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がらくたにっき |

表紙には前髪があるけど、泉水子って前髪ないんじゃないかと思うんですけど

<荻原規子 「RDG2 はじめてのお化粧」 2009年 角川書店>




いじいじする主人公が嫌いで、あまりいい評価をしなかった「RDG1」。
でも2巻が出てるのを知ると、いそいそと図書館で予約してしまったり・・・

自分で気づいたのだが、ただいじいじしている登場人物が嫌いなのではなくて、いじいじしているくせに、誰かが自分にちょっと冷たく当たると「もう!」てな風に怒るのが嫌だ。あと、そんなうじうじしているのに人にはない能力があったり、それでいてそれを十分に発揮してなくて“宝の持ち腐れ”的なのだったりすると、こっちが“もぉぉおおお~~!”となる。

そんなわけで、主人公の泉水子がとても嫌だったのだが、今回の泉水子はちょっと成長していた。
東京の高尾山のふもとにある鳳城学園に入学した泉水子は、自分のように不思議な能力を持つ人が沢山いることを知ったり、その人たちと交わることで成長していくわけだ。そしてついには;

(……他人に何かを期待しなくても、ひとりで気を取りなおすことくらいできる。すべて、わたしが自分でどうにかすることだった。どうしてくよくよすることしか知らなかったんだろう。…(中略)…自分自身の声を聞こう……だれがどう思っているかと、そればかりを気にせずに)(p267-268)



と思うようになっていた。泉水子にとっては大した成長じゃないか!
うんうん 主人公の成長物語は好きよ。


内容はというと、泉水子に憑いている姫神について、また山伏についてなどなどを知るためにやってきた鳳城学園は、国家規模の超能力(といってもスプーン曲げとかじゃなくて、超自然のものを感知する力など)を温存するために作られた学校だった。
そんなわけで集められる生徒の大半は、陰陽師だったり忍者(といっても私達が想像するようなものじゃないらしいけど)だったりと、そっちサイドの少年・少女。

泉水子は同室の宗田真響や、その三つ子の弟真夏、そしてこの世の存在ではない真澄と出会ったり、一足先に入学していた相楽深行と真響と一緒に、陰陽師の血統を持つ同級生の陰謀を絶ったりする。

ある意味お約束通り、真響は美人で闊達で面倒見が良く、ファンクラブまであるしまつ。
地味な泉水子は最初は気後れするものの、段々と仲良くなっていき“友達”であることを受け入れるようなる。
でも真響たちは忍者の流れを組むらしく、いつの時代も為政者の下につくことを拒んでいた山伏の深行には、“姫神”については語らないように、と注意される。

その上、現生徒会長に呼ばれ、裏の生徒会長と対面することになり、舞も習うことになり・・・

とまぁ 謎を解きに学園に来たはずなのに、逆に謎が深まっていく展開となっていた。
早く3巻が読みたい!

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他の子供達はどうして幽霊にならなかったんだろう

<道尾秀介 「背の眼」 2005年 幻冬舎>




Amazon.co.jpを徘徊している時に、たまたま道尾秀介氏の作品に行きあたり、面白そうだったので、まずデビュー作の「背の眼」を読んでみた。

ホラーサスペンス賞の特別賞受賞作とあって、ホラー小説であるけれども、推理小説のようでもあった。前半はホラー色が強いけれど、後半は推理小説色が濃い。


ホラー作家である道尾秀介は、福島県の山奥を位置する白峠村へやってくる。
そこでは何人かの少年が神隠しにあっているということを聞く。そのうち一人の少年・糠沢耕一君に関しては、頭部だけが川から発見されているらしい。
道尾が件の川へ赴いてみると、変な声が聞こえる。それに恐れおののいた道尾は慌てて東京へ帰る。
そして、学生時代の友達で「真備霊現象探求所」を営む真備庄介を訪ねる。実は真備の元にも、この近辺で写真を撮った際に写った心霊写真が何枚か寄せられていたので、興味を持った真備は、助手である北見凛と道尾を連れて白峠へ赴く。

その心霊写真というのは、背中に一対の眼が写っていて、背中の持ち主はその後自殺をしているという。真備が調べたところ、その眼は頭部だけ見つかった耕一君の眼のようだ。

この「眼」というのが曲者で、本当に怖かった! 真備が;

そもそも人間は、他の動物に比べて嗅覚があまり発達していないから、敵や味方、あるいは自分の家族を、『顔』によって識別する。そして相手の性格や心理状態を、『眼』によって判断しようとするんだ。つまり人間の脳味噌は、『顔』あるいは『眼』というものに対して、極めて敏感に反応する性質を備えてしまっているんだよ。 (p84)


と言うが私に関して言えば、敏感に反応するがあまりか、“眼”に対して特別に恐怖心を持っている気がする。
何せ子供の時から、夜寝る時、扉の隙間から眼がのぞいているような気がして、怖くてならなかったのだから。
しかも今回も、暗闇の中、スタンドの光だけで読んでいたら、もう怖いこと! 私の部屋のスライド式のドアが、完全に閉まらないのだが、その隙間から眼がのぞいているような気がして、本当に怖かった!!

