早川紀代秀 川村邦光 「私にとってオウムとは何だったのか」 2005年 ポプラ社
またもや「読む本リスト」を潰そう企画。
今回も三浦しをん女史が薦めていたのであろう「私にとってオウムとは何だったのか」。
実は、私にとって地下鉄サリン事件は幼少期の印象的な事件として挙げられる。
というのはサリン事件の数ヶ月前、阪神淡路大震災で被災し、人の命の重さというものを実感させられた。それなのに、天災という人間の力ではどうしようもないところで沢山の命が奪われたその数ヵ月後に、人間の手で無差別に人の命が奪われたということに、子供ながらにショックというよりも怒りを感じていた。
それに伴い、今までは地震一色だったメディアは、これ以降地震の話を忘れたかのようにオウムについて騒ぎ、まだ被災生活が続いている身としては、メディアの変わり身の激しさを初めて認識したものだった。
何はともあれ、「私にとってオウムとは何だったのか」は、元・オウム真理教の幹部である早川紀代秀氏の記述が前半、後半に宗教学者の川村邦光氏の考察、という構成で成されており、非常に興味深かった。
とにかく疑問はひとつ;なんであんなひげもじゃで、いかにも胡散臭げな麻原彰光を崇めたてるにいたったのか?
ちなみに川村邦光氏の考察は、宗教による洗脳・大量殺人は珍しいものではない、という趣旨の論評で、やはり当人の記述の方が興味深かったので、さらりと流すのでとまった。
フレデリック・フォーサイス 「ジャッカルの日」 篠原慎・訳 昭和54年 角川書店
割とフレデリック・フォーサイスが好きなのだが、一番最初に読んだ作品が「ジャッカルの日」だった。
それで今度本の交換会なるものがあるので、それに「ジャッカルの日」を持っていこうと思ってはたと思ったのが、話をあんまり覚えていないこと。ということで再読しました。
実は一回目に読んだ時は原作で読んでいた(かなり四苦八苦した)のだが、本当に私は理解していたのか?というくらい、政治に部分が難しかった……
それでもジャッカルがかっこいいと思うのは変わらなかったけどね。
政治の部分が難しかったとは言えども、ストーリーラインはいたって簡単。
つまり、ジャッカルと呼ばれる殺し屋が、フランスの大統領シャルル・ドゴールを殺すよう雇われる。
それを知ったフランスの警察が、名前も分からない外国人による暗殺計画を阻止しようと東奔西走する話。
この話の魅力的な部分は、現実とフィクションが入り混じっていること。
まずジャッカルを雇ったOASという組織は実在していたし、もちろん標的シャルル・ドゴールも実在人物。しかもシャルル・ドゴールは何度も暗殺されそうになったという事実がある。
そしてジャッカルの暗殺への準備の過程のリアルさといったら半端ない。パスポートの偽造方法まで事細かに描かれている。
すべては著者フレデリック・フォーサイスが元ロイター通信の海外特派員だったから為せた技だとも言えるだろうが、素状の知れない(読者にも)ジャッカルという人物をあれほど生き生きと描けるのは大したもんだと思う。
ただ一つのリアルさに欠けるところは、イギリス警察官が割と素晴らしく書かれていること。ま これはイギリス人が書いたんだからしょうがない、とするか。
てなことを、紹介すればいっかな。
宮藤官九郎 「おぬしの体からワインが出て来るが良かろう」 2004年 学習研究社
桐野夏生の「グロテスク」に続き、読む本リストに載っていた本。
これも多分三浦しをんさんのエッセイに載ってたんだと思う。
前に「妄想中学ただいま放課後」を読んで、クドカンの人となりに軽くむかついたので読みたくなかったのだが、リストからなくしたいばかりに読んだ。
本当はこれの前に一冊あるみたいだが、読む気がしないのでパス。
「木更津キャッツアイ」とか「タイガーアンドドラゴン」は好きだったけど、どうも人が嫌だわ…
まず自分のことを“くんく”とか言ってる時点で、もう私は無理だ~なんだよな。
しかも業界にまったく興味がないから、もう読む気がしないよね。
