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がらくたにっき |

次から次へと氏族をよく思いつくよな

ミシェル・ペイヴァ― 「クロニクル千古の闇5 復讐の誓い」 さくまゆみこ・訳 2009年 評論社




珍しく間髪いれずに読んだ「クロニクル千古の闇」シリーズ。
今回も初めて出てくる氏族などが出てきて面白かったが、何よりもウルフとの関係に劇的な変化が出て、途中が切なかったりした。

世の中が不穏になるっているので、アザラシ族と共同でアザラシ族を見張っているトラク達。
その晩は、ベイルとトラクが見張り役だったのだが、ちょっとしたことで二人は諍いを起こし、トラクは一人で離れた所で一晩を過ごす。
すると、ファイアーオパールを探しにやってきた<魂食らい>のシアジによってベイルは殺されてしまったのだった。

トラクはベイルの復讐を誓って旅に出るのだった。そうしてレンとウルフと3人の旅が始まるのだった。
今回の舞台は深い深い森の中。
オースロックス族、モリウマ族、オオヤマネコ族、コウモリ族、アカシカ族が住む。
奇妙な氏族たちで、特にオースロックス族とモリウマ族が戦っているので、ますます不気味な雰囲気になっている。

その戦い自体がシアジの仕業で、まぁいつもの通り、トラク達が倒して終わりなのだが。
今回のテーマとなっている“復讐”のために、途中でウルフが去ってしまうシーンが切なかった。
狩りをするわけでもないのに殺す、という復讐の気持ちがまったく分からないウルフ。突然、トラクがオオカミでないことに気付くのだ;

<背高尻尾なし>は後足で立ち上がると、とまどったような顔でウルフの方へ歩いてきた。
[どうしてこっちに来ないんだ?]
 その顔……。
 ウルフは最初から、平らで毛のない兄貴の顔が好きだった。でも、<闇>の中で見上げるその顔はオオカミとずいぶんとちがtった。<背高尻尾なし>の目も、オオカミの目とちがって、<明るい白い目>の光を投げ返してはいない
 [オオカミにはとても見えない]
 多くの<光>と<闇>の間つきまとっていたその思いが、倒木のようにウルフをおしつぶした。<背高尻尾なし>はオオカミじゃない!
…(中略)…
 [知ってると思ってたよ]トラクは、オオカミ語で言った。
 ウルフはあとずさった。琥珀色の目が、苦痛にくもっている。
 ああ、ウルフ。知ってると思ってたのに。
 ウルフは哀れな声を上げながら、尻尾を巻いて逃げ出した。(p329-331)


ウルフ~~~!と思っていたら、雌とも会ってしまうし、もうこのままさよなら?と心配していたら、それは杞憂に終わり、ウルフはトラクの元に戻るのだった。
しかも子供も生まれ、トラクの群れには雌の<黒い毛>と3匹の子供が増えることになるのだった。

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トラクもレンも大きくなった

ミシェル・ペイヴァ― 「クロニクル千古の闇4 追放されしもの」 さくまゆみこ・訳 2008年 評論社




読み始めると一気に読めるのに、なかなか読み始めない“クロニクル千古の闇”シリーズ。なんでだろうな。
面白いと分かっているのだけど…

魂食らいの刺青をつけられてしまったトラク。
レンにもフィン=ケディンにも言えずに悶々としていたのだが、ついにイノシシ族に見つかってしまう。
突然のことでフィン=ケディンも助けてやることもできず、掟に従って“ハズシ”にされてしまう。
“ハズシ”とは、死者として扱われ、見付けた人は殺していいことになっている。

ハズシの刺青を額に入れられたトラクは、ウルフと一緒に逃げることになるのだが、魂の病にかかってしまってウルフの言葉も理解できなくなる。それどころかウルフを追いやってしまうのだった。
それは魂食らいの一人、セシュルが噛んでいることはおいおい分かってくるのだが。

ハズシと関わる人も死罪となる思い掟なのだが、レンが黙っていられない。
トラクの母方の血族であるベイルと共にトラクを追いかけていく。

トラクが魂の病にかかったことに気付いたレンは、術を使ってワタリガラスをトラクへ寄こす。
実際、ウルフの言葉どころか森の知識もすべてなくなっていたトラクを助けたのは、2羽の子どものワタリガラスだった。

