井上順孝 「神道入門 日本人にとって神とは何か」 2006年 平凡社
これまた読書会の課題本;「神道入門」。
いわゆる入門本とは一線を画して、切り口がなかなか面白く、宗教を情報として捉えているのが興味深かった。
以下、読書会へのレジュメ;
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ゲオルク・シュールハンマー 「イエズス会宣教師が見た日本の神々」 安田一郎訳 2007年 青土社
神道についての読書会があったので、ついでに外国人から見た日本の宗教を見てみようと思って借りてみた「イエズス会宣教師が見た日本の神々」。
ドイツ語の論文を和訳しているので結構読みにくかった。
日本語がカタカナで書かれているので、注釈で漢字で改められているとは言え読みにくかった。
タイトル通り、イエズス会宣教師の手紙をまとめた物だから臨場感あふれる内容だったという点では、非常に貴重な資料だということは分かった。
それにしても、割とひどい内容だった。キリスト教の視点だから、日本の神は全部悪魔だし、日本人がやたら野蛮人のように書かれているし、しかもお寺とかに火をつけちゃったり、仏像を壊したりしているから、当時の権力者が危惧したのもよく理解できる。
興味深かったところを抜き出してみる。
1563年4月27日 ヴィレラの報告(堺からヨーロッパの同僚にあてた書簡の追伸として同封されたものより)
…第三の見解は日本人に独特のものである。それはこうである。この世界は、はじめは水を満々とたたえた湖だった。そこには土地もなく、住民もいなかった。(p24)
→日本が水資源豊かなことを思い出させた一節
1549年11月5日 フランシスコ・ザビエルの書簡(鹿児島からゴヤにいる同僚にあてた書簡より)
「彼らはほとんど誓いません。そして彼らが誓うときは、太陽に誓います。――彼らは動物の形の偶像には決して祈りません。たいていの人は、昔の人を信仰します。私が聞き知ったところでは、それは哲学者のように生きた人々でした。」(p32)
→“昔の人を信仰”というのが日本の宗教(神道)の特徴では?
1583年 アレシャンドロ・ヴェリニャーノ 『東インドにおけるイエズス会の起源と発展の歴史』より
「シャカ(Xaca)[釈迦]のこの教えは、彼の宗派とともにまずシナで受け入れられた。そして、その後、日本人が来世のことにほとんど関心をもたなかったときに、日本にやって来た。日本人が来世のことに関心をもたなかったのは、彼らが自分たちのカミとは違う神々を知らなかったからである。そして彼らは、このカミにこの世の財宝だけを与えてくださいと祈願した。この[釈迦の]教えはシナの学者から受け入れられた。――またそれは非常にすぐれ、合理的に見えたので、それは日本人にも受け入れられやすかった。しかし一般の人たちは、自分たちのカミにしがみついていた。それで、彼らの好意だけを得たがっていた坊主たちは、日本人に自分たちのカミを捨てろと強く主張しなかった。逆に坊主たちは、フォトケ[ホトケ、すなわち仏教の神]とカミを結びつけて、両者を一緒を崇拝し、すべてのものを利用することによって――またこう言われるのがつねだが、金と喜捨を日本人から引き出すために両者を支持することによって――、かれらの目的を達成するよい機会ととらえた。また日本人は、その教えに非常に満足した。そのわけは、カミとホトケを一緒に崇拝し、一方からはこの世の財宝を、他方からはあの世の財宝を与えてくださいと祈願したからである」。(p83)
→神仏統合の説明<キリスト教Ver.>
神道は倫理のない宗教とよばれてきたし、また神道家自身もそう言ってきた。「神道は道徳説とはなんら関係がないと言明している。あなたの本性の声に従い、ミカドの命令に服従しなさい。神道の理論によると、それが人間の義務についての全李孫である。神道には説教がないし、未来の生活で応報を受けるか、それとも懲罰を受けるかが、立派な人生を送る動機として用いられているのでもない」。こう、チェンバレンは神道の倫理について書いてある。(p125)
つぎのよう言う人もいる。
「世界の始めとその物質は大きな卵だった。これはひとりでに開いた。そして白身は上に昇り、これから、より軽い部分としての天が生まれた。しかし黄身は、より密な成分として下にとどまり、それから大地が生じた。また女性的な部分としてのそれ<大地>と、男性的な成分としての天から、すべての生物が生まれた」。(p134)
→初めて聞いた話。いったいどこから来た話なのか?
