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がらくたにっき |

前回といい今回といい、男の人の名前はいいよな

小川糸 「ファミリーツリー」 2009年 ポプラ社




「食堂かたつむり」を読んで、その文章に魅かれたのもあり、新作「ファミリーツリー」が出た時、普段は図書館派・買っても文庫本派の私としては珍しく、単行本を買ってみた。
Amazonでの評価は割と悪かったけれども、ま、応援する気持ちで買ってみたのだ。

でも図書館で借りた本を読みこなすのに精を出していると積んどく本になってしまい、やっとこさ読むのに至ったのだが。。。
う~む 正直、Amazonの評価の通り、非常にいまいちだった。

これの前に読んだ「青の炎」は結末が知りたくて読み急いだけれど、こちらは早く読み終わりたくて読み急いだ感じ。
大体、話があまりよくなかったと思う。

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Category : 小説:現代
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それにしても秀一は賢すぎ!

貴志祐介 「青の炎」 平成14年 角川書店




この間、初めて「本の交換会」なるものに参加してみて、そこで交換してもらったのが「青の炎」。
ちなみに「ショートソング」と交換してもらった。

「青の炎」は、蜷川幸雄+ニノ好きの妹が“面白いよ~~”と薦めてくれていたものの、全然読んでおらず。
しかもついこの間、宮部みゆきの「クロスファイア」と混同していたことを発見。

というわけで、持ってきた人の紹介も心惹かれたし、いい機会だと思って交換してもらって読んだら・・・

面白かった~~~~!!!

本当に確かに面白かった。
しかも最後が気になって気になって、息もつかせぬ勢いで読みきった。

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最後までぬいには生きてて欲しい!

住井すゑ 「橋のない川(五)」 昭和56年 新潮社




いよいよ残るは1冊となった「橋のない川」。
長かったな。ってまだ終わってないけど。

四巻から薄々感じていたのだが、どんどん“小説”要素が抜けていくシリーズだな、というのが五巻の感想。
だってほぼ住井すゑさんの思想が羅列しているだけ。
一応、孝二が考えていることになっているけれども、「孝二」というキャラは全然生きていない。
孝二はただ、住井さんの窓口になっているだけで、孝二という人が生きて考えているように感じられない。

話の性質上、それでも良いのかもしれないけれども、私はもっと「小説」度を徹底して欲しかったと思った。
せっかく部落問題を、小説という媒体を通して訴えているのだから、意見を陳列するのではなく、孝二や誠太郎の生き様を通して部落問題を提示して欲しかった。

それが前半の方では、彼らの受けていた差別、そしてそれから湧き上がる「エタとは何か?」という疑問、そういうのを物語として細かく書くことによって、話の底辺に提示されている部落問題が浮き上がっていた。
つまり、誠太郎や孝二が生き生きしていたから、読者は一緒になって傷つき、哀しみ、“結局『エタ』って何なんだろう?”と感じていた。

ところが五巻ともなると、まったく孝二が身近に感じられず、作者の主義主張が論文のように提示され、読者としては「ふんふん」と読むしかない。
もっと水平社が立ち上がるまでを丹念に書いて欲しかったし、小森で暮らす孝二と小森を出た誠太郎の対比みたいのも、きちんと描いて欲しかった。

そのほうが、今まで誠太郎や孝二と共に憤然なる想いを抱いてた私に、住井さんの主義主張がすんなり入ってきた気がして、残念でならない。

と意見をひとしきり述べた後で、物語のあらすじをざっと書くと;

Category : 小説:歴史
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辻村深月作品には美形が必ず出てくる気がする(今のところ)

辻村深月 「スロウハイツの神様 上・下」 2007年 講談社




順調に読んでます、辻村深月。
今回は一気に上下と読んだのもあるし、上だけではあまり特筆すべきお話がないので、まとめてレビューを書いてみた。

正直の感想としては、面白かったけれども、今まで読んだ中では最下位だなということ。
キャラ一人ずつ出てて良かったし、このような共同生活の話は好きだから楽しめたけれども、だけど。こういう共同生活もののに付き物の“離散”があって、それがあまりに定番というか。ここらで離散しない共同生活物を読みたいな、と思ったので点が辛くなった。