魂の病から治ったトラクは、ウルフと再会を果たす。
ところが喜んでいられるのも束の間、セシュルに捕まったしまう。

セシュルは3かけらの内、残っているはずのファイアオパールの一かけらをトラクが知っているの睨んでいる。
なんとかセシュルから逃げて、しかもレンとベイルに合流できたのだが、そこでセシュルはレンの秘密を暴露してしまう。というのは、セシュルこそがレンの母親だというのだ!
それで決裂してしまうレンとトラク。

ベイルによってレンと仲直りをしようとするのだが、その時にトラクの父親のナイフにファイアオパールの一かけらが入っていることを知る。

最後はセシュルを殺しファイアオパールを砕く(ファイアオパールを砕くには生き物を犠牲にしなくてはいけない)。

フィン=ケディンがトラクを養い子にした為、トラクはハズシから解かれるのだった。


めでたしめでたし、といった感じなのだが、ウルフがオオカミの群れから離れてしまう寂しさが伝わって可哀想だった。
ウルフにとってはトラクは群れの兄貴。子どもの自分を育ててくれて、子どもの時に歩けなくなった時、抱えてくれたことを思い出すシーンはしみじみとした。
でもオオカミは必ず一つの群れしか持てない。ウルフとトラクが別れてしまうのは寂しいけれども、ウルフが本来の自分の群れに入れない、というのはなんだか切なかった。
今まではトラク自信も人間の群れには入れていなかったので同等というイメージだったのに、本書でトラクはフィン=ケディンの養い子になる。
その事実がウルフの哀れさを出しているような気がした。

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オランダ絵画に美人が登場しない訳がよ~く分かった

木村泰司 「名画の言い分」 2007年 集英社




結論から言うと、大変面白い本だった。
もともと絵画本体というよりも、絵画と社会との関わりの方が興味があるし、また絵画とはそういやって見るものだと思っているので、そういう意味で大変満足のいく一冊だった。
今までは自分の興味のあった時代しか、そういう観点で見ていなかったけれども、本書でダイジェストのようにざっと見れて、そういう意味では全体的に概要を見るためにもってこいな1冊だったと思う。

絵もカラーで見れるので大変分かりやすかった。
できたら手元に置いておきたい1冊だった(図書館で借りたので…)

とりあえず目次を抜粋しておくと;

第1章 西洋美術の発祥 ~古代ギリシアから中世への旅~
 古代ギリシアから中世までの美術の変遷を、ひと味違う視点で解説。
 ギリシアの彫刻たちが語りかけてくる内容に耳を傾けてみると…。
 『幼児ディオニュソスを抱くヘルメス』、『サモトラケのニケ』、
 『ラオコーン』、『ミロのヴィーナス』、『皇族の行列』、
 シャルトルのノートル・ダム大聖堂、ランスのノートル・ダム大聖堂など。

第2章 フィレンツェに咲いたルネサンスの華
 経済が発展し、生活レベルが一気に向上した13~15世紀のイタリアで、
 古代ギリシア・ローマの文化と芸術が復活。キリスト教とそれらが
 どう折り合いをつけていったのか、ルネサンスの本質に迫ります。
 ボッティチェリ『プリマヴェーラ(春)』、
 ロッセリーノ『レオナルド・ブルーにの墓廟』、
 ミケランジェロ『聖家族』、ラファエロ『アテネの学堂』、
 マンテーニャ『聖セバスティアヌス』など。

第3章 神の名のもとに ~キリスト教絵画の変容~
 15~17世紀、ネーデルランドではプロテスタントの台頭に伴い、
 宗教絵画が劇的に変化します。
 この面白さがわかったら、あなたももう美術通!
 カンピン『メロードの祭壇画』、エイク『ゲントの祭壇画』、
 ウェイデン『十字架降下』、フース『ポリティナーリの祭壇画』、
 ボス『愚者の船』『快楽の園』、デューラー『自画像』『四人の使徒』、
 アールツセン『肉屋の店先』、ブリューゲル『狩人たちの帰還』『盲人の寓話』、
 レンブラント『眼を潰されるサムソン』『キリストの説教』など。

