川上弘美 「七夜物語 上」 2012年 朝日新聞出版
本屋で山積みになっているのを見て、川上弘美初のファンタジーだったり酒井駒子さんのイラスト、というのに魅かれて図書館で予約。
またなが~~~いことかかって、やっと手に入れたのだった。
あまり評価がよくなくそんなに期待して読まなかったのが功を為したのか、大変面白かった!
最初の方は、ターゲットとしている年代がよく分からずに戸惑ったけれども。
何せ主人公は四年生だから、それくらいをターゲットかと思いきや、確かに漢字は少ないけれども、語彙は割と難しい。しかも時代設定がちょっと前っていうのが、ついて行けるのか?と無駄に心配してしまった。
が、これが朝日新聞で連載されていた小説と知って納得。
ターゲットは子どもじゃないのね。
とすると、どのような位置づけで読めばいいのか?
なんとなく、“かつて子どもであった人たちへ”的な意味合いかなぁ~と思いながら読むと、ちぐはぐさが気にならなくなってきた。
評価がよくないのはここら辺なのだろうか?
何はともあれ、“夜の冒険”という設定がわくわくさせた。
そして主人公の子どもたちがちょっとずつ成長していくのが(特に男の子。大抵男の子が成長していくよな)、こういうジャンルの物語の定番で、それがいい。
ざっとしたあらすじは;
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浜松隆志・柳原初樹 「最新ドイツ事情を知るための50章」 2009年 明石書店
国際情勢を知ろうという読書会で、ドイツがテーマであったので参加することに。
去年の今頃、立て続けに仕事でドイツに行ったが、とりあえず嫌な印象が積み重なることしかなく、何せドイツ人の真面目な生活が馴染まない。
嫌い過ぎて週末には一人でイタリアやイギリスに逃げてしまうくらいだった。
が、嫌うだけではなくきちんと知ろうと思っていたので、いい機会だと思って参加してみた。
結果。
確かにドイツは尊敬に値するところは沢山ある。政策の立て方というのが、やはり日本に比べて素晴らしいと思う。タイミングも合っているし、いわゆるPDCAサイクルのようなものがきちんとある(政策たてっぱなしじゃない)。
…ま、しかし、人を好きかどうかは、また別問題だな。
仕事上での注意点は学べた気がするので、その点でもいいが。
ヨースタイン・ゴルデル 「アドヴェント・カレンダー ~24日間の不思議な旅」 1996年 日本放送出版協会
本を持ちよりの読書会があったので、クリスマス近いし、昔読んで面白かった「アドヴェント・カレンダー」にしようと思って再読してみたら…あれ…?全然面白くない…
結局それにするのは止めたのであった。
大体あらすじは覚えていたのだが。
主人公の男の子・ヨアキムは不思議なアドヴェント・カレンダーを買ってもらう。
扉を開くと小さな紙が入っていて、そこに物語が書いてあるのだ。
デパートのレジの音に飽き飽きした子ヒツジが逃げ出してしまい、それを追いかける女の子のエリーサベト。
いつの間にか時の旅が始まっていて、天使とベツレヘムに向いながら、時もキリストの産まれる年へと遡ってくる。
道々他の天使や羊飼い、三人の賢者、アウグストゥスやキリニウスやらに出会う。
それと同時にヨアキムの話も出てくるのだが、このアドヴェント・カレンダーを作った人が出てきたり、昔デパートから忽然と姿を消したエリーサベトという少女がいたことが分かったり、と謎が深まる。
(ここからネタばれ)
土屋恵一郎 「処世術は世阿弥に学べ!」 2002年 岩波書店
「風姿花伝」がなんでこんな重宝されているのか知りたくて、図書館でたまたま見つけた「処世術は世阿弥に学べ!」を借りてみた。
「風姿花伝」に書いてあることをマーケティングなどで役立ててみよう…という趣旨のことが書いてありそうだったので丁度いいと思ったのだが。。。全然面白くなかった!!!
