柿崎一郎 「物語 タイの歴史」 2007年 中央公論新社
読書会の課題本より。
その読書会の常連さんがタイへ旅行に行くということで、タイについての本が選ばれた。
「物語 スペインの歴史」のような面白さを期待していたのだけれども、結構真面目な、いわゆる正統派な歴史本だった。
以下レジュメ抜粋↓
一言で表すと
タイの通史を教科書的に表現されている本
興味深かったところ
タイの王族について
スコータイ王国三代目の王、ラームカムヘーン王(在位1279~98頃)の王碑文で王のことを「ポークン」(父君)と呼んでいた→現在タイでは国王誕生日が父の日(p38)…今でも国王を国民全体の父親と認識しているのが珍しく感じた
タイで政変があるたびに王が調停(p99)…儀式的な仕事は多いといえども、非常時には権威を発揮する。タイの政情が不安定という表れなのだろうか
諸外国との関係について
アユッターヤ朝ターイサ王(在位1709~33)の頃、中国をはじめとする諸外国へのコメの輸出が始まる(p72)…タイ米輸出の歴史の長さを初めて知った
1855年バウリング条約の締結(イギリスと)→王室独占貿易に守られてきたタイの「開国」を意味する→ただし日本の開国(1854年日米親和条約/1858年日米修好通商条約)と異なるのが、日本は外交関係の復活の側面が強調されるのに対し、タイはタイ経済の世界経済への包含の側面が強かった(p109)…様々な意味の“開国”の存在を認識
チャクリー改革について
(チュラロンコーン王(在位1868~1910)による一連の近代化への改革)
教育制度の近代化→すべての国民に教育の機会を与える→学力試験に合格した平民には職業選択の自由を与えると説明(p127)…改革のために国民の学力を上げるというところに王の聡明さを感じた
近代化に貢献したのがお雇い外国人→官庁により出身地が偏る傾向あり;大蔵・農業省はイギリス、宮内庁はイタリア、海軍・警察はデンマーク、郵便・鉄道はドイツが優勢(p128)…そもそも外国人を登用するケースが歴史的にあるのが興味深いし、この配分がなんだか納得できる
第二次世界大戦まで
1939年国名を「シャム」から「タイ」へ(p160)…逆にシャムの語源が気になった(ネットで調べる限りは、シャムは外国が呼ぶ名で、バーリ語の「浅黒い」を意味するクメール語らしい[http://blogs.yahoo.co.jp/hsm88452/34481947.html])
第二次世界大戦で敗戦国になったタイ、宣戦布告の際の無署名を切り札にし、宣戦布告の無効を宣言、宣戦布告は日本による強制下のやむを得ないものであったことを国際社会に訴えた(p183)→国際社会での立ち回り方を知っているなという印象
その他
日本より国際社会における立ち回りが上手く見えるのに、なぜ発展途上国と位置付けられているのだろうか?象に乗っていた王たちが馬に乗るようになった経緯も気になった。
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津原泰水 「ルピナス探偵団の当惑」 2004年 原書房
すっかり津原泰水を気に入ってしまったので、違う作品を借りてみた。
主人公が女子高校生ということもあって、割とさらりと読めた。
しかも短編の推理小説。
特別推理が冴えるものではないけれども、直観力でなんとなく事件を解決してしまうという態が面白かったし、キャラがやっぱり面白かった。
主人公はルピナス学園に通う高校生の彩子。
姉の不二子は警官で、割と破天荒な性格。両親は赴任しておらず、二人で留守を預かっている。