第4章 フェイス ~肖像画という名の伝記~
 肖像画に隠されたメッセージを読み解くと、思わぬ素顔が見えてきて。
 エイク『アルノリフィニ夫婦の肖像』、
 ダ・ヴィンチ『モナ・リザ』、クリーエ『フランソワI世』、
 ホルバイン『ヘンリー8世』、リュベンス『マリー・ド・メディシスのマルセイユ上陸』、
 ダイク『狩場のチャールズI世』、ブーシェ『ポンパドゥール夫人』、
 ルブラン『マリー・アントワネットと子どもたち』、
 ダヴィッド『サン=ベルナール峠を越えるボナパルト』、
 げーんズボロ『ロバート・アンドルーズ夫婦』など。

第5章 天使からのメッセージ ~天使はキューピッドではない!~
 天使とキューピッドの違いを徹底解剖。「へえ、そうだったんだ」の連続です。
 ジェラール『アモルとプシュケ』、
 パルミジャーニ『弓を作るクピド』、
 ラファエロ『ガルテイア』『サン・シストの聖母』、
 リュベンス『愛の園』、ベリーニ『赤いケルビムの聖母』、
 ダ・ヴィンチ『受胎告知』、
 ボッティチェリ『聖母子と八天使』、
 スルバラン『大天使ガブリエル』、
 プーサン『聖母被昇天』など。

第6章 人生の喜び ~オランダ絵画の魅力~
 17世紀のオランダはバブルだった!? そこで流行した風俗画の魅力をご紹介。
 ハルス『陽気な酒飲み』『マッレ・バッベ』、
 レイステル『フルートを吹く少年』、
 ステーン『聖ニコラウス祭の前日』、
 フェルメール『女主人と召し使い』『士官と笑う娘』など。

第7章 エデンの園からの追放 ~風景画の始まりと変遷~
 宗教画の背景にすぎなかった風景が、“風景画”として独立し、
 発展してきた過程とは?「風景画は奥が深い」と納得です。
 ランブール兄弟『ベリー公のいとも豪華なる時禱書』、ヴィッツ『奇跡の漁り』、
 アルトドルファー『イッソスの戦い』、パティニール『三途の川を渡るカロン』、
 ホイエン『二本の樫のある風景』、ロイスダール『ユダヤ人墓地』、
 ロラン『アポロとクマエの巫女のいる海辺』、カナレット『大運河の眺め』、
 ローザ『壊された橋のある風景』、カンスタブル『乾草車』、ターナー『奴隷船』、
 コロー『湖』、ブータン『トルーヴィルの浜辺』など。

第8章 印象派登場 ~モダンアートの始まり~
 印象派はなぜ登場したのか。
 きれいなだけではない印象派の真髄に迫ります。
 クールベ『オルナンの埋葬』、マネ『オランピア』、モネ『印象、日の出』、
 バジール『家族の集い』、ルノワール『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』
 『シャルパンティエ夫人と子どもたち』、ピサロ『イタリア大通り』、
 ドガ『アブサン』『プリマ・バレリーナ』、モリゾ『海辺の別荘』、
 カサット『果物をつむ二人の若い娘』など。

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粋って難しいのぉ

井嶋ナギ 「色っぽいキモノ」 2006年 河出書房新社




たまたま日本舞踊関係の検索をしていたらヒットしたブログがなかなか面白く、そうしたらその人が本を出しているというので読んでみた「色っぽいキモノ」。

きっちりとした着物のHow toはよく出ているなか、“昔の着物はこんなきっちりしたものばかりじゃなかったはず”というコンセプトのもと、How to粋な着方を追求したところは珍しい。
帯板をなくして女性らしいカービーな線を出すとか、なかなか斬新。まぁよく考えたら、昔は帯板なんてなかったどうよね。

ただちょっとアレなのが、“粋”を追求しているせいもあるだろうけど、東京至上主義が見え隠れしていた、関西に住む私としては、本当にちょっとアレな感じ。
いや、江戸っ子がかっこいいのは分かるけれどもサァ、どうにもこうにも東京至上主義には苦い思い出がある身としては拒絶反応が出てしまう。

