Chris Colfer "The Land of Stories - the Wishing Spell", 2012, Little, Brown and Company
ある時、紀伊国屋をぶらぶらしていたら、洋書コーナーのポップに“アメリカドラマgleeのカート役をつとめるChris Colferの処女作”と書いてあるのを発見! gleeのカートといえば、一番のお気に入りの役者! 条件反射的に買いそうになったのを、『いやまてまて。カートが書いたわけではなく、カート役をしていた俳優が書いたわけで。あんまり面白くなかったら、カートの印象が悪くなったりと二次災害がはんばないぞ』と思い止まったのだった。 が、後日妹にその話をしたら、同じくカートファンの彼女に“買うべき!”と大きく背中を押され、いつの間にか“まぁ、駄作でもカートなら許せるよね~”とすっかり“カートが書いた本”となって、意気揚々と紀伊国屋に引き返したのであった。 読んだ結果。 心配も杞憂に終わりました。 よかった~~~! 児童書ということで、かなり単純な話しであるし、しかも表紙の絵から分かる通り、おとぎ話の世界に入りこんでしまうという、割とありふれた題材だったのだが、なかなか面白かった。 主人公である双子AlexとConnerの父親が亡くなった、という設定がカートを彷彿させたけれども、カート云々がなくても楽しめた本ではないかと。 特に際立ったのがセリフ回し。 やはり俳優という職業柄、言葉に敏感なのかもしれないけれども、AlexとConnerの台詞が今風にテンポがよく(特にConner)、アメリカドラマを見ているよう。 例えばジャンプしてながらしゃべるところは;“We fell. From. Somewhere. Up here. There's. Got. To be. A way. Back"(p83)
という工夫があったり。 シンデレラの階段を上るシーンがまた面白くて、Alexが“Can you believe that's the very spot Cinderella left her glass slipper?"と言えば、“Absolutely ... I wouldn't have climbed these steps again if I had left my shoe, either"(p176)というやり取りが、アメリカのホームコメディを見ている気分にさせられる。 ライトなタッチでおとぎ話が下敷きになっていて、となんとなくShrekを彷彿させ、それでいて子どもたちがしっかり現代っ子で、アメリカンドラマみたい、というなかなか読みごたえのある作品だった。 ざくっとあらすじを書くと。
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綾辻行人 「Another」 平成21年 角川書店
久しぶりの綾辻行人。 図書館に行ったら“今日返ってきた本”コーナーにどんっとあったので、映画化もされている今、普通に本棚にあるのも珍しい!と思ってさっそく借りてみた。 さすがの筆力というのか、わりと太い本なのにぐいぐい読めて、2日で読んでしまった。 ちなみに外出先でも気になってしまって(でも単行本だったので持っていけなかった)、空き時間に本屋さんで続きを立ち読みしてしまった… 何はともあれ、何が面白かったってホラーなのに推理小説っぽいところ。 あとがきにもあるが “THE OTHER”や“THE OTHERS”(注:二つとも綾辻氏が愛してやまないホラー映画)がそうであると僕が感じているように、『Another』は一方で、ある種のミステリ的な企てに満ちた「謎物語」でもある。(p676)
とあり、ミステリ的手法が(謎を強調させたり、解を明確にさせたり)あちこちちりばめられている。この律義さが、さすが推理小説家の大御所だなぁ~と思わせられた。 散々面白かったと書いておいてなんだけど、でも実はちょっと物申したいところがあって、でもそれは物語の筋に触ってしまうので、まずはあらすじをば。 (ネタばれがあるので注意!)
