荻原浩 「ハードボイルド・エッグ」 2002年 双葉社
旅行に行く際に買った本の一冊(残りは先の「阪急電車」と未読の「葉桜の季節に君を想うということ」)。
私が一気に何冊も本を買うのは珍しいのだが(何せ普段は図書館派)、飛行機のストップオーバーで5時間もあるというのに、手荷物には幸田文の本一冊のみ。もう一冊長いのも持ってたのに、うっかりトランクに入れてしまったという失態を犯してしまったのだ。
それで慌てて本屋に駆け込んだのだが、「阪急電車」を選んだのはその項で書いた通り。
残りの2冊は、マイミクさんが面白いと言っていたり、読書会で紹介された本のつもりだったのだが・・・
後で知ったのが「ハードボイルド・エッグ」は間違えで、同じ著者の「神様の一言」が正解だった。
ま でもこれも面白かったからよしとする。
というか荻原浩、前に読んだ2作も面白かったからフォローしてみよっかなと思った。
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幸田文 「幸田文 ちくま日本文学005」 2007年 筑摩書房
“ちくま日本文学”を買い揃えたいと思った矢先に、Bookoffで売ってたので即購入。
でもそのまま本棚の肥やしになっていたのを、図書館で借りれない状況になってからその他肥やしと共に読むようになり、ついには旅行先にて読み終わった「幸田文」。
旅先で読むのにちと適していなかったが。
というのは、幸田文の作品は、なんだかいつも切なくさせる。ほろ苦いというのか、なんというのか。
多分それは、気が強いけれども、自分のことを評価できない幸田文の性格が、その鋭い観察力を自分にも発揮して描写しているのが一つの理由だと思う。
これまで幸田文のエッセイを読んで、一つ気になったのが、自分のことを盛んに「ひがみ根性のある」と形容することだった。そりゃあ父親が立派な作家で、非常にできて美人な姉と、待望の男の子で可愛がられている弟に挟まれていたらひがみもしますよ、と思ってしまう。
しかも、その姉も弟も亡くしてしまってがっかりした父親を見たり、継母と折り合いが悪かったりしたら余計である。
でも本書を読んでやっと気づいたのは、幸田文が「ひがみ根性のある」と自分を形容するのは、晩年、幸田露伴と共に暮らして、父親も他の子ども達と同様に自分にも愛を注いでくれたと気づいたからだ、とやっと分かった。
それが分かっても尚、幸田文のエッセイは物悲しさ・せつなさが伴う。
それはなぜか、と思ったときに思い出したのが、エッセイに出てくる幼少期の幸田文も、父親のことが大好きだったのが伺われることだった。
なにせ本書には、父親を尊敬し始めた瞬間、というものもよく覚えていたみたいで、明記されているくらいだ。
そうやって親から子どもへの愛や、子どもから親への愛がきちんと存在しているはずなのに、それがうまく結びついていないようなのが切ないのかもしれない。
なぜ、大人の世界と子供の心のなかには誤差ができるのだろう。(p412)
という一文にははっとさせられた。
文豪の娘であり、しかもその家庭事情は複雑。
それを文豪の父譲りの筆致と観察眼で描けば、うっすらと切なさがかった(決して切なさは前面に出てこない)微妙な風合いの文章になるのかな、と思った。
荻原規子 「RDG3 夏休みの過ごしかた」 2010年 角川書店
本屋さんに行った時に、久しぶりに児童書コーナーに行くと、「RDG」の3巻が出ているじゃありませんか!
慌てて図書館で予約して、やっと手に入れた3巻。
丁度今の季節と同じく、夏休みの話が中心となっている。
しかしまあ。2巻までの話をとんと覚えていないもんだね…
断片的にしか覚えていないもので、登場人物のことを全く覚えていない…
だから私が悪いのだが、なんだか面白くは感じなかった。
あんまり記憶になかったのも悪かったけれども、ちょっと展開がありきたりだな、と思ってしまったり、なんだか主人公たちの会話の不自然さが眼に着いてしまったり、説明的な文章に“あれ、この人の文章ってこんなんだったっけ?”と首をかしげてしまったり、とそういう面もマイナスになってしまった。
設定はなかなか面白いし、なんだかんだグイグイ読まされて、2晩で読み終えてしまったので、そんな文句は言えませんけどね。
いやいやでもさー
「おれ、ゆうべびびらされたのって、泉水子ちゃんよりシンコウにだったよ。激マジであわくってるんだもんな」(p137)
ってやっぱり、『頑張って現代語しゃべってます』って感じじゃない…?