おかげで寝不足になってしまったが、次の日に続きを読んだら、その“神隠し”と呼ばれていた子供達の失踪事件は、天狗や幽霊の仕業でもなんでもなく、殺人事件の犯人としてちゃんとした(?)人間の犯人がいたので、全然怖くなかった。やれやれ

ホラーサスペンス対象の審査員である綾辻行人が言及している通り、“幽霊(妖怪)の仕業だと思っていたら、実は人間の仕業だった”という図式は、確かに京極夏彦の京極堂シリーズに似ている。
違うところは、京極堂シリーズは妖怪話が中心であることに対して、こちらは幽霊が出てくるし、霊現象は存在する結末となっている。
また探偵役の真備の容姿が端正であったり、助手の凛が美少女であったり、ついでに犯人が誰かすぐ分かったりと、お約束な部分が多々あったけれども、総合してとても面白かった!

Category : 小説:ホラー
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でも穂村氏の顔は割と好きだ

<穂村弘 「本当はちがうんだ日記」 2005年 集英社>




確か、三浦しをん女史のお勧め本だった気がする。
実は穂村弘の「いじわるな天使」と「現実入門」を立ち読みして、好かん!!どうしても好かん!!!!という印象を持ってしまったが為、これを読む時も非常に消極的だった。
しかも前の2作とも最後まで読めてないし。

まぁ 前から薄々、というか割とはっきりと分かってたけど、穂村さんって“へたれ”の代名詞なのですね。
“へたれ”ね。嫌いじゃないですよ、嫌いじゃ。むしろ、“へたれ”エッセイって、割と好きですよ。面白いから。
例えば;

 目当ての腕時計たちを巡って一喜一憂しているとき、あたまのなかで、こんなことをしている場合ではない、という声がする。おまえは今、締切を一週間以上過ぎた現行を四本抱えていて、二日寝ておらず、五日お風呂に入っていない。しかも明日もあさっても会社がある。こんなことをしている暇があったら、原稿を書け、いや、その前に少し眠らないと躰が壊れる。それにおまえ、ちょっと臭いぞ。 
 だが、私は右手をマウスから離すことができない。瞬きさえ惜しんで、ディスプレイを凝視しながら、望みの腕時計を探し続ける。あたまのなかの声は、あきれたように云う。あのなあ……、せめてコートを脱いで、さっきから我慢しているトイレに行ってこいよ。だが、躰が動かない。部屋の灯りもつけず、コートも脱がず、おしっこも我慢して、電話回線の遅さにいらいらしながら、ネット・オークションに齧りついている私の目は血走り、膀胱はぱんぱんだ。 (p32-33)



なんて、文句なく面白い部類に入ると思う。
「穂村さんったら~~」と思いながら、ふふふ、となるだろう。

でも!
なぜか、何故か、あまりぴんとこないんだ。

書評とかでは人気があったり、ま、三浦しをんさんが本で書くくらいだから、他の人には面白いんだろうけど、私にはピンと来ず。どちらかというと、始終、いけすかない印象を持ってしまう。
なんでだろう… これが相性というものですかね。

というわけで、別に穂村氏のせいでは全くないけれども、私には合わないようです。
多分、本当にお会いしても、イライラしてしまう気がするなぁ 

Category : 随筆
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「六番目の小夜子」で多佳雄ファンってなかなかマニアックだな

私にとって初の恩田陸の短編集・「象と耳鳴り」は、一つ一つが短いのにその短さを感じさせない話だった。
一応、連作のようになっていて、元・判事の関根多佳雄が出てくる(出てこないのもあるけど)。
なんとこの関根多佳雄、「六番目の小夜子」で出てくる関根春の父親なのである! しかも春が現役検事として現れるし、おぉ~という感じ。ちなみに春は37歳、独身。高校生だった春が検事で37歳で、しかも独身か~
と書き連ねたが、実は全然気づかなくて、あとがきを話半ばに読んで知り、妹の本棚から「六番目の小夜子」を拝借して、改めて「おぉ~」となった。

さて肝心の中身はというと次の通り;

「曜変天目の夜」
美術館で曜変天目の茶碗を見ながら、酒寄という司法学者の死に立ち会ったことを思い出す。
その時、いつものように多佳雄は持参した酒を飲み、酒寄は自ら紅茶を入れ司法について議論をかわし、夜は別々に寝る。すると次の朝に酒寄が死んでいたのだ。
何年もたって、多佳雄はそれが自殺だったのではないか、と気づく。
ちなみに、私は;

 彼は楽しそうだった。純粋に理性の世界に遊ぶことのできる人間だけが見せる、あの歌うようなあどけない表情が目に浮かぶ。そして、ぽつりと言ったのだ。
――今日は、曜変天目の夜だ。(p14)



といシーンが、ちょっと芝居がかっていて好きだった。

「新・D坂の殺人事件」
ご存知、江戸川乱歩の「D坂の殺人事件」は団子坂だが、今回は渋谷の道玄坂。
ある青年の視点で話が進む。彼が自分と同じく町を回遊している老人・多佳雄に話かけた時、雑踏の中に突如として若い男の死体が現れる。
結論としては、携帯を使うことによって衆人が無意識に人を殺していた、というものだったが、渋谷の描写がよかった;

 人待ち顔、営業の顔、暇潰しの顔とさまざまな表情――だがそれでいて兄弟ではないかと思うほど似ている顔の群れ。
 俺は違う人とは違うあいつとは違う。
 あたしを見てあたしの方が可愛いあの子より可愛い。
 俺にやらせろ・あたしを選んで・みんなの中から・僕だけに奇跡を・あたしだけに幸運を。
 どの目もそう言っている。だからこそ皆同じ顔に見えるのだ。
 その若者たちの間を、黒子のように無表情に通り過ぎてゆくサラリーマンたち。(p28)



