柳広司 「ダブル・ジョーカー」 平成21年 角川書店
たしか第一作目の「ジョーカー・ゲーム」を読んだきっかけは。「ダブル・ジョーカー」を書店だかで見つけて面白そうと思ったから。
「ジョーカー・ゲーム」を読んだ後に書いたレビューを読んでみたら、「『ダブル・ジョーカー』を早く読みたい」とのたまっている。
それなのに、それから3年も経って「ダブル・ジョーカー」を読んだよ!!!
なんせ「ジョーカー・ゲーム」を読んだのが昔過ぎて、最初の方は、それより最近読んだ高殿円の「メサイア」と混乱してしまった。
が、面白かった!
スポンサーサイト
亀山哲郎 「やってくれるね、ロシア人! 不思議ワールドとのつきあい方」 2009年 日本放送出版協会(NHK出版)
今年の夏休みにロシアに行く予定しているので、その予習をかねてロシア紀行を読んでみた。
本書はNHKのロシア語講座のテキストに連載していた模様。
作者の亀山氏はカメラマンで、ソ連時代から何度かロシアに行っているようだ。
このソ連時代の話もなかなか面白かった。
ロシア人って怖いイメージしかなかったけれども、おしゃべりで、面倒見がよくて、しかもロシア人次第で運も良くなれば悪くなる(例えば同じ場所でも人の気分によって入れたり入れなかったり)なんて面白い。
唯一残念だったのが、カメラマンであるから写真を撮った話がよく出てくるのだが、その写真があんまり載ってないこと。。。想像するしかないけれども、写真見たくてしょうがなくなった。
特に気に入った話はキジ―の話。キジ―に入るのにロシア人だと入場料が安い。船の中で知り合ったロシア人が「ネネツ出身のロシア人だ!ネネツだからロシア語が分からないんだ!」と言い張り、そのほか数人のロシア人まで「そうだ、そうだ!ネネツだ、ネネツに違いない!」と押し通す話が傑作だった。
軽快な文章で読みやすく、ロシアが大変魅力的に感じる本だった。
冲方丁 「天地明察」 平成22年 角川書店
本屋大賞を受賞して話題になった時に割と気になってた「天地明察」。
そのうち忘れていたのだが、友人に“今更ながら読んで面白かった”と言われたので、それこそ今更ながら読んでみた。
確かにストーリーは面白かった。主人公の渋川春海という人はなかなか魅力的だし、他の登場人物もしかり。
江戸時代の、戦乱の時代も忘れられてきて泰平な世の中になってきた時、というのが、丁度今の時代に似ているのかもしれない。まだ戦乱の時代を生きてきた人はいるけれども、大半の人は徳川幕府ができてから生まれた、というのが、第二次世界大戦を生き抜いた人はいれども、多くの世代が戦後生まれ、という今の時代に。
だからこそ、江戸時代という時代物であるのに、渋川春海という人に親近感がわくのかもしれない。
ただ、なんというか。
装飾的な文章が多すぎて、ちょっと辟易とさせられるところがあった。適当に抜粋してみると
えんの言う通りにしよう。関孝和に会いに行くのだ。ただし改歴の事業ののち、みたびの出題をしてからだ。それだけのことをした上で会う。万が一、その出題が誤問であったとしても会うべきだった。そこまでしてなお会えぬのならば生涯無理だろうと直感的に理解していた。我ながら不思議なほどの意気地のなさ、あるいは頑迷さ、潔癖さだった。(p365)
なんてくどい!
