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がらくたにっき |

翻訳本みたいな文章だったので、日本人と知ってびっくりだった

飛浩隆 「廃園の天使I グラン・ヴァカンス」 2006年 早川書房




本の交換会で「ストリート・キッズ」と交換してもらった「グラン・ヴァカンス」。
SFってなかなか読まないからいい機会、と思って読んでみたが、正直あまり面白くなかった…

舞台は仮想リゾート<数値海岸>の一区画<夏の区界>。
そこにはAIが住んでいて、外の人間はその世界の役を買って楽しむ、というのがこのリゾートのコンセプトとなっている。役というのは、例えばある家族の“父親”というのが空席になっていて(AIがいなくて)、その“父親”を買って、ある期間は父親として楽しむ、というものなのだ。
そして読んでいくうちに、ただ“父親”役をするというのではなく、それが性的な遊びというのがこのリゾートの目的のようだ(というか、確かにただの“父親”役を高いお金を払って誰が買うのか、という話だが)。

ところが、この世界にゲストが来なくなって1000年。
もちろんAI達は外がどうなったのか、そして何故この世界が存続しているのかさっぱりわからない。
それと同時に“視体”というものが出現して、それは上手く使えると色んな能力(人間で云えば超能力てきな)が発揮できるというものだった。

そんなこんなで、なんの代り映えのない日々が続いている中で、突然得体の知れない「蜘蛛」が世界を襲う。
蜘蛛は底なしの飢えを持っていて、区界をどんどん食い荒らしてしまう。

そこからAIと蜘蛛の攻防戦が始まるのだが、これがまた長い。というか話の大半はこれで占められていて、割とだらだとAI達の奮闘ぶりが描かれている。云い方を変えれば“丹念に”描かれているのだが、何せ、こちらとしては謎な部分多いので、短気な私としては早く答えを出して欲しい。なのにあまり進展のない戦いが延々と続く。しかも登場人物がやたら多くて、その一人一人の死にざまが細かく書かれていて“いらんやん!”と思ってしまう。

そしてやっと最後になっても、なんの感慨もわかない結末だった。
多分、シリーズとなっていて続きがあるのかもしれないが、そんなすっきりとした終わりでもなかったし。
でもこのままシリーズを読んでいくこともないな…

色々と残念な作品だった。

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Category : 小説:SF
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映画にしたら面白そうな話だった

木内一裕 「藁の楯」 2007年 講談社




本の交換会で「殺し屋シュウ」と交換してもらった「藁の楯」。
比較的軽いタッチだったので、ざっと一日で読めた。
スピードを求めるエンターテイメント本としては、この軽さと読みやすさは良かったのではないかと思う。

同様の事件を起こし出所したばかりだという清丸が、またもや女子小学生を強姦し殺した。
今回殺された小学生は大富豪の孫であったがために、その祖父が権力を充分に使って、清丸に懸賞をかけた。
その金額十億。

日本中が血眼になって清丸を捜すなか、自分の命大事さに福岡で自首をした清丸。
警視庁の警備課に勤める銘苅は、この凶悪犯人を無事に東京まで護送する命を言いつかる。

警備課よりもう一人と、捜査一課から二人。あと福岡県警の一人で移送班を組む。

看護婦が殺そうとしたところから始まり、機動隊も銃を向ける。
移送班にも敵がいるようだ。
そんな中命を張って清丸を守るのだが。

清丸は凶悪犯。果たして命を張ってまで守る必要があるのだろうか…?


という感じで話が進む。


テーマも面白いし流れも面白い。
のだが
難点が一つ… この凶悪犯が全然描かれていない。あまりに描写が少な過ぎて、時々移送班の人たちが怒り狂うためにちらりと出るといった塩梅。

まあ 処女作だからしょうがないといえばしょうがないのだろうけど。
作者の木内氏は漫画家だということだから、やはりこれが小説と漫画の違うところなのかも、と思ったり。漫画であれば、背景にでも登場人物を常に入れておけば忘れされることはない。でも小説は、うまいタイミングでコンスタンスに登場させないと、読者は忘れてしまう、ということではないのだろうか?

