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がらくたにっき |

この話をどうやって舞台化したのかが激しく気になる

「まほろば駅前多田便利軒」でようやく三浦しをんさんの小説にも興味を持ったわたくし(その前の「格闘するものに○」とか「白いへび眠る島」を読んだ時は興味を持たなかったのか、というのは…むにゃむにゃ)。山口晃という画家が好きなのもあって、彼が装丁している「風が強く吹いている」を手にとってみた。

すんんんんっごい面白かったぁあああ!!!

この本の題材となっている「箱根駅伝」というものには、まったく興味を持たず今まで見たことがなかったのだが―そして今もあんま見たいと思わないのだが―、この小説がこんなに面白いのってなんだろう?と思う。

まずキャラが面白い。
寛政大学(多分取材している法政大学から名づけたのでしょう)の実は陸上部の寮となっているオンボロ竹青荘。破格の値段でそこを借りている生徒10名は、約1名を除いて陸上部の寮とは知らずに暮らしているのだが、その残り1名の策略(?)により「箱根駅伝」に出ることになる。
新たに入ってきた走(かける)留年生ニコチャンと、発起人であるハイジ以外は陸上未経験。ところがハイジの巧みな話術と指導によって9人は「箱根駅伝」を目指し、ついには完走・シード権を獲得することとなるのだ。
というのがざっとしたお話なのだが、この10人が個性あふれる。以下が10人で括弧内は表紙で山口晃が各キャラの横に書いてある言葉;

1区:王子(鬼だよ あんた) 全くの未経験。一番遅い。漫画大好きでその蔵書量で床が抜けそう。顔が良いのに3次元に興味なし。
2区:ムサ(黒人が速いというのは偏見です) 留学生。とても丁寧な日本語をしゃべる。穏やかな人。神童と仲が良い。
3区:ジョータ(モテるんだね?) 双子の兄。
4区:ジョージ(モテるんでしょ?) 双子の弟。二人ともサッカー経験者。二人はいつも一緒で、明るく朗らか。天真爛漫な感じだが、何気に走やハイジと険悪なったこともある。本気で1番を狙ってた。
5区:神童(親も喜ぶと思うんだ) 田舎から上京。思慮深い。田舎育ちなので山道に強い。
6区:ユキ(やるからには狙う) すでに司法試験に合格済。剣道をやっていた為、下半身が強いということで下り坂の6区をまかされる。データ分析をしながら理路整然とやるのが得意。
7区:ニコチャン(一人じゃ襷はつなげねぇよ) 留年生。陸上経験有といえども、今や貫禄のあるヘビースモーカー。禁煙しダイエットもして駅伝に臨む。
8区:キング(就職安泰ってホントだな?) クイズが大好きでクイズ王=キング。
9区:走(すぐに行きます 待ってて下さい) 走るのに関しての天才児。陸上の名門高校にいたが、管理された中で走るのを苦手とし、最終的に不祥事を起こしてしまっていた。
10区:ハイジ(君たちに頂点をみせてやる) 陸上をしてたが足の故障で断念。走に出会ってから駅伝の夢をかなえようと、言葉巧みに住人達を誘導。

なんだかプロフィールを並べただけで、個々のユニークな性格がいまいち表れていない気がするが、とにかくぷっと面白いのだ。

「おい、走」
 ニコチャンもやはり、走のことをいきなりしたの名で呼び捨てにした。「俺はいま、ものすごいことに気づいたぞ」
「なんですか?」
「おまえたち三人、名作アニメの登場人物と同じ名前だ!」
「はあ……」
 …(中略)…ニコチャンは二本目の煙草を挟んだ指で、清瀬(ハイジのこと)、走、ユキを順繰りに示す。
「ハイジだろ。走は蔵原だからクララ。そして、ヤギのユキちゃん。ほらな?」
「勝手にひとをヤギにしないでください」
 清瀬との話を終えたユキが、ニコチャンを一○四号室へ押しやった。
「俺のことはペーターと……」
 と言っているニコチャンを無視して、一○四号室のドアを強引に閉める。怒りに燃えたユキは身を翻すと、そのまま自分の部屋に籠もってしまった。一○二号室のドアも乱暴に閉められ、暗い廊下には煙と音楽の名残だけが浮遊した。(p30-31)

なんていうのから分かるとおり、ちょっと漫画的なキャラ付けの仕方をしているような気がする(展開がちょっと漫画っぽいというか)。ハイジがあまりにできた監督ぶりでいまいち人間味に欠けている気もする。だけどそんなのはほとんどマイナスポイントとならない。

多分それは、ハイジと走との運命的な出会いから箱根駅伝まで、丹念に描かれているからだと思う。
言ってしまえば、この話は箱根駅伝に出場するってだけの話なのだが(途中で予選と合宿だとかのイベントもあるけど)、毎日の練習風景まで本当に丹念に書かれている。それが飽きちゃいそうだったりだれたりしていないのが、作者の力量ってやつなんでしょう。

読み終わってすぐ書いているせいで、まだ書き足りない気がしてならないが、長くなってきたのでとりあえず終えておこう。
本当に面白かった!!!


(三浦しをん 「風が強く吹いている」 2006年 新潮社)

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Category : 小説:現代
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表紙のちよがあんまり美人でなくてとてもよろしい

何かの本をamazon.co.jpで検索している時に“これを買った人はこんな本も購入しています”みたいなリストに載っていたのが「押入れのちよ」だった。
まんまとそれにはまって興味を持ってしまったが、amazonでカートに入れる代わりに、“読む本リスト”に追加、そして図書館で借りると相成りました。わはは

「押入れのちよ」は短編集で以下の作品が収められている。

「お母さまのロシアのスープ」
  舞台は中国の僻地(多分)。ロシア人の母親とその双子の娘が住んでいる。その娘の一人の視点で綴られる。
「コール」
  男・男・女の大学生時代からの友達3人組。定番のようにその女を二人は好きになる。告白権をめぐってポーカーをするが…。ということをその二人の男のうち一人が語っている。「お
「押入れのちよ」
  格安のアパートを借りる。そこの押入れには着物を着たおかっぱの少女の幽霊がいた。
「老猫」
  叔父が亡くなり、その家を継いだ甥家族。そこには老猫がいて、甥は段々家族がその猫によって乗っ取られていくのを感じる。
「殺意のレシピ」
  不仲の夫婦。ある食卓でお互いがお互いを殺そうとする。
「介護の鬼」
  姑の介護が終わったと思ったら、今度は舅がぼけてしまった嫁。ぼけたことをいいことに、散々いじめるが…
「予期せぬ訪問者」
  突発的に愛人を殺してしまったところへ、清掃のサービスと証する男がやってきて、部屋を掃除すると言ってきかない。
「木下闇」
  その昔、田舎に住む親戚を訪ねた先で妹が行方不明になってしまった。大人になってその田舎に立ち寄った主人公。そこで妹の行方を突き止める。
「しんちゃんの自転車」
  夜中にしんちゃんが自転車をひいて遊びにくる。ところがそのしんちゃんはすでに死んでいる。

作者の荻原浩氏の本は初めて読んだのだが、なかなか面白かった。
ただ何度も書くが、やっぱり短編集は苦手だった。毎度毎度そう思うなら読むな!という感じなのだが、興味を持っちまうのは仕方ないんだよな。

Amazonには「ホラー小説」とカテゴライズされていたけれども、作品によってはホラーというより「怪奇小説」といった方がいいような気がするものもあった。というか、所謂“ひゅ~ドロドロ”的な怖さはあんまりない。
逆に幽霊が出てくる話(「押入れのちよ」「コール」「しんちゃんの自転車」)は、怖いというよりもなんだか暖かな話だったりした。表題作の「押入れのちよ」なんてまさにそうで、ビーフジャーキーをかじる幽霊・ちよの姿を思い描くとなんだかほのぼのとしてしまった;

(ビーフジャーキーを握り締めながらおにぎりを食べるちよ)
「どこから来た?このマンションの子か?(注:主人公はまだちよを幽霊と知らない)」
 意味がわからないというふうに小首をかしげる。言葉を換えてもう一度聞いた。
「おうちはどこ?」
「かわごえ」
 川越?埼玉県だったっけ。
「なんでここにいる?」
 かしげた首が四十五度になった。
「家族は?」
 六十度になる。(p83)

なんかかわいいでないか。

「お母さまのロシアのスープ」や「コール」は一人称ならではの、一転二転と話の展開が成されていて、それがとても小気味良く面白かった。そのよさを語るには結末を語らなくてはならず、そうするとこの話を読むときに面白さが全くなくなるので、ここでは語らないでいよう。

今度はこの作者の長編を読みたいと思う。


(荻原浩 「押入れのちよ」 2006年 新潮社)