これは文章の好みの問題だろうけれども、緩急があるわけでもなく、すべてにおいてこうやってくどくどと表現してあるのが、正直鬱陶しかった。
ざっとしたあらすじはというと、主人公は安井算哲という幕府お抱えの碁打ち衆の一人。
碁の才能はあるはずだが、そこまで打ち込めない。ちょっと複雑な成り行きにより、義兄に家督を継いでもらっていいんでないか、と思ってるくらい。
そんな心情が表れているのが、普段は安井算哲と名乗らず、自分が作った渋川春海という名前を名乗っているということ。
碁の代わりに夢中になっているのが算術であった。
あることをきっかけに、“関孝和”という算術の天才のような武士の存在を知る。ただしなかなか会えないでいる。
そんな折に老中の酒井から北極出地を命じられる。
これは測地の術の一つで、北極星を基準に緯度を計測して地図の根拠となる数字を出すというものらしい。
同行した星が大好きな建部と伊藤に大変影響を受けた春海は改暦という大事業に乗り出すことになる。
というのは当時使われていた宣明暦というのは正確ではなく、誤差が生じるのだった。
それよりも完璧と言われる授時暦というものがあるのだが、朝廷がその使用を認めない。
密かなる幕府や後の水戸黄門、それから会津藩などから支援してもらいつつ、改暦の大博打に出るのだが、あっさり負けてしまう。
失意の内にいる春海は、やっとこさ関に出会える。
そこで関の叱咤によって、授時暦は中国でこそ完璧だが、日本ではそうではないということに気づく。
結局最後の最後では改暦の事業を成し遂げるのだが、この挫折をしながらも到達する、というのは本当に読み応えがある。ましてや最初に書いたとおり、なんとなく現代に通ずるところがあるとなれば、春海を心から応援したくなってしまう。
特に、事業の面でも、私生活においても、決して順風満帆ではないのだから(親しい人が次々に亡くなる)、その応援にも熱がこもる。
そんなわけでストーリーは大変面白かった。
それだけに文章のくどさに時折うんざりしてしまうのが残念だった。
最後の最後に神道について、なるほどなぁと思ったことがあったのでメモ↓
神道は、ゆるやかに、かつ絶対的に人生を肯定している。死すらも“神になる”などと言って否定しない。“禊ぎ”の本意たる“身を殺(そ)ぐ”という言葉にすら、穢れを削ぎ落として浄めるという意味はあれど、穢れを消滅させる、穢れたとみなされた者を社会の清浄を保つために滅ぼすといった意味合いはないと言っていい。否定すべきものを祓い、流し去る一方で、その権威を守るために何かを根絶やしにしようとはしない。(p191)
F.Scott Fitzgerald "The Great Gatsby" 2006, Penguin Book
村上春樹が好きなのか、彼の小説によく出てくる『グレート・ギャッっビー』。
名作だし気にはなっていたのだが、なかなか手を出す機会がなかった。
それが“面白いよ”と勧める人がいたので、これはいい機会かもしれないとばかりに読んでみた。
うーん。男の人が好きそうな話だな。
というのが正直な感想だった。
もっと正直にいえば、その面白見が私にはよく分からなかった…
話はニューヨークに移り住んだばかりのNickという30歳くらいの男性の目線で書かれる。
Gatzbyの話なのだが、実はGatzbyという人物がなかなか出て来ない。
TomとDaisy夫妻を訪ねていくところから、ようやく物語がスタートする。
その席にいた女子プロゴルファー(多分)のJordanが、自分の隣に住むGatzby氏を知っているという話をする。なんでも彼はよくパーティーを開くというのだ。
確かにしばらくして、隣人のよしみか、Gatzby氏よりパーティーのお誘いが来る。
行ってみると、非常に大勢の人が集まって来ている。でも奇妙なことに主催者が見当たらない。
Jordanと出会ったりして、Gatzby氏の正体を探るのだが、誰もGatzbyの正体を知らない。
そのパーティーで偶然話した人が実はGatzbyだったのだが、そこからGatzbyと親交を深めていく。
それでも依然としてGatzbyの過去は謎めいていた…
と、こうストーリーラインをなぞるとなかなか面白そうではあるのだが。
何せこのGatzbyのパーティーに行くまでが割と長い。
そして基本的に不倫の話ってどうしても好きになれない人種なのだが、このTomってやつには愛人がいる。
しかもその相手も人妻。
Nickも誘って二人で堂々とマンハッタンの方に遊びに行ったりするシーンがあったりして、そこでげんなりと本を置きそうになった。それでもがんばって読んだのだが…
実はGatzbyには想い人がいて、それがDaisyなのだ!