どうやら本書の前でも、彩子がその直観力で事件を解決したことがあるようで、不二子や不二子の上司(といっても不二子に良いように扱われている)の庚午に事件を持って来られて、解決を迫られる。
といっても彩子は血とか嫌いだし、本当に迷惑している。
彩子には、少年風のキリエと美少女の摩耶という二人の友人がおり、それと想い人の変人、祀島と事件に巻き込まれつつ解決していく。
収録作品は3作;
冷えたピザはいかが
エッセイストが殺された。なぜかPCの上にはピザの空箱が。しかし彼女の胃袋の中にはピザはなかった。
ようこそ雪の館へ
不二子にスキー旅行に駆り出された彩子・キリエ・摩耶・そしてなぜか祀島。雪道で迷って、ある邸に辿り着く。そこは有名な作詞家の家で…。次の日にはその作詞家が遺体で発見される。
大女優の右手
女優が舞台の途中で脳梗塞で死んでしまう。突然死体が消えるが、その後にトイレで見つかる。右手が切り取られ、そこにはめていたはずの腕輪がなくなっていた。
続きは各章の犯人↓
井原西鶴 「新版 日本永代蔵」 堀切実・訳注 平成21年 角川学芸出版
読書会での課題本「日本永代蔵」。
突然参加できるようになり、時間もないということで解説も読まずに現代語訳だけ読んで臨んだ。
が、結構読むのは苦労した。
基本的には商人が成功するか、没落するかの話。
そして特に西鶴の倫理観が出ているというわけではないようで、同じようなシチュエーションではそれが報いで成功しなかったり、逆にそういう抜け目のなさがよくて成功したりする。
教訓本というよりも娯楽として読まれたのかな、というものだった。
舞台が大阪であることが多いので、割と馴染みがあった。
特に大阪の人と堺の人の違いが書かれているのはなかなか興味深い。
読書会では「好色女一代」が面白い、という情報をゲットしたので、そちらを読んでみようと思った。
「日本霊異記 下」 多田一臣・校注者 1998年 筑摩書房
さて最終巻。
収録されている説話は以下の通り;
・法花経を憶持せし者の舌、曝りたる髑髏の中に著きて朽ちずありし縁 第一
・生ける物の命を殺して怨を結び、狐と狗とに作りて互に相報いし縁 第二
・沙門、十一面観音の像を憑み願ひて、現報を得し縁 第三
・沙門、方広大乗を誦持し、海に沈みて溺れざりし縁 第四
・妙見菩薩、変化して異形を示し、盗人を顕しし縁 第五
・禅師の食はむとする魚、化して法花経と作りて、俗の誹りを覆しし縁 第六
・観音の木像の助けを被りて、王難を脱れし縁 第七
・弥勒菩薩、願ふ所に応じて奇しき形を示しえい縁 第八
・閻羅王、奇しき表を示し、人に勧めて善を修せしめし縁 第九
・妙法に写し奉りし法華経、火に焼けざりし縁 第十
・二つの目盲ひたる女人、薬師仏の木像に帰敬しまつりて、現に眼明くことを得し縁 第十一
・二つの目盲ひたる男、敬みて千手観音の日摩尼手を称へて、現に眼明くことを得し縁 第十二
・法花経を写さむとして願を建てし人、断えて暗き穴に内り、願力に頼りて、命を全くすることを得し縁 第十三
・千手の咒を憶持する者を拍ちて、現に悪死の報を得し縁 第十四
・沙弥の乞食を撃ちて、現に悪死の報を得し縁 第十五
・女人、濫しく嫁ぎて、子を乳に飢ゑしめしが故に、現報を得し縁 第十六
・未だ作り畢はらぬ捻せふ(土に聶)の像、呻ふ音を生じて、奇しき表を示しし縁 第十七
・法花経を写し奉る経師、邪淫を為して、現に悪死の報を得し縁 第十八
・産生める肉団の作れる女子、善を修し人を化しし縁 第十九
・法花経を写し奉る女人の過失を誹りて、現に口喎斜みし縁 第二十