Category : 小説:ホラー
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結局ジェンが何故神に見捨てられたのかよく分かんなかった

上巻の内容を忘れない内にと借りてきた「盗神伝」下巻だが、なぜか手付かずのまましばらく放置。そのせいか気分の盛り上がりを維持できずに読み始めた為、100%楽しむことができなくて自分としても残念だった。

今回はエディスとアトリアの戦いから終結までが描かれていた。ちなみにソニウスの出番はまったくなし。またもや女王の盗人であるジェンが大活躍をする。でも前回のように葛藤だとかあまりなく、どちらかというとアトリアの女王の目線が多かった。
簡単に結末までのあらすじを言ってしまうと、アトリアの女王がエディスの盗人によって捕まる。そこのシーンがちょっとかっこいいので抜粋をすると;

(エディス軍に攻められて、近衛兵に連れられて逃げていくシーンで)
 薄暗いなか、女王は慎重に桟橋を歩き、ボートの前で立ちどまった。ボートをつないでいるロープは長く、一メートルほど水につかっていた。女王は手で合図を送り、近衛兵にボートを引き寄せるように指示した。目の端で、近衛兵がいわれるままに片ひざをつき、水のほうに手をのばすのをみていた。失った右手のかわりにとりつけられたフックが、木でできたボートのへりにくいこんだ……。(p67)

とまあこの近衛兵がジェンなのだが、それは前の巻でメイガスを盗むと同じ方法なので新鮮ではないが、ま、とにかく。
女王がエディスに囚われたのをきっかけに、エディスと手を組むことになる。というのはアトリアには、メデアの大使がいて、アトリアを乗っ取る機会を虎視眈々と待っていたのだ。メデアは内陸の大国で、もしアトリアが乗っ取られてしまったら、エディスやソニウスも危ない。
そんなわけで、二人の女王は共謀を計り、成功した暁には協定を結ぶことになった。

こうやって流れを見てみると、歴史書を読むようで面白そうなのだが、如何せん、歴史書のように厚みがない。しかも細かい設定とかも明記されておらず、ジェンやアトリアの女王がいくつくらいなのかなどなどがよく分からない。
思うにファンタジーというのは、細部が細かく設定されていればいるほど面白みが増す。例えば全世界でベストセラーになったハリー・ポッターシリーズなんてそれの最たる例だと思う。魔法の世界の生活があんなに細かく設定されているからこそ(何せ時計だとかお菓子だとか家庭菜園の様子まで描かれていた)、あんなに皆が熱中したのだと思う。

この作者がはまったという「指輪物語」だって設定が細かい。特に種族に関する設定がとても細かくて、トールキンはエルフ語まで創作してしまったくらいだ。
それに対して「盗神伝」はあまりに歯抜けっぽくて、訳者は“読者の想像力をかきたてて良い”と書いてあるけれども、私にとってはちょっと味気がないような気がしてならないのだ。
だからだろうか、ジェンがアトリアの女王のことが好きで告白し、プロポーズするシーンも、なんとなくとってつけた気がしてならない。

一重に私の想像力が足りないだけなのだろうか・・・?


(M.W.ターナー、金原瑞人&宮坂宏美訳 「盗神伝III アトリアの女王 後編―告白―」 2003年 あかね書房)

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料理がそんなできなくても憧れてしまった この生活

どこかで書評を読んで、暇だった母が本屋に二日通いつめて読破し、「面白いよ!」と薦めてきたのが「食堂かたつむりだった」。普段小説を読まない母が珍しいな、と思い、さっそく図書館で検索をかけると、予約待ち。というわけで母に倣って本屋に通いつめることにした。
本屋に悪いよなぁ~と思いつつも読み始めれば、一気にその世界にのめりこみ、時には涙しそれを必死に隠すという苦労までして立ち読みする(ま ジュン○堂だったので座れることもあったけど)。やはり二日、通いつめて。
でも、あと最後の数ページというところで、号泣モードに入りそうでどうしても読めない!となってしまって、二日も通ったくせに、そして9割がた読んだというのに、結局購入してしまった・・・ たは~何のために通っていたのか。本屋さんには良かったかもしれないが、なんとも悔しさを感じる。

とは言いつつも、これは買う価値はある!と思っている。多分あのまま完読しても文庫化したら買ってたと思うし。
作者の小川糸さんは作詞家なだけあって、言葉一つ一つがとてもキラキラ輝いている。例えば、倫子が田舎に戻ってきたばかりのシーンにて;

 どれもが、懐かしくてくすぐったくなるような、けれど手のひらで今すぐ握りつぶしてしまいたくなるような景色だった。(p41)

とか、倫子が自分のなくなった声に対してのコメント;

 私の声も、もうすでにかれ果てていて、ピンセットでちょっとつまんで動かしたら、簡単に体からポロリと離れて永遠に居場所を失ってしまいそうな気がする。(p144)

だとか、飾られた美しさではなくて、身に沁みる美しい言葉で綴られている。だからこそ主人公が持つ心の痛みみたいなものが、うそ臭かったり誇張された感があったり、悲劇のようなドラマチックな悲壮感もない。逆にすーっと心に入ってくるせつなさで、心の琴線に触れるってのはまさにこのことだなぁと思える一冊だった。

肝心な話はというと、主人公は倫子。母親と確執があり、田舎を早々に出て東京の祖母の家で暮らす。この祖母が料理好きで、倫子はここで料理を学ぶのだった。しかしその祖母も亡くなり、いつか自分の料理屋を開くことを目標にコツコツお金を貯めながら、インド人の彼氏と一緒に暮らしていた。ところがある日、バイトから帰ってくると、家の物が一切合財なくなってインド人の彼氏共々も抜けの殻になっていたのだ。

貯金もなくなり(箪笥預金していたから)、所持品といったら祖母から譲り受けた糠床のみ、挙句の果てには声まで無くして、田舎に帰ることになったのだった。
母親とは確執があるものだから、母親を頼ることはできない。
そこで母親に借金をして、食堂を開くことにしたのだった。

その食堂が「食堂かたつむり」。
1日一組だけ受け入れ、しかも実際に食べに来る前には倫子との面接が必要、とちょっと変わった食堂となる。
そうして食べに来る一組一組にドラマがあって・・・というお話。

先に読んだ母には「最後がショックだよ~」と言われていたが、確かに結構ショックだったし、それでいて妙に納得した。

もしかしたらうがちすぎかもしれないけれど、最後の話は「食べる」ということは何か、そしてそれに付随して「生きる」とは何か、というものが2つの死によって表されているのだと思う。そう考えるとそれまで綿々とつづられていた料理のシーンと食事の風景の終結点が、そのエピソードだというのが道理にかなっている気がする。
そして声が戻るというイベントが、それから一拍おいてあるのがまた良かった。つまり、物語が最高潮になっているシーンで(多分一番にぎやかなシーン)どばば~んと声が戻って感動の最後!とならなかったのが、元のひっそりとした雰囲気に戻して終わる、という感じで良かった。


(小川糸 「食道かたつむり」 2008年 ポプラ社)

Category : 小説:現代
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なにげに三浦流「嵐が丘」の解説が非常に面白かった

三浦しをんさんの小説を読んだら、エッセイが読みたくなるこの単純さ。だからといって最新刊の「ビロウな話で恐縮です日記(だっけ?)」はブログでタイムリーで読んでいたのもあって買う気もさらさらなく(というか文庫本にならない限りなかなか本は買わないしな)、だからといって図書館で借りれもできず、代わりに借りてきたのが「夢のような幸福」。
始めの2・3ページ読んだ時点で「これは読んだことがあるぞ!!!!」感が高まってきたのだが、自分の読書日記を読んでもこれの感想ページはなく。読書ブログをつけるぞ!と決心した前に読んだに違いないが、何度読んでも面白いので読んでしまった。ま、読み進めるうちに自分があんま覚えていなかったことが判明した、と言ったほうがいいかもしれない。

あいもかわらず三浦しをんさんはゆるい生活をしていらっしゃいました。当たり前ですが。大体において、これは過去の日記で、それ以降の日記も既読なのだから、“あいもかわらず”って言葉は不適切に違いない。それでもなんかホッとしてしまった自分がいた。「三浦しをんさんは相変わらずだな~」って。
就活中に友達と「三浦しをんっていいよねぇ~ あんな気楽な生活しててお金稼げて。やっぱ才能があるってすばらしい。芸は身を助く!」などと言っていた自分は(友達も)、就職をしてしまい、なんだかつまんないなぁ~と思うことも多く、でもやっぱり朝は早く起きなくてはいけなくて、ダラダラできるのは週末のみ。ある意味生活がガラリと変わってしまったのに対して、三浦しをんさんは日記上では(タイムリーな日記ではないですが)、“あいもかわらず”で。
それにホッとしてるってことは、疲れてきてるのだろうか。ま、1年ももう終わってしまうから妙な感傷を抱いているのだろう。

