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がらくたにっき |

20万ドルあったら何に使うかなぁ~♪

<ポール・オースター 「偶然の音楽」 柴田元幸・訳 平成13年 新潮社>




どんないきさつかすっかり忘れたが、自分の「読む本リスト」に入っていた「偶然の音楽」。
それを見た読書仲間の友達が「面白いよ」と請け負ってくれたのに、なかなか読む気がしなかった一冊。
そればかりか図書館で借りたというのに、読まずに返してしまった。
なんかAmazonの書評で“あんまり…”というのを読んでしまったのと、本の裏にある解説に“<望みのないものにしか興味の持てない>ナッシュ”だとか“理不尽な衝撃と虚脱感に満ちた物語”と書いてあるもんだから、すっかり読む気を失ってしまったのだ。

でももう一度借り直して、それでもって文庫本がそれしかないので、電車のお供に読んでみたら…

永遠に電車に乗っていたくなった。

なんでしり込みしてしまったのだろう?と非常に謎。

確かに話の内容は、“虚脱感に満ちて”いた。
でも読んでるこっちも虚脱感を感じるものではなくて、逆にぐいぐい読ませられる。本当に不思議。

主人公のナッシュは、妻に逃げられ、そのあとに20万ドルの遺産を手に入れた消防士。
残された幼い娘を姉の家にあずけたら、すっかりその家になじんでしまい、自分には懐かなくなってしまった。
消防士の生活に戻っても、なんとなくやる気が出なくて(もともと渇望していた職業じゃなかったし)突然辞めてしまう。

そして遺産で買った車で、アメリカを縦断するのだった。
目標とか何もなく、ただただ車を乗り回す日々。
それが“十三ヵ月に入って三日目”経った時、ひどい状態のやせた青年に出会う。

彼こそがナッシュのその生活を変えた人物で、ジャック・ポッツィと言う。
彼はポーカーの名人で(ポーカー中に強盗が入り、それのおかげでボロボロになっていた)、すごい山を当てるところだったのに文無しになってしまった、とナッシュに身の上を語る。
それに興味を持ったナッシュは、彼にポーカーの元金となる一万ドルを貸すことにする。

そうして二人で、ジャックを招いたという成金(宝くじであてた)二人組の邸へと向かうのだった。


この邸でのポーカーゲームがまたスリリングだった。
奇妙というよりいびつな二人と、いびつな館で夜に繰り広げられるポーカー。
なんとなくロアルド・ダールの話を思い出した。

最初は調子がいいポッツィ。このまま勝って楽しい話(その後ラスベガスでも勝利を果たし、二人はどんどん金持ちになっていくが、それとともに心が荒んでくる、みたいな)が展開されるのかと思いきや、ナッシュがちょっとトイレに行って寄り道している間に(ということは読者も寄り道している間に)、ポッツィの形勢は逆転されていた!

ナッシュの車まで賭けたのに負けてしまい、正真正銘の無一文になり、更に車を返してもらおうと賭けをしたら一万ドル負けてしまったのだ・・・
返す方法としてnasty二人組が提案してきたのが、二人が計画していた壁作りを行う、つまり労働するということだった。

こうしてマークスという現場監督のもと、二人はせっせと石を積み上げることとなったのだった。

ところが!
一万ドル分働ききった!となってお祝いした次の日、信じられない事実を告げられる。
それは飲食代等などが借金に付け加えられていた、ということだった。

怒り狂うポッツィ。逃げだそう、という提案するポッツィを説得できず、2人は離ればなれになる。
ところが、次の日ナッシュが扉を開けると、そこには見るも無残なポッツィが転がっていたのだった。

マークスが病院に運んだが、ポッツィの死を確信するナッシュ。
一人ぼっちで石積みを続けるのだった。


全体的になんとなく村上春樹を思い出させた。
昔村上春樹好きの友達に、“村上春樹は翻訳のような文体を目指しているらしい”というようなことを聞いたけれど、確かにそうだな、と翻訳本の本書を読んで思った。
それに、主人公のナッシュは孤独と共にあって、クラシック音楽を愛し、本をよく読む。あと、“石を積む”といったような、単純作業の繰り返しっていうのもなんとなく“っぽい”。

でももちろん、“っぽい”だけで全然違って、村上春樹の孤独には「陽」の部分を感じるが、こっちはもっと漠々としたものを感じる。
あの大きなアメリカの中にいる、ぽつねんとした自分。みたいな感じ。

何か訳のわからない圧倒的な力に彼は捕えられてしまっていた。狂気に追いやられた動物が、闇雲にあちこち走りまわっているようなものだ。…(中略)…アメリカの西側全部をカバーして、オレゴンからテキサスをジグザグに往復し、アリゾナ、モンタナ、ユタを貫く広大で空っぽのハイウェイを突進していったが、別に何を見たわけでもなく、そこがどこだろうとどうでもよかったし、ガソリンを入れたり食べ物を注文したりする際に必要に迫られて話す以外は一言も喋らなかった。(p13)