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ミルトン・フリードマン 「資本主義と自由」 村井章子・訳 2008年 日経BP社
勉強のために本を読んでみよう、と思い立ち、「資本主義と自由」をテーマ本とした読書会にサインインした。 もう後悔するくらい難解でした…私にとっては。 理解するのに1文を3回読むのもざら。 よく考えたら、今まで経済の本なんて何一つ読んだことなかったし、加えて日経だって読まない。 そら~突然学術書を読んだところで分からんよなぁ~と思った。 でもなんとか読了し、読書会も無事に参加できてよかった… とりあえず指定されたフォーマットでレジュメを作ったでコピペ;【この本を一言で表すと?】 資本主義は不平等を起こす、市場は悪、政府が経済へ介入すべき、といった論調を、自由主義のフィルターを通して反論 【良かった点・興味深かった点】 ・資本主義社会が差別を減らしたという点 特に、差別は「好み」の一部で、“差別”を“買う”という発想が興味深かった ・教育バウチャー制度 政府の干渉を制限するには…?という問いに対する答えとして、妥当に思えた ・政府の介入の理由として温情的配慮は妥当でないという点 自由主義の考え方が一番よく表れている気がした 【参考にならなかった点、つっこみどころ】 ・自分の知識があまりに足りなかったところ、アメリカ特有事情なところ (国内・国際金融制度、鉄道など) ・“はっきりしたデータはないが”といった趣旨の記述が多い 【みんなで議論したいこと】 ・医師免許制度について フリードマンの理論も理解できるが、実際に本当に医師免許なしで医療に対する信頼は持てるのか? 【その他】 現状社会において自由が侵害されていると思ったことがほぼないが、自由主義の目線では自由への侵害が起きているというのが、新たな視点を得られた気がした。 ただ“自由を信奉するなら、過ちを犯す自由も認めなければならない(p338)”という言葉がある通り、自分の自分への責任も大きくなる。徹底した自由主義社会は住みにくい気がした。
レジュメを作る上でまとめてもみたので、それもコピペ;
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赤染晶子 「乙女の密告」 2010年 新潮社
「世界を変えた10冊の本」 にて言及されていた「乙女の密告」。 芥川賞受賞作品だし、と気になったので借りてみた。 う~~~ん。 正直、物語云々以前の問題で、文章が本当に気に食わなかった。 何かと“乙女”“乙女”って鬱陶しい!!!! 噂は少しずつ広まった。乙女達はスピーチの練習よりも熱心に噂を囁きあったのだ。乙女とはとにかく喋る生き物だ。 「えー、信じられへんわー。不潔やわぁ」 これが乙女の決まり文句だった。乙女とは、信じられないと驚いて誰よりもそれを深く信じる生き物だ。この信心深さこそが乙女なのだ。乙女達はひそひそと囁き合って、信仰を深めていく。乙女が集まれば噂の話になる。(p36-7)
こんな調子で、始終“乙女”“乙女”となる。 舞台となる外語大でのドイツ語の先生のバッハマン教授が“乙女”と呼ぶということから、文字通りの“乙女”とは少々意味合いが違う、と分かりつつも、“乙女は~である”と断定的な物言いが神経に触る。 物語は、バッハマン教授が持っている、スピーチゼミが舞台となる。 下級生は「アンネの日記」を暗唱し、上級生たちは自作のスピーチを行うのだが、主に「アンネの日記」を通した“乙女たち”の物語となっている。 アンネは乙女の見本のようなものと思っていたが、実は母親とうまくいっていなかったり、ユダヤ人の自覚を持ち始めたり(ここら辺は池上彰氏の話と同じ)と等身大の乙女である。 スピーチの鬼のような上級生・麗子様がバッハマン教授と関係があるのでは?という噂が流れる。こうしてはみごになる麗子様だが、主人公のみかこは相変わらず、麗子様が主催している(?)スピーチの練習に参加している。 