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がらくたにっき |

表紙絵は好き

乾石智子 「魔道師の月」 2012年 東京創元社




本屋さんをぶらぶらしていると「読書界を瞠目させた著者の2作目!」というあおりが出ていたので、まぁ大げさだろうけど…と思いつつ、図書館で借りてみた。

結果は。
う~ん。やっぱり大げさだったかな。
ファンタジーというので楽しみにしてたけれども、正直、なかなかページが進まなくて苦労した。

思うに、ファンタジーというのは、まったく知らない世界を紹介するのだから、どれだけその世界をうまく読者に伝えられるかにかかっていると思う。
つまりその世界が伝わらないことには、まったくもって話にならないわけだ。

それが、この作品で言えば成功していると言い難い。
後から知ったけれども、作者の1作目の同じ世界らしいので、シリーズ本として出していて、世界の説明を省いたのかもしれないけど。
それにしてもなぁ~~


お話は、簡単に言ってしまうと、邪悪な闇と対峙する2人の魔道師のお話。
一人は皇帝付の魔道師で、大地を魔法を得意とした、穢れを知らない魔道師。穢れを知らないがために未熟者とされている。
一方は激しい感情を持った魔道師で、彼は書物を扱う魔法の創始者となった人。怒りまかせに大切な書物を燃やしてしまい、実はその書物が、邪悪な闇をやっつける鍵を握っていたと言うのだからまぁ大変。

たまたまその書物の主人公となる人が描かれたタペストリーと巡り合い、気付いたらそのタペストリーの世界に入ってしまう。
そのおかげで邪悪な闇をやっつけるヒントを得られる。

二人は姿の特徴が似ている縁で知り合い、二人で闇をやっつけることとなる。


といっても、そんなスペクタクルなものではなくて、割と地味(失礼!)進む。
正直、「百鬼夜行抄」にも似たような丸太の話があったな…という印象。

重厚なファンタジーが好きな身としては、ものすっっっごく物足りない物語だった。
んー ファンタジーって面白いとものすごい面白いけど、まぁまぁというものはないんだな、と思ってしまった1冊だった。

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とりあえず「白の祝宴」を読んでから源氏物語に挑戦しよう

森谷明子 「望月のあと 覚書源氏物語『若紫』」 2011年 東京創元社




そういえば…と思って「千年の黙」の続編「望月のあと」を借りてみた。
なんとなく田辺聖子さんに通ずるような“平安時代なのに軽く読める”というのが良かったと記憶していたので読んでみたのだが、確かに息抜きにぴったりな本。

しかし!読み終わってから気付いたけれども、読む順番を間違えた…
これの前に「白の祝宴」があったのだ!
通りで話の意味が分からないところがあったんだ…と思ったのは嘘で、「千年の黙」もあんまり覚えていなかったので、どっちにしろ“誰だっけ、この人?”とか“そんなことあったっけ?”が色々あった。
まぁ、読む順番間違えたという点では、源氏物語も読まずにこれを読んでる時点で、順番もへったくれもないんだけどね!

何はともあれ、本書で紫式部シリーズは終わりのようで、最後には紫式部は後宮から下がる。
時代としては、道長が栄華の極みを堪能している頃で、ついには孫を天皇にしたてあげ、自分は関白になって“望月のかけたることもなしと思へば”と詠んでいる頃。


本書は大きく二つに分かれていて、前編は“玉葛”にまつわるお話、後編は道長の栄華が最高潮に行く様が描かれている。

まず前編は、源氏物語を通して、道長のある女の子に対する動きを牽制するお話となる。
紫式部の腹心の部下(?)である阿手木を使いつつ、和泉式部とも共謀しつつ、更に物語で道長をがんじがらめにして…というのは、ちょっとした優雅な騙し合戦みたいで面白かった。


そんな軽いタッチの前編から一編して、後編はなかなかヘビーになっていく。
彰子の夫であった天皇が亡くなり、まずは三条院(後の呼び方だけど)がなる。
三条院と道長の関係はうまくいかず、しかもあちこちで火災が発生したりとなかなかの不穏な空気が流れる。