なんて読むと、昔行ったアメリカの360度地平線しか見えないハイウェイを思い出した。
そこは闇雲に走るにはあまりにだだっ広く、私だったらその広さに潰されそうになる。

そんな孤独感が肥大しそうな風景から、一変にして閉ざされた世界へ。
銃を携帯した男が監視する、鉄線の中での石運びの生活。
その対比が物語的といえばそうだけど、良かった。

そして最後の最後に、自由であった象徴である車に、銃を持った男と一緒に乗ったナッシュ。
その行く末は物語的といったら物語的だけど、やっぱり良かった。

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Category : 小説:現代
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それでも次の日に気になってWikiで調べてしまったロザンのこと

<菅広文 「京大芸人」 2008年 講談社>




ロザン好きの友達が「面白いよ」と言って貸してくれた「京大芸人」。
ところが実は、ロザンのことよく知らないし、知ってても宇治原が頭いいってのしか知らないし、ネタ見たことないし、挙句の果てには相方の菅の顔もよく覚えてないし。

こんなんでよく読んだと思いますよ、自分でも。
でもこの頃の風潮的に、芸人が本を出版することがよくあるので、どんなもんか興味本位で読んでみた。


んー
当たり前のことながら、こりゃ好きな芸人の本ってならおもろいんだろうな。
せめて本人の口調とか分かればね。

宇治原と菅がどうやって高校で知り合ったところから始まって、「芸人になろう」と菅が誘って、芸人になるためオーディションを受けまくる話になっているが、そんなのやっぱりロザンに興味がなくちゃね・・・ 当たり前か

ちょっと変わっているのだろう、というところは(何せ他芸人の本読んだことないので)、“京大芸人”ってことで売ってるだけあって、京大への入試勉強の様子が書かれていること。勉強の仕方ってやつね。

まぁ でも感想はそれくらい。
そういやぁ 「ロザンのDVD貸すね!」とも言ってたな、友達。それなのに借りるの忘れてた。
てか、せめてDVD観てから読んだほうが面白かったに違いない。
失敗したな、友よ。(あくまで友のせい・・・)

Category : 自伝
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グッチー先生も偉くなったもんだ

<海堂尊 「ジェネラル・ルージュの凱旋」 2007年 宝島社>




図書館にてありえない程長蛇の予約列に名を連ねて幾年か。巡りにめぐって忘れた頃にやってきた「ジェネラル・ルージュの凱旋」。
読んでみれば前作の「ナイチンゲールの沈黙」と対になっているような作品で、同時進行で起こった事件の話だった。こちとら「ナイチンゲールの沈黙」を読んだのもずっと昔、すっかり忘れていて「覚えてたらもっと面白かっただろうな~」と悔やまれること度々。

と嘆いてもせんなきこと。
今回の話の中心となっているのは救命救急センター部長の速水。
前作で登場したときにかっこいい!と思ってだんだよなぁ~(確か)と思いながら読んでいたが、うん、かっこいいよ!!!

話の発端はリスクマネジメント委員会の会長になってしまった、愚痴外来の万年講師の田口のもとへ一通の内部告発文書が届けられる。そこには

『救命救急センター速水部長は、医療代理店メディカル・アソシエイツと癒着している。
VM社の心臓カーテルの使用頻度を調べてみろ。ICUの花房師長は共犯だ』

と書かれていた

高階病院長に持っていくと、リスクマネジメント委員会の敵、ついでに田口を敵対視しているエシックス・コミティ(倫理審査会)に持っていけ、と言う。
このエシックス・コミティの沼田を筆頭全員が嫌なやつで、ねちねちと人の揚げ足ばかり取り、毎週というくらい議会を開催しているのに、決まった案件は0。
そんなところへ持っていったものだから、またもや田口の災難は始まる。

またもや白鳥が出てきて、すべてを片付けていくのかと思いきや、とんでもない。さすが速水。いや、ジェネラル・ルージュ。
むかつくエシックス・コミティをめったうちしていく様子をとくとごらんあれ。

「沼田さん、これ以上議論の必要があるか?倫理倫理って、季節外れの鈴虫みたいに鳴くんじゃねえよ。米国かぶれも大概にしな。なんでも米国に尻尾ふってりゃいいってもんじゃない」
…(中略)…
「私はハーバードの標準<スタンダード>に従っている」
 速水はゆっくり首を振る。
「語るに落ちたな、沼田さん。あんたの言う倫理ってヤツはハーバードのドメスティック・ルールであって、世界的標準<グローバル・スタンダード>には程遠い。カントだ、ヘーゲルだ、と西洋かぶれのことばかり言ってないで、たまには大乗仏教仏典や諸子百家の叢書でも読んでみやがれ」
 蒼白になった沼田に、速見は短く、そして鋭くとどめを刺す。
「俺ならエシックスの本家、米国を支配している大統領に老子<タオ>の考えをぶちこんでやるがね。それこそ倫理が求める世界平和達成のためには一番の早道さ」(p264)