ひょんなことで、麗子様の噂はまったくもって嘘だということが分かるのだが、自分が真実を知ってしまったことを非常に恐れる。なぜなら乙女にとって真実は必要ないからだ。 しかしみかこが真実を知ってしまったこと、つまり乙女でなくなったということが広がってしまう。 誰が密告したのか…? それがアンネたちのことを誰が密告したのか?という謎にかぶさるように語られていく。 といっても、みかこの謎は大した謎ではないし、アンネの方の謎は解かれていないのだが… 最後にスピーチ発表本番のシーンとなるのだが、みかこはずっと忘れ続けた一文『今、わたしが一番望むことは、戦争が終わったらオランダ人になることです!』を思い出すことができる。 これがみかこが出会うべき言葉だったのだ! とここで終われば感動的なのだが、なぜかその後、みか子の言葉ということで 「わたしは密告します。アンネ・フランクを密告します…(中略)…アンネ・フランクはユダヤ人です」(p120) というのだが、非常にこの部分がハテナである。これを言った後に、元の文章に戻っていくっていうのもよくわからない。 妙に現実的な私としては、実際にスピーチ大会でこんなことが起きたら、頭おかしい人みたいだよなぁ…としか思えなかった。 とりあえず、色々と不完全燃焼な作品だった。
亀山郁夫 「終末と革命のロシア・ルネサンス」 2009年 岩波書店
この「終末と革命のロシア・ルネサンス」に行きつくのにちょっと長い経緯がある。 前の読書会で「巨匠とマルガリータ」を紹介した時に、発禁になった本だという説明をしたら、なんで発禁になったのか?という質問が出た。 悪魔の話だから…なぁ…とかなり濁しつつ話したのだが、なんで発禁になったのか気になって。 と思ったら、亀山郁夫氏の「磔のロシア スターリンと芸術家たち」という本を図書館で見つけた。 これがまさにブルガーコフがいかにサバイブしていったのか?という本だと書いてあったので早速借りてみたら、裏表紙に「『終末と革命のロシア・ルネサンス』の続編」と出ているではないか! こりゃちゃんと読まなくては、と借りたというわけだった。 結論からいうと、亀山郁夫氏だから読みやすいだろうと思ったのが甘かった。 内容が難しかったです。。。学術書だった。 文章が難しいわけではないし、亀山氏の言わんとしていることは分かる。 だけど!出てくる芸術家が、ヴルーベリ以外さっっっぱり分からず(ヴルーベリだって見たことあるなという程度)、彼らを知っている前提で書かれているから難解だった。 そして「???」と思いながら読んでいると、まぁ、みなさんなんとも奇妙な感じだった。 しょっぱなのベールイなんて、お気に入りのノヴォデヴィチー修道院にて“ケンタウロス・ギャロップ”やら“コズロバック(山羊踊り)”をしていたらしい!そのケンタウロス・ギャロップとやらはこんな感じ;両手を腰にそえ、眼をぎょろりと開き、頬をプッとふくらまし、額を刻む黒い皺、さながら研究室に急ぐ風情である。(p44)
“え・ええぇぇぇえ~”とびっくりしたもんだった。 とりあえず本書で取り上げられている人たちは以下の通り;
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乾石智子 「夜の写本師」 2011年 東京創元社
「魔道師の月」 ではさんざんっぱらつまらないと言ってしまったけれども、どうやら読む順番を間違えた気がしてしょうがない…。 1巻目である「夜の写本師」はまぁまぁ面白かった。 簡単に言ってしまうと、男の魔道師にたぶらかされた女魔道師である姫が、輪廻転生しながらそいつに復讐を果たそうとするのに、逆に魔術を取られてしまう…というお話。 そして最終的に物語の主人公となるのは、その女魔道師が男として生まれ、紆余曲折を経て魔道師でなく“写本師”となったがために、その男魔道師には気付かれずに、最終的には復讐を果たすというお話。 時空を超えて…とかお好きなようで。 その点に関しては、タペストリーの中に入ってしまう「魔道師の月」の方が面白かったかもしれない。 