と下手な感傷はここまでにして、「なるほどなぁ~」と思ったのをここに;

…(中略)…女性はたいがい、ストーリーを愛する傾向にあるようだ。…(中略)…
 それに対して、どちらかというと男性は、「猫耳のついたメイド服姿の女の子」といった感じに、キャラクター先行型なような気がする(オタク的誇張のある例で恐縮ですが)。「線」を愛しがちな女性と、「点」を愛しがちな男性とも言い換えられようか。(p13)

ん~確かに。一応女性でも「眼鏡男子」好き(あるいは萌え?)とか、「制服男子」好きとかもあるみたいだけど。私の数少ないいわゆる“オタク”的女の子なんかも、そういう“属性”が好きだとしても、そこからだだだだーーーっと妄想、おっと失敬、ストーリー(つまり線)が伸びていく。書道の、ためて一気にぐぐぐぅーーーっと線をひっぱる感じかね。
ま、三浦しをんさんも書いてる通り、一慨にすべての人がそう、というわけではないだろうが。でも面白いな。
これを書いてから随分経っているだろうが、三浦さんはこの考察をどこまで発展させたのだろうか?ちょいと気になる。


(三浦しをん 「夢のような幸福」 2003年 大和書房)

Category : 随筆
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作者は「いい男で、でも一途で女達にモーションをかけられようがなびかない」というシチュがお好きなようだ

なんでこの本が「読む本リスト」に入っていたのか記憶にないが、「しゃばけ」関係で気になって入れておいたのか、どこかに紹介文が載っていたのか、ま、二つに一つでしょう。
そんなわけで読み終わった「つくもがみ貸します」。

「しゃばけ」とは主人公が違えども、舞台は江戸、不思議な事が起こるというのも変わらない。ただ今回の妖は“付喪神”。そしてそれらが活躍するのは損料屋といって、物を貸すということを生業にしているお店。どうやらこの損料屋というのは、火事の多い江戸では、余計な物はできるだけ持たないという考えより大層繁盛したそうな。その損料屋である出雲屋を営む清次とお紅姉弟がこの話の主人公である。
とはいうものも、一番よくしゃべりよく出てくるのは、そこの商品である付喪神かもしれない。損料屋の清次・お紅姉弟はこの存在を黙認しており、付喪神達もその二人とは会話してはいけないという掟を作っておきながらも、一方的に聞かれることは問題にしていない。
かくして、時にはわざと付喪神をその場所に貸し出して、情報収集しながら問題解決をしていく、という形を取る。

収録作品は以下の通り;
「利休鼠」…武家の次男坊の婿入りとなる家からもらった利休鼠の根付け。それが賊に盗まれ、しかし婿入り先には知られてはならないので、内密に探してくれるよう頼まれる。

「裏葉柳」…鶴屋は新しく開く料理屋。どうやらそこの主人幽霊が出る物件なのに、それを知らされず破格の値段で買い取ったらしい。そこへ道具を貸し出した出雲屋清次はなんとか知らせようとする。

「秘色」…1話目からちらっちらっと出てくるが、お紅は“蘇芳”という香炉を探している。香炉というよりそれを巡ってある人物を探している。この話はその“蘇芳”にまつわる話。でもその人物はまだ見つからず。

「似せ紫」…過去に戻り、お紅はまだ出雲屋に引き取られておらず(実はお紅は出雲屋の姪っ子で、清次は出雲屋の養子。その出雲屋夫婦は他界)、父親の骨董品店にいる。そこへお紅をくどきにやてくる佐太郎。そしてお紅を取られまいと邪魔する清次。そして佐太郎の“蘇芳”にまつわる事件と出奔。江戸の火事とお紅が出雲屋に引き取られる成り行き。

「蘇芳」…佐太郎が江戸に戻ってきた! それなのにお紅の前に姿を現さない。はてさてお紅はどっちになびくのか。

一話目の「利休鼠」以外、最初に付喪神の自己紹介から始まる。一話目にもそれに匹敵させるように「序」が付いているので、ま、途中からこの形式で行こうと思ったんでしょうね。

ちなみに「裏葉柳」が一番好きな話だった。最後はなんとなく後味の悪い終わり方をするが、こういうもどかしい歯がゆい思いとやりきれない思いというのは、こういうミステリー調の話(つまり死が関わっている話)ではよく取り上げられるように思うが、各々の作家の書き方の違いというのはなかなか面白い;

「やっと一矢報いたと思うけど……こんなことしか出来ないのかとも思いますよ」
…(中略)…
 法からすり抜け、この世で罪には問われないこともあるのだ。分かっている、分かっている。
 だがそれを知って開き直っている者がいる故に、分かってはいても納得できず、総身は幽霊と化すのだ。復讐を思い立つのだ。馬鹿だと思っても、どうしても、いつまでも納得出来ないまま……。
 鶴屋の手が、ゆっくりと己が顔を覆った。指に力が入り、微かに震えている。
「どうしようもないことだt、分かってはいたんです」
 その時鶴屋が再び、小さな声で笑い出した。だが涙も流れている。
「この度は馬鹿なことをしました。でも……他に、どんなやりようがあったでしょう」
 泣いて笑って泣いて泣いて泣いて……。(p100-101)

鶴屋の憎む相手というのは、このままのうのうと自己肯定しながら生きていくのだろう、という締めはそんな後味がいいものではないかもしれない。でも、その仇を付喪神たちがとったというのが、妙にしっくりきて鶴屋の心の慰めにちょっとなったんじゃないかと思う。


(畠中恵 「つくもがみ貸します」 平成19年 角川書店)

Category : 小説:歴史
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表紙の絵が長親だとしたらかっこよすぎやしないか

本やらCDやら漫画やらを、いわゆるジャケ買い、あるいはジャケ借り(本を図書館でとか)をしてしまう傾向が、私には色濃くある。本なんて幼少の頃から挿絵が自分の好みのものしか読まなかったし。最近の例であれば「心霊探偵八雲」シリーズなどそれに匹敵する。
今回の「のぼうの城」もまさにそれで、本屋に積まれているのを見た途端、「オノ・ナツメだぁぁああ!!」と勢いこんで買いそうになった。でも金欠だった当時、「いやいや、表紙だけで買うってだけの余裕はうちにはありませんよ」と自分に言い聞かせその場を後にしたのだ。
そうこうする内に、その本が“表紙だけ”ではない証拠に、本屋での山は高くなり、「売れてます!」だの「面白いです!」のあおり文句がついて、大変の売れようのうようだ。
うむむむ・・・これは表紙だけではないみたいだゾ、と思う反面、そんな人気商品を買う気がせず。
と二の足を踏んでいた天邪鬼だが、ある時旅先に本を持っていくのを忘れてしまい、しぶしぶ買って(でも内心、超ウキウキ)、時間つぶしにカフェで読み始めた

ら、

うわぁぁぁああああああああ!!!!!!!!!面白い~~~~~~~!!!!!!
ページをめくる手を止められず、あやうく電車に乗り遅れそうになった。

時は戦国。豊臣秀吉がもう一歩で天下統一となる頃。最後まで粘る北条氏を倒さんと小田原に向かわんとする時。その北条氏の配下にある忍白を攻めよ、と秀吉は石田三成に命令するのだった。ところが実は、忍白の城主成田氏長、北条氏の小田原城への出兵要請に従いしながらも、秀吉に通じていて、忍城を発つ時臣下に秀吉軍が来たら速やかに城を受け渡すように、と命じるのだった。
さて、タイトルにもなっている“のぼう”というのは、城主の従兄弟の長親のことで、図体がでかいだけでまったく役に立たない。農民にまで“(でくのぼう=)のぼう様”と呼ばれる始末だったのだ。

のぼう様もいいが、何せ周りを固める豪胆なる武将達がものすごく良い!
武を誇り長親の幼馴染でもある正木丹波守利英、豪胆な柴崎和泉守、自らを毘沙門天の化身と名乗る酒巻靱負が本当にいい味を出している。
個人的には正木も捨てがたいが和泉がいい。ちょっと話を先どって最後のシーンを抜粋すると;

「和泉殿。」
 と、女の声が飛んできた。
「いっ」
 和泉が恐る恐る馬上でふり向くと、若い女が非常に不機嫌そうなようすでつかつかと歩み寄ってくる。…(中略)…
「ほらごらんなさい。やはり申し上げた通り、負け戦ではございませぬか。これでもう戦はおしまいですからね」
…(中略)…馬上の和泉は、靱負が初めてみるような弱腰でやり込められている。
「誰ですそれ」
 靱負がいぶかしげに問うと、
「女房だ」
「あれま」
 靱負は呆れるほかない。…(中略)…
「丹波の野郎にいうんじゃねえぞ」
 和泉は靱負ににやりと笑うと、片手で軽々と女房を馬上に引き上げ馬首を巡らすや、
「あばよ」
 どっと馬を駆った。(p329)