“黒子”の表現が好き

「給水塔」
上の若者(多分)と多佳雄との交流は続いていて、散歩仲間となっていた。
ある時、若者に連れられてある給水塔に行く。そこで彼より、給水塔にまつわる怪談めいた話を聞く。
それを聞いて多佳雄がまたもや謎解きをする話。

「象と耳鳴り」
喫茶店のカウンターにて、老夫人から「あたくし、象を見ると耳鳴りがするんです」と打ち明けられる。
彼女は、その“象を見ると耳鳴りがする”という因縁話すると去っていく。そこのマスターに話かけられ、多佳雄は老夫人が言ったことは嘘だ、と言及する。
そしてまた推理を披露するのだった。
表題作にはなっているが、実はあまり好きじゃなかった。

「海にゐるのは人魚ではない」
やっと春のお出まし!
多佳雄と二人で出掛けたところ車がエンストしてしまい、立ち往生するハメに。
その時、子どもたちの『海にいるのは人魚じゃないんだよ』『海にいるのは土左衛門だ』という会話を聞く。そこから一家心中事件の春との推理大会。

「ニューメキシコの月」
この回は多佳雄は足を骨折して入院中。そこへ東京地検で働く貝谷がやってくる。
そして一枚の葉書を渡す。曰く、毎年夏にこの葉書が貝谷の元へ届くというのだ。差出人は九人の男女を殺し、死刑が確定している犯人。
貝谷は、これは何かのメッセージではないか、この事件には動機があったのではないか(動機がないと供述されていた)、と疑いを持つようになる。

「誰かに聞いた話」
ものすごく短い話。
ある日突然、多佳雄は誰かから「銀杏の木の下に、最近信用金庫から盗まれた現金が埋められている」という話を聞いたことを思い出す。でもそれを誰から聞いたのか思い出せない。
それを聞いた多佳雄の奥さんが判事する。
いくつかの事象が同時に発生して、後にそれを思い出す時に、全然違う事柄だったはずなのに、いっしょくたになっているこってあるよね、というお話。

「廃園」
多佳雄と彼の従妹の思い出話。
割とノスタルジックな話で、推理の色は少ない。
むせかえる薔薇園で、遠い昔のあの朦朧とした記憶はなんだったのか、みたいな感じ。

「待合室の冒険」
またもや多佳雄と春がお出かけして、電車が止まってしまって足止めを食らう話。
今回は春君、大活躍。ちょっとした話の内容から、麻薬取引を取り押さえる。
なんかこのコンビ好き。

「机上の論理」
今回は多佳雄は出てこず。
春と妹の夏が、従弟の隆一に呼び出される。そして部屋が写っている写真を渡され、これが誰の部屋か分かったら、バーの代金を奢る、と言われる。
これはあんまり面白くなかった。こういう判事物はちょっと飽きる。

「往復書簡」
多佳雄と新聞記者になった姪の、手紙のやりとりのみで構成される。
姪のちょっとした書き方から、鋭く彼女の変調に気づいた多佳雄がそれを追求すると、彼女は自分宛に来たいたずら手紙と、おかしな放火魔の話をする。
そして、例によって多佳雄の推理で、放火魔が捕まるまでいく。

「魔術師」
都市伝説にまつわる推理と、突如として小学校の一クラスから椅子が無くなったことの推理がちょこちょこっとあるだけで、後は“地方自治”がテーマとなっている(と思う)。
あんまりそういうのに興味がない私としては、最後にもっと手堅い推理物が良かったな~と思った。


とりあえず、たくさん話が詰まっていて、感想を書くのが長くなってしまった。
多佳雄と春のコンビの長編推理小説があったらいいなぁ、というのが一番の感想。


(恩田陸 「象と耳鳴り」 平成11年 祥伝社)

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怪獣のますだくんがとてもかわいい

<武田美穂 「となりのせきのますだくん」 1991年 ポプラ社>


このブログを始めて、初の絵本;「となりのせきのますだくん」。

会社で隣に座る先輩と、「私の陣地にペンが入ったー」「私の陣地にティッシュ箱置かないでください」と冗談でたわむれていたら、反対の隣に座る同期がぼそっと「『となりのせきのますだくん』みたい」
言ったのが発端となり、二人で“ますだくん”とはなんぞや!?とヒートアップしたのだった(仕事しろよ)

Amazonで見たら、確かに表紙に「こっからでたらぶつからな。」と書いてある。
こういうのが気になる性分なので、さっそく図書館で借りてみた。

ふーん、なるほど。

主人公のみほちゃんは、となりのせきのますだくんが苦手。
何かとちょっかいかけては殴ったりする。
いつもビクビクとやりすごしているが、ある日、みほちゃんが気に入っていた“いいにおいのするピンクのえんぴつ”を、ますだくんが折っちゃったもんだから、怒ってけしごむを投げてけんかしてしまった。

だから次の日(というか今日)、とても学校に行きづらい。
校門前にますだくんの姿が!