寺田寅彦 「柿の種」 1996年 岩波書店
偶然にも続けて夏目漱石の弟子の本を読み終わった。
寺田寅彦の「柿の種」は、漫画「本屋の森のあかり」に出てきた本で、その中で
棄てた一粒の柿の種
生えるも生えぬも
甘いも渋いも
畑の土のよしあし
という文が引用されていて、それに引かれて買ってみたら、非常にあたりだった!
常々、「本屋の森のあかり」に出てくる本を制覇してみたいと思っていたのだが、初めてそこに出てきた本を読んでみたら面白かったので、近々実現したいと思ってきた。
それはさておき、本書の中身はというと、随筆というよりも寺田寅彦のメモ書きのような感じで、そこがまた新鮮だった。
なにせ、物理学者であり俳人であり随筆家でもあったのだから、そのメモ書きとなると多彩にわたって、実に面白い。
と、ここで面白いと思った点をつらつら並べるのも、野暮だと思うので、短いがここらで〆ておく。
何せ本書は『なるべく心の忙しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読』むのに適している本だから。
内田百聞 「内田百聞 ちくま日本文化001」 2007年 筑摩書房
上司に図書券を1000円分をもらい、何を買おうかと思ったところへ、ふと筑摩書房が出している「ちくま日本文化」シリーズを集める夢があることを思い出した。
ただ単に、安野光雅さんの表紙絵にひかれたともいうのだが、これをきっかけに日本文学に触れるのもいいかなと思ったのだった。
ということで上司にもらった図書券を握りしめて、シリーズ第一弾の内田百聞を買ってみた。
初めての内田百聞だったのだが、正直な感想は“あまり知られていない(文学史では出てくるけど)のはもったいないくらい面白い”というものだった。
なんだか奇妙な不思議な話と、自小説系になると借金しまくる駄目人間っぷりが出ている話と、そのギャップがまた面白い。
非常に短い短編ばかりなので、タイトルだけ列挙すると以下の通り;
・花火
・山東京伝
・件
・流木
・道連
・短夜
・波止場
・豹
・冥途
・大宴会
・流渦
・水鳥
・蘭陵王入陣曲
・山高帽子
・長春香
・東京日記
・サラサーテの盤
・琥珀
・東洋漁業
・風の神
・虎列刺
・炎煙鈔
・雀の塒
・薬喰
・百鬼園日暦
・餓鬼道肴蔬目録
・一本七勺
・無恒債者無恒心
・蜻蛉玉
・大瑠璃鳥
・泥棒三昧
・素人掏摸
・長い塀
・錬金術
・特別阿房列車
「蘭陵王入陣曲」くらいまではなんだか、夢の話のような感じだった。
内容が不思議だったことは不思議だったのだが、なんで夢っぽいと感じたのかをちょっと考えてみたら、文章によるところが大きかったと思う。
自分の目線であるのに、非常に客観的に描かれていたり、情景の描写の仕方が俯瞰的であるのが原因の一つのような気がする。また、ちょっとあやふやなところもまた夢っぽい。
例えば「件」の出だしはこんな感じ;
黄色い大きな月が向うに懸かっている。色計りで光がない。夜かと思うとそうでもないらしい。後の空には蒼白い光が流れている。日がくれたのか、夜が明けるのか分からない。黄色い月の面を蜻蛉が一匹浮く様に飛んだ。黒い影が月の面から消えたら、蜻蛉はどこへ行ったのか見えなくなってしまった。私は見果てもない広い原の真中に立っている。(p24)
人によって夢に対する認識が違うだろうから、これが夢っぽく感じるのかは人それぞれだろうが、私にとっては自分の夢の感じとよく似ていた。
ということで、その夢っぽい話群と、「無恒債者無恒心」をはじめとする内田百聞の私小説っぽい話が好きだった。