なんというか、辻村深月の魅力はそのどんでん返しっぷりだと思っているのだが、今回はそんな衝撃的じゃなかったし、むしろ全て見え透いていた気がした。
ということで辻村深月の魅力が薄い、という面でもちょっとマイナス。

とダメ出しばかりだけど、きちんと面白かったです、はい。
ただ今までの辻村深月の中では~というお話なのであしからず。

Category : 小説:現代
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「道成寺」観たいな~

梅若六郎+高橋 「能 梅若六郎」 2003年 平凡社




「書評家〈狐〉の読書遺産」で「志ん朝の落語」と対になって紹介されていたのが本書、「能 梅若六郎」だった。
〈狐〉の中でのタイトルは「声が聞こえる、姿が見える」となっていて、双方の声を言及しているが、“音と無音”をテーマに選んだように感じた。“無音”というと語幣があるかもしれなくて、抑制された音というのが近いかもしれない。

何しろ「志ん朝の落語」では、その内容そのものよりも、京須さんが志ん朝さんの落語をテープからどう起こしたか、はては音を文章に起こすというのに着眼しており、「能 梅若六郎」では

 フランスの代表的な演劇学校の創立者で、ジャック・ルコックという人がいる。そのルコックは教室でまず発生を禁じ、沈黙するところから教えたといい、次のように語っている。「まだ言葉を発していない前の、生まれたてのような初々しい状態、その沈黙が言葉を生む」。そうして沈黙の稽古を繰り返すうちに「言葉にさきだつ瞬間の感覚が甦ってくる」という。(「書評家〈狐〉の読書遺産」山村修 2007年 文春新書 p27)


と引用してから、梅若六郎が謡いだすと「言葉にさきだつ瞬間の感覚」のようなものを感じると描いている。

能と歌舞伎はよく比べられるが、能と落語を対になすというのは珍しくとても新鮮だった。


それはさておき本書の内容はというと、写真集となっていて末尾に梅若六郎さんの言葉が添えられている。
能の方は何回か観たことがあるので、写真から雰囲気を感じることができたが、いかんせん全く初心者も初心者なので、正直梅若さんのどアップの写真だけでは、ぴんとこない演目もあった。
というか、また能を観たくなってしまったというのが正直な感想かも。

文章の方は能について、と、梅若六郎さんの新作能に携わった経緯などが書かれていた。
新作能の存在を知らなかったので観てみたいなと思ったのと(特に「ジぜル」!)、戦国時代の武将達が

 当時、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康などの脳を愛好した武士たちは、勝っても負けてもみな修羅道に落ちるということを承知で能を演じ、観ていたわけです。(p238)

という言及が印象的だった。
なんでも戦で勝つ演目(例えば「八島」)でも、めでたしめでたしで終わることがなく、はかない感じで終わっていくらしい。
丁度武士が台頭した頃に出来た芸能だからなのだろうか…?

あと最後に個人的に。
私は歌舞伎が大好きなのだが、能好きの友人に「能楽師の人が歌舞伎は派手すぎる、もっと演劇は簡素化した方が本当は美しい、と言っていた」というようなことを言われて、まぁ そうかもしれないけどさー、ともにょもにょ思ったものだ。
そんなことがあったもんだから、梅若さんが

「道成寺」という曲は緊張感のある能ですが、演者のほうがそれを強いるのではなく、観客のほうが舞台に引きずり込まれていき、そのなかで緊張していく、というのが本当だと思います。…(中略)…その点うまくできているのが舞踊の「京鹿子娘道成寺」です。舞踊にはあまり緊張感というものはありませんが、例えば、衣装の色によって踊り分けをするなど、さまざまなテクニックが駆使されています。違う意味でたいへん優れた作品だと思います。(p208-9)

と書いているのを読んで、無条件で「いい人だ!」と思ってしまった。
そんなので「いい人」というのはどうかと思いますがね……

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今度こそ必ず落語を聞きに行きたい!