テープで直したえんぴつを渡して、

 「ごめんよ」
   といって

 ますだくんが ぶった。 (p27)




ますだくん、かわいいのぉ~

みほちゃんと同じようなメにあったことがあるらしい母は、この部分を読んで
「なんでぶつの!?」
と怒っていたが、愛じゃよ、愛~

というか“いいにおいのするピンクのえんぴつ”がとても懐かしかった。

Category : 絵本
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これは“エンターテイメント小説”でないと思う

一気読みしてしまった奥田英朗の「最悪」。

笑えるわけでもなく、スカッとするわけでもなく、かといって感動で涙するわけでもなく、でも確実に言えるのがこれは傑作だということ。
なぜなら、タイトル通り、本当に本当に“最悪”な話だったのだ!

3人の人物の話が交互に進む。そして話の終盤で3人が集まる。

まず一人目は鉄工所を営む川谷。
不況のために、得意先から無理な注文を受けても、こなさなくては取引先を無くすことになるので、休日も返上してこなさなくてはいけない。
しかし、昔は工場地帯であったその場所も、バブル崩壊後、工場が一つひとつ潰れていき、代わりに住宅が建つようになった。その為に騒音をめぐって、住民といさかいが絶えない。仕事をしなくては仕事がなくなるのに、それをすると住民から苦情が来るし、とどんづまり状態の中、役人も出てくるは、住人の一人でエリート然したサラリーマンが理路整然と責めてきたりして、ぐああああという感じになる。
その上、得意先が機械を導入するよう勧めてきて、融資してくれる銀行まで見つけてきてくれてしまったので、それを受けることにする。なんとかお金を工面してきて融資までこぎつけたかと思ったのに、土壇場になって銀行側から「融資できない」と連絡が入り……

二人目は銀行員の窓口係のみどり。
ちなみに当然ながら川谷が融資をお願いする銀行で働いている。
毎日つまらない生活をしていて、辞めたいと思いながらずるずると暮らしている。実は家庭も少し複雑で、母親は父親の後妻で血が繋がっていない。下に妹ができた時に“自分はいらなくなってしまうんではないか”と感じたことから、優等生な人生を進むことになる。それなのに、妹ときたら高校も中退してしまって、母親に心配ばかりかけている。
そんな折に、銀行のリクリエーションの一貫であるキャンプにて、支店長からセクハラを受ける。
それを同僚に打ち明けたら、どんどん話が大きくなり、自分としては支店長から誤って欲しかっただけなのに、怪文書まで流されてしまう。
その上、ボケかけているんではないか?という毎日銀行に来ている、それでいて大きな地主らしいおじいさんを邪険に扱った次の日から、銀行に現れなくなり、どうなったのかと思っていたら自殺していたということを知り……

三人目は毎日パチンコして稼いでいる和也。
パチンコ仲間でチンピラのタカオと一緒にトルエンを盗みに行く。ところがタカオが準備してきた車というのが懇意にしてもらっているやくざの車だったらしく、その車から足がついてそのやくざの事務所にガサ入れが入ってしまう。
タカオとともにボコボコにされた和也は600万円を用意することになる。なんとか二人で事務所に押し入り600万を盗むことができたのだが、タカオがそれを持ってとんずらしてしまったがために、和也はまたボコボコにされる。
ひょんなことで知り合いになったみどりの妹・めぐみを人質に取られてしまい、またなんとかお金を工面しようとするのだが、めぐみが強姦されたことを知ったのが契機に、やくざを刺してしまう。
逃走するのに金が要る!ということで、銀行強盗しようと入ったのが、みどりの銀行だった。そしてそこには川谷の姿も。

とにっちもさっちもいかない3人が集まった時、銀行強盗は変な形になってしまい、みどりは志願して人質になり(もちろんめぐみがいたから)、川谷はすすんで金をバッグにつめるのを手伝って逃走に交る。

もしこれが三谷幸喜の映画だったら、コメディーとなるのかもしれないけれど、本書はひたすら“にっちもさっちもいかない”状態が続く。
ラストもすかっとする終わり方ではなく、割と同じような雰囲気で終わる。

とにかく川谷の焦燥振りが手に取るようにリアルで、読んでいるこちらも追い詰められた気分になる。
特に、融資されないと分かってから、銀行から信託銀行へお金を移動させるため、銀行に解約に行った時、妻から電話があり信託銀行から“融資はやっぱり難しい”と言われた時;

 目の前が真っ暗になった。この場で盛大に頭をかきむしりたい衝動に駆られた。…(中略)…
 また呼吸がしずらくなった。いったい何度目だろう、この数日で。(p506)



今までの彼の描写が効いたのか、私の方も虚脱感で座り込みそうになった。

とにかく傑作だと感じたが、もう一度読む気にはなれない作品なのも間違いない。


(奥田英朗 「最悪」 2002年 講談社)

Category : 小説:現代
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“ユイ”という名に思い入れがあるのでしょうか?

久し振りに手をとった綾辻行人で「最後の記憶」。
推理小説ではないのは残念だったが、久し振りだったので結構期待して読み始めた。


が!!!
あまり面白くなかったよ・・・
正直、結構眠かったし・・・

本格ホラー小説というが、あんま怖くなかった。

主人公はある理由で大学院を休学し、塾の講師をしている森吾。
血のつながらない兄と、血のつながった妹がいる。
父親は亡くなり、母親はというと若年性痴ほう症にかかってしまった。すぐさま大学病院に入院することになったのだが、そこで先生に奇病・白髪痴呆かもしれないと言われる。
それのせいか、徘徊などはなくても、驚く速さで記憶を失ってしまい、子供たちの認識もままならない上、幼児のような言葉を並べることしかできない。
その上、幼少に体験した強烈な出来事は逆によく覚えているようで、非常に何かに恐れる。