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浮かれ気分の春に読む本ではなかったかも

丸山健二 「水の家族」 1989年 文芸春秋




読む本リストを消化しよう作戦より、「水の家族」。
既にこの本の出所が分からないので、一体何に魅かれて読もうとしたのかすっかり忘れてしまった。
実は前も図書館で借りたことがるのだが、1ページ目くらいであえなく挫折。
二度目のトライである。

結果は、まぁ読み終わったけれども、ちっとも良さが分からなかったので惨敗といったところか…
本当に読むのが苦痛で、最後は斜め読み。
こんな文学作品を斜め読みしたところで、果たして“読んだ”と言っていいのか激しく疑問。

近親相姦の果てに家を出た主人公が、何年後かに死んでしまい、その霊がまた家族のところに戻る、というのが大筋。
しかもその主人公が語り部なんだから、読んでいる身としては、突然語り部が死んでしまい、そのまま家族のもとへと霊魂として戻って、あれやこれやつぶやいているのを読んでいる、という感じなのだ。

一つ特徴的なのが、折々に一行が断言的な文章が挿入されるのだが、読点で終わるのと、何もなく終わるのとが交互に出てくるというところ。ちょっと長くなるがこんな感じ;

 祖父は如何なる風にも動じない。

 刻み煙草を悠然とくゆらせる祖父は、視野におさまる限りの万物と、視界の外にある万有をあるがままに認め、形而上の問題も形而下の現象も等しく肯定し、四囲を隙間なく埋めている生ける者どもから延命の力を得ている。そんな祖父の頭上で眩く輝く太陽は、きょうもまた、餓鬼岳のずっと上の山腹に貼りついている鬼の雲形を大胆に融かし、崩している。

 草葉町に日没が迫っている

 きょう一日春を支えた太陽は、私をこの世に置き去りにして、二重に見える餓鬼岳の直後、あの世の際涯に向ってどろどろと落ちてゆく。(p55)


文章は割と好きなのだが、近親相姦というのと、脈略のなさでこの文章では、ただただ眠かった。
芥川賞作家の作品とは相性が合わないのか。

Category : 小説:現代
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会社帰りの空腹時に、食べ物の素晴らしい描写が苦痛でたまらなかった

長野まゆみ 「カルトローレ」 平成23年 新潮社




本当に久しぶりの長野まゆみは、本の交換会で「ハードボイルド・エッグ」と交換してもらった「カルトローレ」。
割と飽き飽きしてきていた少年愛的な話とは一転して、初期の頃のような雰囲気の話だった。
改めて長野まゆみの文章の美しさ、視覚的な美しさを感じさせる作品で、非常に満足だった。
どれをとっても美しい文章なのだが、例えば

外衣のへりがつくる波がたの影のなかで琥珀いろの睛を潤ませている。眼縁からひと粒の珠がおち、青い外衣のひだのなかにおさまった。なにかめずらしい香油をしたたらせたようだった。(p100)

とか。

ちょっと「あれ?」と思ったのが、今まで読んできた長野まゆみ作品は、徹底して登場人物の名前が漢字の名前だったのが、今回は“タフィ”やら“コリドー”などとカタカナの名前だったこと。
なんか違和感あるな~と思っていたらこれだった。

物語はというとふわりとして取りとめないので、まとめるのが非常~~に難しいのだが、主人公はタフィ。
空中に浮かぶ<<船>>の住民だったのだが、その船もついに地上に降りることになり、<<船>>の乗員たちは適用プログラムを経て地上の社会に組み込まれていく。
タフィもその一環で、<<船>>の乗員が書いたという109冊の日誌を読み解くという任務をもらって、砂漠が広がる地域に越してくる。
そこで“ワタ”と呼ばれる民族や、同じく<<船>>出身の管理局の職員とふれあいつつ、暮らしていく、という話。

タフィの記憶が非常にあやふやなので、最後にはタフィの記憶も呼びもどされたりするのかと思いきや、そういうわけでもなく、割と何も解決しないまま終わるのだが、それはそれで全然いいと思わせる話だった。

物語を楽しむ、というより文章を楽しむ、という作品だった。
なにせ文章を読んでいると、美しい画がぱーっと目の前に広がるようで、この文章の美しさ、というのは視覚的な美しさ、に繋がるというのは、すごいことだと思う。

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グッピーって名前が好きじゃない

汀こるもの 「まごころを、君に」 2008年 講談社




なんだかんだ文句はいいつつも、予想通りというか、やっぱり読んでしまったTHANATOSシリーズ。
双子設定に魅かれて読むという、ミーハー根性まる出しで読みました。
てなことで、話がどうちゃらこうちゃらは割とどうでもいい。

美樹くんと真樹くんと刑事さんが出てくれば、それでよし。
そして当たり前のことながら出て来たので、それはそれでよし。


で終わってしまうとあまりになんなので、ざっとしたあらすじはというと。
生物部でいじめにあって自然科学部に移ってきた柳瀬を不憫の思った自然科学部は、文化祭で生物部をぎゃふんと言わせてやろうと立ちあがる。
といってもグッピーのブリーダーである生物部に対して、まったく魚の知識がない自然科学部は美樹の指導を仰ぐことにする。
そんな折に真樹が付き合いだした相手の子は、なと生物部の部長の妹。