なのでどうも素直に読めないのが残念な一冊でした。ま、ただ私情が絡んだだけの感想ですがね。
ただ作者の見識の広さには脱帽ものだった。

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Edwardの欠点が見つかなくてすごい

Stephenie Meyer "Twilight", 2005, Little, Brown and Company




1年程前に友達が勧めてきた"Twilight"。ティーンエイジャーの小説なんて、と思ったが、英語で読むならまぁよかろうと全巻買ってみた。
買ってみたところで全然読まずに、早1年。
読むものがなくなったので読んでみたら…

面白かった!!!!!
や・やられた・・・

ティーンエイジャーの小説、しかも恋愛小説にこんな夢中になるとは。

もともとヴァンパイアはモチーフとしては好きだったけれども、ダレン・シャンのような醜い吸血鬼だったり、ポーの一族のような哀愁のあるお話は好きだったが、“吸血鬼と人間の禁断の愛”なんて全然興味なしだったのに。

何がはまるってエドワード。
この少女漫画も真っ青なくらいの王子加減にぐいぐいと引き込まれてしまった。
もちろん容姿端麗、甘い言葉囁きまくり、こんな容姿端麗なのにベラ(主人公)しか見ていない。それでいて永遠に歳をとらない。
これでもか!というくらいの完璧具合。

話としては超単純な話でこんな感じ。

Category : 小説:現代
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気付いたら劉備も結構歳とってた

吉川英治 「三国志(四)」 1989年 講談社




なんだか巻を重ねるごとに劉備が嫌になる「三国志」。
なんで皆がそんなに慕っているのかさっぱり分からん…
美少年を養子に迎えるとか、なんか俗物っぽい気がするんですがねぇ。

この巻ではやっとこさ諸葛孔明が登場したので、ちょっと興奮!

劉備の居所をしった関羽が、曹操の元より逃げるところから始まる。
張飛とも出会い、やがて三人は再会するのだった。

袁紹は曹操に敗れる。
孫策は病で亡くなり、その弟孫権がトップになる。それを支えるのが諸葛孔明の兄。

劉備は袁紹から逃れ、同じ劉氏の劉表の元へ身を寄せる。
そこでまず徐庶を手に入れるが、曹操にまんまとおびき寄せられた徐庶は、劉備と別れることになる。その時に置き土産として残した名前が諸葛孔明だったのだ。

有名な三顧の礼を尽くしてから、諸葛孔明は劉備の配下に入る。
それに張飛や関羽は面白くない想いをするものの、諸葛孔明の采配で曹操の軍に打ち勝っていく。
とやっとこさ有名な「赤壁の戦い」が始まるのだった。

Category : 小説:歴史
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最後までKalle Blomkvistは女にモテモテだったな

Steig Larsson "The Girl Who Kicked the Hornet's Nest" 2010, translated by R.Keeland, Vintage Books




惜しい惜しいと思いつつ読み終わってしまったMilleniumシリーズ最終巻。シリーズが終わってしまったというより、作者が既に亡くなっているというのがなんとも惜しくてしょうがない。
今回は2巻の即続きの話となっていて、Salanderの裁判までの駆け引きが焦点となっている。

このシリーズの面白いのが緩急の差がはっきりしていること。
面白い!!とスピードが速くなる時と、だらだらした感じの差がすごいある。そしてだらだらとして暫くすると、また突然面白くなる。
例えば今回は、Salander側の話、Blomkvist側の話、Berger側の話がメインとなって進んでいく。特にBergerなんて、あまりメインの話ではなかったりするのだが、Salander達の話がまったりしてくるとBergerの話が急激に面白くなる。リズムというのがあってうまいなぁと思ってしまった。

さて話はというと、2巻ではSalanderの父親Zalachenkoというロシアスパイで、その為にスウェーデン政府に擁護されていたというのが分かる。そしてジャーナリストカップルの殺人も彼の差し金というのが分かり、SalanderはZalachenkoを殺しに行くが、逆に頭を撃たれ、でも奇跡的に生きていてZalachenkoを斧で頭をかち割る、というところへBlomkvistが追いついてくる、というので終わる。
3巻はその直後の話。