その恐れるキーワードとして、バッタの羽音、雷のような閃光、血が上げれるのだが、森吾もその恐怖にシンクロしているのか、非常に何かに脅えている。そして森吾の前に“あいつ”が現れる。

とまあ、私としては精神を病んだ人が、びくびく怯えているだけの話にしか全く見えず、「そんなビクビクぐずぐずしてないで、さっさと母親の出生の謎に迫っていけよ!!!」と思わず鼻息が荒くなってしまうくらい。

 吸いかけの煙草を灰皿に置き、僕は両手を耳に押しつける。女性のひそひそ声とは別に、今ここにあるはずもない音が
                                   ――バッタが。
 どこかから聞こえてきそうな気がして、おどおどと店内を見まわす。
                              ――バッタの飛ぶ音が。
 レジのそばに立ったウェイトレスが、訝しげな顔でこちらを窺っている。僕は何とか平静を取り繕い、それでも両手は耳に押し付けたまま、窓の外へと目を逃がす。(p175)



といった、恐怖の対象みたいな文を挿入するようなやり方は、囁きシリーズでもやっていたような気がして、“またか・・・”という気がしないでもない。
それに「怖くしよう、怖くしよう」という意図が見えていて興ざめでもあった。

しかもオチが、異世界で異時間の母親と会う、というのも、なんかありがちで“う~~ん”な感じ。


なんだか辛辣な感想になってしまったけれども、私が本格ミステリにはまったきっかけの綾辻行人だからこそ、期待値が大きく、「十角館の殺人」などの作品くらいのクォリティの作品をまた出してほしい、と切望しているから。



(綾辻行人 「最後の記憶」 平成14年 角川書店)

Category : 小説:ホラー
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「秒」という名の由来が気になる

恩田陸の3作目は「不安な童話」。一風変わった推理小説っぽくなっている。

主人公は大学教授・浦田泰山の秘書をしている古川万由子。
彼女は特殊な能力を持っていて、親しい人が浮かべた情景を見たり感知することができる。
ある日、泰山とある女流画家の遺作展に行った時から、万由子の生活が変わる。

その女流画家・高槻倫子は、26年前に浜辺でハサミで刺し殺された。彼女は生前より、自分の死期を感知しており、まだ幼かった息子・秒などに「私は生まれ変わるから」と語っていた。
彼女の死後、ずっと絵は隠されたままで、初めての遺作展となったはずなのに、万由子はその絵を見たことがある気がする。

そのまま気絶してしまうのだが、その展覧会の主催者であった秒が次の日泰山の元へ訪ねていき、輪廻転生の話をしだす。曰く、万由子は倫子の生まれ変わりに違いないとのこと。絵を見て強いデ・ジャブを感じたのはもちろん、倫子にも万由子と同じ能力を持っていたことも明かすのだ。
そして、倫子を殺した犯人を捜して欲しいのだという。

乗り気ではない万由子だったが泰山とともに、今回展覧会にあたり作品を整理している時に見つかったという倫子の遺書をもとに、4人の人に倫子の絵をあげるのについて行くことにする。
その4人とは、倫子がデビューすることになったギャラリーのオーナー・伊東澪子へ「犬を連れた女」、倫子を一躍有名にすることに貢献した事業家・矢作英之進へ「曇り雲」、倫子の高校時代の友人・十和田景子へ「黄昏」、倫子は別荘の側の浜辺で殺されたのだが、その別荘の管理人をしていた手塚正明へ「晩夏」となる。

彼らと会い、倫子の話を聞いていくと、倫子は確かに美人だったが、強烈なキャラクターな人だったことが分かってくる。
そして万由子はぽつぽつ何かの画像が見えたり、展覧会で火事が起きたり・・・

最後は大どんでん返しで、根底から覆される結果となる。

そのどんでん返しのところは良かったのだが、その後がちょっとぐだぐだした感じだったし、腑に落ちない部分もあったが、全体的にとても面白かった。
とにかく、先が先が気になった、一気に読み終えてしまっておかげで今日は寝不足。
大体、輪廻転生して生まれ変わった被害者が犯人を捜す、という第一の構造が類をみないユニークさだと思う。
そして最後のどんでん返し。やっぱりミステリーはどんでん返しの部分が、一番の醍醐味、かつ重要な要となっていると思うのだが、そういった点では良いどんでん返しでした。
それだけに最後の終わり方が蛇足のような気がしてならないが・・・ もっとすっきり、“うぉおお~~”というところで終わって欲しかったというか・・・

全然話が違うのだが、ホットサンドを作るシーンが出てきて、その具が;

帆立、鶏肉、ザーサイ、椎茸という中華風。ハム、レタス、トマト、チーズというアメリカ風。塩鮭、ゴボウ、芹、塩吹昆布という純和風。(p177)

といったものだった。味が全く想像できないが、とても興味がそそる。
それで気づいたけれども、今まで読んできた恩田陸の話、あまりご飯の描写が出てこなかったな、と。
そういうのって、作家の食への関心が表れるのだろうか?


