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がらくたにっき |

カステラを食べたくなったけれど、コンビニに売ってなかった

森見登美彦 「四畳半神話大系」 平成20年 角川書店




アニメを一度だけ見て、えらく面白いなと思ったのに、気付いたら終わっていた。ならば原作を読んでみよう、と思っていたので、長く電車に乗らなきゃいけないのに本を忘れた!という時に買ったのが「四畳半神話大系」。
丁度京都に行く際に買ったので、偶然にしてはぴったりの人選ならぬ本選だった。

森見登美彦氏の本は、通算3.5冊目だが、途中で挫折した0.5の「きつねのはなし」以外、大変楽しく読めた。
この格式ばった文体でコメディータッチの物語を書くというのは、私のツボなんだと思う。だから、コメディー色の薄い「きつねのはなし」は文章が固いだけで眠い私の好みに合わなくて挫折してしまったのだとも思う。

今回の「四畳半神話大系」にしても最初から“ぷっ”である。

 大学三回生の春までの二年間、実益のあることなどなに一つしていないことを断言しておこう。異性との健全な交際、学問への精進、肉体の鍛錬など、社会的有為の人材となるための布石の数々をことごとくはずし、異性からの孤立、学問の放棄、肉体の衰弱化などの打たんでも良い布石を狙い澄まして打ちまくってきたのは、なにゆえであるか。(p5)


好きだなぁ~ この口調。


物語の構成自体も非常に凝った造りになっていた。
全四話でできているのだが、同じ主人公・同じ登場人物の違った話になっている。

主人公は京都の大学三回生(おそらく京都大学)で、ある組織から抜け出した状況にあるのは総て同じ。
その組織に入った時のエピソードが必ず入るのだが、いわく、新入生時に興味を魅かれたのが、映画サークル「みそぎ」、「弟子求ム」という個性的なチラシ、野球サークル「ほんわか」、そして秘密機関の<福猫飯店>であった。
つまりこの話は、各々のサークルなり組織なり弟子になったりなど、異なったシチュエーションの物語である。

でも大筋はほぼ一緒で、腐れ縁の妖怪じみた小津が出てきて、組織から離れた顛末が語られる。
途中で占い師に将来を占ってもらって、「コロッセオ」というキーワードをもらう。
小津が橋の欄干に立った時に、大量の蛾が発生。
蛾が大嫌いな明石さんをかばってあげ、それをきっかけに恋が結ばれる、というあらすじになっている。

それが色々なシチュエーションで、でも上記の布石はすべて網羅して語られる。
登場人物は同じであれど、立場が微妙に違っていたり、そうかと思えば、一つ前の話の顛末が、その話の中の登場人物の裏設定として成立していたり、と妙に絡み合っている。
そして最終話で、前三話がつなぎ合う形となる。


正直、最後のつなぎ合い方は無理矢理な感じがしないでもなかった。
そして、布石の部分の文章はすべて同じなので、一気読みしようとすると飽きる、という難点もあることにはあった。

でもその仕掛けは目一杯楽しめた。なにせ読めば読むほど、“あ、これはあれにつながるのか”という発見があるのだから、推理小説に通じる楽しさがある。
しかもその仕掛け抜きにしても、一話単品でも十分楽しめる(ただし最終話は前三話読まないと分からないけど)というのも、この作品の魅力の要部分だと思った。

アニメを改めて見たくなった。

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Category : 小説:現代
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フルカラーってのが大変よかった

高階秀爾 「誰も知らない「名画の見方」」 2010年 小学館




「日本美術を見る眼」に感銘を受けてから高階秀爾氏のことがいつも気になってた私は、ある時雑誌の新刊紹介で『誰も知らない「名画の見方」』が出たと知り、さっそく本屋に駆け込んだ。

読んでみて正直な感想は、あまりに入門すぎた、ということ。
初心者にはいいかもしれないけど、私には物足りなかったな。
「名画を見る眼」と同じ感じかと思っていたんだけど…
観点は興味深かっただけに、それが深いところまでいかずに残念だった。

目次は以下の通り;

第一章 「もっともらしさ」の秘訣
 白い点ひとつで生命感を表現したフェルメール
 見る者を引き込むファン・エイクの「仕掛け」
 影だけで奥行きを表したベラスケス
第二章 時代の流れと向き合う
 激動の時代を生き抜いた宮廷画家ゴヤ
 時代に上が抗った「革新的な農民画家」ミレー
 時代を代弁する告発者ボス
第三章 「代表作」の舞台裏
 いくつもの「代表作」を描いたピカソ
 タヒチでなかれば描けなったゴーガンの「代表作」
 二種類の「代表作」をもつボッティチェリ
第四章 見えないものを描く
 科学者の目で美を見出したレオナルド・ダ・ヴィンチ
 人を物のように描いたセザンヌの革新的な絵画
 音楽を表現したクリムトの装飾的な絵画
第五章 名演出家としtの画家
 依頼者を喜ばせたルーベンスの脚色
 演出した「一瞬」を描いたドガ
 絵画の職人ルノワールの計算
第六章 枠を超えた美の探究者
 女性の「優美の曲線」に魅せられたアングル
 見えない不安を象徴したムンクの「魔性の女性像」
 イギリス絵画の伝統を受け継いだミレイ
第七章 受け継がれるイメージ
 カラヴァッジョのドラマティックな絵画
 働く人々を描いた色彩画家ゴッホ
 西洋絵画の歴史を塗りかえたマネ
第八章 新しい時代を描き出す
 人間味あふれる農民生活を描いたブリューゲル
 新しい女性像を描いたモリゾ
 20世紀絵画の預言者モロー