「何でもかんでも倫理、倫理とわめきたてるのは、やめにしてもらいたい。俺を裁くことは誰にもできない。ただひとつの存在を除いて、な」
「それは、誰ですか?」
 沼田のかろうじて口にした最後の言葉に対し、速水は昂然と答える。
「俺を裁くことができるのは、俺の目の前に横たわる、患者という現実だけだ」
 沼田が営々と築き上げてきたエシックスという硝子の宮殿、桜宮の聖域<サンクチュアリ>は、血まみれ将軍<ジェネラル・ルージュ>の迫撃砲の一撃で粉々に砕け散った。(p277)


う~かっこいい。
あまりに高潔で、唯我独尊で、組織をまったく無視して爆走して、でも一部には尊敬されていて、それでいて最後にチュパチャップスがために田口に負けるところが・・・もうかっこいいですね。特に、血まみれの白衣を翻して、エシックスの査問会に入ってきた時にはもお~

とふざけたことばかり書いてしまったけれど、そんな内容ばかりでなく、病院の赤字経営を再建しようとする事務局と、人命を助けようとする医者の奮闘が描かれていた。さすが、現役勤務医。そういうところが臨場感あふれているだけではなく、ともすれば速水に拍手喝采で終わってしまうところを、そうだったら組織は回らないんだぞ、というところも釘刺しているのがよかった。

このシリーズでもっと読んでいきたいなぁ。でも速水さんには戻ってきててほしいなぁ。

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「多聞」の響きが、見目麗しい人って気がしない

<恩田陸 「月の裏側」 平成14年 幻冬舎>




旅先で持ってきた本を読み終えてしまい(ちなみに「砂の器」)、急遽買ったのが「月の裏側」。恩田陸だったら間違えはないでしょう、という信頼感から買ったが・・・
う~ん 今回は恩田陸マジックが足りなかった気がした。

一応”ホラー”ってことになってるけど、全然怖くないし、ただ得体の知れない本って感じ。
とりあえず、なんかはっきりしなくてぼんやりとした小説でした。もっとホラー色が出ていたら、もうちょっと面白かったんではないか、とも思った。


舞台は九州の水郷・箭納倉。解説によると柳川がモデルとなっているらしい。
そこへ塚崎多聞がやってきたところから話が始まる。彼はかつての恩師・三隅協一郎に招かれてやってきたのだ。
そこで聞いたのが、ここ箭納倉で3件相次いで不可解な失踪事件が起きているということだった。
なんでも老女が忽然と姿を消してしまい、それでいて何日か経つとまたひょっこり戻ってくるのだ。それでいて、その失踪期間の記憶がない。

協一郎の娘・藍子と、協一郎と前からそれについて調べている、新聞屋の高安とで、この事件について調べることとなった。
そしてどうやら、帰ってきた人たちは前の人たちと違うらしいということ、なぜなら無意識の動作がまったく同じであるから、堀近くの人たちばかりが失踪しているらしいということ、なにやら得体の知れないものが彼らを連れ去り、連れ帰っているらしいこと・・・などなどが分かってくる。

そしてクライマックスは、突然箭納倉から人が忽然といなくなるところから始まる。
どうやら夜中のうちに、4人を残して全員消えてしまったらしいのだ。

その前に裸足で寝てはいけない、という話を聞いていた4人は、長靴を履いたままの生活を始めるのだが・・・


という話の流れだが、なんだかあっさりとしすぎて味気がない気がした。端的に言えば物足りない。

話の流れとは違ったことで、恩田陸って「転校生」とか「流れ者」をよく描いている気がするが、彼女もそういう経験が豊富なのだろうか?たとえば;

言葉が違うということは、その人間が異分子であるということを如実に示してしまう。異分子であるということは、さまざまな危害を加えられる可能性が高くなる。自分の身を守り、共同体に馴染むには、その共同体の言葉を覚えるのが有効であるのは自明の理である。…(中略)…新しい共同体の言葉を覚えると、その共同体の方でも喜んでくれる。しかし、難しいのは、早すぎてもいけないということである。あまりに習熟が早すぎると、逆に共同体から警戒されてしまうのだ。(p93)



なんて説得力がある。
でもでも、恩田陸は「郷愁」というものを書くことに関しては天才的だし、閉ざされた社会を書くのも上手い。となると・・・?
と色々考えるのも野暮ってものですかねぇ。とりあえず、恩田陸は上手いってことですかね。
今回のお話はいまいちだったけどね!

Category : 小説:ホラー
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女で晶って名前、結構好き

<加藤実秋 「インディゴの夜」 2005年 東京創元者>




無償にとにかく軽い本が読みたくなって、徘徊している内にめぐりあったのが「インディゴの夜」でした。
第十回創元推理短編賞受賞作品らしい。

ホストクラブを主体として展開される推理小説ってのが、なかなか斬新で面白かった。
しかも軽いしね!