な~んてところを見ると、和泉!!!と思ってしまうのだ。

・・・話は元に戻すと、もちろんこの3人は城を明け渡すのには反対なのだが、城主の命令であること、そして秀吉軍の大きさを考えたら従うしかない。

とここまで読んでおいて、家に着いてしまった私は、その後図書館に返さなければならない本に追われて、しばらく放置。再び手に取ったのは、やっぱり旅路だったのだ。
というわけで、電車の中で一気読みした内容は。

さて城を明け渡そう、とした時に、三成軍の使者がものすごく不遜な態度でムカつく条件を言ってくる(どうやらそれは三成の策略だったようだが)。武将達がぐっと我慢している中、突然、「戦をする!」と言い出したのがのぼう様だったのだ。
それには驚いた武将達だが、元より受け渡す気はさらさらなかった者たち。すぐさま同意する。反応が心配だった農民たちも、「のぼう様が言うんだったらしょうがねぇなぁ」というノリであっさり快諾してしまう。

ここから怒涛のような展開、戦いの場面となっていくのだ。

結局のぼう様は愚者だったのか智者だったのか分からないが、どちらでもあったのだろう。智者が愚者のフリをしていた、ということでは決してないように思うのだ。人を懐柔できる“愚”の部分と、その掴んだ人の心をいざという時に使える“智”の部分が、うまいこと長親の中で配分されているような気がする。それが長親の“才”だったのだろう。
かくして、忍城が唯一秀吉軍によって落とされなかった城となったのだ。


(和田竜 「のぼうの城」 2007年 小学館)

Category : 小説:歴史
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この挿絵の怖さはどう考えても“少年少女のため”ではない!!!

なんだかこの頃児童書づいている気がするが、いやはやなんだか楽して読めるので、図書館で児童書コーナーに行く抵抗感がなくなった今、真っ先にそのコーナーに直行している自分がいる。そんでもって大体は「精霊の守り人」シリーズ、もしくは「盗神伝」シリーズ、もしくは「ミステリーランド」シリーズを借りる。
今回は「ミステリーランド」シリーズより島田荘司の「透明人間の納屋」。島田荘司なんて本格ミステリー界の大御所だ(と思っている)し、その昔好きで読み漁ったこともあるので、大いに期待して読み始めた。

その結果・・・なんか泣けてしまったよ、この話。
事件自体は、密室状態から人が消え、その数日後に海で腐乱死体となって見つかる、というよくある事件で、しかもその真相も大して目新しくない。
でもこの話の神髄は事件ではなくて、大げさに言うと、主人公の男の子と隣で印刷工場を営む真鍋さんの愛だと思った!(この場合の愛は恋愛の愛ではないのであしからず)

ところでこのミステリーランドは“かつて子どもだったあなたと少年少女のための”と銘打っているのだが、今回の場合、明らかに“かつて子供だったあなた”仕様になっていた。
というのは、主人公がもう大人になっていて「かつて子供だった」頃のことを思い出して話が進んでいく形式を取っていて、それがものすごい効果的だからだ。

舞台は日本海をのぞむF市。主人公の本名は出てこず、皆に“ヨウちゃん”と呼ばれている。
父親がいなくて、通っている小学校にも気の合う友達がいない。

> あの頃のぼくは、手探りのようにして毎日を生きていた。大げさに言えば、生き方を探していたのだ。…(中略)…そしてぼくは、ようやく真鍋さんを見つけていた。これが生きる理由だと納得していたのだ。(P22)

そんな真鍋さんと穏やかな暮らしをしていくのかと思いきや

> 何故ぼくにあんなひどいことができたのか。徹底して優しく、ぼくのためだけに生きているとさえ言えそうなくらいに献身的だった真鍋さんに、ぼくは本当にひどいことをした。二度と取り返せない罪を犯した。若者に持つ毒でもない、人間の業でもない、子供にも危険な毒がある。子供だけが持つ毒。あの頃を思い出してぼくはそう思わずにはいられない。(p39-40)

と最初の部分で書かれているものだから、真鍋さんとの幸せそうなやりとりを読んでいても、先を予感してしまうせいか、哀しさを含んでいる気がしてならなかった。
そして、その「子供だけが持つ毒」に直面した時、“ああ、これか・・・”と思うのは、同じような経験をどこかでしていたからか。でもこの主人公に関しては、それが真鍋さんとの別れを意味していて、その後の生活に大きく影響を与えることとなる。

その別れのシーンも悲しかったが、その後、真鍋さんからの手紙なんて、もう・・・ 基本的に事の真相が書かれているのだが、最後の部分

>あのF市での暮らしは素晴らしかった。何もない街だったけれど、ぼくは最愛の人たちに巡り合えて、生きる意味と喜びを知った。それがどんなに大きなものかも。…(中略)…
 その前のぼくには何もなく、その後のぼくにも何もない。今この地獄の釜の底で目を閉じると、ぼくの精神はあの日本海べりの小さな田舎街に、吸い寄せられるように戻っていく。あの聡明でシャイで、しかし向上心強く、時に上目遣いに、はにかんだように笑う少年と暮らした何年かは、ぼくには人生最上の日々でした。あれこそは、追い求めていた地上の楽園だったと今は解ります。 (p306)

ああ またもやこれを読んでいるうちにも涙が出そう・・・ ううう
なんか自分の琴線にものすごく触れる作品だったようだ。
さ、さすがです巨匠・・・


(島田荘司 「透明人間の納屋」 2003年 講談社)

Category : 児童書(推理)
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ロックだけではなかったけれど

これまた三浦しをんさんのお勧め本;「ロック豪快伝説」
図書館で見つけた時、「しをん姉さんの勧めといえども、本当に面白いのかしらん」なんて思って借りるのに躊躇した。何せ芸能関係に明るくない私が、ロック伝説を読んで楽しめるのか甚だ謎だったのだ。
でも、ぱらぱらとめくった時にフレディ・マーキュリーについて書かれている章を見つけて、クイーンファンとしては読まなくては!と思って借りたのだった。

読んだ感想はというと。
すごい!!!!!の一言に尽きる。
とにかくすごい。何もかもすごすぎる。豪快すぎるわ!

参考までに目次を引用すると

フレディ・マーキュリー「華麗なるロック人生」
キース・リチャード「天国に1番近かったギタリスト」
ジェームス・ブラウン「ショービズ界1の働き者」
ジミ・ヘンドリックス「ギターだけではなかったテクニシャン」
テッド・ニュージェント「野人的生活」
マスターP「ゲットーのビル・ゲイツ」
M.C.ハマー「東京ドームを一杯にした元野球少年」
ジョン・アンダーソン「異次元との交流」
ポール・マッカートニー「世界1のスーパーリッチライフ」
イギー・ポップ「ロック界1のマッチョマン」
プリンス「こだわりの殿下ライフ」
ミック・ジャガー「巨大ビジネス帝国のカリスマ」
ロッド・スチュワート「元サッカー選手はブロンドがお好き」
ゲイリー・ニューマン「スパイ疑惑」
ニール・ダイアモンド「ショービズ界最大の慰謝料を支払った男」
アリス・クーパー「ステージで首吊り!?」
エリック・クラプトン「悠々自適ゴージャスライフ」
トミー・リー「空飛ぶドラムとセックスとヴィデオテープ」
ジミー・ペイジ「オカルトに魅せられしギタリスト」
オジー・オジボーン「億万長者への道のかげにやり手妻」
エルトン・ジョン「やっぱりゲイが好き」
キース・ムーン「壊し屋ドラマー」
マイケル・ジャクソン「ピーターパンになれなかったスーパースター」
ジェニファー・ロペス「セレブを満足させる男の条件」
セリーヌ・ディオン「現代のマイ・フェア・レディ」
シェール「キラメキの男性遍歴」
マライア・キャリー「憧れのセレブライフ」
コートニー・ラブ「日本でストリッパー?」
ビョーク「氷の国が生んだポップスター」
マドンナ「過激なゴシップガール」
ブリトニー・スピアーズ「スーパーアイドルの作り方」
エアロスミス「クレージーライフ」
レッド・ツェッぺリン「王者のストレス発散法」
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ「豪快シモネタ集」
キッス「バンドの蓄財法はオレに聞け」
ガンズ・アンド・ローゼズ「暴動と暴徒の日々」
ZZトップ「大テキサスのセールスマン」
デュラン・デュラン「自慢のムスコを披露!?」
ディープ・パープル「ステージ上の性戦と霊界との交信」
ミリ・ヴァニリ「前代未聞のグラミー賞剥奪事件」
メタリカ「鋼鉄の男たちの挽歌」