Daisyの住む家の対岸の豪邸を買い、そこで豪勢なパーティーを開いてDaisyが現れるのを待っていたのだ!
NickがDaisyと知り合いと知って(というか親戚)、橋渡し役を頼むのだが、結果、二人は交際を始める。
ここでどんどんGatzbyの過去が分かってくるのだが、彼は生まれつきお金持ちでもなんでもなく、ただの兵隊だった。
キャンプ先で知り合ったのが、お金持ちのお嬢さまのDaisy。
美しいDaisyには言い寄る男が沢山いたのだが、DaisyはGatzbyを選ぶ。
ところが戦争が始まりGatzbyは戦場へ。
Daisyは待ち続けていたのだが、戦争が終わってもGatzbyからの音信はない。
しびれを切らして、もとの華やかな世界へ戻っていき、Tomと結婚したわけだった。
帰国してそれを知ったGatzbyは、あるユダヤ人に才能を見込まれのたのもあって、事業をどんどん成功させてお金持ちになる。そうしてDaisyを奪還しようと試みたのだった。
Tomと愛人の仲はというと、相思相愛のままでいたのに、愛人の方の旦那が薄々気付いてきたのか、遠くへ引っ越すと言う。
その時、TomはJordanと一緒にいたのだが、旦那がその話をする後ろにいた愛人は、JordanをDaisyだと思って嫉妬に顔をゆがめる。そのシーンの描写が印象的だった;
one emotion adter another crept into her face like obejcts into a slowly developing picture. (p125)
そんなこんなで焦燥とするTomに追い打ちをかけるように、DaisyとGatzbyはその仲を見せ付ける。
非常に気まずいまま、Tom・Nick、Daisy・Gatzbyで車に乗って家に帰る。
Nick達は途中で悲惨な交通事故現場に遭遇する。なんと、Tomの愛人がひき逃げにあったというのだ!!!
Nickが帰宅後Gatzbyを問い詰めると、Daisyが運転していて、そこにあの愛人が飛び出したというのだ。
どうやら愛人はGatzbyをTomと勘違いし、嫉妬してDaisyに詰め寄ったところ、Daisyが轢き殺したらしい。
GatzbyはDaisyの罪を被るつもりのこと、そしてDaisyが自分の元に現れて駆落ちしてくれることを信じていることを伝える。
そうしてその晩ずっと待っていたのだが、ついにDaisyは現れなかった…
それどころか、自分の妻を殺したことで非常に怨みを持っていた、旦那によって殺されてしまう!
しかもそれはTomがそれとなく密告したらしい!!!
Nickは友人としてお葬式を準備するのだが、パーティーによく来ていた人達に連絡しても誰一人来なかった。
かくして、生前あんな華やかな生活を送っていたGatzbyのお葬式は、NickとGatzbyの父親とだけで執り行われることになったのだった…
とりあえず、色々納得のいかない話だった!!!
あんなに人が集まっていたのにお葬式では誰も集まらない…というところは物語としてぐっと来たけれども、その他が全然…
かっこいいと思っていたGatzbyも、ただ女に振り回されてるだけだし。
何よりもDaisyがめっちゃむかつく。そりゃ、最初に浮気してたTomが悪いけれども、Gatzbyの純情をうまく使って、挙句の果てに人を殺しときながら平然として、その上、自分のせいでGatzbyが死んだのに嘆いている様子もないところが、人としてどうなん!?って感じがした。
非常に後味の悪い話だと思った。
ハーパー・リー 「アラバマ物語」 菊池重三郎・訳 昭和63年 暮しの手帖社
読書会にて紹介する本を探している時に、そういえばこの頃のヒット…と思ったのが“To Kill a Mockingbird”。
さっそく日本語訳を探してみたが、なんと昭和63年版しかない!