「インディゴの夜」
ライターの高原晶と編集者の塩谷が、サイドビジネスとして経営する「club indigo」。
そこは従来のホストクラブみたいではなく、クラブのような雰囲気のホストクラブで話題を呼んでいる。
そんな折、人気ホストの一人TKO(タケオ)の指名客が殺されてしまう。しかも、TKOに容疑がかけられてしまう。

そんなわけで犯人探しに乗り出した晶たち。
ホスト達の情報網などを駆使して、時々はライターのツテを駆使して犯人を探し出す。
すると、犯人は以外にも身近な人物だった・・・

「原色の娘」
ホストの一人ジョン太は、昔のバイト先の店長から頼まれて、店長の娘祐梨亜を預かることになる。
しかし小学校5年生のこのマセガキは、とうていジョン太の手に負えることなく、晶は押し付けられることとなる。
そんな折に、club indigoの敵であるエルドルドのナンバー1ホスト・空也に出会ってしまう。なんとかして一緒にプリクラをとりたい祐梨亜。お金を必死でかき集めて、忽然と姿を消してしまう。
必死で探す晶たちは、間一髪のところで祐梨亜を助ける。

「センター街NPボーイズ」
渋谷区長の娘が、ナンパされハメ撮りされ、それをネタにされてゆすられた渋谷区長。
ツテをたどって頼られてしまった晶たちは、昔ナンパ師だったホスト・犬マンの助けを借りて、まずそのナンパした男を捜す。
彼もナンパ師だったらしく、姿を消しているらしい。しかもそいつを追う、謎の男3人組の姿も浮上してきて・・

「夜を駆る者」
かつてclub indigoで働いていたのに、突然辞めてしまったBINGOから、「助けて」という電話がくる。
そしてその夜には、がりがりに痩せたBINGOの指名客だったキャバ嬢が現れ、助けを求めてきたのだが、黒い車に連れ去られてしまう。
その上、次の日にはBINGOの死体が発見される。

そんなこんなで捜査を勝手に始める晶たち。
BINGOがindigoを辞めた後に勤めていたホストクラブ・クロノスに進入捜査をしてみた結果・・・


ホストクラブが探偵まがいなことをすること以外、すべてがありきたりな設定でした。
舞台が新宿なのも、性同一障害が現れたり(インディゴの夜)、不仲な両親に満たされない反抗的な子供(原色の娘 )に、児童ポルノだとか(原色の娘)、やくざの依頼を無視ししてもっと儲けてやろうと目論んだのがにっちもさっちもいかなくなる(センター街NPボーイズ)なんて、定番中の定番だし、ホストに入れあげた結果、シャブ漬けにされて売春させられる(夜を駆る者)ってのも、とうに出てきた題材。

でもそれらをスピーディーに、オリジナルの部分を活用して使っているので、面白く感じたのでしょう。
しかもノリが軽い軽い。

 特徴を聞くとTKOは次のように答えた。…(中略)…
 「ぶつかった時に思ったんだけど、すげえ貧乳だった:
 「ヒンニュウ?」
 「晶さんのことですよ」
 ジョン太が明るく答えた。怪訝な顔をしている私に、アレックスは笑いをこらえながら説明してくれた。
 「胸の小さい女のことです」
 「・・・・・・」
 相手はガキ。そう自分に言い聞かせ話を続けた。(p32-33)



万事がこの調子。
まさにこういう本が読みたかったんだよね!と満足でございます。

続きが読みたい!

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松本清張にいっぱい食わされましたわい!

<松本清張 「砂の器」 1961年 光文社>




母が面白いよ~と言っていて、古本屋の100円均一のワゴンの上にあったので買ってみた「砂の器」。後で聞いたら小説で読んだのではなく、映画を観たのだそうな。しかも「ピアニストが出てくるよね?」と言い出すしまつ。出てこないよ!!

それはともかく、松本清張は「点と線」とあと短編をひとつしか読んだことがなく、しかも「点と線」は時刻表の話だったので恐ろしくつまらなかったので、不安だったが杞憂に終わりました。

シルバーウィークに東北へ行った機に、「東北弁が出てくるらしいし、丁度いいじゃ~ん」と思って持っていったのですが、全然ちょうどよくなかったのは、またご愛嬌。


蒲田駅の安酒場に、あやしげな男2人連れが現れたシーンから話が始まる。
男の一人は白髪交じりで、東北弁っぽい言葉を使い、もう一人は顔がよく見えなくて声も聞こえなかったが、若いっぽい。二人の会話は小さくてほとんど聞こえなくて、唯一目撃者が覚えている単語は「カメダ」だけであった。

その白髪交じりの方が次の日、線路上で死体となって見つかる。
しかも顔が殴られ、電車が気づかずに走り出していたらもっと悲惨になるくらいな方法で。
これは怨恨に違いない、というところまでは分かったのだが、身元すらも分からない状態がしばらく続く。
目撃者の”東北弁”と”カメダ”という証言をキーに、ひたすら探し回るのだが1ヶ月以上過ぎても遥と進展しない。

それと同時進行に、その当時の流行として「ヌーボー・グループ」という若い芸術家が一世を風靡していた。その中には過激に論破することで有名な評論家・関川、先進的な音楽を創る作曲家・和賀もいた。
彼らの視線と捜査状況が交差しながら話が進む。