(恩田陸 「不安な童話」 2002年 新潮社)

Category : 小説:現代
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阿媽の娘“月銀”ってきれいな名前

しばらく忘れてた芥川賞作品読み。
寝たいが洗濯機が終わらない、その時間潰しに読み終わってしまった。

第3回目は昭和11年上半期の「城外」by小田 嶽夫。

主人公は文学に傾倒しつつも、中国は杭州の領事館の書記生としてやってきた「私」。
彼の外国で感じる疎外感、阿媽(女中のこと)との関係、日本への憧憬が描かれている。

一応事件もあって、阿媽が病死しそうになったり、国民革命軍が領事館を襲ったり、彼が上司である領事と喧嘩したり、そして最後は日本に帰る、と考えてみたら結構イベントあったのね、という感じなくらい、淡々と書かれている。
淡々と、というよりスケッチ風と言えるかもしれない。

あとでWikipediaで調べてみたら、彼自身が杭州の領事館にいたらしいので、臨場感というかリアリティがあるのは、それのおかげかな、と思った。

全然話は違うが、この時代、難しい漢字がガンガン出てきて、漢字好きな私としてはちょっと嬉しい。
例えば;

中略 おそらく私が長い生涯を送ると仮定して、その旅の最後の終りに過ぎてきた跡を追懐して見る時があるとするならば、その一と時の生活は崇高な燦爛たる金色を放って私の眸を眩暈<げんうん>させるかも知れない。(p103)

なんて別に斬新な表現ではないけど、文句なくかっこいい(私にとって)。
中国人と中国語で語る時は、漢文調になっていて、なるほど、こうやって外国語を表現することもできるんだな、と思った。ま、ほぼ中国語限定だろうけど。

そんなわけで、割と短い話だったけど、物語云々というより雰囲気が好きな作品だった。


(小田 嶽夫 「城外」 in 「芥川賞全集 第一巻」 昭和57年 文藝春秋)

Category : 小説:歴史
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猫の名前がQEDシリーズの奈々の猫と同じ

読書友達に勧められた本より「東京バンドワゴン」by小路幸也。

この珍妙なタイトルはそのまま、本書の舞台となる古本屋の店の名前で、物語はこの古本屋の家族の騒動を春夏秋冬通して語ったもの。
正に文字通り“語った”もので、というのは物語の進行役は、古本屋の店主の亡くなった妻・堀田サチなのだが、彼女が読者に語っている形をとっている。つまり、幽霊が堀田家を案内してくれるわけだ。

設定だけで面白いのだが、家族も大家族で、しかも個性豊か。
まずは店主の勘一は頑固親父。
その息子は我南人は60才でありながら現役ロッカーで、金髪でふらふらしている。実は最初、ムッシュかまやつの姿を想像してたのだが、途中で背が高く颯爽としているような描写があったので、慌ててかっこいいロック・じいちゃんの姿に変えた。
その妻は他界しており、二人の間にまず長女の藍子がいる。アーティストとであり、どこかフワフワしているところがあるが、シングルマザー。その娘の花陽の父を明かさない(秋の話で明らかになるが)。
その藍子の下に長男の紺がいて、その妻・亜美との間に研人がいる。
そして歳が離れて、しかも愛人との息子・青がいる。青は遊び人で恋人候補がしょっちゅう押し掛けてきていたが、最後には落ち着く。

「明日だよね?青ちゃん帰ってくるの」
「そうね。あ、お祖父ちゃん、それソースです」
「青となんか約束したのか?」
「ソースぅ?おいおい、もう焼海苔にかけちまったぜソース」
「青ちゃん、ハワイで海外版のカード買ってきてくれるって」
「まずそー」
「入れ物、昨日割っちゃたので取り換えたんですよ」
「花陽ちゃん、お味噌汁のネギ残しちゃ駄目よ」
「カードって何のカードだ」
「マジックペンどこにあるよ」
「茶箪笥の真ん中の引き出しにありますよ」
「MTGのカードだよ」
「研人ぉ、MTGってなにぃ?」
「お祖父ちゃん!マジックで<ソース>って書かないでください!」
「買いとかねぇとわかんねぇじゃねぇかよ。誰だよ!ソースと醤油の入れ物を同じやつにしたのはよぉ」
「私です」(14 15)

とまぁワイワイガヤガヤと賑やかに話が進むのだが、笑いあり、時々しんみりあり、とヒューマンドラマ仕立てとなっている。

本書で十分面白かったが、この後もシリーズであるみたいなので、この大人数の登場人物に慣れたところでもっと面白くなるだろうと、大いに期待である。


(小路幸也 「東京バンドワゴン」 2006年 集英社)

Category : 小説:現代
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どうしても"1Q82"と言ってしまう・・・

Book1を読み終わり、早速2を借り、そそくさ読んだ「1Q84」。
会社の先輩までも、私が借りてる同僚から借り始め、後ろに控えてると思うと妙なプレッシャーを感じて、えいやっ!とばかり、週末に読み終わりましたよ。といっても、今は厳密に言うと、月曜の朝2時過ぎたとこですが。

何はともあれ、青豆は「さきがけ」の創始者でありリーダーである人物を殺すことになり、天吾は孤立無援、次々に周囲の人が姿を消す事態となる。

Book1の時に、「青豆の世界は、もしかして天吾が書いてる世界でないの!?」と予想してましたが、そんなこともなく、ちゃんと同じ世界でしたとも。いやはやお恥ずかしい。