望月守宮 「無貌伝 ~双児の子ら~」 講談社 2009年
友人のレビューで面白いと出ていたので、すぐさま予約してみた「無貌伝」。
いざ借りてみたら表紙が漫画っぽくで“うわ”となったけれども、読んでみたら割と軽いタッチで面白く、最近固い本ばかり読んでいる身としては息抜きになってよかった。
友人のレビュー通り、特殊な設定(ファンタジーっぽい)がよく生かされた推理小説だった。
時々分かりずらい説明に不慣れさを感じたけれども、、これがメフィスト賞受賞作だと書いてあるので、いずれはそこも払拭されて面白くなっていくかもしれない。
その設定というのが、この世界っぽいけれどもなんだか違う世界で、舞台も日本っぽいところ。東京が藤京となっていたりと、そんな感じの舞台設定。
現実社会で言えば戦後の昭和な感じのする雰囲気なのは、北極戦争とやらが終わった後で兵役の終えた若者とかが出てくるところが、第二次世界大戦後の日本を彷彿させるからか。とはいうものの、敗戦というわけでもなく、殺伐とした空気はそんなにない。
もう一つ特殊な設定というのが、その世界には“ヒトデナシ”というものが跋扈していること。
このヒトデナシというのが定義するのが難しいのだが、どうやらこの世でいえば妖怪のようなものらしい。
人のヒトデナシがいたり、猫のヒトデナシがいたり、はたまた人についてこそ能力を発揮するヒトデナシがいたりする。
明智小五郎の怪人二十面相にあたるのが、この人のヒトデナシで“無貌”と呼ばれるヒトデナシ。
人の形をしていて他人の顔を取るので、大変恐れられている。警察が追うがまったく捕まらず。
無貌に顔を取られた人は2週間ほどで自殺やら何やらで死んでしまう。というのが、無貌はただ顔を取るのではなく、その人のその人たらしめるものを取ってしまうので、取られた後は友人知人親戚などなどには見えない存在になってしまうのだ。
そんな無貌に立ち向かった秋津という探偵がいた。
彼は無貌に負けてしまって、結果顔を取られてしまった。
しかし死ぬことはなく今でも生きており、怖ろしいお面を付けつつ生活しているのだが、すっかり失望し覇気のない状態になっている。
そこへやってきたのが元サーカス団員の望。
望は秋津こそが無貌だとふんでやってきたのだが、本物の秋津と知るや助手にしてくれと頼み込み、秋津も承諾する。
実はここのシーンから物語は始まるわけだが、秋津と望は無貌から脅迫状を受けたという榎木家へ向かう。
マティルデ・サンチェス 「エビータ 写真が語るその生涯」 青木日出夫・訳 1997年 あすなろ書房
図書館で見つけた「エビータ」の本。
たまたまその前に "Don't cry for me Algentina"を聞いていたので、そういえば映画を見たことあるけれども、実際にどんな人だったか知らないな…と思って借りてみた。
私生児だったエバ(とはいえ5人兄弟!)。
実の父親が亡くなった後、援助がなくなったもあって母親は街を出て一人で5人の子どもたちを育てる。
映画の魅力にはまったエバは女優になることを夢みて上京するのだが、そんなに売れない。
エバが成功したのはラジオ番組だった。
ペロン大佐と知り合ったエバは彼の愛人となる。
とは言うもののペロンは一人身だった(妻とは死別)。ペロンも死成人だった。
かっこよかったと記載されているが、私にはさっぱりかっこよく見えず…
ペロンの力が強くなるのを恐れた政府によって逮捕されるのだが、釈放させるために大きな影響を与えたのがエバだった。
ラジオの番組を通して、ペロン釈放の運動を人びとに訴えたのだった。
そんなわけでペロン政権というのはエバなしでは成り立たないものだった。
だからといってエバが前面に出るわけでもなく(大統領立候補の話も出たのだが)、彼女は補佐役に徹していたらしい。
一点、非常に興味深かったのが、エバはアクセサリーでさえ自分のイメージを支える為に使っていたということ。
つまり貧しい地域の教会などに出掛けると、自分が身につけている高価なアクセサリーを献金箱に置く、というパフォーマンスをよくしていたというのだ。
そんな風に、彼女はアルゼンチンの聖母というようなイメージを作り上げる。
33歳で癌で亡くなった、というのもエバ信仰に拍車をかけていたと思う。