最初は図書館にないだけかと思ったが、Amazonで探したがやっぱりなく。
お次に「アラバマ物語」というタイトルでないのかもしれない、と思って“ハーパー・リー”で探したが、やっぱりなく!!!
人さまのブログなどを巡っている内に、どうやら本当に本当に!本書しかないことが分かった。
なぜ!?
こんな素晴らしい作品なのに!!!
やはり訳が古いと読みにくいったらありゃしない。
「ちわぁ」ってなんじゃ!!??って感じ。
それでも元がいいから、やっぱりジーンとくるところは来るし、裁判のシーンはドキドキする。
日本語訳がひどいから読書会で紹介するのはどうかと思ったが、やっぱり布教して皆が読めば新訳が出るんでないか…?と密かな期待。そんな影響力ないけどね、自分。
こんな素晴らしい作品が知られていないなんて本当に残念!
荻原浩 「サニーサイドエッグ」 2007年 東京創元社
軽いものを読みたい時用に借りてきた「サニーサイドエッグ」。
前作の「ハードボイルドエッグ」がナンセンス的な意味合いで面白かった記憶があったのだが、話をとんと覚えておらず。
今作も、やはり口調とかは面白いけれども、話の内容的にはあまり印象に残らない物語だった。
ミハエル・ブルガーコフ 「巨匠とマルガリータ」 水野忠夫・訳 2008年 河出書房
読書友達の一人が「2011年のベスト本」として挙げていたのが『巨匠とマルガリータ』。
悪魔とか魔女が出てくる、というのでどんなもんかと思って借りると太い太い。
最初は次から次へと出てくる登場人物(しかもロシア人の名前)が全然覚えられなくて難儀したけれども、ドンチャン騒ぎ具合が面白いなぁ~と思っていた。
そしたら第二部になった途端!
私的に非常にツボなシーンがどんどん出てきて止まらない止まらない。
本当~~~に面白かった!
久しぶりに読み応えたっぷりな本だった。
悪魔というのも相成って、なんとなくボッシュの絵画を見ているようなお話。
それでいて劇のようなのは、元は劇の脚本として書かれていたからだろうか?
まるで作者が、よく劇にある狂言回しのようになっている。例えば二部の始まりなんて;
私につづけ、読者よ。まぎれもない真実の永遠の恋などこの世に存在しないなどと語ったのは、いったい誰なのか。こんな嘘つきの呪わしい舌なんて断ち切られるがよいのだ。
私につづけ、私の読者よ、ひたすら私につづいてくるのだ、そうすれば、そのような恋をお見せしよう。(p324)
この話を要約するのは難しい。
次から次へと色々と起きて、私の筆力ではとてもとても…
とりあえず、最初はモスクワ作家協会幹部会議長のベルリオーズと詩人のイワンが“キリストなんて存在しない”と語っているところへ外国人が現れる。キリストはいるんです、と主張し、ベルリオーズの死を予言すると、本当にベルリオーズは死んでしまう。
この外国人こそが悪魔のヴォランドだったのだ。
ベルリオーズの同居人・ヴァリエテ劇場の支配人の元へ赴き、黒魔術のショーを開く契約を結んでいたと言う。
その支配人を遠くに追いやった後、ヴァリエテ劇場で黒魔術のショーを開催し混乱に落とし込む。
一方、ベルリオーズの死を見てしまったイワンは、精神錯乱者のレッテルを貼られて病院に入れられる。
そこで隣室となったのが“巨匠”と呼ばれている人。
ポンピトゥ・ピラティスについての作品を書いたが誰にも認められず、愛する恋人を残して自ら精神病院に入ったという。
巨匠の恋人こそがマルガリータで、金持ちの妻であった。
巨匠のことが忘れられず、行方不明となった巨匠を想って泣くばかり。
そんなマルガリータの前に、ヴォランドの手下・アザゼッロが現れる。
巨匠に会いたいばかりに魔女に変身したマルガリータは、ヴォランドが開くパーティーにて女王の役目を全うする。
そしてその報償に巨匠と一緒に暮らすことになるのだ。