古今亭志ん朝 「志ん朝の落語6 騒動勃発」 京須偕充・編 2004年 筑摩書房




ついに来てしまった、“志ん朝の落語”シリーズの最終巻。
あー面白かったなぁ~
結局読み終わるまでに落語を見るには至らなかったなぁ。

収録されている噺は以下の通り;

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絵がいやだ・・・

麻耶雄嵩 「神様ゲーム」 2005年 講談社




mixiの推理小説好きのコミュにて、“ミステリーランド”についてのトピがあり、そこにて物議を醸していた「神様ゲーム」。
そういやあ、一時ミステリーランドをよく読んでいたのに、この頃全然呼んでいないなぁーと思って借りて来てみた。

確かに、子供向けじゃないかなー
というか、私は最後のオチがいまいち分かりませんデシタ……

ちょっとここからネタばれです;

Category : 児童書(推理)
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思ったより食べ物の話はなかったなぁ

阿川佐和子・壇ふみ 「ああ言えばこう食う」 2001年 集英社




確か友人が、何かの話の流れで“阿川佐和子と壇ふみの掛け合いエッセイがあって、それが割と面白かった”的なことを言っていて、それを図書館で「ああ言えばこう食う」を見つけたときにふと思い出して手に取ったのがきっかけとなった。

ちょっと読んだ時には面白いな、と思ったけれども、うーん こういうエッセイって本当に時代を反映するよなぁというのが正直な感想。
1996年に連載されていたんだからしょうがないけど、微妙~に“古さ”を感じちゃうんだよなぁ。どこが、とピンポイとでは指摘できないけれど。
端的に言うと“結婚観”ってのが、随分変わったんじゃないかなぁーと思った。

あとは阿川さんと壇さんの漫才みたいな感じは面白かったけどね。
阿川さんの大雑把さと、壇さんの几帳面さがうまい具合交わって、非常に面白い。というか、自分が大雑把で、周りの友人に几帳面な人が多いということから分かる通り、この組み合わせっていいんだよねー
ま、大雑把な人の方がうまい汁を吸ってる気がして、私(大雑把人間)は心苦しいんだけど…

それはともかく、壇さんの

「卵、大一個」と書いてあって、どう考えても「中」くらいの卵しかなかったときは、うずらの卵を足したこともある。(p149)


という几帳面さには笑った。

料理ネタで阿川さんの

(油に水分たっぷりのものを投入してしまった時の話で)そうなったら、忍者ハットリくんよろしくヒラリと後ろに退いて、同時に「ギャー」と油に負けぬ大声を発する。少しは恐怖心が和らぐ。(p141)


というのには共感笑いが出てしまった。

そこで阿川さんが紹介していたホタテと赤トウガラシのスパゲッティがおいしそうだったのでメモ↓

・ニンニクひとかけみじん切りにし、赤トウガラシは一本三等分くらいの大きさに切って中のタネを取り除く。
・ホタテの缶詰を開けてほぐす(汁は捨てないように!)
・サラダオイル(オリーブオイルでもいい)をカップ2分の1入れて中火にかける
・ニンニクと赤トウガラシを入れる
・ホタテの缶詰の中身を入れる(汁ごと)
・塩コショウと、日本酒チラリで味付け、数分煮込めてソースの出来上がり

夏にいいみたいなので、作ってみよぉ~っと

Category : 随筆
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表紙のエゴン・シーレの絵、いいなぁ・・・

道尾秀介 「向日葵の咲かない夏」 2005年 新潮社




一作目である『背の眼』を読んで、文句のつけ所はあるけど割と面白かった、何せ『背の眼』は第一作目だしな、違う本も読んでみよう、と思って二作目の『向日葵の咲かない夏』を図書館で予約してみたら…
も~ 待つこと何カ月。やっとめぐってきたよ…
途中で何度、古本屋で見つけては買おうかと思ったか…