Category : 新書
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ついに読み切ったぜ、第一巻

マルセル・プルースト 「失われた時を求めて1 第一篇 スワン家の方へ1」 鈴木道彦・訳 2006年 綜合社




「書評家の<狐>の読書遺産」に出てくる本を制覇しよう!という企画の栄えある(?)一冊目が、「失われた時を求めて」を訳した井上究一郎氏の随筆で、しかもプルーストにまつわる随筆だったものだから、その時から「失われた時を求めて」には大変興味があった。
興味があったついでに、井上究一郎氏訳の「失われた時を求めて」を図書館で借りてもみた。
でも内容が、まっっっっっっっったく頭に入らず、ただ機械的にページをめくる、ついには寝てしまう、ということを繰り返し、あっという間に返却日。

そうやって涙を呑んでお別れした「失われた時を求めて」だったのだが、その後読む本にことごとく出現する。
そうやって物語の隙間から私を恨めし気に見るもんだから、「1Q82」でも“時間が余っている時に読む本”といった風に出てくるし、ブラジルに出張に行く機会(『どうせ一人でブラジルだからさぞかし暇だろう』ということで)に最初の2冊を購入に至った。
井上究一郎氏訳の本に手を伸ばさなかったのは、ま、挫折した歴史を持っている不吉なものにわざわざお金を出すのもどうか、ということと、鈴木道彦氏訳の本の方が注釈がいっぱいな上に、登場人物の説明、全体的なあらすじがついていたのが魅力的だったからだ。

さて、読んでみて驚いたのが、まあ、スルスル読めることよ。
なんというか「青白い炎」という超難解な意味不明な本を読んだ後のせいか、すんなり読める。

すんなり読めたついでに気付いたのが、前回読んだ時に読みにくいと思った理由だった。
「失われた時を求めて」は、非常に時間を把握するのが難しい。つまり、これは過去のことなのか、現在のことなのか、過去であってもどれくらい過去なのか掴むのが恐ろしく難しいのだ。
ある一行では主人公は非常に子どもなのに、突然青年になっていたりする。
おまけに章が変わることもないのがまた難解。

でもその“癖”みたいのが分かると、自分が実際に過去に思いを馳せているように、時系列は無視しながら、あちらこちらに想いを飛ばす感覚になって読みやすくなる。

あと驚いたのが、主人公が少年時代に想いを馳せているものだから、「銀の匙」をはじめとする清らかで繊細な物語をイメージしていたのだが、全然そんなことなかったということ。まあ、導入部分でも割と“エロティック”な表現があることからして、そうでないのも想像できるだろうけど。


あらすじは極めて語るのが難しいので省略。
ま 言うなれば、主人公が大叔母が住んでいたコンブレーに休暇ごとにやってきた思い出をつらつらと述べる話なのだが、やたらと沢山登場人物がいて、その一人一人のことが割と細かに描かれている。

以下は現在の私が気にいった個所の抜き書き;

Category : 小説:古典
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古典だったのね

ヘンリー・ジェイムズ 「ねじの回転」 蕗沢忠枝・訳 新潮社 昭和37年




どなたか忘れたけれども、作家(確か)が「ねじの回転」を勧めていたので、読みたい本リストに付け加えていたし、恩田陸の「ねじの回転」もそれがベースになってるのかと思って(勝手に)『もとのやつを読むまでおあずけ』にしてた。
それなのに「ねじの回転」を読むことはなかなか実現されず、どの作家が勧めていたのかも定かにならないくらいほったらかしにしていたのだが、ついに、読む本が手元になく心もとなくなったある日、本屋を徘徊していたら「ねじの回転」という文字が!
文庫本で安いということも手伝い、やっと購入するのに至った。


イギリスの田舎にある屋敷。
そこの主人はロンドンで生活をしていて、孤児となった小さい甥っ子と姪っ子が住んでいる。
そこに家庭教師として女性がやってくる。
前任の家庭教師はなぜか辞めていて、その理由は明かされていない。
そうこうしているうちに幽霊が出てきて…

とどこまでもお約束な感じで進んでいくので、非常にワクワクしてきた。
「ジェーンエア」のようであり、それでいてリアルに幽霊が出てくる。
しかも、天使のように美しい子どもたちにとりついているときている。
これが面白くないわけないじゃん!!!と思っていたのだが……



うん 端的に言って全然面白くなかったね。
多分あまりに時代が古すぎるんだと思うが、肝心な描写はすべてカットされ、すべて読者の想像にまかせる、と言った態。

なんせ最後の方の緊迫するシーンでも

「誓って嘘いつわりは申しません、先生、お嬢さまは、いろいろの事を仰言いました―――!」(p249)


というから、なになに、何を言ったんだい?と思うのに

そう言ったまま、彼女は後がつづかなくなり、ワッとわたしのソファの上に泣きくずれて、いつかのように、身も世もあらず泣き悲しんだ。(p249)


となってしまい、一体なにが起きたのかさっぱり分からない。

挙句の果てには解説に「多くの註解者はこの物語に、同性愛の意図を発見しているが(p298)」とあって、ますます「ええええーーー!!!」ってなもんデス。
どどどこに…!?


本文自体が古い、訳が古い、などなどの要因からちょっと楽しめない一作だった。
むしろ原文で読んだ方がよかったかもしれない。
そして幽霊=ホラーを期待してたのもいけないかもしれない。

などなどと思いつつ、また時間が余った時にでも原文を読むかもしれない。

Category : 小説:ホラー
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