なんだか行稼ぎのようになってしまったが、こんなにもスターたちを扱っているのだ。
しかしその伝説を分類するなれば、「大金の使い方」「下半身の話」「暴れまくる話」「ドラッグの話」くらいなもの。それなのに十人十色、それぞれ違ったエピソードを持っているのだ。本当にこれには舌を巻いた。こんなところでまでも個性を出さんでも・・・と思いつつも、いやいやだからこそ一世を風靡したのかと思いつつ。

本当にひょえ~~~~な話が延々と続くのだが、作者の大森さんのツッコミも面白い。例えばポール・マッカートニーの話;

ポールとリンダのマッカートニー夫妻は、出かけたレストランのいけすにロブスターが入っているのを見ると、調理される運命を不憫に思ったのである。で、どうしたかというと、全て買い占めて海に返してしまったんだそうだ。素晴らしきかな動物愛。ロブスターを楽しみにしていたお客さんは大迷惑だ。ていうか、いけすがあるってことはどう考えてもシーフードレストランだろうに。最初っから行くなよってこと。 (p48-49)

こんな調子で「ひょえ~~~」なエピソードがつづられているもんだから、すいすい楽々と一気に読み終わってしまった。
こんなにもお金を湯水のように使えるってのもすごいよなぁ、だとかこれを読むと小室哲也なんて可愛いもんだよね(比べるなという話ですが)、と思いながら読んでいたら、なんだか頭がぼーっとしてしまった。
とにかく、もうこの人たち違う人種だわ。


(大森庸雄 「ロック豪快伝説」 2004年 文芸春秋)

Category : その他
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晴香の事件に巻き込まれる度はコナンと同じに違いない

なんとなく気になってしまって買った「心霊探偵八雲」シリーズ1巻。そのまま2巻買い、3巻はブックオフで買ったものの、文庫版出たら買うかもなぁ~と思っていたら、意外にも買わず。となるとこれ以降このシリーズは買うことはなかろう、となんとなく思っていた。
ところが! 電車のつり広告で4巻目が文庫になった広告を見てしまい、矢もたてもたまらなくなって買ってしまった・・・ 恐るべし広告の力よ。

帯には「シリーズ累計70万部突破!」とそれが実際にすごいんだかなんだか分からないけど、ものすごい売れている!って感じで書かれているが、本当に本当に売れているのだろうか?
と購入している私が言うのもなんだが、とにかく話はそんな面白いと思わない。じゃあ、なんで買ってるのか? ただ表紙が好きなだけです。ははは。マンガっぽいがいいの!

今回の舞台は、晴香の教育実習先の小学校。そこのプールがある所はかつて体育館で、その昔、小学生が火遊びをして死んでしまった場所であった。例によってそこに霊が出ると噂があり(おっとこれはシャレではなく!)、ついでに晴香が受け持つクラスに「自分は呪われている」と言い張る問題児がいて、その子がその霊が見えると言い張る。そこで八雲登場と相成るわけだ。
それと同時進行で、父親殺しで捕まった犯人が精神鑑定を受けている時に逃走してしまう事件が起き、後藤刑事が奔走している。

そんな中、八雲が晴香に連れられて件の小学校へ赴き、霊に案内されたプールのボイラー室で死体を見つけるのだった。そしてその死体がどうも、逃走中の犯人みたいなのだ。

最後はいつも通り、あんまりヒネリない終わり方で、なんとなく犯人だとかが途中で分かってしまう展開となっていた。
んー 本題と関係ないのだが、私はどうしても石井が嫌いでしょうがない。例えばこんなシーン;

 石井は、複雑な心境で、校舎の壁に背中を預けて座る晴香を見ていた。
 彼女に久しぶりに会えたのは嬉しい。だが、その横顔にいつもの微笑みはない。真っ青な顔に、痛みを堪えるような表情を浮かべている。
 無理もない。死体を見てしまったのだから、誰でもショックを受ける。…(中略)…
 何とか勇気づけたいと思うのだが、こういうとい、女性にどういう言葉をかけていいのかも分からない。(p117-118)

なんて虫唾が走る!! 京極夏彦の京極堂シリーズの関口君といい、どうやらヨワッチョロイ男性が女性を心配したり憐憫の情を抱くのに対して、とんでもなく拒否反応を示すみたいだ。特に“女性にどういう言葉をかけていいのかも…”ってのが、作者の女性を下に見てる感が出てる気がしてならないのだ。考えすぎかね。

とまあ、文句ばかり並べ立てたが、いいところはというと。
月並みだが、八雲はいい。片目が赤かったり、霊が見えるという設定だとか、ひねくれた性格だとか、お決まりっちゃあお決まりだが、でもいいキャラなのは否めないのだ。というか「心霊探偵」という設定はいいと思うんだけどなぁ。それが故にもったいない感がしてしょうがない。

うーん 次も出たら買っちゃうのかなぁ~
言い訳じゃないけど、絵柄とか装丁とか妙にツボなんだよなぁ~~


(神永学 「心霊探偵八雲4 守るべき想い」 平成21年 角川書店)

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暗闇を怖がっているのは1人だけ

父はグアムへ出張する際に、英語を思い出すためにといつもシドニー・シェルダンを買うらしい。この間出張に行った時もその慣習通り、シドニー・シェルダンの"Are You Afraid of the Dark?"を買い、それをちゃっかり借りた私。
実は、シドニー・シャルダンを初めて読んだ。読んでみて、父が英語を思い出す為に読む、というのがよく分かった。なるほど、英語もあまり難しくなく、とにかくpage turner、本を手放せなくなる。
でもだからと言って、怒涛のような展開でもなく、手に汗を握る展開にもならない。それなのに本を閉じれないってある意味すごいなぁ~~と妙に感心してしまう。

話はいたってシンプル。
Kingsley International Groupという全世界に支店を持つシンクタンクに関わる人間が、何年かに渡って不審な死をとげていた。特に今回、4人が同時期に一見自殺のようだったが、警察の調べで殺人の容疑がかかる。その殺された4人のうち2人の妻が、偶然出会い、殺されかかるところから物語が本題へとうつっていく。
その2人を狙っているのはKingsley International Groupのトップ、Tanner Kingsley。武器も何も持たない2人は、知恵を使いつつ彼から逃げ、何故夫が殺されたのかを探っていく、という話。

ちょっと面白いのが、この2人があまりに性格が違って、最初というか結構長い間、いがみ合っているのだ。読者としては「けんかしている場合じゃないでしょ!!」と思うのだが、ある意味リアルな部分と言えるかも。まぁ、最終的には窮地を共に脱している内にとても仲良くなるのだが。

そして驚くべきことに、よく考えてみると、メインストーリーである逃げ惑うシーンの割合が、全体から考えるとものすごく少ない。2人の妻の夫との馴れ初めとか、夫との思い出のエピソードがやたら沢山あるのだ。しかもそのエピソードがやたらロマンス小説調。しかもこの2人だけじゃなくて悪役のTanner Kingsleyのロマンスまであるんだから驚きだ。
「そんなんはどうでもいいから、2人はどうなっちゃったのよ!?」と思って先を急ぐから、page turnerと化しているところもあるかもしれない、この本。
そんな中、夫が死んで妻1が嘆き悲しむシーンの;

She wanted to curl up into a tiny ball.
She wanted to disappear.
She wanted to die.
She lay there, desolate, thinkin about the past, how Richard had transformed her life.... (p21)

が、こうやって並べることによって悲しみがよく表現されているなぁ、とか、妻2の生い立ちの話で懇意にしていた図書館の司書に言われる;

(本は虚構の世界で、世の中には魔法とかないんだから、という若かりし日の妻2が言ったことを受けて)
"Kelly, there is magic, but you have to be the magicial. You have to make the magic happen. (......) First, you have to know what you dreams are. " (p62)

という、ちょっとcheezyな感じもするけど、ほっと温かくなる言葉だよね、とか流石に押さえているところは押さえている。

ただエンディングはとっても腑に落ちなくて、こういうエンターテイメント系だったら徹底的に悪を懲らしめてほしいところなのに、あっさりし過ぎ。
まぁでも、こう言ったら悪いが、3日後には話も忘れていそうな軽い話だったので、エンディングがどうであろうとがっかり感はものすごく少ない。とにかくいい暇つぶしの本だった。よくアメリカ人とかイギリス人がバカンスで、ビーチやらプールサイドやらで推理小説だのサスペンス小説を読みながら肌をやく、という話を聞くが、こういう本を読んでるんだろうなぁ~とふと思った。


(Sidney Sheldon "Are You Afraid of the Dark?" 2004, Warner Books)

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メイガスが老人だってことをやっと知ってびっくり

あんなに散々文句を言っていた「盗神伝」。でもgive another tryではないけれども、様々な書評を信じて、もしくは高評価の理由を知りたくて、“やっぱりいいや”と思ってしまう前にと「盗神伝I」を返したその足で2巻を借りた。その結果は・・・

面白かったぁぁぁぁああ!!

