高殿円 「トッカン the 3rd おばけなんてないさ」 2012年 早川書房
結構好きな“トッカン”シリーズ。 ドラマになって大変残念である。ぐー子は否応がなく分ってしまったが、鏡が誰がやるのか絶対見たくない!と強固に思って、配役を見ないようにしている。 さて3巻目。 ちょっと面白さに減速が見られたけれども、それでも面白かった。 単純に100%面白いと言えない理由というのが、このサブタイトルになっている“おばけなんてないさ”に固執しすぎてないか、と思ったから。ちょっと強引すぎる気がするところがちらほら。 あと、個人的にジョゼの出番が少なくて残念… (ネタばれ含むかも)
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Kazuo Ishiguro "The Remains of the Day", 1989, Faber and Faber
母から“映画は単調で面白くなかった”と聞いていたけれども、やっぱりカズオ・イシグロといったら「日の名残り」。 ずっと読んでみたいと思っていたのもあって、“The Remains of the Day”読んでみた。 確かに非常に淡々としている作品だったけれども、ものすごく面白かった!!! 丁度漫画の「エマ」を読み終わったせいか、すんなりと執事の世界に入れたのもよかったのかも(といっても、「エマ」よりもずっと近代だけど)。 カズオ・イシグロはやはり、“思い出”を描くのが大変上手いと思った。 彼の作品を全部読んだわけではないけれども、読んだ本どれもが”思い出”を描いたものだった。 今回のは、主人公が思い出を切れ切れ語っていくので、全体を把握するのは最後になってしまうが、それがまたゆったりした気持ちになっていい。 物語はというと、時は第二次世界大戦後。 Darlington Hallというお邸の執事が主人公。 このお邸はLord Darlingtonのものだったけれども、彼の亡き後、アメリカ人に買われた。 そのご主人がアメリカに長く滞在することになったので、執事に休暇を与えることになる。 それをいい機会に、ということでDarlington Hallで昔働いていたメイドを訪ねることにする。 というのは、現在、Darlington Hallには召使が大変少ない、尚且つ昔結婚を機に辞めたメイドから手紙をもらっていて、そこにはDarlington Hallが懐かしい、そして今の生活に不満を感じている、という内容だった。離婚してしまったのだろう、だったらDarlington Hallに戻ってもらえないか、ということで、旅行にかこつけて彼女に会いに行こうとしたのだった。 “Day 1”、“Day 2”といった章立てになっていて、執事のStevensが旅するのを基軸にして、彼がぽつぽつ思い出に浸ることで、彼の過去・Lord Darlingtonの話が垣間見える。 最初の方はStevensの執事についての話がメインになる。 What is a 'great' butler?という命題とともに、Stevens自身の思い出となる。 これを読むと、執事は日本の武士のように見えて仕方がない。 一番顕著なのが、Stevensが父親の死に立合わずに仕事をする…というシーン。 Stevensの父親はやはり執事だったのだが、その主人が亡くなり、父親自身も年を取ってしまって新たな雇用は望めない。ということでStevensのコネでLord Darlingtonに雇われていたのだった。 これに関してちょっとゴタゴタがあるのだが、病に倒れてしまう。 病態が悪くなっていよいよダメだ…という時が、丁度、Darlington Hallにて大事な国際的な会議が開催されていた。 医者を呼んでもらうのだが、なかなか来てもらえずに死んでしまう。それでも忙しいStevensは立合うことが適わず、仕事に徹する。 やっと医者が来るのだが、客の一人がけがを訴えていたので、まるで彼の為に呼んだとばかりに医者を回す… まるで殿様に仕える武士のようなストイックさ! It is sometimes said that butlers only truly exist in England. Other countries, whatever title is actually used, have only manservants. I tend to believe this is true. Continentals are unable to be butlers because they are as a breed incapable of the emotional restraint which only the English race is capable of. (p44)