これまでの話の途中途中に、ポンピトゥ・ピラティスの話が入るのだが、そこではナザレ人のヨシュアを死刑にしたくないのにしてしまった苦悩が描かれている。
最初はヴォランドの語る物語として、時には巨匠の作品として現れるこの物語では、ヨシュアは聖書のキリストとは割と違って人間くさい。そのくせ、非常に純粋な人として描かれている。
レビのマタイも出てくるし、もちろんユダも出てくる。
マルガリータ達と別れたヴォランド一向がモスクワを離れんとして、ある建物のバルコニーにいると、マタイが現れる。
ヨシュアの使いとして、巨匠とマルガリータをヴォランド達の仲間に入れなさいと言う。
その通りにしたヴォランドによって、巨匠たちはモスクワを離れる。
そしていつの間にか巨匠が書いたピラティスの世界にやってくる。そこではピラティスが延々と悩んでおり、巨匠は最後の一言で完結させることにより、ピラティスは自由となり、巨匠とマルガリータはその世界に住むことになるのだった。
何しろ、このパーティーのシーンが気に行ってしょうがなかった。
特に黒猫のベゲモートがいい!
あとモスクワを離れる一向が、どんどん本来の姿になっていくのもかっこよかった。
解説などを読むと、色んな意味が詰め込まれている本書だが、それをいちいち理解できないまでも、十分堪能できた一冊だった。
瀬尾まいこ 「天国はまだ遠く」 平成18年 新潮社
読書会で紹介されていた「天国はまだ遠く」。
作者の瀬尾まいこさんの作品は「図書館の神様」はなかなか面白かったと記憶していたので、さっそく図書館で借りてきた。
大変短い話だったのでするりと読んでしまったけれども、それでも薄っぺらい本ではなく。
なんというか描写も素敵だし、何よりも完璧なエンディングじゃないところがリアルで好感が持てた。
主人公の千鶴は仕事も上手くいかず、会社の人間関係も良くない。
もう堪え切れなくなって自殺をすることにする。
死に場所に選んだ所が割と開けていたので、タクシーに乗り込み「とにかく北へ」と言って、ど田舎にやったくる。
民宿はあれども、お客さんがとんと来ないようで、民宿の30代くらいの男性は要領が分かっていない始末。
病院からもらってた睡眠薬を溜めこんでいたのを一気に飲んで死んだ…と思いきや気分爽快で目を覚ます。
なんと二日程寝ていただけだったのだ!
死ぬ勇気はもうなくなって、なんとなくこの田舎で過ごすことになる。
民宿の男・田村さんは有機野菜なんかを育てて、それで生計を経てているのだが、おおらかな性格。
なんでも都会で会社勤めをしていたが、両親が亡くなったので、長男だしということで帰ってきたらしいのだ。
田舎の生活に慣れていって色んな体験もするのだが、結局、この土地が好きで住んでしまうという勢いもなければ、田村さんのように住む理由もない。
そろそろ帰り時か、ということでこの地を去ることにする。
主人公の千鶴が生きる意味を見つける、とか、この先の生き方を定める、とか大仰に終わるわけではない。
ただある時に気付いて、出ていかなくては…と思う、というのが好感の持てる終わり方だった。
“潮時”というものをこんなリアルに、自然に書けるなんてすごいな、と思えた。
やはり瀬尾さんは自然描写が素敵だなと思うのだが、何気ない描写がいい;
(海の上で陽が昇ってくるを見るシーンにて)
こうして見ていると、太陽は黄色でもオレンジでもなく、光そのものなんだということがよくわかる。深く広い海を照らすすごい威力の光の塊。じっと見ていると、すぐに目が眩む。(p105-106)
内田洋子 「ジーノの家 イタリア10景」 2011年 文藝春秋
母親が友人に勧められたらしく、「借りてきて~」と言われたのを自分が先に読んだ「ジーノの家」。
いやぁ~~面白かった!!一気読みしてしまった。