なんだかんだで文化祭がやってきて、柳瀬の報復へと生物部に乗り込んだ美樹は毒舌の限りを尽くす。
そしてタナトス気質な美樹だけあって(というかそうじゃないとそもそも話が始まらない)、その後、生物部で爆発事件があって部長をはじめとして何人かが亡くなり、怪我人も現れる。


例によって例の如く、魚に関する蘊蓄がだーーーと並び、ついでに憶測なのか真実なのか分からない調子の文章がつらつら書き連ねられていて、最後の犯人の告白で、「あ、やっぱりこの人が犯人なのね、はいはい」と再確認をする始末だった。
なんでかな。京極夏彦の蘊蓄は面白く読めるのに、このシリーズの蘊蓄は割としんどいよ。やっぱり妖怪と魚じゃあ、根っからの文系の私としては妖怪に軍配があがるんだろうな。

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痛がりなので、無痛はいやだけどless痛がいいな

久坂部羊 「無痛」 平成20年 幻冬舎




これまた本交換会で「ジャッカルの日」と交換してもらった「無痛」。
“エログロ”という紹介のされ方だったが、刑法三十九条(心神喪失者による犯罪について)について扱われている、というのと、痛みを感じない人、というのに魅かれて交換してもらった。
一応コメントしておくと、そんなエログロじゃなかったです。

途中まで割と面白かったけれども、最後がちょっと納得いかなかったのが正直な感想。
すっきり終わらなくてもいいけれども、もうちょっとうまくまとめて欲しかったなかな。

ざっとした話はというと、

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空飛ぶ人って、なんだかシャガールの絵を想像してしまった

桜庭一樹 「赤朽葉家の伝説」 2010年 東京創元社




読書友達に強く勧められた「赤朽葉家の伝説」。
前にも桜庭一樹のエッセイを勧められて読んだけど、あまり魅力的に感じなかったんだよな~と思って図書館に行くと予約待ち。一応、予約しておいてその日は「砂糖菓子の弾丸は撃ちぬけない」を借りたのだが、その時の印象は、“辻村深月に桐野夏生をちょっと足したものを薄くした感じ”というものだった。
面白いとは思ったのだけれども、そこまで魅かれないというか。

ところが

「赤朽葉家の伝説」!めちゃくちゃ面白かった!!!!!!!!

東京創元社が出しているのでミステリかと思いきや、そうではなく(一応なんとなく謎はあるけれども)、女三代記と言った方がよいのだろうか。

語り部の祖母から始まり、母親までの人生が焦点に当てられている。
祖母や母親、そしてそれを取り巻く家族がものすごい個性的で、それだけでも面白いのだが、何がすごいって時代がとてもリアルなこと。
まあ 私だって戦後社会から生き抜いてきたわけじゃないから本当にリアルかどうかは分からないけれども、空気というか雰囲気というかがリアルで、時代の評し方が的確。

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マイケル・ジャクソンのパロディー部分にはちょっとホロリとした

室積光 「ドスコイ警備保障」 2003年 角川書店




読む本リストを消化しよう作戦の一環。
多分三浦しをんさんのエッセイに紹介されていただろう「ドスコイ警備保障」。

今、相撲業界は何かとごたごたしているけれども、ここに出てくるお相撲さん達はなんともハートウォーミングな方々だった。
これといった話があるわけではなく、ゆるゆる進んでいくのは小路幸也の「東京バンドワゴン」と似たような雰囲気。

話はというと、お相撲さんの再就職先を作ろうということで、警備会社を設立することになるところから始まる。
なんでも大相撲の世界には八百人以上の力士がいるけれども、じっさいに“関取”になって給料がもらえているのは七十人しかいないそうだ。
“大半の人が相撲の世界から一般社会に転進するんだけど、大学相撲出身者はまだいいけど、中学卒業してすぐ相撲部屋に入門した人なんかは、資格もなければ学歴もないわけでしょう?体の大きな大飯食らいが自分の食い扶持を稼ぐだけでも大変なわけよ”(p15)ということらしいのだ。

そんなわけで元横綱の南ノ峰親方の要請で、芸能プロダクションの社長敦子と中学・高校時代の同級生が会社設立に手助けをすることになるのだった。


平和に話が進んでいくので、もちろん警備会社は成功するし、それぞれ幸せになって終わる。
久しぶりにほのぼの・まったりした本を読んだ気がした。

Category : 小説:現代
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九州ではないけれど、白いたんぽぽなんてよく見つけたぞ

加納朋子 「ななつのこ」 1999年 東京創元社




図書館でぶらぶらしている時に、偶然に見付けた加納朋子の名前。
どっかで見たことあるな…と思っていたら「インディゴの夜」の人だった!
割とはまった小説の作者のデビュー作だと知ったら借りずにはいられない!ということで「ななつのこ」。