驚異的な生命力な父娘は、どちらも生きていて病院へ搬送される。

さてここから、Zalanchenkoをずっとひた隠しにしていた、Sapo(スウェーデン保安警察)の中にあるthe SectionとSalander側の攻防が始まる。
Salanderがティーンエイジャーの頃、母親への暴力に耐えかねてZalanderにガソリンをぶっかけたことがあった。The Sectionが働き、Salanderを精神病院に閉じ込めてしまった。

という経緯があった為、またそのようなことが起きないようにBlumkvistはジャーナリストの力をもって助けようとする。
The Sectionはまず、一番の問題であるZalachenkoを殺してしまう。
そしてBlumkvistの家や携帯に盗聴器を仕掛けて万全を期すのだが、それに気付いたBlumkvistはそれを逆手に取る。

一方Bergerは、Milleniumを去って、スウェーデンで大きな新聞社へChief Editorとして入社する。
が、数々の嫌がらせを受け、中でも厭らしいメールが頻繁に来るようになる。ついには家のガラスを割られるわ、プライベートな写真やビデオも盗まれるわ…


何よりも面白かったところが、BlumkvistからPCをSalanderを受け取ったところ。

Salander stared for a long time at the locked door. And then she lay back and stared up at the ceiling.
That was when she felt that there was something hard beneath her head. She lifted the pillow and saw to he surprise a small cloth bag that had definitely not been there before. She opend it and stared in amazement at a Palm Tungsten T3 hand-held computer and battery charger.(p344-345)

読者としては“よっしゃぁぁぁあああ!!!”といったところ。


あーしかし本当に面白かった。
SalanderとBlumkivistがタックを組んで事件を解決していくところをもっと読みたかったのに、本当に残念…

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そういえばこの間行った彦根城は井伊直弼の城なんだよなぁ

福地源一郎 「幕末政治家」 1989年 平凡社




久しぶりに「書評家<狐>の読書遺産」から読んでみようとしたら、今回のペアはこれまでになくしんどかった…
まずこの「幕末政治家」、明治時代に書かれたようで文体が並大抵なもんじゃない。そしてもう一つの「美食の歓び」も図書館にないわ、内容的にも読みにくいわでこちらはまだ読みきれてない…

それはさておき、きっちり意味を理解して読むのは無理だと早々に分かったので、なんとなく読みにすることにした。
そうしたら段々面白く感じるようになった。
幕末というと、坂本竜馬とか新撰組だとか、いわゆる下級武士とか武士でない者が活躍したイメージである。
ところがこれは、本当に幕府の政治家にスポットを当てているので、新鮮で面白かった。
特に、安政の大獄で有名な井伊直弼が割とよく書かれているのが意外だった。
抜粋するとこんな感じ;

其行為の跡を察すれば、「時勢に逆行し輿論に背反し、不測の禍害を徳川氏に与へて、其衰亡の命脈を促したり」との断案を受ること、決して辞すべからざる所なりと雖ども、幕権を維持して異論を鎮圧し、其強硬政略を実施するに於ては、其為断行して更に仮借する所なきが如き、決して尋常政治家が企及し得べきに非ざるなり。(p86)


当時もし井伊大老をして真に開国の卓識を有せしめ、自から上京して開鎖の得失利害をば、堂々と聖天子の御前にて弁説する事を得せしめば、不世出の御聡明にておはします、豈に大に聖意に適ひて浮雲を披いて天日を見るが如きの壮快なかりしとせんや。惜哉その此に出ること能はざりしは、井伊大老に開国の識見なかりしが故なるのみ。(p121)



擁護はしつつも結局識見がないと言っているのだが…。
この後の久世安藤内閣は比較的頑張っていたのだが、井伊派だったということですぐ罷免されてしまうのも、著者はしきりに残念がっている。
そして久世安藤内閣後の政治家たちは、あまりぱっとしなく大政奉還に至ってしまった…となっているので、本当に井伊直弼が要となった文章となっていた。

と思う。
私のなんとなく読みによれば…

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