やっと被害者の身元が割れたが、なんと、彼は東北出身ではなかった!
真反対の岡山出身だったのだ!!!
それにすっかり絶望した刑事の今西。

しかし執拗な捜査で、岡山の出雲地方の方言は東北弁ととてもよく似ていて、ズーズー弁をしゃべることを突き止める。そして確かに被害者の三木謙一もその方言を使っていたのだった。

ところが動機が一向に見えてこない。
というのは、三木謙一は非常にできた人で、宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」の詩のような人なのだ。

三木謙一の過去や殺されるまでの足取りを洗うと同時に、ちょいときな臭い「ヌーボー・グループ」の足取りも捜査していると、二人も死んでしまう。
これは怪しいゾとなるのだが、死因はあくまでも自然死。

にっちもさっちもいかないぞーーとなるのだが、ここは今西。
ちょっとずつちょっとずつ、砂を崩すがごとく、犯人の鉄壁な犯罪を壊していくのだ。


最終的な動機は「ええええ!そんなことで、あんないい人を殺すの!?しかも自分の恩人じゃん!!」だし、凶器も「ええええ!そんなんで本当に人を殺せるの!?」という感じだけど、全体的にはとても面白かった。

普段、スピーディーにダイナミックに、ばばばばっと犯人が見つかるものばかり読んでいるせいか、こうやって、じっくりゆっくり捜査していき、時には見当違いな推理だったり、壁にぶち当たったりしながら、ちょっとずつ解決していく、というのは逆に新鮮でした。

しかも、最後に今西たちがとった、逮捕の仕方も心温まるやり方だった気がしました;
(ここから激しくネタばれなので注意!)


(渡米する飛行場にて、犯人が見送りの人々と別れた後)

「すみませんが」
 待合室にはいる前、吉村は和賀を陰に呼んだ。
 そこには今西栄太郎が立っていた。
「せっかくのところ、すみませんが」
 吉村はポケットから封筒を出し、中の書類を出して作曲家に示した。和賀英良は、ふるえそうな手でそれを取り、動揺した視線を走らせた。逮捕状だった。理由は殺人罪の疑いとなっている。見ているうちに和賀英良の顔から血の気が引き、瞳がぽかんと宙に浮いた。
「手錠は掛けません。表に署の車が待たせてありますから、おいでを願います」
 吉村は、親しい友人のように彼の背中へ手を回した。(p476-477)



なんと紳士的なことか!
殺人犯といえども、きちんと敬意を示しているのがいい!

確かに和賀は殺人を犯し、それは複雑な生い立ちがあったといえども許されないことだけれども、彼の音楽家としての才能や名声を考慮したうえで、ひっそりと逮捕したところに、今西の人情というか人間性が出ている気がしました。

最後に。
上で「そんなことで人を殺しちゃうの!?」的なことを書きましたが、もちろん当時の社会的状況から、彼が自分の出自をひた隠しにしたかったのは分かります。
そんな彼だったから、他のヌーボー・グループの人に蔑まれても、大臣の娘と結婚しようとしたのでしょう。
でもね~ 音楽家でありながら、そういう情感みたいな部分を失くして、自分の恩人を殺すのはこれいかに、とも思うわけです。
とこれ以上書いても、言い訳のようであり、結局、そういう境遇より恵まれた環境にいる者にとやかく言う資格はないような気がするので、この辺にしておきますが。

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若!万歳!

<藤原伊織 「てのひらの闇」 2002年 文言春秋>




引越しの際に荷物を減らしたい妹からもらった「てのひらの闇」by藤原伊織。
妹が引っ越して半年過ぎたくらいに手に取り読み終わりました。

今まで読んだ藤原伊織の本(といっても3冊だけですが)を読んで思ったけれど、彼の作品は定石ってものがある気がする。
すなわち、主人公が中年の独り身の男で(それは離婚したり死別したら、はたまた未婚だったりもするけど)、華々しい過去を持っているが今は落ちぶれている。そして昔関わった女の影がちらつくことで(そして絶対美人)、事件が起こる。ついでに現在でも美人な女が、主人公の周りにいるが、主人公はなびかない。

とこんな風にお話がすすめば藤原伊織作品に。
(といっても3冊しか読んでませんが!)


今回の主人公は飲料会社宣伝部課長の堀江。
彼は大学中途者であり、大企業に珍しい中途採用者である。
それはというのも、現・会長である石崎に、ある出来事をきっかけに出会い、見込まれたのだった。

かつては大企業だったその会社も、いまや不況のあおりを受けて、青息吐息になる。リストラも徐々に始まり、堀江は自主退職を願い出て、あと1ヶ月のサラリーマン生活となった。
そんな折に部長とともに会長に呼ばれる。

そこで見させられたのは、ある大学教授がベランダから落ちた子供を間一髪で助けるというビデオだった。
なんでも石崎が撮ったらしい。そしてそれを、自社で売り出しているスポーツドリンクのCMで使ってほしいとのことだった。

堀江が自分のオフィスに戻って調べると、それは会長が撮ったものではなくて、CG合成で作られていたものだと分かる。そんなわけでCMには使えません、と会長に伝えたその夜に会長は自殺してしまう。

その自殺の裏には何があったのか・・・?
なんのためにCG加工したビデオを会長が渡してきて、CMに使うよう打診してきたのか?
そもそもそのビデオはどこから出てきたのか?