まぁとにかく、青豆はリーダーを殺しに行くと、リーダーはそれを既に知っており、それを喜んで受け入れようとする。
その時に青豆に色々と語るのだが、曰く彼の娘(つまりふかえりのこと)がリトル・ピープルを導きパシヴァ=知覚するものとなり、彼自身はレシヴァ=受け入れるものである。
この青豆が“1Q84”と認識している世界は、確かにそれまでの“1984年”と違うということ。
今、ここで彼を殺せば、リトル・ピープルにとって打撃を受けるので、天吾は無事だが、さもなくば天吾はリトル・ピープルの邪魔な存在として殺されるということ。でもリーダーを殺したら、その狂信者に青豆は殺されるだろう。
などなど語られる。
そして天吾のことを愛している青豆は、迷いなくリーダーを殺す。

本書でやっとふかえりが書き、天吾が書き直した「空気さなぎ」の内容が出てくるが、空気さなぎとは何かが具体的に語られる。


読む前から「続きがありそうな終わり方」という評判を聞いていたし、貸してくれた同僚も「面白くなってきた、と思ったら終わっちゃった」と言っていたが、確かに。
一応リトル・ピープルとか、空気さなぎとか、1Q84とかについて言及されて、さぁ材料は揃ったゾという感じなところで終わってしまう。
結局青豆と天吾は会えないし、リトル・ピープルと決着ついたのかも分からない。ついでに天吾は青豆に比べてそんな活躍してなくて、これから彼の出番!って感じもしなくはない。
でも私は、これが終わりだと思う。
最後が;

青豆をみつけよう、と天吾はあらためて心を定めた。何があろうと、そこがどのような世界であろうと、彼女が誰であろうと。(501)

で締めくくられているが、確か私が記憶する限り、「ねじまき鳥のクロニクル」もそんな感じで、そこに彼女がいるはずだ、というところで終わってなかったっけ?
何はともあれ、今回の悲しいところは、天吾の未来の希望が詰まったような言葉で終わってるけど、この物語の主人公として活躍してた青豆はもういないということ。
あれ?じゃあ、なんで空気さなぎに10才の青豆が?でもあれは天吾の空気さなぎだから、天吾の心の影(ドウタ)は青豆ってこと?

例によって村上春樹は示唆的で暗喩的ですが、眠くてもう考えられませんたい。
でも十分楽しませていただけました。


(村上春樹 「1Q84 BOOK2」 2009年 新潮社)

Category : 小説:現代
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「グッチのバッグじゃなくて、ドッグのグッチ」が妙にツボ

『オーデュボンの祈り』の項で書いたと思うが、もともと伊坂幸太郎の名前を聞いたのは、読書友達からだったけれど、実際に伊坂幸太郎を意識というか“読んでみたいな~”と思ったのは、TSUTAYAで「死神の精度」のDVDを見つけて、その原作が伊坂幸太郎だと知ったから。
「死神の精度」なんてタイトル、妙に惹かれる。というか、死神ネタってなんか好きなんだよね。「ジョー・ブラックによろしく」とか。

図書館で予約して、めぐりにめぐってやってきたのだが、副題(?)となっている"Accurecy of Death"の方がなんとなくいいタイトルな気がする。いや「死神の精度」の直訳と分かっているけど、英語の方がニュアンスとして面白いな。

これは死神・千葉(といっても名前でないらしい。コードネームみたいなもの?)が出会う6人の人間の死をつづった、オムニバスとなっている。
死神の仕事というのは、指定された人間の元へ行き、一週間以内に死にふさわしいか「可」か「見送り」の判定を下すため調査し、「可」であれば8日目にその人は死ぬので、その死を見届ける、というものらしい。物語を羅列すると;

「死神の精度」
 雰囲気の暗い女・藤木一恵がターゲット。彼女は有名会社の苦情係で、この頃妙なクレーマーに悩まされている事を千葉に打ち明ける。それが実は、天才的プロデューサーだった、というのがオチなのだが、千葉は「見送り」にする。実は「見送り」にするのはこの一話のみ。

「死神と藤田」
 やくざである藤田がターゲット。彼は昨今珍しい“弱気を助け、悪をくじく”やくざなのだが、それだけに組織には疎まれていたらしく、親分に設定された仇打ちが、実は仕組まれていて、逆に殺されることとなる。

「吹雪に死神」
 これまでと趣向が変わり、吹雪の中の屋敷にて、人がどんどん死んでいく、という推理小説の典型的パターン(そして私がとても好きなシチュエーション)に、死神が関わるとどうなるか?といったもの。実はこの話が一番好きで、登場人物が;

「そう言えば、閉鎖された島とかで、次々に人が殺されるってやつ、ありますよね。『オリエント急行殺人事件』とか」と〈童顔の料理人〉がぽつりと言った。
「それは違いますよ」真由子が遠慮がちであったが、しっかりと指摘をした。「それは、別の趣向の小説です」(p106-107)

と会話するシーンがあるのだが、結末を読んで、ふふんなるほどね、と笑みが浮かんだ。

「恋愛で死神」
 毎回ちょっとづつ雰囲気を変えているのか、これはターゲットが死んでしまうシーンから始まる。ターゲットはブティックで働く荻原という青年。彼は実は前のマンションに住む古川朝美に恋をしている。ひょんなことから、彼女とお近づきになるのだが、そのきっかけともなった彼女につきまとう電話の主(と思しき人)に殺されてしまう。

「旅路を死神」
 ターゲットは森岡という、母親を刺し、道端の無関係な少年を殺した犯人。千葉が指定されたとおり車に乗っていると、そこへ彼が飛び乗ってきて、ナイフで脅しながら十和田湖に向かうよう指示する。ロードムービー調になっていて、そこで彼が幼少期に誘拐されたこと、犯人の一人をこれから殺しにいくこと、そして誘拐の真相に迫るところまでが書かれている。