いわゆるエッセイなのだが、文章が上手なのか、イタリアの空気がものすごく感じられ、ふと顔を上げた時に日本っていうのが不思議なぐらい、どっぷりイタリアにつかれた。
副題に“イタリア10景”とあるくらいなので10編のエッセイが含まれているのだが、どうも時系列に並んでいるわけではないので、どうも話の前後が分かりにくいところもあるのだが、著者の内田さんはミラノをはじめとした、いくつかの街に住んでいたようだ。
イタリアって住むと大変そうだけれども、人が住んでいるのを読んだり聞いたりする分には、非常に魅力的な国だよな~と思う。
イタリア人が本当に人間くさくて、ただの通りすがりの人でもインパクトがあるように感じる。
また、やっぱりカトリックの国であるから、そういう色を感じる。
例えばナポリでの話で出てくる
バールを出るとき、何杯分か余計にお金を置く。懐に余裕がない、しかしコーヒーが飲みたい、というような人がバールに立ち寄り、見知らぬ人が残していったお金でコーヒーが楽しめる、そういう計らいなのだという。(p215)
というエピソードなんて、教会での献金が入用な人へまわす、という習慣に通ずるものを感じる。
各章ごとをかいつまむと;
<黒いミラノ>
まだミラノに来たばかりの頃、偶然知り合った警察の手ほどきを受け、ミラノにある暗黒地帯に行ってみる話。
<リグリアで北斎に会う>
ミラノから外れたリグリア州のインペリアという港町にて、北斎から天啓を受けたという人に会いに行く話。昔の令嬢であった日本人の老婦人に出会うのが印象的。
<僕とタンゴを踊ってくれたら>
知り合いに誘われて、その人が住む村のお祭りに参加する。ダンスホール荒らしのような完璧な二人組(白のタキシードを着る60半ばの男性と完璧な女性)は、実はこの村のかつての神父様と、その神父様に相談にやってきた不遇な信者(男)だった、という話がすごい。なんでも村祭りで信者だったロナウドが神父様をワルツに誘い、その翌日に神父様は教会へ脱会届を出したそうな。
<黒猫クラブ>
普段は交流がないアパートの住人たちが、ある晩の火事をきっかけに連帯感が生まれてパーティーを開くという話。ほっこりするし、イタリア人らしいと(勝手に)思えたエピソード。
<ジーノの家>
インペリアに住もうと決めた筆者。ジーノの身の上話を聞いてしまって、家というより彼の話に魅かれて借りた家。その身の上というのが、必死に生きているのに報われない、非常に切ないお話だった。
<犬の身代金>
ミラノの話。犬を飼い始めて犬仲間ができる。そのうちの一人の犬が誘拐にあったようで…という話。皆でつるみながら誘拐犯(と思っていた人)に会いに行くのが実にイタリア人っぽい。
<サボテンに恋して>
サボテンの実をジャムにして売り出したい、という青年に誘われて、シチリア島に行く話。食べ物が大変おいしそう!!!
<初めてで最後のコーヒー>
ナポリで学生していた頃にお世話になった人が病気になったと聞き、お見舞いに来た筆者。タクシーに乗ってナポリを回る。最後が出来過ぎな感じがしたけれどもジーンときた。
<私がポッジに住んだ訳>
突然シスターに捕まって、ペルーからやってくるという一家を迎えにジェノバに行かされた筆者。そのシスターに魅かれて短い間だけポッジに住む。
<船との別れ>
定年退職間近の男が船に恋して、船上で暮らすことを決意し修復を頼む。その過程を見守ってきた筆者が、最後の名入れの朝に見にいくと、その男の姿がなく、しかも船大工は名前でなく黒い線を入れる。実はそれは喪章で、定年退職直後に肺癌で亡くなったというのだ。
前半はわくわくしながら読んでいたのだが、後半は結構しんみりした話が多かった。
イタリアは、ただラテンで呑気で陽気、というわけではなくて、南と北の格差など、問題を抱えているのがよくわかった。