ということを、体調不良のなか、堀江は探っていくのです。

既読の3冊の中、実は堀江が一番かっこいいと思ってしまいました。
ていうのは、彼は実はやくざの息子だったのです!しかも剣道の凄腕。
なんというか、「実は○○だった」という設定にひたすら弱いワタクシ。昔のお目付け役(?)に偶然出会った時に;

 彼は私のすぐそばまでやってきた。必要以上の時間をかけ、靴を脱いだ。そして周囲に聞こえない低い声でつぶやいた。
「若」
「若、という人物はおりません」と私はいった。
「失礼いたしました。雅之さん。お久しぶりで」
「ああ」と私は答えた。
 二人とも相手から視線はそらしていた。
「お元気でいなさるようで、ようございました。いまは人の目がやっかいですが、いずれ、ご連絡さしあげとうございます」
「いずれはないよ」
「・・・・・・さようですね。心得ておるつもりが、懐かしさでつい口がすべりました。ご容赦のほど」
 それ以上、口を開くことなく、彼は屋敷の奥に歩みさっていった。(p143-144)



っていうやりとりなんて、「っくぅぅぅうううう~~~」という感じですよ。
しかも相手が大きな組のやくざの親分ってのがまたいい。

それはともかく、話の流れをざっと言ってしまうと、やくざ絡みの話でした。

会長はある女性の出自の秘密を守るために、弁護士の売名行為につながるビデオをCMに使わざるを得なくなったのだった。
その女性ともども、弁護士もやくざにつながっており、弁護士は近々政治に進出しようとしていたのだ。

最後はどう落とし前がつくのかと思いきや、ここで主人公のお目付け役登場。
「若、後はわたしたちにお任せください」とばかりに、後始末を全部引き受けて、一件落着。
主人公はもとの世界に戻り、リストラされて終わり。


若のお戯れのハードボイルドごっこもこうやって終わったのでした。
というと、なんか馬鹿にしてるみたいだけど、こういう感じが好きだったからしょうがない。

どうやらこれには続きがあるみたい(しかも遺稿)なので、ぜひとも読んでみたいです。

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ジェームズ・ボンドのようじゃあ、スパイは務まらないってことかね

<竹内明 「ドキュメント秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの344日」 2009年 講談社>




アメリカドラマ「24」はまったついでに、「日本のスパイ=公安部」という流れでネットで検索している内にぶちあたったのが「ドキュメント秘匿捜査 警視庁公安部スパイハンターの344日」だった。

これは実際に公安部を取材し、スパイハンターの活躍を追ったノン・フィクション。
スパイハンター一人ひとりを焦点にあてた為、臨場感にあふれた感じでなかなか面白かった。

ロシアの工作員と、それに情報を流す日本人。
そしてその二人を狩るスパイハンター達、という図式なのだが、そこで浮かび上がってくる事実といったら、「日本人は甘い」ということ。

本書でクローズアップされている事件というのが、海上自衛隊幹部候補で、防衛大学校総合安全保障研究科に在籍する森島。ロシア語もしゃべれて、ロシアに大変興味を持っている。
それに食らいついてきたのが、外交官に扮しているロシアのGRU機関員ビクトル・ボガチョンコフだった。

ボガンチョコフにとって森島が罠にかけやすい獲物だった、というのは私にだって分かった。
何しろ、息子は白血病を患い余命わずか。実質、ボガンチョコフとの交流期間に亡くなっている。
夫婦仲は冷えていて、森島は宗教にはまってもいた。

もちろん、あまりに低い対価の中で、重要機密を渡していた森島も“甘い”かもしれないが、公安、というか政府の体制自体も甘い。
何しろ日本には、スパイ防止法が存在しないのだ!
あとがきに;

 本書は、GRU(ロシア連邦軍参謀本部情報総局)の機関員が、幹部自衛官に工作をかけ、それを警視庁公安部外事第一課の捜査員が追い詰めてゆく様を描いている。そこにまず見えるのは国際社会の厳しい現実であり、日本という未熟な国家の存在である。冷戦が終結し、グローバル化が進んだ世界であっても、「国家」という概念が存在することは動かしがたい事実だ。国家はその国益を貪欲なまでに追求し、その先兵となる諜報要員を他国に送り込んでいる。日本もその対象となっているという現実に、日本の指導者n多くが眼を向けようともしないという現実が存在する。(p299)



とあるように、これを“島国気質”とか“ナショナリズムの反動”とかで片付けてしまうにはあまりに呑気なくらい、日本は“国家”という意識が弱い気がする。


なんだかミーハーな気分で読むには申し訳ないくらい真面目な本だったけれども、日本が「スパイ大国」なんていう汚名を着せられていることが分かってよかったと思う。

ま、私がスパイの餌食になるこたぁないと思うけど、身が引き締められたというか、

うん、なんというか、

日本、しっかりしろよ!