でも読了後の感想は、古本屋といえども、理性が働いてよかったーということだった。
つまり、この本は家に置いとくない種類でした、ハイ。

『背の眼』と同じくホラーサスペンスだが、今回は“ホラー”の部分は幽霊だのそういう恐怖ではなく、グロい系だった。
そして親からネグレクトされている子どもが主人公だったり、少年に性的いたずらをしていた先生が出てきたりと、読んでて気持ちがいいものではなかった。

そんなわけで、最後にはどんでん返しがあって、「え え それはどういうこと!?」というところがあったが、読み返す気がさらさらなくて、インターネットで他の人のブログを探し廻ってしまった。

そんなこんなであらすじはネタばれがあるので注意!

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挿絵が好き~

有川浩 「図書館内乱」 2006年 角川書店




あんな文句垂れていたのにまた借りてきた有川浩の「図書館内乱」。
いやーなんだかんだ続きが気になるから、“one more chance”と思って読んでみたら、すっごい続きが気になる感じで終わってしまった。ということで最後まで読みそうだな。

本作を読んで気付いたのが、私が普段から馴染み深い小説というのが“story”というものを中心に据えているのに対して、本シリーズは“登場人物のキャラクター性”を中心に話が進んでいるということ。
「ラノベは」と頭に付けられるくらい、ラノベというジャンルを読んでいないので一慨には言えないけれども、確かに“登場人物のキャラクター性”が第一にくる、という形態は漫画に似ている感じがするし、だからラノベを読むのも“漫画を読む”という感覚に近いんだと思う。

つまり、漫画は確かにストーリーも大事だけれども、何よりもキャラクターが魅力的ではないと成り立たない。
何せ視覚的にバーン!とキャラクターが提示されているんだから、それが面白くないと全体的に面白くないわけだ。
そんな感じで、このシリーズもまずキャラクター在りきなんだな、と思った。
私にとって馴染み深い小説群が“物語在りき”であるのに対して、このシリーズは各キャラクターの個性を表現した物語が提示されているような気がするのだ。言いかえれば“物語のための登場人物”じゃなくて、“キャラクターのための物語”みたいな。

と、なんとなく感じて読み始めたら、あんなに読みにくいと思っていた本シリーズも、割とさくさく読めた。
お作法が分かったって感じなのかね。

と御託はこれくらいにして、本書の話になると、

Category : 小説:SF
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『メジャースプーン』のふみちゃんが出てきた!

辻村深月 「凍りのくじら」 2008年 講談社




「子どもたちは夜と遊ぶ」にいたく感激し、そのまま予約して借りた「凍りのくじら」。
すっかり「子どもたちは~」の熱が冷めて、「剣客商売」なんて読んでいるうちに、あれよあれよという間に返却日に。慌てて読み始めたら、またもやドッカーン!!!と来ましたよ!

なんというか、またもやどんでん返しがあって、してやられてしまいました。
「冷たい校舎の時は止まる」とか「子どもたちは~」とか本書とかに出てくる、この“どんでん返し”っていうのはそんな目新しいものではない。知ってしまってから振り返ると、本当に単純なことだったりする。
あまつさえ、今回は途中でなんとなく分かっちゃったし。

だのに、その“どんでん返し”が来たときには、突然今までのことがダダダダ―っと返されていく感じがして、その嵐といったら激しいなんてもんじゃない。
言うなれば、物語の要所要所に“伏線”という名の地雷が埋まってて、“どんでん返し”がスイッチとなり総て爆発する感じ。
それくらい衝撃的な“どんでん返し”なのだ。

本書はその“どんでん返し”が引き金となり、もう本気泣きしてしまって大変だった。
なんとなく明け方に目が覚めて、何をトチ狂ったか本書を手に取ってしまい、もうそれが最後だった。
おかげで今朝は目がむくんでやばかった。。。

<ここから先、激しくネタばれ注意!>

Category : 小説:現代
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