・沙門、一つの目眼盲ひ、金剛般若経を読ましめて、眼明くことを得し縁 第二十一
・重き斤もて人の物を取り、又法花経を写して、現に善悪の報を得し縁 第二十二
・寺の物を用ゐ、復大般若を写さむとして願を建て、現に善悪の報を得し縁 第二十三
・修行の人を妨ぐるに依りて、猴の身を得し縁 第二十四
・大海に漂ひ流れて、敬みて尺迦仏のみ名を称え、命を全くすることを得し縁 第二十五
・非理を強ひて債を徴り、多の倍を取りて、現に悪死の報を得し縁 第二十六
・髑髏の目の穴の笋を掲き脱ひて、祈ひて霊しき表を示しし縁 第二十七
・弥勒の丈六の仏像、其の頸を蟻に嚼まれて、奇しく異しき表を得し縁 第二十八
・村童、戯れに木の仏像を剋み、愚かなる夫、斫き破りて、現に悪死の報を得し縁 第二十九
・沙門、功を積みて仏像を作り、命終の時に臨みて、異しき表を示しし縁 第三十
・女人、石を産生み、神として斎きし縁 第三十一
・網を用ゐて漁る夫、海中の難に値ひ、妙見菩薩を憑り願ひて、命を全くすることを得し縁 第三十二
・賤しき沙弥の乞食するを刑罰ちて、現に頓に悪死の報を得し縁 第三十三
・怨病忽ちに身に嬰り、因りて戒を受け善を行ひて、現に病を愈すことを得し縁 第三十四
・官の勢を仮りて、非理に政を為し、悪報を得し縁 第三十五
・塔の階を滅し、寺の幢を仆して、悪報を得し縁 第三十六
・因果を顧みず悪を作して、罪報を受けし縁 第三十七
・災と善との表相先づ現れて、後に其の災と善との答を被りし縁 第三十八
・智と行と並びに具はれる禅師、重ねて人の身を得て、国皇の子に生れし縁 第三十九
本書で気になった解説は以下の通り;
・産生める肉団の作れる女子、善を修し人を化しし縁 第十九
出産してみたら肉の塊で、そこから女の子が出てきた…という割とグロテスクな出生話。本説話はこの後、この女の子が仏法を修めて…という話なのだが。
卵生は人間の場合には異常出生だが、もともと神の子のような特別な能力をもつ人間の出生形式だったらしい。卵のような中空の容器から誕生する事例として、昔話の桃太郎や瓜子姫の話をあげることができる。……卵生による異常出生の話は東アジア一帯に広く分布しており、とくに高句麗や新羅の伝承に国王の誕生をこの形式で語るものが見られる。(p150)
・非理を強ひて債を徴り、多の倍を取りて、現に悪死の報を得し縁 第二十六
一回死んで戻ってくる話がいくつかある中で、こちらはちょっと変わっており、主人公が悪者であったために、戻って来ても半分牛として戻ってくる、と言う話になっている。
広虫女が半牛身に生まれ変わったのを視て、その夫や子どもたちは「愧恥(は)ぢ戚(うれ)へ慟(いた)」んだとある。ここで「恥」の感覚が生じていることは注意されてよい。下二一縁に、眼疾に罹り片目が見えなくなった長義という僧が「日に夜に恥ぢ悲し」んだとあるが、それと同じく、前世での悪業(本話では現世の悪業だが)が悪報になって現れることへの意識が、こうした「恥」の感覚を生み出しているのである。「恥」は個体の閉じられた心の内に生じるのではなく、悪報が露呈し、その結果が衆目に曝されることによって引き起こされる。衆目は共同体の規範意識といってもよいから、その場合の「恥」は倫理的な感覚ともいえる。(p202)
「日本霊異記 中」 多田一臣・校注者 1997年 筑摩書房
上巻の続きで話を列挙すると;
・己が高徳を恃み、賤形の沙弥を刑ちて、現に悪死を得し縁 第一
・烏の邪淫を見て、世を厭ひ、善を修し縁 第二
・悪逆の子、妻を愛しびて母を殺さむと謀り、現報に悪死を被りし縁 第三
