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がらくたにっき |

相変わらず人間描写が卓越しているなぁ

上橋菜穂子 「獣の奏者 I闘蛇編」 2009年 講談社




「守り人」シリーズを読んだ時に、日本人に生まれてこの本を読めて本当に良かった!と思えるくらい好きだったので、また新たなシリーズを読むのにはちょっと抵抗があった。だって面白くなかったらがっかりが何百倍もなると思うし。

しかし!そんなのは本当に杞憂に終わった!
何これ!面白すぎる!!!

主人公のエリンの母親は闘蛇衆の一人で、しかもその腕が良いことから、一番大きい“牙”と呼ばれる闘蛇を負かされている。
この闘蛇というものは、普段は水に住むが陸地に上がると竜みたいなもの、でも水に居る時は海蛇みたいなもの想像していいみたい。
本当は人間に慣れない獰猛な生き物だが、音無し笛を吹いて体を硬直させながら調教して、それに乗って軍を為すのが大公領の軍だった。

そもそも大公領とは、リョザ神王国の一部なのだが、このリョザ神王国というのは山の向こう、神が住むというところから神がやってきて人を統べたのがことの始まりだった。
武器も持たず、王の神性でのみ国を統治していたのだが、近隣諸国から攻め入られた時に、大公の祖先が人を殺すという汚れ役を買って出て、そこからリョザ神王国を守る役割があてがわれることになる。

そんな歴史を持つのだが、ある時、牙がすべて死んでしまうという事態が発生する。
大公の牙を死滅させたかどで、エリンの母親は死刑になってしまうのだが、なんとか母親を助けようと幼いエリンは闘蛇のいる池に落とされた母親めがけて泳いでいく。
もう間に合わないと思った母親は、指笛を吹いて闘蛇を言うことを聞かせ、幼いエリンを闘蛇に乗せて逃がすのだった。

実はエリンの母親こそ、霧の民と呼ばれる、王国に忠誠を持たない流れ者の一族だったのだ。
その一族は不思議な力を持っているとされ、王国の人々に忌み嫌われていた。


とだらだら書いていて気付いたが、この物語を簡単にまとめるなんて無理!
なぜなら総ての設定が好きすぎるから、落とすことなんてできない!

とりあえず、エリンは養蜂を営むジョウンに拾われて平安な日々を過ごすのだが、ひょんなことより別れなければならなくなり、エリンの才能と王獣への関心が相成って、王獣使い養成所みたいなところに入ることになる。

この王獣、姿こそ美しいのだが(キメラみたいな姿?)獰猛な闘蛇の天敵で、闘蛇をあっさり噛み殺してしまう。
その姿により、リョザ神王国に真王の象徴として、王国内で何頭も飼われている。
闘蛇と同じく人間に慣れない王獣は、闘蛇と同じく音無し笛で操作されながら飼われているのだが、その王獣が病気になったりした時に保護される場所・カザルム王獣保護場にエリンは入学することになるのだ。


そんな折に、真王に捧げられた幼獣が、真王暗殺(未遂に終わったが)に巻き込まれ怪我をして、カザルム王獣保護場にやってきたのがエリンの人生を大きく変えさせる。

実はエリン、珍しいことに野生の王獣を見たことがあったのだ。
その経験を見込まれて幼獣の世話を任されたのだった。というのは、幼獣・リランは大変怯えていて、餌をまったく食べなくなってしまっていたのだ。


というところで一巻は終わる。
あまりに面白くて、一気読みしてしまった。二巻も実は一気読み済みなのだが、三巻をさっそく買いに行こうと思う。

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もう一度「屋根裏部屋の秘密」を読んでみたくなった

青木富貴子 「731」 2005年 新潮社




これまた「読みたい本リスト」を消化しようと読んだ本、「731」。
731部隊のことは、子供の頃に松谷みよ子さんの「屋根裏部屋の秘密」を読んで知った。それまで小学校では“原爆”や“空襲”といったような被害者としての戦争しか教えてもらってなかったので、日本軍が行ったことを初めて知って大きなショックを受けたのを覚えている。

というわけで、誰だったか忘れたけれど、どなたか(もしかしてまたもや三浦しをん?)のレビューを読んで、読んでみようと思ったのだった。

が、正直、ちょっと散文的な気がして読みずらかった。
なんだろう…青木富貴子さんが調査していく過程も書いてあるのだが(つまり完全なるレポートのようになっておらず、青木富貴子さんが関係者に会ったりするシーンが出てくる)、その過程の部分と事実の部分が割とごちゃごちゃしてた気がする。少なくとも一行空けての段落変えとかしてくれたら読みやすかったかもしれないのに…