こちらは“写本師”なだけあって本の中に入ってしまう。ま、これは想像しやすい設定。 “夜の写本師”というのは職業で、字に魔法を閉じ込めてまじないや呪いに使う護符のようなものを書く人のことを指す。もちろん特殊な職業ではある。 写本というだけでも、なかなかワクワクする設定ではあった。 が、どうしても「カルトローレ」 を思い出してしまい、美しさや面白さは「カルトローレ」に軍配が上がってしまった以上(ちょっと前に読んだので美化されている部分もあるだろうが)、「夜の写本師」の印象はちょっと下がってしまった。 あまり文句言うのもなんなので、ちょっといい一文を引用して終わろうと思う;「人を孤独にするのは自分自身だというわ。でも、あなたは、もう、そうじゃない。そうであってはいけない。誰しもだけど、特にあなたは。自分でかけた蜘蛛の巣をとり去るにはほかの手が必要だということを認めなきゃならない。憎しみで真っ黒になった心をふき清めてくれるたくさんの人がいるということを知らなきゃならない。憎しみのあまりに、孤独という鎧をまとってしまったのなら、どこかの鋲を一本はずしてくれる人が必要なのよ」(p257-8)
池上彰 「世界を変えた10冊の本」 2011年 文藝春秋
「資本主義と自由」をテーマにした読書会に参加/挑戦してみようと思い、その本についてちょっと調べてみると、“「世界を変えた10冊の本」を読んで興味を持ったので読んでみた”的なことを書いている人を発見。 池上彰さんと言えば「子どもニュース」の頃からお世話に(勝手に)なっているし、まずこちらを読んでから「資本主義と自由」を読んでみよう、と思って借りてきてみた。 結局、“世界を変えた10冊の本 ”とはなっているけれども、実際は“世界を変えた10の思想 ”と読み変えてもいいわけで、池上さんんらしい切り口で紹介している。 その説明がまた分かりやすくて、本当にこの人すごいな!と感服してしまった。 紹介されている本は次の通り;「アンネの日記」 少女から女性へ、そしてユダヤ人としての自分を見つめていく、という過程が鮮やかに綴られたアンネの日記。 そしてこの日記を読んだ全世界の人は、“ユダヤ人であるばかりに迫害され、若い命を落とした”という印象を強く持つようになり、その結果、パレスチナ問題に対して強く言えなくなってしまっている…と池上さんは考えます。 というわけで、世界を変えた本。「聖書」 これは言わずもがな。 聖書に関してはそんなに目新しいことは書いていなかったので割愛。 ただちょっと気になったのが「ユダの福音書」。2006年に出版されたということなので、機会があったら読んでみたい。「コーラン」 ユダヤ教、聖書ときたら、ま、コーランが来なきゃね、という感じでコーラン。 これもあまり目新しいものは無。ただ、イスラムというと怖い宗教のイメージがあるけれども、本当は違うんだ、“国際紛争にイスラムがからんでくるのは、イスラムだから紛争になるわけではなく、紛争地帯に、たまたまイスラム教徒が居住していた、ということが多いのです”(p93)というのは同感。「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」byマックス・ウェーバー 池上さんの解説を読むとなかなか興味深いけど、果たして自分では読まんだろうな、という一冊。 宗教の力がどれだけ経済に影響を与えているのか、というのがテーマらしい。 特にプロテスタントというのは資本主義精神を養うのに適した宗教であった。 なぜか? それは善行を積めば天国に行けるというカトリックの思想に対して、カルヴァン派(プロテスタント)は「予定説」というものを信じており、来世で救われるか否かはすでに予定されている、という思想がある。 また自分が選ばれた者だ、と信じることが信仰に繋がるので、自己確信を獲得するために、職業=ベルーフ(天職;神から与えられた義務)を従事するようになったというのだ。 この思想は大きな反響を呼び起こしたようで、反論も随分とあるようだ。 でも、宗教がどのような形にであれ経済に影響を与えたのは確かな気がする。