とあるのだが、なんでも大陸の人は感情をむき出しにしてしまうとなる。やっぱり島国の気質なのかなぁと思ってしまった。 さて一連のButler話が済むと、今度はLord Darlingtonの話が出てくる。 Lord Darlington は外交で大きな役割を担っていた。 舞台は基本的に第2次世界大戦前になっている。 ドイツに同情的なLord Darlingtonは、なんとかドイツを立てようとしているらしい。 Butlerの目線で書かれているので、はっきりとはLord Darlingtonの仕事振りが分からない。 が、どうやら、このドイツ寄りのところが、Lord Darlingtonの運命を変えてしまったらしい。 特にCharchillとHitlerを会わせよう、と画策したのが大きな影を落としたようだった。 メディアに悪いように取られてしまい、特に戦争後には糾弾されたようだ。 Lord Darlingtonは裁判に臨むのだが、結局満足な結果は得られず、ここははっきりと書かれていないのだが(多分)、Lord Darlingtonは自殺してしまったようなのだ(多分…) さてさて、思い出話ばかり並べてしまったが、もちろん現実の話も進んでいく。 村の人たちの親切に助けられたり、素敵な景色に感動したりなどなど… そしてやっとその元メイドに出会うのだが… なんのことはない、Stevensに手紙を送った時には、旦那と喧嘩して家を飛び出した時で、今では元鞘状態。 孫も生まれるらしく、彼女は充実した人生を送っていたのだった。 Stevensは“Darlington Hallに来ないか?”ということは一言も言わず、「もう会うことはないだろうけど…」と言って別れる。 この帰路の途中に、見知らぬ男に語る言葉が非常に切ない。 'The fact is, of course,' I said after a while, 'I gave my best to Lord Darlington. I gave him the very best I had to give, and now - well - I find I do not have a great deal more left to give. ... 'Since my new employer Mr Farraday arrived, I've tried very hard, very hard indeed, to provide the sort of service I would like him to have. I've tried and tried, but whatever I do I find I am far from reaching the standards I once set myself. ... Goodness knows, I've tried and tried, but it's no use. I've given what I had to give. I gave it all to Lord Darlington.' (p255)
それまでに、Lord Darlingtonのことを知らないふりをしたり、そしてそれは他人からLord Darlingtonの評価を聞きたくないとのことだったり、最後の方でLord Darlingtonの落ち目が明かになったり…というもろもろの流れから来ての最後のこのセリフ。 本当にジーンとしてしまった。 このしみじみ感がイギリスらしく感じて仕方がなかった。イギリスの景色の美しさについて it is very lack of obvious drama or spectacle that sets the beauty of our land apart. What is pertinent is the calmness of that beauty, its sense of restraint.(p29)
とあるが、まさにこれが本書のテーマであり、また雰囲気もそのまま。 イギリスの低いおだやかな丘が眼に浮かぶような作品だった。
小野不由美 「月の影 影の海(下) 十二国記」 平成24年 新潮社
続けざまに読み終わってしまった。 そして何度読んでも延王と延麒と出会うシーンに興奮してしまう。大好きだなぁ~~~ 何気に楽俊も好き。 今回の絵は好きじゃないけど… また全巻読みたくなってしまった。 でもまた新潮社で出ても買うかは微妙。やっぱりホワイトハートでそろえたくなってきてしまった。
小野不由美 「月の影 影の海(上) 十二国記」 平成24年 新潮社
大好きな十二国記シリーズが新装版で出ると知ってちょっと魅かれたが、その時は買うに至らず。 しかし、新潮社の夏のフェアで、2冊買うと漏れなくYondaくんのブックカバーが手に入ると知り、思わず買ってしまった!かー!!!新潮社の掌で踊らされてるぜ! 買ってみて気づいたけれども、挿絵はオリジナルの山田章博氏といえども、今回ように描きおろされたのですね… う~ん オリジナルのに慣れてしまってるせいか、色々と残念でした… 下巻だけれども楽俊の絵を見て本気でがっかりだった…なんであんなキャラクターっぽいかわいらしいネズミになっているんだい!? それはさておき、再読しても面白いなぁ~と感じた十二国記。 そしてちょっと衝撃的だったのが、陽子の家が陽子も含め、割と前時代的だったところ。 母親が父親に逆らえず、陽子も逆らえず従順、しかも父親ときたら昭和の男か!?てな風で、女の子は学問ができてもしょうがない、女子高に行っとけ、ということで優秀だったのに陽子は女子高に行かされる… いったいいつの時代だよ…と今読むと思ってしまう。 おさらいする必要もないくらいあらすじを知り尽くしているので(驚くことに最後に読んだのは随分前だったのに85%以上は話を覚えていた)、敢えてここに記す必要はないだろう。 一応上巻は、刀の鞘をなくしてしまい、猿がきゃらきゃらと笑い、何度か騙されながら、遂に人間不信に陥るところで終わっている。 早く延王と延麒に会いたい!