「風姿花伝」の前に読んでいたら多少はましだっただろうけど、本当~~~に浅い。
噛み砕くこともせずに世阿弥の例えを現代に置き換えただけ。
無駄に“処世術”とかを出してこないで、「風姿花伝」の入門書とかにすればよかったのに。
正直、明大の大学院在学中に東大生に会って…という話が出てきた時にはげんなりした。「東大の学生は性能がいいのだが、市街地を走るにはふさわしくないフェラーリやマセラッティのようなものである。(p26)」なんて、そうかもしれないけれども、それを本に書いてしまうところに作者の品性を感じてしまう。
ということで最悪な本だった
田辺聖子 「新源氏物語(中)」 昭和59年 新潮社
なかなか面白くなってきた源氏物語。
源氏の恋物語になるとめっちゃムカつくけど、その他の話は面白い。恋物語でも女性目線だと面白いし。
あと、源氏の息子・夕霧が活躍してくるのだが、源氏の反対で好感が持てる。
源氏のことを悪くばかり書いているけれども、源氏の夕霧の接し方は“良い父だな”と思わせた。
結局源氏は臣下に下ったとは言えども、帝の子どもだったわけで、夕霧なんていい家柄の子供になるわけだ。
簡単に出世できそうなものなのに(ましてや源氏は須磨から帰って来て権力を手に入れたし)、それではいい人間に育たない、ということで大学寮に入れてしまう。
紫式部の賢明さが窺わせる設定だと思った。
また各巻をちょろっとまとめると;
<露しげき蓬生に変わらじの心の巻>
末摘花の話。源氏の須磨行きですっかり忘れられたが、戻ってくることを信じて留まる。荒れ放題の邸で、やっと源氏と再会する。
<古き恋にめぐり逢坂の関屋の巻>
空蝉の夫が死んでしまい、尼になってしまう。
<春の梅壺に風流をきそう絵合の巻>
六条御息所の娘が帝の元へ御輿入れ(斎宮の女御)。その前に御輿入れしていた、権中納言(源氏の友達)の娘・弘徽殿の女御と寵愛を競うことになり、ついに絵合せで競争となる。源氏方が勝ち、いよいよ権力を得る。
<久しき別れに松風のみ風を通うの巻>
明石の君が娘を連れて上京する。ただし源氏とは一緒に住まず大堰(桂の方?)に住む。
<入日の峰に薄雲は喪の色の巻>
明石の君から娘を取り上げて源氏の手元(紫の上)で育てる。藤壺が亡くなる。その折に帝は、実は源氏が自分の父親と知る。斎宮の女御を口説くも振られる。
<恋の夏すぎてあるかなきかの朝顔の巻>
朝顔の斎院が斎院を下りたのを聞いて言い寄る源氏。朝顔の君は他の女性と一緒になるのが嫌でつれなくあしらう。
<初恋は空につれなき雲井の少女の巻>
夕霧は祖母に育てられていたが、そこには権中納言の娘(従姉)も育てられていた。小さな恋のメロディのようだが、権中納言に二人の仲がばれてしまい離れ離れにさせられる。夕霧は大学寮へ。花散里に育てられるようになる。六條院が完成し、四季にちなんで女たちが住む。
<恋のわすれがたみ日陰の玉蔓の巻>
夕顔と権中納言の間に出来た娘が九州に住んでいたが、上京してくる。源氏が娘として引き取ることになる。
<幼なうぐいすの初音惜しまじの巻>
お正月のお話。
<春の夜の夢に胡蝶は舞うの巻>
玉蔓に言い寄る男たち。源氏は惜しくなって言い寄るが拒まれる。
<恋の闇路にほのかなる蛍の巻>
五月五日の節句。花散里の邸で殿上人の騎射の催しを行う。
<常夏の夕映えに垣根なつかしき撫子の巻>
内大臣(権中納言だった人)も源氏を真似て、昔の恋人の娘を引き取る。が、とんだ人で田舎人まる出しだった。
<野分の風に垣間見し美しき人の巻>
源氏は自分のことがあるので、紫の上を夕霧から隠していた。が暴風の折に御簾がなびいて見てしまう。また、源氏が玉蔓に言い寄るのを見てしまう(夕霧は玉蔓が妹だと思っている)。
<雪ちる大原野にめでたき行幸の巻>
玉蔓の裳着の儀式を行うにあたり、内大臣に玉蔓こそ夕顔と内大臣の娘だと明かす。
<露じめりして思いみだるる藤袴の巻>
玉蔓は宮仕えをすることになる。
<愛怨の髪まつわる真木柱の巻>
入内すると聞いて、玉蔓に想いを懸けていた髭黒の大臣は、慌てて玉蔓を自分のものにしてしまう。
源氏が物語について語っていたので、紫式部が自分の考えを述べたところなのかなぁと思ってメモしとく;
小説というのものは、誰かの身の上をそのまま、書くのではない。うそもまこともある。よいことも悪いことも書く。
ただ、この世に生きて、人生、社会を見、見ても見飽きず、聞いて聞きのがしできぬ、心ひとつに包みかねる感動を、のちの世まで伝えたい、と書き残したのが小説の始まりですよ。そこでは善も悪も誇張してある。しかし、それはみな、この世にあることなのです。(p352)