それはそれで、内容は知らない事実ばかりだったので面白かった。
本書は731部隊が行ったこと、というよりも、終戦直後の731部隊にスポットが当たっている。
もちろん、731部隊の成り立ちや戦争中の活動(といっても具体的な内容はほんのさらり)も描かれているが、それらよりも、アメリカ軍にどのように知られたのか、又、ソ連とアメリカの731部隊の研究結果をめぐる攻防がメインとなっている。

ここに本書の内容を書こうとしても難しいので、まず驚いたこと一点を。

それは、731部隊が東京裁判で裁かれなかった、ということ。よく考えたら、それだからこそ闇に葬られたのだろうが…

 戦争当時の日本国民は遠くは満州からベトナム、シンガポール、南太平洋の島々や南西諸島、沖縄などにまで広がった戦場で、どんな戦闘が起こっていたか、まったく知らされていなかった。…(中略)…
 「東京裁判」では初めて日本軍が残虐行為を働いたことが訴えられた。…(中略)…帝国陸軍は「アジアの解放」のために身を捧げていると思っていた国民にとってみれば、寝耳に水とはこのことだったにちがいない。…(中略)…
 もっとも、東京裁判ではここで裁かれたことばかりが問題なのではなかった。裁かれなかったことの方が、却って問題なのである。その筆頭が石井部隊の細菌戦であったことはいうまでもない。(p233-234)


731部隊が闇に葬られた背景には、どうしても731部隊のデータが欲しかったアメリカ軍が、なかなか口を割らない隊員たちに“免責”を条件にレポートを提出するまでに至ったのだった。

そして、東京裁判にかけてしまうと証拠品としてレポートが全世界を相手に提出されてしまうことになるので、アメリカ軍としては独占するためにも東京裁判にはかけないように暗躍したようだ。
特に、ソ連軍に捕まってしまった隊員が、ソ連軍の執拗な尋問により口を割ってしまったが為に、ソ連軍が731部隊の内容を知ってしまい、アメリカ軍へ石井隊長を尋問させるよう要請した時は、冷戦時代に入ったいたこともあって、石井隊長などにソ連へは口を割らないよう厳命するくらいだった。

このレポート、日本が戦争に負けたという時点で、上層部から総てを燃やすようにと言われたのに、石井隊長がそれを守らずに持って帰ったもの。
なんでも731部隊の活動は天皇陛下にも、果ては東条英機にも秘密であったようだ。そんな訳で陛下に類が及ぶのを恐れた上層部や731部隊の幹部クラスの人たちは必至で秘密を守ろうとするのだった。

結局は、良心の呵責に責められた隊員がソ連の尋問に耐え切れずに口を割ってしまうのは、731部隊の残虐性や、アメリカとソ連の攻防といった政治性のなかで、唯一人間的だった気がする。

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鉄道好きが読んだらもっと面白かったと思う

内田百 「第一阿房列車」 平成15年 新潮社




ちくま文庫の作家別になっているシリーズで、内田百を読んでから内田百が好きになってしまったので、図書館で借りて来てみた「第一阿房列車」。
やっぱり面白かった!

この本は、内田百先生がなんの目的もなく(←ここが重要)電車に乗ってどこかへ行くのが綴られている。
本当に何の目的もなく、しかも目的を作ってはいけないということで、人にも極力会わない。
鉄道関係者という“ヒマラヤ山系”君をお供にして日本各地津々浦々行くのだが、やっぱりこの洒脱な感じといい好きだな~と思わせた。

本書で収録されているのは以下の通り;
・特別阿房列車    東京 大阪
・区間阿房列車    国府津 御殿場線 沼津 由比 興津 静岡
・鹿児島阿房列車   尾ノ道 呉線 広島 博多 鹿児島 肥薩線 八代
・東北本線阿房列車  福島 盛岡 浅虫
・奥羽本線阿房列車  青森 秋田 横手 横黒千 山形 仙山線 松島

内容は特にないので、好きな文章を書き連ねてみようと思う;

随分大きな駅をどんどん飛ばしているが、そう云う所のちらちらするあかりが、棒の様に長くなって飛んで行った。胸をすく様である。しかし汽車の窓から見るより、駅にいて通過列車を眺めた方が面白い。地響きが近付いたと思うと、大きなかたまりが、空気に穴をあけて、すぽっと通り過ぎてしまう。(p39)

懸念仏の禿げを見ても、私はちっとも珍しくないし、新鮮な感興も起こらない。彼は学生の時分から已に頭の毛が怪しかった。同級の彼の友達に、偕に禿げるかと思われた相棒がいたが、その方は東京にいるけれど今以ってうろうろした毛が頭をおおい、苟も禿げを見せていない。(p223)