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一度でいいから、数学に関して“エレガントで美しい”と思ってみたい

<サイモン・シン 「フェルマーの最終定理」 平成18年 新潮社>




数学なんて大嫌いで、というか算数からして苦手で、試験勉強の時なんざ、比喩でなくて本当に吐き気を催しながら勉強していた。
なのに!何故“フェルマーの最終定理”に手を出したかというと、私と同じく数学が苦手そうな(ごめんなさい!勝手に決めてつけて!!)三浦しをんさんんが「面白い」と言っていたから。
事実、三浦しをんさんが勧めていた「スノーボールアイス」も面白かったし。

借りてみて気付いたのが、本書を参照している小説が割と多いこと。
借りてから他の本・2冊から見つけてしまったよ(法月綸太郎の「しらみつぶしの時計」と伊坂幸太郎の「陽気なギャングが地球を回す」)

さてさて本文に話を進めると
要するに、“フェルマーの最終定理”をめぐっての数学者たちの奮闘記。
本書が数学にあまり明るくない人たちを対象にしていることもあって、“フェルマーの最終定理”そのものよりも、それにかかわった数学者達の話に焦点をあてた形になっていたので、読みやすかったのがよかった。事実、非常に面白かった。

まず、フェルマーの最終定理を簡単に説明すると、
ということは私はできないので(あまりに数学的センスがない!)、ちょいちょい抜粋しながら説明すると、まずピュタゴラスの;

直角三角形の斜辺の二乗は、他の二辺の二乗の和に等しい。(p37)



という定理が根底にある。そしてそれは

ピュタゴラス方程式の自然数解を求めることは、第一と第二の正方形の面積の和が第三の正方形の面積になるような三つの正方形を求めることと考えられる。(32+ 42 = 52) (p68)



ということになる。つまり

x2 + y2 = z2



というわけだ。
ところが

x3 + y3 = z3



となると解が成り立たなくなるのだ!

そしていよいよ“フェルマーの最終定理”の登場となる。
17世紀のアマチュア数学者・ピエール・ド・フェルマーがディオファントスの『算術』の本の余白にメモを走り書きしたりしていた。その問題8の横の余白に

<ある三乗数を二つの三乗数の和で表すこと、あるいはある四乗数を二つの四乗数の和で表すこと、および一般に、二乗よりも大きいべき(傍点)の数と同じべき(傍点)の二つの数の和で表すことは不可能である>(p117)



と書いたまま、しかも更にいじわるなことに

<私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことができない>(p118)



と残してこの世を去ってしまったのだった。


一見簡単そうな(私が言っているのではなくて本書がそう言っている!)この命題、数学者が知恵を絞っても全然解けない。
フェルマーは実は間違っていたのではないか?という憶測まで飛び交うまでにもなり、3世紀も解かれることがなかった。

それが1993年にアンドリュー・ワイスによってついに証明されたのだった。
その証明に至るまでの各数学者の道のりや、アンドリュー・ワイスの研究がこの本の筋となっている。


では、数学にまったく興味がない(というか興味が持てない)私にとって、この本書の魅力は何かというと、前述通り数学者の生き様が見れることだった。

数学というのは本当に私にとって手に届かないもので、数学者なんて別世界の人、しかも無条件に尊敬してしまう人である。
そんな人たちの苦悩・努力・栄光を垣間見るのは、本当に面白かった!

例えば、目が見えなくなっても数学に従事したレオンハルト・オイラーだとか、女性蔑視の風潮が渦巻く18・19世紀フランス社会の中で、男のふりをして研究していたソフィー・ジェルマンだとか・・・

そして誰よりも心に残ったのは、日本人の数学者谷山豊と志村五郎だった。
谷村=志村予想というのを使ってアンドリュー・ワイスは“フェルマーの最終定理”を証明したので、本書でも何度もクローズアップされていたし、同じ日本人だし、ということで心に残ったのかもしれないが、純粋に谷村が自殺をはかり、その遺志をついで志村がその理論を確立した、という話がじーんときた。

そうやって数学者たちを見ていると、なんだかファンタジー世界の(=私の理解の範疇を超えた世界の)孤高なる(=問題に向き合っている時は一人だし)勇者(=問題と格闘している)に見えてくるから不思議。

Category : サイエンス
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本書の後頁の各作家の写真があまりに古い!!!

