湯本香樹実といえば「夏の庭」と「ポプラの秋」の二作しかない(子供向けがあるらしいというのは風の噂で聞いたけれども)イメージがありました。ところが、本屋で「春のオルガン」が文庫化されたとかいってば~っと並んでいたのでした。余談ながら、表紙が酒井駒子さんってのも「うわ~っ」気分を増長させました。
そんなわけで即買いだった「春のオルガン」。
主人公はまた小学生。でも今度は女の子。
やはり「夏の庭」という傑作を超えられていない気がしました。
主人公が女の子というのが、私の好みにあっていなかっただけかもしれませんが。
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あんまり本を読まない人でも知っているくらいなので、相当面白いのだろうなと思っていたけれど、本当に面白かった「夜のピクニック」by恩田陸。
恩田陸マジック炸裂でした。
彼女は実にいろんな分野の本を書いていますが、これはまあ“青春もの”ですかね。「ネバーランド」ちっくですね。
恩田陸作品って、筋がものすっごくややこしいのと、ものすごくシンプルなものに分かれる気がします。これは明らかに後者で、読後に改めて筋を考えても、そんな劇的な流れでもなんでもなく、結構簡単。
あまりにシンプルで途中で話の結末がなんとなく見えてしまうくらいですが、それでも止まらずに読めるし、何よりも「面白い!」とわくわくしながら読めるのがすごいです。
たぶんそれは、設定がすごく面白いのと(今回の場合だと修学旅行のかわりに24時間歩き通しの行事とか)、細かなエピソードがきらきらしているからだと思います。
あらすじはというと、修学旅行の代わりに24時間歩き通しの行事が毎年ある高校が舞台(だから正確には、夜中“のみ”のピクニックではないのですな)。
話の中心にいるのは、西脇融と甲田貴子。視線がこの二人にかわるがわるなりながら話が進みます。
結論から言うと、この二人は異母兄弟で貴子の方が私生児。二人が初めて会ったのは、二人の父親の葬式のことでした。父親の顔を全く知らない貴子は、逆に兄弟に会うのを少し楽しみに行ったのに対して、融は憎悪を貴子に抱きます。そして不幸なことに高3の時には二人は同じクラスになってしまうのです。
そんなわけで、貴子は一方的に融から嫌われているのですが、この行事中にある賭けをします。それが、もし融に話しかけて会話が成立したら家に呼ぶ、というものでした。
そんな貴子の周りでも、友達がいろいろと動いてくれていて・・・という感じで、結果的にはハッピーエンドとなりました。
とまあ、あらすじは少々単純なところもありますが、やはり細かい所がよかったので、その欠片を;
当たり前のことなのだが、道はどこまでも続いていて、いつも切れ目なくどこかの場所に出る。地図には空白も終わりもあるけれど、現実の世界はどれも隙間なく繋がっている。その当たり前のことを、毎年この歩行祭を経験する度に実感する。物心ついた時から、いつも簡略化された地図や路面図やロードマップでしか世界を把握していないので、こんなふうに、どこも手を抜かずに世界が存在しているということの方が不思議に思えるのだ。
その一方で、世界は連続しているようで連続していないのではないかという感じもする。一枚の大きな地図ではなく、沢山の地図がちょっとずつあちこちで重なり合って貼り合わされている、というのが、融が歩いていて感じるこの世界だ。だから、ところどころで「つなぎ目がぎくしゃく」していると感じる場所があるし、「薄い」と感じる場所と、「濃い、重要な」感じのする場所があることに気付く。
これ以外にも、特別に指摘するところでない、本当にちょっとした部分の表現とかに「やっぱり恩田陸っていい!」と感じいってしまいました。
恩田陸ってすごい
(恩田陸 「夜のピクニック」 2004年 新潮社)
期待していたよりも断然面白く、間をあけることもなく下巻に手を伸ばした「むかし・あけぼの」。怒涛の下巻でした。
まず、伊周兄弟が囚われ、中宮が髪を下ろそうとし、中宮はなんとか中宮のままでいられましたが、世の中は道長の世となっていくのでした。
そんな辛い境遇の中でも、中宮定子の周りは笑いが絶えず、帝の覚えもめでたく、中宮には姫宮、若宮ができます。
でも哀しかな。中宮の出産だというのに、時の人道長を憚ってか、有能な僧が祈祷に来ることもなく、中宮のお世話をかって出る人もいないのでした。何せ、道長の娘、彰子が後宮に入ったのです。
それだけではなく、彰子をなんとか中宮にしようと画策され(中宮は一天皇に一人)、定子を「皇后」という位にするのです。
そんな中、定子は第三児をみごもり、やはり天皇には愛されている、と安堵するのもつかの間、出産後に亡くなってしまいます。
このときは本当に哀しかったです。清少納言にとって定子はただの主人ではなく、自分の感性と一番共鳴してくれる人だったのです。そんな人を亡くした清少納言の気持ちを考えると、目がうるうるしてしまいました。
その上、清少納言がやっと一生を共にしよう、と思った棟世まで亡くなるのです・・・