「資本論」byカール・マルクス どうやら大変難解な本みたいなので、絶対読むことはないだろう、と思うと、こうやって簡単に説明してある本は助かる。 そして初めて知ったのが、マルクスは資本主義の最期を説いただけであって、資本主義の崩壊後の経済はどうなるか、というところの言及がなかったということだった。 つまり、レーニンや毛沢東が社会主義革命を起こしたものの、社会主義の実現方法というものに関しては試行錯誤だったのだ。 資本家による搾取がいけないと資本家を絶滅させたものの、経営がわかる人材がいなくなりました。 私有財産がいけないとして、農民から土地や農機具、家畜を取り上げて協同所有にしたところ、農民たちの労働意欲は減退し、慢性的な食料不足に悩まされます。 資本家の復活を阻むためとして、言論の自由は抑圧されました。(p145)
なるほど~と思った1章だった。「イスラーム原理主義の『道しるべ』」byサイイド・クトゥブ コーランでイスラムは決して危険な思想なわけではない、と説いた池上さんが6章で紹介するのが、911の引き金となった、イスラムを極端に解釈した理論書「道しるべ」。 内容は想像に難くない、つまりイスラムこそ絶対的に正しい、という極めて排他的な思想である。 この世はアッラーがお創りになったのだから、神が主権を持っており、人間が自治なぞしてはいけない…ということで、民主主義は悪だ、というわけだ。 作者のクトゥブの生い立ちを見ると、その思想が成り立った過程が分かる。 エジプト教育省の職員だった彼はアメリカに留学し、そこで物質文明に失望する。しかも、ムスリム同胞団を敵視するアメリカ人やイギリス人を知ることで、かえってムスリム同胞団を支持するようになる。 このくだりを読んだ時に、妙に納得してしまった。といって正当化されるわけじゃないけど…「沈黙の春」byレイチェル・カーソン 311の震災後に書かれた文章のようで、福島第一原発の事故による放射性物質の話から「沈黙の春」の紹介が始まる。 「沈黙の春」は農薬の危険性を訴えた作品だが、池上さんはレイチェル・カーソンの先見性を、今の環境運動に絡めて紹介している。「種の起源」byチャールズ・ダーウィン これまたわざわざあらすじを書かなくてもいい内容だが、池上さんはダーウィンの進化論が社会に当てはめて考えた思想も紹介している。 結局、自然淘汰という考え方は資本家たちに歓迎され、社会福祉への否定、白人たちの先住民支配の正当化、優生学の誕生とそこからのナチスドイツ誕生に繋がると言及している。 それと同時に、アメリカのキリスト教原理主義者の反発は今なお続いていて、“インテリジェント・デザイン”という理論なるものが展開されていることも紹介されている。なんでも“インテリジェント・デザイン”というのは、生物の進化は何らかの“インテリジェント”な存在による“デザイン”に基づいている、つまり神の設計図によって生物は進化している、という理論らしい。「雇用、利子および貨幣の一般理論」byジョン・M・ケインズ そういえば高校の時に習ったことあったな…というケインズの理論。 端的に言うと、政府が経済に介入すべき、という理論(で合ってるよね…) それを色々と事例などを使って説明してくれているが、正直読むので精いっぱいだったので、まとめるのは無理… 気になったら、また本書を読もう…「資本主義と自由」byミルトン・フリードマン さて大本命の「資本主義と自由」。 ケインズとは反対意見で、政府は経済に介入すべきでない、政府が介入すると自由が奪われる、といった理論。 権力はできるだけ分散すべきで、だからといって無くていいわけではなく、政府はルールを決めたり、ルールが守られているか監視する係となるべきだ、という。 今ちょっと読み始めているが、確かに池上さんが言う通り“強者の理論”という印象がある。 というか、世間の人皆が、そんな意思決定能力が高いと思えないので、そんな“自由”であってもうまくいかないんじゃないか??と思ってしまった。 とりあえず頑張って読みますが…