その火事が放火のようで、しかも紫式部の周りの人が巻き込まれて…というのが、栄華を誇る道長と、貧困にあえぐ庶民との対比で描かれているのが印象的。

最終的には道長に反発した紫式部は後宮を下がることになり、念願の尼となって、市井に住む人々についても書こう、というところでお話は終わる。


道長の傍若無人っぷりはありきたりな感じで、割と薄っぺらい感じはしたけれども、男社会の中でなんとか目立たないように、でも男達に組み敷かれないように生きて行く女性を描くというのは、作者が女だからできたことなんでは?
“源氏物語”という「難しそう…」と敬遠されてしまったり、“どうせ光源氏の勝手気ままな恋愛小説でしょ”と言われてしまいそうな題材を、こうも読みやすく、しかも面白く書けるのはすごいなぁと素直に感動した。

Category : 小説:歴史
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姉妹の中で“安直なネーミング”という言葉が流行ったなぁ

岡田淳 「選ばなかった冒険―光の石の伝説―」 1997年 偕成社




児童書コーナーでふと目にとまった岡田淳氏の作品。
子どもの頃に夢中になったのを思い出して、再読してしまって手に取った「選ばなかった冒険」。
岡田淳の中でも特に面白い…というわけではないけれども、今の自分のルーツを見つけてしまった。。。
というのは、2つの人生を同時に歩む―つまり起きている時と寝ている時とで違う人生を送る、というのを夢想していたことがあったのだが、これはここから来たんだったな!というのを思い出した。

ざっとしたあらすじはというと…
具合が悪そうな学について保健室へ行くあかり。
道すがらに、RPGゲームをして寝不足なんだ…と学に告白され、そのままそのゲームの話が始まる。
曰く、「光の石の伝説」というそのゲームは、闇の王が支配する世界の中、勇者が光の石を奪還する、という物語だという。
そんな話をしている内に、学校の様子がおかしいことに気づく。
なんと学とあかりは「光の石の伝説」の世界に入ってしまったのだ!
ただ面白いのが、舞台は学校ということ。勇者が立ち寄る休息の場は保健室だし、そこにいるキャラクターも保健室の先生。勇者に旅を促す賢者も校長先生。ただし、まったくもってゲームのキャラクターのようで、意志もなく機械的なセリフを言うばかり。


その世界で眠りにつくと…なぜか元の世界へ。
夢かと思ったけれども、そうなると二人とも同じ夢を見ていたことになる。
そして夜になって寝ると、またもやゲームの世界へ。

そんな折に違うクラスの谷くんに出会う。
お互い自分の夢かと思っていたものだから混乱が生じ…


学校の先生ならではの、学校密着型のファンタジー。
やっぱり小学生時代に読んだ方がわくわく感が大きかった気がした。

Category : 児童書
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日本語学校がこの時代にあったことにびっくり

井上靖 「おろしや国酔夢譚・楊貴妃<井上靖小説全集28>」 昭和47年 新潮社




ロシア旅行用に読んだ本。楊貴妃を読みきれなくて、結局この1冊読んだのはロシア旅行後となったけれども、一応“おろしや”の方はロシア旅行前に読めた。
しかし、最後がしんみりとした終わりで、ロシアへの期待感でふくらんでいた胸はしゅん…となったのも事実。

井上靖ってあまり読んだことがなかったけれども(それこそ遠い昔に「しろばんば」とか「あすなろ物語」に読んだきりかも!)、淡々とした語り口調が特徴的だと思った。
エンターテイメント好きとしてはドラマチックはよりドラマチックに!というのを普段求めているだけに、この淡々とした語りは逆に新鮮だった

「楊貴妃」はさら~っと読んだのであまり印象に残っていないけれども、「おろしや」は本当に面白かった。
あまりに入りこんでしまったので、最後は本当にずんと来た。


主人公は大黒屋光太夫。
伊勢からの商船の船長だったのだが、時化にあい遭難してしまう。
大黒屋と16名はどんどん流されて、ついにアムチトカ島に流れ着く。
なんと、伊勢を出発したのが12月13日で、アムチトカ島に辿り着いたのが7月20日だった!実に半年以上舟にゆられていたのだが、死者はたった1人だった。