書評を信じてよかったと思った瞬間。
でも一応いくつか文句はあるといったらある。例えば、やっぱり翻訳。ちょっと下手なんじゃないかと思う。文章によっては2度読まないと意味が伝わりにくい部分もあるし。ま、原作を読んでいないので、翻訳が本当に下手なのか、はたまた原作自体の文が下手なのかは分からないが。
そして、挿絵。今回はオリビア・ハッセイ出演の「ロミオとジュリエット」のジュリエットのような格好をした、多分アトリアの女王が表紙を飾っている。あれ?これってギリシャがモデルになっているんじゃなかったっけ?という感じ。でも本文を読みながら、ジュリエット風の服装(つまりイタリアチックの服装)を想像していてもなんの違和感もない。そこでハタと気づいたのが、この本、あまり情景描写がないんですよね。だからギリシャ風ったって、国の名前だとか登場人物の名前だとか神話がギリシャ風なだけであって、お話自体はギリシャっぽいわけでは全然ない。それがどうしたって感じだが、なんとなく情景が浮かばないのは、ちょっと物足りない気がするのだ。

と文句はこの辺で置いておいて。物語自体は本当に面白かった。
ファンタジー本にはお馴染みの地図がないので位置関係とか国の大きさがはっきり分からないが、エディス国はソウニス国とアトリア国に挟まれているよう。エディス国は資源があまりなく、材木やらの輸出で保っているらしい。
話はエディス女王の盗人、我らがエウジェニデス(前巻ではもっぱらジェンと呼ばれていたが)がアトリア国に忍び込んだところを、アトリア女王に囚われ、エディス女王の見せしめに右腕を切り取られるところから始まる。マゾっ気があるわけではないけれども、主人公が怪我とかしてのっぴきならない状況になるとワクワクしてしまうので、最初から“こりゃきたぞ”ってな感じだった。
自分のことを“元女王の盗人”とやさぐれて、殻に閉じこもってしまったジェンをよそに、ジェンに対する仕打ちに憤ったエディス国はアトリア国に戦争を仕掛ける。一方、アトリア女王はもっと大きな国・メデア帝国と懇意になって、それを迎え撃つ形になる。
その事実を知ってようやく殻から脱したジェンは、この戦争に“盗人”らしく加わることになるのだ。というのは、ソウニスのメイガス(助言者)を盗み出し、ついでにソウニスの戦艦を破壊して、それをあたかもアトリアの仕業と見せかけるのだった。

その後はひたすら戦争記のようになっていて、国情勢、ジェンの活躍などなどがつづられ一気に話に引きずり込まれ、そのまま3巻へと続く。

ジェンのやさぐれ期間が結構長くてイライラもちょっとしたけれど、結果的に物語のスピードの緩急の差が出てよかった。


 「この作戦を実行するには、あんたの命令が必要だ」
 そういうと、女王の足に寄りかかり、首をまして女王をみあげた。
 「おれの女王様」
 やさしい声でいった。…(中略)…
 「ジェンったら。エディスの国民があなたにもっと期待するっていったのは、こういうことをしてほしいっていう意味じゃなかったのに」
 女王は椅子にすわったまま、ふたつそろっている自分の手をじっとみつめた。
 「わかったわ」
 ようやくそういった。
 「アトリアの女王を盗みにいきなさい」 (p327)

ひゃっほぅ! 早く次を読まなくては!!


(M.W.ターナー 「盗神伝II アトリアの女王 前篇―復讐―」 2003年 あかね書房)

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二人がむかついているのか、二人がむかつくのか

ずっと昔に本屋で三谷幸喜と誰かの対談本をちらっと立ち読みした時、あまりにおかしくて怪しい人物となりかけ、はたと気づいて本を返した。なんでその時買わなかったかというのは、多分所持金がなかったからだと思うが、その後にブックオフにてあさったところ、どうしてもタイトルが思い出せない。多分これだろう、と思って買ったのが「気まずい二人」。なんでその時ちらりと中身を見なかったのかというのは謎だが、とにかく買ってみたらあんま面白くなかった。
そしてそれから随分経って、ついこの間。借りたい本が見つからなくて図書館をウロウロしていたら「むかつく二人」を発見。これだ~~~~~!!! すぐさま借りて一気に読み終わってしまった。

と言っても、怒涛の展開があったり、ものすごく面白くて読み進めてしまう、というわけではなくて、何せゆるゆるしゃべっているものだから、その調子でダラダラ読んでいたら読み終わってしまったという感じ。

本題に入ると、これはラジオ番組を書籍化したもので、三谷幸喜と清水ミチコのおしゃべりが繰り広げられている。本当に“おしゃべり”という感じで、特に題目があるわけでもない。「気まずい二人」の三谷幸喜とはうってかわって、気の置けない相手だから、リラックスして結構饒舌。清水ミチコとなかなかの毒舌合戦があったりするのだが、じゃれあっている感じ。他のエッセイとかからして三谷幸喜は随分シャイみたいだが、ここでは結構キツイことを言ったりしているので、本当に仲がいいのでしょう。だって;

三谷  僕ですねえ、正直に言いますけどこのあいだこの番組「DoCoMo MAKING SENSE」のオンエアを初めて聴いたんですよ。で、すごくやっぱ反省点が多くて。
清水  お?どこでしょう。気をつけたいですね。
三谷  反省点は、やっぱ、一人っ子のよくない部分が。
清水  あ、なんだ三谷さんの、ね?
三谷  うん、僕のね。清水さんのことなんて僕は知らない。どうでもいいですよ。
清水  どうでもいいじゃなくて、清水さん完璧でしたよでいいじゃないですか。そういうとこが一人っ子ですよ(笑)。 (p88)

なんて、やけに三谷幸喜ってば強気。しゃべり口調とかが分からない分、なんか嫌な奴にも聞こえるくらい。それを笑って流している清水ミチコが大人に見えるくらいだけど、ラジオで聞くとどうなるのか気になるところ。実際、口調だけ聞くと姉さんと弟の会話みたいなところもあるし。

どうやらこれの続編があるみたいなので、読もうと思う。
そしてどうやらまだラジオでやっているみたいなので、ぜひ聞いてみようと思う。


(三谷幸喜 清水ミチコ 「むかつく二人」 2007年 幻冬舎)

Category : その他
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ザリガニスキー特使からして児童書風味

”悩めるリンタロウ青年”と称される法月綸太郎(綾辻行人の「どんどん橋落ちた」参照)。いつもは哀切漂う小説が多いが、このミステリーランドシリーズのタイトルが「怪盗グルフィン、絶対絶命」。
どうしたんだ!? リンタロウさん!! と思って、さっそく借りてきた。

いつもの鬱々とした感じから一変して、舞台がアメリカのせいかやたらポップな感じ。
例えば主人公の怪盗グリフィンが銃に撃たれてから意識を取り戻したシーン。

…(中略)…血圧と体温をチェックしてから、ドクターは満足そうに言った。「あなたはラッキーな患者だ。」
「まさか。ぼくは銃で撃たれたというのに。」
「命中したのは一発だけです。…(中略)…脾臓を貫通。あなたはすぐこの病院へかつぎこまれ、脾臓の摘出手術を受けました。」
「―脾臓(ここに傍線)?」
「…(中略)…でも心配はいりません。…(中略)…盲腸を切るのとおなじで、今後の生活に支障をきたすこともないでしょう。」
 グッバイ、ぼくの脾臓。喪失感をよそに、ドクターはつづけた。(p92-94)

こんなカラッとした軽口なんて、他の法月作品には見られない気がする(私の覚えている限り)。

肝心な話はというと、タイトルから察せられる通り、怪盗グリフィンが主人公。
絵をメット美術館の絵が贋作なので、それを真作とすり替えてほしいという依頼が来る。それの手口がなかなかスピードも速く面白かったのだが、それはただのグリフィンをつる餌でしかなく、あっさり終わってしまった。
本題は、CIAの要請でカリブ海に浮かぶボコノン共和国へ忍び込み、大統領と共に独立に導いた将軍が所有する土偶を盗んでくる、という話だった。

基本的には007っぽくてなかなか面白かったが、ボコノン共和国の歴史部分がどうにもこうにも退屈だった。突然話のテンポが減速しどうにもこうにも、辛抱の足りない子供だったらほっぽりだしそうな勢いだ。それを乗り越えた先が面白かったので良しとするが。