だったら読むなって感じだけど、まぁリストから削除したいがために頑張って読んだのだ。
リストにももうクドカンの本がないから正直ほっ。もう二度と同じ轍を踏まないぞ。
汀こるもの 「パラダイス・クローズド THANATOS」 2008年 講談社
久しぶりに読んだメフィスト系列の本「パラダイス・クローズド」。
書店で“死を招く者と探偵の双子”というようなあおりを見つけて、面白そうだなと思い図書館で借りて来た。
読後の印象はというと、まぁ作者の『汀こるもの』という奇怪な名前に表されているような内容だった。
“死を招く者と探偵の『双子』”というところで想像できるであろう、割と漫画的な内容でもあった。
そもそも、この双子とその付き添いの刑事(一応主人公)しか目立たないこと極まりない。
何せ双子は、そんな特殊な性質を持つ上に美青年っていうんだから(そして性格も個性的)、双子ばっかり焦点が当たる。だから推理小説ではあるまじきことに、殺された人も“この人ってなんだったっけ?”という状態。犯人にだって“だからこの人って誰?”という状態だもんだから、誰が犯人でもさして問題がない有様。
そんな状態だからあらすじを書くと、至ってシンプルになる;
双子の兄・美樹には死を招くという特殊体質を持っている。行く先々で(身内も含め)人が死んでいく。
その影響ですっかり立派な高校生探偵になってしまった弟・真樹。
美樹の存在はネットでも暴かれてしまい、それも理由となって警察が御目付役をすることになっている。その白羽の矢が当たったのが高槻。
美樹はひきこもりなのだが、大変なアクエリスト。
同じくアクエリストの推理小説家に招かれて、小説家が所有する無人島に建つ屋敷にやってくる。というのはその屋敷には“モナコ水槽”があるからだった。
モナコ水槽のなんたるかはメンドイので端折るが、要するに人間が餌をやったりと世話することなく、海と同じような生態系で循環していく水槽のことらしい(多分)。
そうやって“モナコ水槽”につられてやって来てしまったのだが、もちろん殺人事件が起きる。
そこには他の推理小説家が招かれていて、屋敷の主を筆頭に次々と殺されていく。
孤島、電気も消されて離島状態、しかも嵐、というお約束なシチュエーションなのだ。
でも他の推理小説と違うところは、探偵役のはずの真樹が謎ときのシーンで、密室のトリックを暴くのを“拒否”するのだ。
「何にせよ、今ここにいる皆さんは生きてるわけなんだから。謎なんて解けなくてもどーでもいいじゃん。トリックなんてどーでもいいじゃん。命あっての物種。とりあえず生きてりゃ密室なんてどーでもいいじゃん。」(p201)なんて言う始末。
そもそも主人公の高槻もまったく推理小説を読まない人で
金田一のじっちゃんの方が落ち武者伝説を聞いて鍾乳洞ダンジョンを右往左往したり、男前だが頭のネジが二、三本外れた変人探偵が金持ちのお屋敷だの洋館だので今どき誰も知らないような宗教や土着の風俗習慣や脳生理学に関する蘊蓄を垂れながら、死んだコマドリのためにカラスがお経を読むとかいう見るからに聞くからにシュールな内容の海外の子守歌になぞらえた密室殺人の謎を解いたりするのが本格ミステリというものらしい。
この館というのが曲者で、忍者屋敷のごとき隠し通路や隠し扉、地下の拷問室、座敷牢は標準装備。土壁に人間の死体が塗り込められていたり、部屋や館自体に人間を殺せるようなギミックが仕込まれていることもある。大体が正気を失い、非業の最期を遂げた建築家だの悪趣味な大富豪が金に飽かせて造ったもので、消去法など気にしていては始まらないそうだ。(p43-44)
といった態。
推理小説でいながら、推理小説に罵詈雑言(は言い過ぎか?)を述べるのは、それはそれで面白かった。
ただ前述したとおり、問題点の方が目に着くのも確か。
でもミーハーな私としては、その双子のキャラ設定は割と気に行ったので、その双子を読む為にも何冊かシリーズを読んでみようと思う。