石持浅海 「心臓と左手 座間味くんの推理」 2007年 光文社
最後にちょっと不服があるももの、それまでは大変面白かった「月の扉」 、それの続編の方が評判がよさそうだったので早速借りてきてみた。 確かになかなか面白い。 「月の扉」では即席探偵となった座間味くん(犯人たちが付けた呼び名がそのまま使われてて、本名は出てこない)がまたもや安楽椅子探偵として活躍する。 体裁としては、「月の扉」の事件で担当となった大迫警視が偶然座間味くんと再会し、時々食事をする仲になる、その食事中にぽろっと漏らす事件について座間味くんが推理する、というものになっている。 なかなかディープな犯罪だったりもするのだが、何せ大迫警視が語る、という形式をとるから、割とお話調で血なまぐささがない。 雰囲気としては日常のどうってことないような謎を推理するような、ほんわか推理のような感じなのだが、中身はかっちりした事件なので、そのギャップがなかなか面白かった。 裏を取ったりするところまでいかないので、果たして座間味くんの推理が正しいのかは分からないのだが、飲みの席での推理合戦、みたいのも寝る前に読むのに適した本にしている。 正直、最後のお話は割と蛇足だと思っているのだが、その他の六編は面白かった。
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Gregory Maguire "Wicked", 1995, Harper
アメリカドラマの"glee"が好きで、サントラをよく聞いている中で好きな曲が"Defyning Gravity"だった。 それがミュージカルの"Wicked"の曲と知って、ミュージカルも観てみたいと思っていたところだし、まず小説を読んでみよう、ということでさっそく買ってみた。 緑色という強烈な装丁が眼にひく。 オズの魔法使いがベースになっているということで、その昔子どもの頃にはまってシリーズを読んだことがあったものの、あまり覚えていないので復習しようかと図書館に行ってみたが借りられているのかなく…。 ま、いっかと読み進んでいった。 最後の方になって、ちょっとネットで「オズの魔法使い」について調べてみたら、"Wicked"と関連付けながら説明しているサイトがあって、それを読んだらもっと早くから知ってたら、もっと面白かったのに…と思ってしまった。 例えば「オズの魔法使い」では西の魔女は、ドロシーがバケツの水をぶっかけると溶けて消えてしまうのだが、エルファバは子どもの頃から水を怖がる。西の魔女がどうやって死んでしまったのかコロリと忘れてしまった私は、こんな明確な伏線(?)があるのに見落としてしまったし…。くそぅ それはともかく。 話としてどうだったかというと…う~~~ん。期待外れだったかな。 "Defyning Gravity"がどこで歌われるのか分からないまま読んだのだが、読み終わった後もさっぱりどのシーンか分からないし…。 とりあえず、物語が面白そうな雰囲気に進んでいくと思った途端、章が終わってしまい、次の章に移ると時が経ってしまっている。節々面白いのになんだか消化不良に陥ってしまう。 物語は、タイトルとかうたい文句の通り、西の魔女=エルファバのお話である。 「オズの魔法使い」でドロシーが下敷きにしてしまった魔女(エルファバの妹)や、ドロシーにオズへ行くように促した白い魔女(って名前だったっけ?)も出てくる。
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