御辺のごとき名医が、どうして、施薬院の官職も賜らず、貧しい町の片隅に朽ちているのか」
「いえ、どういたしました、わたくしはべつに貧しいことはございません」
 麻鳥は、すまして答えた。
 それ以上は、笑って何も答えない。・・・(中略)・・・
 経正は、・・・(中略)・・・一そう麻鳥をゆかしく思った。そして、何を好んで貧乏しているかといった自分の問いに「決して、わたくしは、貧しくない」と答えて、目(旧字)を上げたりときのその目(旧字)を、もう一度、思い出して恥ずかしくなった。・・・(中略)・・・
 経正は、眼のまえの一個の男に、なんともいえない気高さと、生の強さを、見るのであった。
 世の波騒(なみざい)も、権力も、毀誉(きよ)も褒貶(ほうへん)も、栄華も、麻鳥には、なんのかかわりもない。どんなに血みどろを好む魔物でも、彼の無欲と愛情に徹した姿を、血の池へ追いこむことはできないであろう。
 経正は、心のうちで、ほっと嘆息をもらした。この男に与える物。いつかの礼ぞ、といって、与えるような物を---自分は何も持ち合わせていないと思った。
 麻鳥は、心の王者。自分は、心の貧者であった。・・・(中略)・・・
 「そうだ」
 経正は、禰宜をふりかえりみて、ふといった。
 「宝器をけがす畏れはあるが、さきにおはなしの”仙童”をお貸し給わるまいか」
・・・(中略)・・・
 経正は、両手で琵琶をうけて拝した。そして、琵琶のかすかな埃を、鎧下着の袖で、そっとふいた。
 「麻鳥---」と、あらたまって、経正は、辞を低うしていった。
・・・(中略)・・・
 「・・・(中略)・・・したが、御辺の生涯を承っては、何やら、礼物などもさし出しかねるが」
 「もとより、そのような物戴こうとは、思いもよりません」
 「・・・・・・が、貧者の一燈と申すこともあれば、経正が心をこめて一曲を弾じよう。礼というにはあらねど、所は竹生島、また、今生の一期やも分からぬ。聞いてくれるであろうか」
 


やたら麻鳥のシーンが長くなってしまいましたが、本当にこのシーンはいい!この後の、琵琶を奏でるところといい・・・
麻鳥には最後まで出て来て欲しいです。

(吉川英治 「吉川英治全集35 新・平家物語」 講談社 1981年)

Category : 小説:歴史
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...And they all went back home.......

やっと読破したライラシリーズ!!
とはいっても、読み終わったのは大分昔・・・日記を書くのを怠っていただけなのですが・・・
まあでも、やっと感はありました。読み終わった時。

またもや話をすっかり忘れていたのですが、こんな尻すぼみな話だったかーー!!というのが感想でした。道理で最後の記憶がないよ。
ライラは世界観がとても好きで、つまり色んな世界が背中合わせに存在している;神だとかいうのも、人間が考えているような創造主ではないなどなど。世界を行き来したり(ナイフで切るってのがミソ)、ダストとは何かというところから、ではthe Authorityは何か?と謎が出てきて、天使だとか魔女だとか、その他もろもろでてきて・・・というのはファンタジーの醍醐味でしょう。

なのになのに・・・この終わり方でいいのか!?
壮大な戦いとか繰り広げられていたのに、いつの間にかそれは終わり(私の読解力がなかったのかもしれませんが)、最後は世界の修復について、というよりは、LyraとWillの恋物語が中心となってしまっています。しかもこの二人、せいぜいlow teen・・・
そのライラだって、イブだとか、予言があったりだとか、いろいろ設定があったのに、結局やった偉業といえば、死の世界を開けたことくらい。もっと色々ばばばーーとやるのかと思いきや・・・

そういえば、恩田陸の「ネバーランド」で主人公が、物語で冒険があっても主人公とかはみんな、最後は家に帰ってしまう、と嘆いていたことを思い出しました。
確かに!
今回も、せっかくライラとウィルが結ばれたと思ったのに、それぞれ自分の世界に戻らなくてはいけなくなったのです。そこは確かにせつなかった・・・ でもな~ low teenかと思うと・・・

と、文句たらたらになってしまいましたが、それだけ、最終巻のラスト3分の2まで面白かったのです。あ~至極残念。


例えば神についての記述;
"The Authority, God, the Creator, the Lord, Yahweh, El, Adonai, the King, the Father, the Almighty--- those were all names he gave himself. He was never the creator. He was an angel like ourlseves--- the first angel, true, the most powerful, but he was formed of Dust as we are, and Dust is only a name for what happens when matter begins to understand itself. Matter loves matter. It seeks to know more about itself, and Dust is formed. The first angels connected out of Dust, and the Authority was the first of all. He told those who came after him that he had created them, but it was a lie. (p33-34)

これのせいで、教会からバッシングをくらった記憶があります、この本。

あと、些細なシーンですが、かつてはシスターを目指していたのに、ある日突然信仰をやめてしまった科学者の話が印象的でした;

"Did you miss God?" asked Will.
"Yes," Mary said, "terribly. And I still do. And what I miss most is the sense f being connected to the whole of the universe. I used to feel I was connected to God like that, and because he was there, I was connected to the whole of his creation. But if he's not there, then..." (p471)


(Phillip Pullman "The Amber Spyglass" 2000, Scholastic Children's Books)

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