この本の何が面白いって、歴史小説なのにまったく歴史小説に感じられないことです。たぶん、清少納言の一人称で語られ、そのうえ歴史小説には珍しいくらい“説明”が入らないからかもしれません。
あとこの小説の醍醐味は、一貫して明るい雰囲気で満ちているのに(中宮定子の周りはいつも明るいし、清少納言もじめっぽい性格が嫌いなため)、その実、彼女たちの運命は下っていくばかりのところでしょうか。それを「もののあわれ」というのかは分かりませんが、それに近いものを感じました。
決して“運命に翻弄されながらも、たくましく明るく生きる”という感じのよさではなくて、“とても明るいのに、現実社会的には悲しい運命に翻弄されている”切なさの良さでした。
夜に関する良い言葉を二つ;
…(中略)…実際、夜の乏しいあかりのもとで逢う人は、容貌よりも、気配のいい人が好ましい。ものいいぶり、身じろぎ、しぐさ、――それがかえって昼間よりはっきりわかり、夜というのはおもしろい。美しい男や女は昼間のもの、美貌だけが自慢で、気配の劣る男女は、夜には会えないものである。
夜美人というが、夜美男というか……。
「夜まさり、ということはあるものですわね」
と私は微笑する。(p73)
みんなが話に夢中で加わる心はずみを喜ばれるようである。
「夜まさりするものは何?」
と、(中宮)また問を出されて、人それぞれの答えから、その才気や性格のちがいを楽しまれるらしい。
「夜目のほうが、美し思えるもの……」
「濃い紅の、掻練の艶でございましょう。灯に映えて、つやつやして氷みたいに光りますもの」
という人もあれば、
「髪の美しい女。黒髪に流れる灯の色、というのは、昼間よりずっと美しゅうございますわ」(p199-220)
ちなみに、簡単に感化しやすい私は、これを読み終わってから「枕草子」を求めて本屋に行ったけれど、古典文に一気にくじけたのでした。
(田辺聖子 「むかし・あけぼの 下 小説枕草子」 昭和61年 角川文庫)
なんとなく田辺聖子の源氏物語を読んでみたくて図書館に行ったのですが、それはなく、代わりに借りてきたのが「むかし・あけぼの」でした。
田辺聖子といえば、百人一首の本しか読んだことがなかったのですが、その中で、清少納言が好きだ、というくだりがあったのを思い出しました。
「むかし・あけぼの」は清少納言を主人公で、結構くだけた感じのお話でした。上下に分かれていて、上では中宮定子に仕える前から、ようやく仕えて可愛がれ、でもそうこうしている内に、定子の父君関白・道隆が亡くなり、息子の伊周の立場がどんどん悪くなるところで終わりました。
清少納言としては、中宮定子を心から慕っていて、その家族の繁栄を願う一方、伊周の政敵となる道長の人柄に惹かれつつもある・・・という立場でした。
この話の魅力的なところは、なんといっても、清少納言と人々のやりとりだと思います。
例えば、けんか中の頭の中将・斉信(ただのぶ)から使いが来て、何かと思うと、
「蘭省花時錦帳下」
とあって、「下の句はいかにいかに」と書いてある。それは白楽天の詩で、本当の下の句は「廬山(ろさん)ノ雨ノ夜、草庵ノ中(うち)」。でもそれを女手で漢字を並べても芸がないし、ということで、公任の歌
「〈草の庵をたれかたづねん〉
という句、筆も墨もとりあえず、火鉢の中の、消えた炭でもって書きつけて渡してやった。(p396)」
それで頭の中将側はどうであったかというと
「…(中略)…頭の中将が『やはり清少納言と絶交すると、手持ちぶさたになっていかんな。ひょっとして、あっちから口を切ってあやまるかと待っていても、全く、鼻もひっかけないという様子で、知らぬ顔を押し通していて、しゃくにさわってくる。今夜こそ、はっきり白黒つけて、あの生意気で高慢の鼻を押っぺしょってやるか、それともこっちが折れるか、やってみよう』といわれたんですよ。それで以って、言いやる文句を、一同、相談の上、『蘭省ノ花ノ時』というのをえらんで送った。…(中略)…(使者が)これです、と出したのがさきの手紙だったもんだから、『さては下の句がつけられなくて返してきたのか』とみんな思い、頭の中将もそう思われたらしい。ところが、一目見るなり、頭中は、
『うーむ。くそ、畜生!』
とあさましい叫び声をあげられるではありませんか。どうしました、とみんな走り寄っていくと、あの、
『草の庵をたれかたづねん』
というあざやかな返事でしょ。頭中以下、声もでないわけ。
公任卿の歌で、ちゃんと『廬山ノ雨ノ夜、草庵ノ中』という詩句をふまえて返している。この大ぬすっとめ、心にくい奴め、やっぱり隅におけないや、と大さわぎになりまして、この歌の上の句を私(宣方の君)に付けろ、と頭中はいわれるのですが、なんでつけられますものか、夜更けまで、皆でわいわいいいって、とうとうあきらめてしまったの。」(p398-399)
この間、関西と関東の話になって、関西人は会話自体を楽しむ、という話になりました。つまり、うまく切り返して、会話をぽんぽんつなげていかなくてはいけない、ということで、これはなんとなく、平安時代のこういう応酬から受け継がれているのかな、とちらりと思ったのでした。
(田辺聖子 「むかし・あけぼの 上 小説枕草子」 昭和61年 角川文庫)