他にも描写がきれいなところがあったのだが、今は見つからず。
それにしても山系くんをお供にしているわりには、随分な云いようで、どぶ鼠のようだ、から始まり、特別阿房列車にて宿で汚い部屋に通されたのは

玄関でお神や女中の出迎えを受けた時、先方は商売だから、こちらの人相、風体、持ち物などを見るのだろう。人相は、私自身の事は棚へ上げて置くとして、山系はどぶ鼠で、持ち物は二人共通の小さなボストンバッグが一つ。その外に私が竹のステッキを持っていただけで、後はなんにもない。そのボストンバッグが甚だきならしく、山系が持って来たのだが、死んだ猫に手をつけてさげた様で、丸で形がない。女中が、はいお荷物はお持ちしますと云ってひっさげたけれど、持ったら手がよごれそうであった。(p160-161)

と山系くんのせいにされる。

百先生のお人柄も当然ながら、この山系くんとのやり取りも絶妙で、第二も是非読みたいと思った。

Category : 随筆
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劉備がいまいち魅力的でない…

吉川英治 「三国志(一)」 1989年 講談社




昔々、三国志は原文で読むぞ!という野望があったのだが、今となってはそんなことは到底無理!ということが分かったので、日本語訳を読もうと思い立った。
思い立ったはいいが、一体だれの作品を読んだらいいのか分からず、とりあえず宮城谷昌光氏のを読んでみたら、一向に話が進まず挫折。
友人に相談してみたら、“手始めに読むのは吉川英治”と言われたので、吉川英治は好きな作家だしということで読んでみた。

もともと文章に慣れ親しんでいたためか、大変読みやすかった。
が、他の吉川英治作品よりも魅力に欠けると思った。多分、三国志の原文に忠実に書いているせいか、吉川英治作品特有の魅力あるキャラクターが出てきていないからかもしれない。
また、長~い三国志の一巻目だから、話の序章すぎてこれから面白くなるのかもしれない。

ということで本書は、劉備が張飛や関羽と出会い、黄巾賊を打ち倒すのを手伝ったり、曹操に出会ったりするところが描かれている。
曹操は反旗を翻して、それに劉備達も加担するのだが、結局戦局が悪くなり、曹操が身を潜めることにするところで終わっている。

キャラクターが云々、といっていたが、吉川英治によく出てくる(と私が感じている)カラッとした役柄というのは出てきていて、それが張飛に割り当てられている。
一巻の最後は彼の台詞の

「おい、飲まないか。まだおれ達の祝杯は、前途いつのことだか分からないが、生命だけはたしかに持って帰れるんだから―――少しくらいは祝ってもよかろう。馬上で飲み廻しの旅なんて、洒落ているぞ」
 などと張飛は笑わせて、いつも日々是好日の態だった。(p491)

で終わっているのが、二巻への期待を高まらせる。

Category : 小説:歴史
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「だら!」と使いたくなってしまう

芝田勝茂 「ふるさとは、夏」 2004年 福音館書店




子供の頃読んだ本で忘れられない本がある。
「ふるさとは、夏」を読んだ時、本当にその田舎の空気を感じて、わくわくしたものだった。その後も、夏休み+田舎に行くという本は何冊か読んだし、神様と出会ってなんやかんやする、という話も読んで、それはそれで好きだったけれども、「ふるさとは、夏」はなんだか特別な本だった気がする。

そんなことをふと思い出したら、どうしても読みたくなって、本屋さんで買ってしまった「ふるさとは、夏」。
本当は昔みたいにハードカバーで買いたかったけれども、文庫版も挿絵がまったく同じだったので、ま、経済的にも文庫版にしてみた。
そのままマクドに行って一気読み。

懐かしいブンガブンガキャーやジンミョー、ハンザ、温泉に行っちゃう三人組の神様やらに出会えてうれしかった。
田舎で人間外の人とのふれあいと云えば「ユタと不思議な仲間たち」も好きなんだけれど、あの話では主人公ユタは座敷わらしとの交流しかほとんどないのに比べて、これは主人公・みち夫は人間(といったら変だけど)との交流がしっかりある。
というか、田舎の人たちに馴染めないみち夫を、なんとか神様たちが仲間に入れようと(といってもさりげなく)するのが暖かい感じがして、そこがこの本の好きなところだな、と思った。
神様と人間の入り混じりようが絶妙なのがいい。

あと魅力的なのが方言。
みち夫の方言に関するとまどいもよく表れるくらい、みち夫以外皆、方言を使っている。それがますます“ふるさと”感が出ていていい。

自分にはふるさとがないけれども、これを読むとそこがふるさとな感じがする。
最後に盆踊りで神様たちと踊っているシーンなんて読んでいると、夏休みが終わってしまう寂しさを思いだしてしまう。
というわけで買って本当に満足な本だった。

Category : 児童書
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