「死神対老女」
 ターゲットは七十過ぎで現役で美容師をしている老女。千葉は一発で「人間じゃない」と見破られる。この話は今までの集大成のようになっていて、一話目の藤木一恵がその昔、大ヒット歌手となったことが分かるし、そしてこの老女こそ古川朝美だといことが、最後の方で分かる。そしてそれまで千葉が仕事をするときはいつでも雨なのに、最後に晴れて終わる。


全体的に淡々としていながらも、死神・千葉のまとはずれな発言がアクセントとなって物語が進んでいた。
そのまとはずれな発言ってのが、別段笑えるようなコミカルなものではなかったけれども(むしろ結構まじめ)、はっとさせられたり、千葉が死神であるという妙なリアリティを抱かせたりして、スパイス的な役割を果たしていたと思う。こういう発言に、作者の力量というか、アイディアの斬新さがあふれているのが明治されている気がした。

ただ、金城武ってのがいただけないな~


(伊坂幸太郎 「死神の精度」 2008年 文藝春秋)

Category : 小説:現代
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山内練は片えくぼ

柴田よしきの2作目の小説「聖母の深き淵」も、RIKOシリーズだった。
この中で緑子は、息子・達彦を出産し、新宿署を離れ辰巳署に勤務している。それでも安藤とは結婚しておらず、妹に達彦の面倒を見てもらいつつ、シングルマザーとして働いている。

んー やぱり緑子ってあんまり好きになれないなぁー 女であることを武器にして正論ぶろうとしているのが、なんとも気に食わない。性に合わないってやつですな。
でも、そんなことより、山内練が初登場でしたよーーーーーーーー!!!!!
ぎゃーーーー!!!てか、当初は中性的な顔立ちで、えらい別嬪さんっていう設定ではなかったのね。
というか、即座に山内の好きな人が麻生元刑事ってのが分かったし、麻生が緑子に語る“警察を辞める理由となった愛してしまったヤクザの女”ってのが実は山内のことってのもすぐ分かったけど、んーむー。わたしゃやっぱり、しおらしい山内より、気違いじみた山内が好きだな~
だって;

「ああ」
 囁くように頼りなく、彼は答えた。
「愛してる」(p320)

なんて、ぎゃーーー 山内が言うなんて。いやいや山内がそう言うのはいいのだよ。でもそれを緑子に言うなんて!!言うならハナちゃんに言ってくれ!!
ってほど、緑子が好きじゃないみたいです、私。

つい山内話で盛り上がってしまったが、事件の方はというと。
辰巳署で起きた殺人事件と、ひょんなことで緑子が人探しをした挙句、その人が殺された事件が、実は結びついているのではないか、ということで両方の線で捜査していくうちに、四年前に起きた幼児誘拐事件が浮かび上がってくる、というお話。

ま、事件としては大してびっくりな話ではないけれども、多種多様な人物が出てくるのなかなか面白かった。
トランス・ジェンダー、売春する主婦、レズビアン、ゲイ、やくざ、刑事、元刑事・・・
こういう人たちが、物語の飾りのように出てくるのではなく、臨場感があふれているのがよかった。
特にトランス・ジェンダーである豊のこの言葉が良かった;

「これまでわたしの人生は、ただただ、自分を女の子として認めて欲しい、それだけでした。男の肉体を持って生まれてしまったわたしにとっては、それだけが総ての目標だったんです。女として認識して貰い女として扱ってさえ貰えれば、何もかもうまくいく。そう信じてずっと来ました。だから少しでも女の子らしくしよう、女の子として見て貰えるように振る舞おう、誰にでも好かれる可愛い女の子になろう、そうやって夢中になってやって来たんです……でも、わたしは本当はわかっていませんでした。女の子らしさって何かということを。いえ、女とは何かということについて、ちゃんと考えてみたことがなかったんです …(中略)… そして気づきました。わたしがなりたいと望んでいた女の子というのは、もしかしたら、男の側がそうあって欲しいと願う形での女なのではないのだろうか、と。…(中略)…可愛らしく微笑み、お洒落をし、優雅に振る舞い、優しい声で話す女。わたしが目指していたのものは……男に好かれる女、それだけでしかなかった …(中略)…
彼女達は女として生まれたのに、幸せになれなかった。男達によって踏み潰されてしまいました。女であるということだけでは決して幸せにはなれないんです。そんな当たり前のことを、わたしは考えたこともなかった。…(中略)…女になるということは、いえ女であるのだと主張するということは、それによって背負わなくてはならない重荷もすべて受け入れるということです…(中略)…」(146-148)

こういうのを書けるのは、女性だからだろうな、と思う。
この作者と時々、フェミニズムの考えが露見しすぎなきらいがあるけれども(本人が意図しているかは分からないけど)、そこが男社会の巣窟である警察の中での女刑事、という立場が効果的に浮き上がっているのも事実。それにとどまらず本作は、男性が過剰評価する母性愛から起きる事件、上で引用したトランス・ジェンダーのいう“女”とはなにか、というのとかが、物語のBGMのように流れていて、本書を魅力的なものにしていると思った。

ま、緑子は虫が好かないけどね!


(柴田よしき 「聖母(マドンナ)の深き淵」 1996年 角川書店)

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