このミステリーランドシリーズ。もうすでに何冊か読んでいるが、皆アプローチの仕方が違ってなかなか面白い。綾辻行人のように子供向けとは思えないくらいいつもの調子であったり、有栖川有栖のようにやけに子供子供していたりと。
法月綸太郎の場合は有栖川有栖よりだが、なんだかいつもの法月氏の調子を突き破って違う姿を見せてくれた感じがする。
そんなこんなでミステリーランドシリーズ、なかなか面白い企画だとつくづく思った。


(法月綸太郎 「怪盗グリフィン、絶対絶命」 2006年 講談社)

Category : 児童書(推理)
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よく考えたら若だんなは安楽探偵っていう類のものじゃないかね

前作の「しゃばけ」の散々文句言っておきながら、二巻目「ぬしさまへ」を借りてみた。“さて読んでやるか”と偉そうな気分で読んでみたら、結構面白かった。期待値が低かったから?それとも作者が上手くなったから?などと、やっぱり「お前は何様か!?」という感想を持っている。
それはそうと、やっぱり主人公の若旦那の顔は手越になってしまう。そしてそれが嫌でいやでしょうがない!!! 昔からそうだけど、発想が単純にできているせいか、読書時の頭の中のビジュアルは、基本的に挿絵だとかドラマ化・映画化されているものならそのキャストに支配されてしまう傾向がある私。だから、思い入れのある本とか、これから読もうと思っている本に関しては、ドラマや映画を観ないようにしているのだが・・・。今回の場合は完全なるアクシデントで、テレビをつけた時にしばらくそれが「しゃばけ」だと気づかなかったというわけだ。うううう・・・
別に手越君に特別な恨みを持っているわけではないのだが、だってさぁ、あれはミスキャストだと思うんだよねぇ。だってだって、どう考えても手越君は病弱に見えないじゃないか!!!お顔なんてふっくらしちゃって、いかにも健康的だよ!

それはさておき本題に入ると、今回は完全なる短編集となっており、6作収録されている。

「ぬしさまへ」
実は白沢である美男子の手代、仁吉の袂にあった付け文。手が汚すぎて文字の判読が難しいということで、病の床について退屈している若旦那の暇つぶしにと解読してみさせる。などとしていたら、その手紙の主が殺されてしまった! 一瞬疑われた仁吉の潔白を証明する為に、若旦那は妖を使って謎解きをする。

「栄吉の菓子」
若旦那の幼馴染で菓子屋の栄吉。菓子作りは好きなのに腕はまったく上がらず、その不器用さは天才的と言ってもいいくらい。そんな彼が作ったお菓子を若旦那はよく買ってあげいるのだが、若旦那以外に文句を言い言い買ってくれるご隠居さんがいた。そのご隠居さんが栄吉の作ったお菓子を食べて死んでしまったというから、二重にも三重にも栄吉がか可哀相な状態になる。簡単に疑いの方は晴れるのだが、実家では親戚の者が集まってやんや言われるというので、長崎屋に居候することとなる。そんなこんなで若旦那が推理することになるのだが、容疑者は複数出てくる。

「空のビードロ」
珍しく若旦那の腹違いの兄が主人公。若旦那が生まれたことで長崎屋と縁を切り、血のつながらない両親の家からも出て奉公に出ている。その奉公先も決していい所ではないけれども、明るく暮らしている。そんな奉公先にて猫が殺される事件が起きる。事件はすぐ解決するが、それはショックな結果となり、更に彼に好意を見せていた奉公先のお嬢さんの腹黒さを知り、その上に火事に見舞われる。自棄に起こしそうになった時に助けてくれたのが、偶然拾ったビードロの根付だった。火事の後、それを落とし主と思しき所へ届けに行くと・・・

「四布の布団」
若旦那の布団から女の泣き声がする。ところが不思議なことに妖である手代や、若旦那を懇意にしているその他諸々の妖も、その正体をつきとめられない。それが発端となって、若旦那のその布団は新調した物だったのだが、注文した内容と物が違う。翌日、砂糖より甘い父やと手代を連れて抗議に行ったところ、そこで布団屋の主人のひどい癇癪を目の当たりして倒れる若旦那。その若旦那を寝かそうと次の間の襖を開けると、そこには番頭の死体が!

「仁吉の思い人」
江戸の夏の猛暑のおかげで、あの世に片足どころか半身どっぷりつかってしまったような若旦那。薬を飲むのもままならず、困った手代の佐助が「仁吉がふられた話」を餌になんとか飲ませようとする。それにつられた若旦那はなんとか飲み下すのだが、それで語られる1000年も続く仁吉の片思い話。

「虹を見し事」
いつも若旦那の身の回りにいる妖たち。その姿がある日突然消えてしまう。その上、いつもうっとうしいくらい若旦那の世話をやく手代も、若旦那が悲鳴を上げてもやってこない。どうもおかしいと若旦那は色々試すが状況は変わらず、いよいよ夢の世界にいるのかと思う始末。結局は夢でもなんでもなく、妖たちの作戦で、若旦那につきまとう怪しい気配をおびきよせる為だったのだ。

妖である手代の行動を”人間と感覚が違うので突拍子もない言動が多い”と表わされているが、そこまで奇抜ではないので、もっと妖怪らしくてもいいのになぁ、などなど難癖を最後までつけてしまったが、最後の最後に可愛い鳴家と若旦那の会話より;

 若だんなの膝の前に歩んできた鳴家たちが、小さな両の手を着物にかけて、嬉しそうに顔を見上げてきた。
「どいつもこいつも、九兵衛が死ねば喜ぶ手合いばかり。良かったですね、若だんな。下手人は選り取り見取りですよ。これで事は終わりますね」
「人殺しは一人に絞らないとまずいんだよ。そうでないとこの一件は収まらないのさね」
「大人数じゃいけないなんて、そりゃあ贅沢な考えで」
 鳴家から説教をするように言われて、若だんなは時の間、言葉を失ってしまった。
「と、とにかく日限の親分に納得してもらうには、一人きりの下手人が必要なんだよ」
 そう若だんなに言われれ、仕方がない。妖達はまた金食い虫達を調べに走ることとなった。離れの寝間に疑問を一つ残して。
「親分さんは、饅頭はいちどきに三つも四つも食うくせに、何で下手人は一人が好きなんですかね?」
 答えを知っている者は、お江戸中探してもいないに違いなかった。(p56)


(畠中恵 「ぬしさまへ」 2003年 新潮社)

Category : 小説:歴史
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日本語版にて、表紙にあの絵を使うのはまずいと思う

これも古いFigaroに紹介されていた一冊。というか、今更ながら白状すると、私の「積んどく本リスト」の本は、大概三浦しをん女史のエッセイに紹介されていたものか、古いFigaroに紹介されたもので構成されている。とにもかくにもこの”Girl in Hyacinth Blue”はFigaro出身。

フェルメールの一枚の絵をめぐり、時代がさかのぼっていきながら、その絵の所有者だった人たちのお話。つまり、フェルメールの絵をアクセントにした短編集だった。大体は各話の登場人物が、どうやってその絵を手に入れて、どういういきさつで手放すことになったのかが書かれている。しかしだからといって、絵にスポットライトがあたっているわけではなく、どちらかというと所有者に光が当てらている。

ということで、絵をめぐって怒涛のような冒険譚が繰り広げられるわけでもなく、かといって絵を探求していくような物語でもなく、実に穏やかな絵をキーにした、人々の営みが描かれている。読む前は、それこそ「ダ・ヴィンチコード」のフェルメール編のようなイメージを持っていた私としては、意表をつかれた感じだった。でも考えると、フェルメールの絵の物語ならば、このような静かな話がぴったりだったと思う。

簡単にどのように絵が渡っていったのかをたどっていくと;

場所はアメリカ。高校で美術教師をしている語り手に、同僚の数学教師が絵を見せる。彼曰くそれはフェルメール作だという。彼の父親が手に入れずっと隠し持っていたというのだ。彼の父親がナチ軍入っていた頃あるユダヤ人家に押し入り、そこの男の子を蹴り飛ばし、ついでに壁にかかってきたその絵を奪ってきた。息子である数学教師は父親の罪に苛まれながらも、その絵を愛し、最終的に同僚の美術教師に見せることになったのだった。(Long Enough)

ナチ占領下のオランダ。主人公は両親にも祖母にも問題児扱いされている女の子。その子がユダヤ人で弟がいることから、この子が数学教師の父親に蹴られることとなる子だ、と瞬時に察せられる。
ここでは絵は話の中心ではなく、少女が父親と散歩がてらにドイツからのユダヤ人亡命者が資金集めの為に開いたオークション行き、父親が競り落としたというエピソードが入っている。そして主人公は、その絵に描かれている少女にシンパシーを感じているという位置づけ。(A Night Different From All Other Nights)