本を読む限り、ペロン・エバ政権もこのままでは破綻しそうな感じがしたけれども、33歳という若さで亡くなったのが、変な言い方ではあるけれども、エバをいいイメージのままで維持させている気がする。
そしてアルゼンチンのその後の革命にてエバとチェ・ゲバラが並んで、革命家達のアイコンとなっていたのも興味深い。
ちなみにロイド・ウェバーの「エビータ」の狂言回しはチェ・ゲバラ、ということも本書を読んで初めて知った…
本書はエビータの本質に迫るというよりも、生涯をさらりと復習しているような内容に留まるが、写真がいっぱいで、エビータのざっとした内容を知るにはよかったと思う。
ヴォルター・ベンヤミン 「ベンヤミン 子どものための文化史」 小寺昭次郎・野村修訳 2008年 平凡社
大学の頃、Walter Benjaminのエッセイを要約するという課題があって、それが異様~~~に難しくて苦戦したという苦い思い出がある。図書館でぶらぶらしていたら、ベンヤミンが「子どものための文化史」を出しているのを見て、あの難しいベンヤミンが“子どものため”!?と驚いて借りてみたのだが…
あんまり面白くなかった…
どうやらラジオ放送を文章に起こしているらしいのだが、最初の方はまだしも興味をそそったのだが(特にポンペイの地震の話など)、後半になるとベルリンの話ばかりになって興味の対象から遠く離れてしまった。
題材もさることながら、翻訳もあんまりよくなかったと思った。
多分元々の文章も分かりずらいのかもしれない。しかしそれをいっそう分かりにくくしているような文章だった。
ベンヤミンへの苦手意識が払しょくできなかったのは残念だった。
内容は多岐にわたっているので目次を書き連ねておく(括弧内は覚書);
-魔女裁判
-昔のドイツの強盗団
-ジプシーたち
-バスティーユ、旧フランス国家の監獄(仮面の男のような話)
-カスパル・ハウザー
-ファウスト博士
-カリオストロ
-郵便切手詐欺
-ブートレッガーたち(アメリカでお酒が禁止されていた時の話)
-エルクラーヌムとポンペイの埋没(エラクラーヌムとはポンペイ噴火について書いた人)
-リスボンの地震
-広州の劇場の火事
-テイ川河口での鉄道事故
-一九二七年のミシシッピー川の氾濫
-犬についての実話集
-ベルリンの方言(これ以降ベルリンの話)
-昔と今のベルリンにおける大道商いと市
-ベルリンの人形劇
-魔のベルリン
-ベルリンの街の少年
-ベルリンのおもちゃの旅 その一
-ベルリンのおもちゃの旅 その二
-ボルジヒ(工場の話)
-賃貸集合住宅
-テーオドール・ホーゼマン
-真鍮工場訪問
-フォンターネの『マルク-ブランデンブルクの旅』
-ナポリ
-狂った一日 三〇の課題
以下興味深かった文章を写しておくと
藤原伊織 「名残り火―――てのひらの闇II」 2007年 文藝春秋
ずっと読みたい本リストに入れていた「名残り火」。
「てのひらの闇」の続編ということで、「てのひらの闇」をほとんど覚えていない私としてはハードルが高かったのもあり、なかなか手を出していなかったが、「てのひら」を再読もしたしやっとこさ取りかかることができた。
本作は、藤原伊織氏の遺作ということで非常に期待していたのだが、それがいけなかったのだろう。ちょっと物足りなかった。
「てのひらの闇」で主人公・堀江が、サラリーマンだけど実はやくざの子、という設定が良かったのだが、今回はそれが裏目に出た感じがした。
そもそも“実は~”で好きなのは、一見サラリーマンのおっさんようで、実は力のあるやくざにとっての“若”、つまり主従関係がある、というところなのであって、“無害そうで凶暴”という点ではない。
そういう意味では、今回はやくざは出てこないし、なんでも暴力で解決しようとしている気があって残念だった。
次からはネタばれ満載のあらすじなので注意↓
佐藤雅彦 「考えの整頓」 平成23年 暮しの手帖社
読書会で紹介してもらった「考えの整頓」。
作者の佐藤雅彦氏のことは知らなかったが、「ピタゴラスイッチ」の企画・監修をしている人と聞いて、面白そうと思って借りてみた。
結構予約がされていて人気なんだな、と思ったが、読んでみたら面白かったので納得。
日常の不思議についてがメインテーマで暮しの手帖に連載していたらしい。
佐藤氏の研究内容もかいつまんで説明もあったりして、なかなか興味深かった。
各章をかいつまんでみると;