アムチトカ島に着くと、さっそくロシア人に出会う。
彼らとかけあってなんとか日本に帰ろうと奔走することになるのだが、厳しいシベリヤの冬に何度も悩まされる。
今まで経験したことない寒さの上に、食べ物もない。
中でも印象的だったのが、冬にイルクーツクへ移動させられた話だった。

その時逗留していた街ですらの極寒。
そして現地人には凍傷で鼻がなかったり、手足がない人が沢山いる。
現地人ですらこの状態なのに、果たして自分達は生きていけるのだか。
ここで大黒屋が賢いのが、まずは徹底的に情報収集をしたところ。この頃にはロシア語に堪能となった仲間もいて、彼らを駆使して現地人から注意事項、買う物の情報を入手したのだった。

それでも1人だけ凍傷になってしまう。
しかも我慢強いという日本人の美点があだとなって、仲間に迷惑をかけてしまってはいけないといって我慢をしたがために足を切らざるをえないところまで進行してしまったのだった。


こんな苦労をはじめとして、次から次へと困難が立ちはだかる。
それでも仲間同士で慰め合い、故郷に帰る日をひたすら待ち望むのだった。
実は、ロシアでは大黒屋の前にも日本人漂流民がいたのだが、その人たちは結局帰られず、ロシアで日本語学校の教師をつとめ(なんとロシアには国立の日本語学校があった!)、その地で亡くなったのだった。

もちろん大黒屋たちにも何度も教師になるよう通達が来るのだが、大黒屋の根気といったらこのうえない。
大黒屋の人柄もよかったのだろう。というのは色々な人に助けを求めるのだが、皆割と親身になってくれる。
中でもラックスマンという学者はエカテリーナ女帝と面会できる権力があり、何度もかけ合ってくれて、最終的に大黒屋は彼のおかげでエカテリーナ女帝と謁見が適うのだった。

これでやっと日本への帰国の許しが降りるのだが、一人また一人と亡くなったり、凍傷で足がなくなったり、うっかりロシア正教に改宗してしまったりで、日本に帰れたのはたった3人。


やっとの思いで帰ってきた大黒屋達を待ちうけていたのが、形式ばかりでなかなか事が進まない日本。
鎖国時代だったので、大黒屋達はなかなか上陸できない。ついに日本を目の前にして一人亡くなってしまう。ここがまぁ切ない。

やっとやっと!日本に上陸できたものの、伊勢に帰ることはできず、外の世界を見てしまったということで、これから死ぬまで、大黒屋ともう一人・磯吉は幽閉されてしまうのだった。

あんなに夢見ていた故郷。
どんなに辛いことに遭遇しても、絶対日本に帰る!という強い意志で生き延びてきたのに、辿り着いた日本は思っていた日本と全然違った。
海外にしばらく住んでいた私としては、共感するところが沢山あったから、余計に身に染みたのかもしれない。
特に大黒屋のこの台詞を読んだ時は切なくて仕方なかった。

(日本になんで戻りたかったのか、という話で)
「俺はな、俺は、俺はきっと自分の国の人間が見ないものをたんと見たで、それを持って国へ帰りたかったんだ。あんまり珍しいものを見てしまったんで、それで帰らずには居られなくなったんだな。見れば見るほど国へ帰りたくなったんだな。思えば、俺たちはこの国の人が見ないものをずいぶん沢山見た。そして帰って来た…。だが、今になって思うことだが、俺たちの見たものは俺たちのもので、他の誰のものにもなりはしない。それどころか、自分の見て来たものを匿さなければならない始末だ」(p224-225)

どんな煌びやかな生活を垣間見ても、決して望郷の念を忘れなかった大黒屋一行。
帰れなかったらそれはそれで不幸、帰っても不幸。
淡々とした文章だけに、色々と思う余地があって、余計に切なく感じた。

Category : 小説:歴史
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