時代は下っているのだろうが、はっきりした時代は分からないが年頃の娘を持つ父親が主人公。娘が婚約者を連れてやってきて、その二人と夫婦二人と犬が散歩しているシーン。奥さんが娘の結婚祝いに家の壁にかかっている絵をあげようと言うが、旦那がしぶる。絵はほとんど出てこないで、絵に描かれている少女からの連想で旦那の初恋話が引き出される。そして今の夫婦の情愛へ。(Adagia)

この話でも絵は話の中心ではない。今回の所有者は、夫とともにその赴任先であるオランダにやってきたフランス人婦人。夫がご当地のあまり名の知られていない画家の絵というその絵をプレゼントする。話の中心となるのは絵というよりも音楽となる。延々と惚れ込んだバイオリニストの話や演奏会の話が続いた後で、不倫現場を夫に見つかったのが原因で、オランダにも夫にも未練のない婦人はパリへと夜逃げすることになり、その際にあっさりこの絵を路銀稼ぎと売ってしまう。(Hyacinth Blues)

洪水後のオランダ。子供二人をかかえる農家の若奥さんがこの話の主人公。ある日彼女たちのボートに赤ちゃんが置き去りにされていた。赤ちゃんとともに絵が置いてあって、この絵を売って養育費のたしにするように、とメモが添えられていた。若奥さんはその絵に魅かれていき、心のよりどころになってしまい売るに売れなくなってしまうが、最後の最後には泣く泣く売ることとなる。(Morningshine)

この話は、中盤くらいになって気づくが、前の作品の赤ちゃんの出生にまつわる話。農家の若奥さんは、赤ちゃんの母親が裕福な家出かと想像しているが実は違って、ちょっと気違いの女と風車作りの男の間で秘密に生まれた子だった。母親は双子で生まれた自分の子のうち、一人を殺した咎で処刑されてしまう。男は身を隠し生き残った方を育てようとするが無理で、母親が好きだった絵と一緒に置き去りにする。(From the Perspnal Papers of Adriaan Kuypers)

やっとフェルメールの登場となる。自分が描いた、何をするまでもなく佇む女性の絵なんか必要とする人がいるのだろうか、と疑問を持ちながら貧しい暮らしをしている。ツケを払うために絵を描こうとするがなかなか画題を思いつかない。そこへ騒いでいる娘のふとした瞬間の表情を見て、この娘を描くことを決める。(Still Life)

ここで時の流れが逆流して、父親に描かれた娘の話になる。彼女は自分が美人じゃないと思っているのだが、父親に描いてもらうこととなる。しかしその絵は売れず、父親が若く亡くなった後にツケがたまっていた雑貨屋さんに渡す。そうして彼女は結婚し中年になって、ある日父親の絵が沢山集まったオークションに行く。そこで自分の絵に出会うのだった。(Magdalena Looking)


話の中では農家の若奥さんの話と最後の話が好きだった。そして好きな表現方法は、フェルメールの絵が題材となっている本書からと思うと心苦しいが、音楽家との不倫のシーンより;

And I did forgive, for his hands played me like a beloved instrument. He danced his fingers across my throuat pianissimo and excuted a flissando down my spline. (.......) I'll just say that his strings were swelling into a vibrato. He uttered a soft, cry, in tremolo, until he sang one thin note, falsetto. (p101)

全体的に静かな話で、朝の通勤中に読んでいた私は“眠い”という印象を持つのを禁じ得なかった。再読する際には気持ちに余裕がある時に、温かい紅茶を片手にゆったり読みたいと思う。


(Susan Vreeland "Girl in Hyacinth Blue" 1999, Penguin Books)

Category : 小説:現代
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児童作家の中で「イニシャル・イニシャル・苗字」表記が流行っているのでしょうか

私の乏しい記憶によると三浦しをん姉さんの推薦本だった気がする(改めて考えると、自分で発掘した本以外のものは、ほぼ三浦しをん女史がエッセイで紹介していた本のような気がする…)「盗神伝」。
基本的に、翻訳本は英語で読もうと思ってるのだが、この「盗神伝」、本屋さんに売ってなかった。ということで、それを言い訳に翻訳本に手を伸ばしたが……

う~ん やはり翻訳本って独特だなぁ~ ある意味1個のジャンルとなっている気がするくらい、文体が他の小説と違うと思う。まあ、文章の書き方や、表現の仕方や、話の進行方法などなどが日本語と違うであろうから、大きく意訳しないかぎりそうなってしまうのでしょうけど。
例えば;

 ポルは無表情なままだったが、メイガスがおれにこう言った。今後一切、自分に向けられていない会話には答えるな。話しかけられないかぎり、口をきくな。おれは、自分が人間じゃなく、単に便利な道具として連れてこられたことを思いだした。(p76)

“こう言った。~”というのもいかにも英語って感じだし、“自分に向けられていない会話”という受動的な文も英語っぽい。だからといって、これを自然な日本語に直せ、と言われても私にはできない芸当だけど……
翻訳本は一つのジャンルってことでいいんじゃないですかね!

さて肝心のお話はというと、最近児童書づいている私だが、そのトレンド(?)に違わず、図書館の児童書コーナーに陳列されていた。
表紙の絵から勝手にペルーとかそこら辺のイメージで読んでいたが、途中でこりゃギリシャっぽいや、と思い直したら、あとがきによると作者はギリシャをイメージしていたとのこと。
やっぱりね。何せオリープの木がいたるところで生えていたり、神話だとか、神々の形体(主人公の夢とかに出てくる)だとか、そこはかとなくギリシャを示唆している。

主人公は「なんだって盗める」と豪語する盗人の少年・ジェン。その言葉を証明するため、王の紋章の入った指輪を盗み出し、それを見せびらかしていたが為に捕まって牢獄につながれている。
それに目をつけたのが王の助言者〈メイガス〉。超どうでもいいことだが、私の中でメイガスは漫画「花咲ける青少年」に出てくるルマティの側近・クインザ・ハフェズの姿をしていた。だってなんか似てるし。
どうでもいいことその2;本の登場人物紹介でメイガスについて“意外とユーモラスなところも。”とあったが、私はまったくもってユーモラスなところを見つけられなかった。

閑話休題

とにかくこのメイガスはあることを企てていて、そのためにジェンは使われることとなったのだ。そのあることというのは、隣国エディス国に伝わる「ハミアテスの贈り物」を盗み出すというものだった。それは伝説の石で、贈られた者は不老不死となるらしい。最初に神・ハミアテスからその石をもらった王は、期を見計らって後継者にそれを渡したことから、石を持つ=国の権力者になる、という図ができあがった。しかしエディスの王がその石を隠してしまい、誰にもその場所を言わなかった為に伝説と化してしまったのだった。

そんな伝説の石を求めて、メイガスとその一行はエディスの向こう、アトリアに向かうことになったのだ。
メイガス曰く、その場所を古文書で見つけたらしいが、昔からそこに入って出てこれた人がいないという。
果たして…!?

まあぶっちゃけて言っちゃうと、石を取ることができるっちゃあできるのだが、面白いところはそこではなく、最後の最後までどんでん返しがある。
ちなみにメイガスの一行というのは、盗人のジェン、ジェンより年上(らしい)メイガスの弟子アンビアデス、実は王の甥っ子だったというメイガスの弟子・その2のソフォス、ソフォスを守る為とメイガスに頼まれた為に来た兵士のポル。
メイガスたちの国はソウニス国といって、エディス国の向こうにあるアトリアを侵略し統一したい。ところがエディス国が中立国として存在しているため、それもままならず、その打開案としてメイガスが「ハミアテスの贈り物」を盗み出し、ソウニス国王に渡しエディス国王にして、はてはソウニス国が3国を統治する、というシナリオを描いたのだった。

なんだか壮大でワクワクする冒険譚のようだけど、実はそこまでではなく、まず登場人物にあまりに魅力がない。というか、誰に感情移入すればいいのかさっぱり。
主人公はやたらつっかかるガキっぽいし、メイガスも地位的に歳がいっていそうなものの、やけに子供っぽいところ(悪い意味で)があって年齢不詳だし、ポルはまあ、こういう話によく出てくるようなあんまり存在感のない用心棒的な兵士だし、アンビアデスはただただむかつくし、ソフォスもこの中では一番まともなキャラだけど平凡だし……

試しにamazon.co.jpで批評を見てみたら・・・結構評価が高い。
どうやら1巻は大したことない序章って感じだけど、次からぐわぁぁああっとくるらしい。

ということで批評を信じ、三浦しをん姉さんを信じ、2巻に手を出してみようと思う。


(M・W・ターナー 「盗神伝I ハミアテスの約束」 2003年 あかね書房)

Posted by nizaco on  | 0 comments  0 trackback
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