<伊坂幸太郎 「陽気なギャングが地球を回す」 平成15年 祥伝社>




ちゃくちゃくと読み進めている伊坂幸太郎作品。
今回の「陽気なギャングは地球を回す」は今までの中で(といってもそんな多くないけど)、私にとって一・二を争う面白さだった。
ちなみにその好敵手は「ラッシュライフ」。

こんなギャング小説(?)なんて今時珍しいし、物珍しさだけじゃなくてきちんと面白い。
何しろ登場人物たちが魅力的で、“銀行強盗”といったら荒くれ者のイメージのところが、割と普通の人ってのがまた面白い。
一見、この人たちは本当に銀行強盗する必要があるのだろうか?(何しろお金に困ってそうでもなければ、社会に反発して生きているようなチンピラでもない)といった人たちなのが、またまたギャング小説のエンターテイメント性を高めていると思う。

さて、その魅力的な登場事物たちはというと……

まずはリーダーの成瀬。彼は人間嘘発見器で、人の嘘を見抜くという特殊な才能を持っている。
いつも冷静沈着で、これぞリーダー!といった人。

次はあたいのお気に入りキャラ・響野。成瀬の友人であり、成瀬の逆をいく人。つまり嘘ばっかり口から出まかせばかり言っている。しゃべるのが大好きで、絶えず演説のようにしゃべっている。

紅一点の雪子。彼女も特殊能力を持っていて、彼女の場合は正確な時間が分かるという、体内時計を持っている。ちなみに慎一という中学生の息子がいて、女で一人で育てている。

最後に一番の若手、久遠。彼はスリの天才で、動物愛護者で、ついでに彼自身が犬っぽい。


ある事件がきっかけで4人は出会い、銀行強盗をすることとなった。
ところが、今回はちょっといつもとは違って、雪子の運転で逃走中に車が突然ぶつかってきて、現金ごと乗っ取られてしまう。
犯人はどうやら、巷を騒がせていた現金輸送車ジャックなのだ。その現金輸送車ジャックは、一仕事を終え(ということは彼らは1億円ほど奪ってきた帰り)、車を銀行強盗の車にぶつけ、車+アナザー現金(4千万ほど)を取って行ってしまったのだ。

ところがそう簡単に話は終わらず、久遠はどさくさに紛れて犯人の一人の運転免許書をスリ取っていたのだった。
それをもとにそいつの家に行ってみると……

その犯人・林が死体になって転がっていた!

それから二転も三転もあるのだが(簡単に言うと<ネタばれ>雪子が実は裏切り者だったり、でもそれは慎一の父である地道のせいであり、雪子は慎一が心配で加担しただけであったり、成瀬が地道を銀行強盗の仲間に入れたり、でもそれはもちろんのこと騙すためで、それだけでなく最後の最後までどんでん返しが待ちうけている)、それが実に軽快なタッチで描かれている。
こりゃ ベストセラーにもなるわな。


前述通り、響野がお気に入りなのだが、この響野、なんとなく京極夏彦の榎木津・98%、京極堂2%な感じがする。
何せこんな感じ;

「話、長くなる?」久遠がからかうように合いの手を入れる。
「私の話が長くなったことがあるか?」
「話が長くないっていう説明がまた長いんだよ、響野さんは」
「ふん」と鼻を鳴らし、かまわずに続けた。「強いだとか、弱いだとかは、何によって決まるんだ?草原での噛みつきあい、空中戦、それとも学歴、遺伝子の配列か?弱肉強食とほざいているおまえの友達は自分より強い奴に殺さされることを良しとしているのか?自分の頑丈さや足の丈夫さで決まるって言うんだったら、そいつらをはねてくればいい。そうして『パジェロに潰される弱い奴らは死ぬのが当然だ』と教えてやれ」
「目茶苦茶だなあ」久遠が呆れる。
「どうしてライオンがガゼルを食うかと言えば、食わないと死ぬからだ。弱肉強食ってのは食物連鎖に参加している者たちが口にする台詞だよ。自分が死んでも、誰の餌にもならないような中学生が『弱肉強食』なんて言う権利はないんだよ」
「美味い中学生を食ったことがあるような言い方だ」と久遠。
「可愛い羊を食べるほうが残酷だろうが」
「たしかに」久遠は同意する。(p122)



挙句の果てには成瀬に;

大学生の時には教授と学生の恋愛にも首を突っ込み、喫茶店を経営してからは商店街と大手アウトレットショップとのいざこざにも口を出した。いずれは国家間の、民族間の争いを仲裁するのが夢に違いない。おそらく響野が間に入れば、その騒々しさに誰もがうんざりとして、まずは響野を射殺するのではないか、と思われた。そして、争っていた民族たちは、諸悪の根源はあの饒舌な男であって、これで仲たがいの理由はなくなった、と抱き合って喜ぶのかもしれない。(p171)



と思わている始末。
その上、銀行強盗の時に演説するのがポリシーとなっていて、「本日はお忙しいところまことに申し訳ありません。紹介が遅れましたが、私たちは銀行強盗です。」(p58)から始まって、“記憶”についてだとか“時間”についてだとかを、銀行の客たちに向けて一席ぶるのだ。

ああ 響野ラブ!!

なんか「軽快なタッチ」だとかなんだとか言ったけど、ただ響野が好きなだけではないか?!私

Category : 小説:現代
Posted by nizaco on  | 0 comments  0 trackback
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