これで鮎川哲也賞を受賞したらしいのだが、なかなか面白い趣向になっている。
「ななつのこ」というのは、主人公の女子大生・駒子が大変気に行った本のタイトルそのものなのだが、あまりに好きで作者にファンレターを書くのがそもそものきっかけ。
駒子の『ななつのこ』の内容は、主人公のはやて少年が、村で起きるちょっとした不思議なことを、謎のきれいな女の人・あやめさん(はやてが命名)に語り、あやめさんが謎を解くというもの。
それになぞって、駒子もファンレターにちょっと不思議なことを書いて送ったのだが、意外なことにその不思議なことの解答と共に返事が送られてくる。

この「ななつのこ」も『ななつのこ』も連作になっているのだが、駒子がいちいち『ななつのこ』を思い出したり引用したりするものだから、『ななつのこ』に謎ときも、駒子の出来事の謎ときも、読者は二重に楽しむことになっている。

収録されているのは以下の通り;

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好きな本を否定されることほど哀しいことはない

ドン・ウィンズロウ 「ストリート・キッズ」 東江一紀・訳 1993年 東京創元社




今度の本の交換会に持っていく本の中で、文句なく面白い(他のも面白いけどね)!と思っているのが「ストリート・キッズ」。
高校生の頃からずっと好きで、何かと再読するばかりか、原文でまで読んじゃったくらい。

なのに、なのに!妹に貸したら“あんまり面白くない”というお言葉。
がーーーーーーん!!!!
……

本当に面白くないの…?
と心もとなくなって読み直してみたら…

面白いじゃん!やっぱり!


この先も再読し続けるだろうから、あえてここにあらすじを書く必要はないと思うので、なんでこんなに好きか考えてみよう。

まず、登場人物が魅力的。
やる気のないニール。それでいて天才的な探偵。というか腕利きの探偵は、つまり臆病者なんだ、という自論がうまく生かせている。それでいて、文学をこよなく愛するところから分かる通り、とても繊細な心を持つ。
といってもただの軟弱者ではなく、非常にウィットに富んでいる。

というかこのウィット、全体的にちりばめられていて、本当に最高。「ぷっ」か「ニヤリ」が連発してしまう。

魅力的な登場人物として、やはりグレアム。実は私の周りでは、ニールよりもグレアム好きが多い気がする(といっても二人しか読んだ人を知らなくて、その二人とも。ちなみに妹はその一人)。
ニールの“お父さん”で、義手で、それからひどいきれい好き。

そして何度も言うが、一番の魅力はウィットだな!
「ぷっ」と「にやり」。


でもね~ 読み返して気付いたけど、ちょっと翻訳がよくないかも。
だって、ニールがえらいさんに皮肉を言った時に、横にいたグレアムの描写に

 グレアムは、床の模様に魅入られたように、いっと足もとを見つめたままだった。(p44)

って!原書はもっと面白かったぞ!手元にないから忘れたけど!

なにせ

「きょうはゲームで遊ぶことにする」きらめくばかりの腹黒い笑みを浮かべて、グレアムが言った。
「ご機嫌」十六歳になったニールは、十六歳なりの研ぎ澄まされた嫌味を込めて、言葉を返した。(p152)

だもん!なにが“ご機嫌”だ!大方、英語で"fine"ってなってたのだろう。

うーむ これは頑張って翻訳しなおして布教するべきか。
って なんか書いていることが支離滅裂になってきたので、もうこれ以上書くのはやめよう。

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ルーシーが兄弟の中でダントツにアスランに会ってると思う

C.S.Lewis "The Voyage of the Dawn Treader" 1952 Harper Trophy




映画を観る前に読みなおそうキャンペーンで「The Voyage of the Dawn Treader」を読みなおした。
子供の頃に読んだ邦題は確か「朝びらき丸東の海へ」だったのに映画では「アスラン王と魔法の島」。おかげでどの本の映画化なのか分からなかったよ…

それはさておき、さっぱり話を覚えていなかった。
覚えていることといえば、意地悪な男の子が出てきて、絵からどんぶらこと船が出てきていつの間にかナルニアに来てしまうこと、そしてその男の子が更生するってことしか…。ルーシーやエドモンドが出てくることも忘れてた…
でも、途中でルーシーが廊下を一人で歩くシーンがあるのだが、その挿絵を見て“あっ!”と思った。というのは、大学生の頃に描いた廊下の絵に雰囲気がそっくりだったから。その時“不思議な世界での長い廊下”というのを想像した時にぱっと脳内に現れたのがこの廊下だったのだが、まさにナルニアから来てたとは!

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