・力ある女、力捔べし試みし縁 第四
・漢神の祟りに依りて、牛を殺して祭り、又放生の善を修して、現に善悪の報を得し縁 第五
・誠の心を至して法華経を写し奉り、験有りて異しき事を示しし縁 第六
・智者、変化の聖人を誹り妬みて、現に閻羅の闕に至り、地獄の苦を受けし縁 第七
・蟹と蝦との命を贖ひて放生し、現報を得し縁 第八
・己寺を作り、其の寺の物を用ゐて、牛と作りて役はれし縁 第九
・常に鳥の卵を煮て食ひ、現に悪死の報を得し縁 第十
・僧を罵ると邪淫するとにより、悪しき病を得て死にし縁 第十一
・蟹と蝦との命を贖ひて放生し、現報に蟹に助けられし縁 第十二
・愛欲を生じて、吉祥天女の像に恋ひ、感応して奇しき表を示しし縁 第十三
・窮しき女王、吉祥天女の像に帰敬しまつり、現報を得し縁 第十四
・法華経を写し奉り、供養することに因りて、母の女牛と作りし因を顕しし縁 第十五
・布施せぬと放生するとに依りて、現に善悪の報を得し縁 第十六
・観音の銅像、鷺の姿に反りて、奇しき表を示しし縁 第十七
・法華経を読む僧を呰りて、現に口喎斜みて、悪死の報を得し縁 第十八
・心経を憶持する女、現に閻羅王の闕に至り、奇しき表を示しし縁 第十九
・悪しき夢に依り、誠の心を至して経を誦せしめ、奇しき表を示して、命を全くすることを得し縁 第二十
・攝の神王のこむら(足編に專)光を放ち、奇しき表を示して、現報を得し縁 第二十一
・仏の銅像、盗人に捕られて、霊しき表を示し、盗人を顕しし縁 第二十二
・弥勒菩薩の銅像、盗人に捕られて、霊しき表を示し、盗人を顕しし縁 第二十三
・閻羅王の使の鬼、召さるる人の賂を得て免しし縁 第二十四
・閻羅王の使の鬼、召さるる人の饗を受けて、恩を報ひし縁 第二十五
・未だ仏像を作り畢はらずして棄てたる木、異霊き表を示しし縁 第二十六
・力ある女、強き力を示しし縁 第二十七
・極めて窮しき女、尺迦の丈六の仏に福分を願ひ、奇しき表を示して、現に大福を得し縁 第二十八
・行基大徳、天眼を放ち、女人の頭に猪の油を塗れるを視て、呵嘖せし縁 第二十九
・行基大徳、子を携ふる女人の過去の怨を視て、淵に投げしめ、異しき表を示しし縁 第三十
・塔を建てむとして願を発しし時に生める女子、舎利を捲りて産まれし縁 第三十一
・寺の息利の酒を樲へ用ゐて、償はずして死に、牛と作りて役はれ、債を償ふ縁 第三十二
・女人、悪鬼に点られて、食噉はれし縁 第三十三
・狐の嬢女、観音の銅像を憑み敬ひ、奇しき表を示して現報を得し縁 第三十四
・法師を打ちて、現に悪しき病を得て死にし縁 第三十五
・観音の木像、神しき力を示しし縁 第三十六
・観音の木像、火の難に焼けず、威神の力示しし縁 第三十七
・慳貧に因りて、大きなる蛇と成りし縁 第三十八
・薬師仏の木像、水に流れ沙に埋れて、霊しき表を示しし縁 第三十九
・悪事を好む者、以て現に利鋭に誅られ、悪死の報を得し縁 第四十
・女人、大きなる蛇に婚せられ、薬の力に頼りて、命を全くすることを得し縁 第四十一
・極めて窮しき女、千手観音の像を憑み敬ひて福分を願ひ、大きなる富を得し縁 第四十二
今回気になった解説は;
・心経を憶持する女、現に閻羅王の闕に至り、奇しき表を示しし縁 第十九
経を唱える声がいいという女を、閻魔様が呼び寄せて唱えてもらう、というお話。
ここからわかるのは経典の読誦が、人びとの法悦に誘ういわば声の呪力というものを潜在させているという事実である。経典は、原則として漢文を音読する。和語としての意味はつかみにくいが、むしろそうした唱え方の中にこそ声の呪力があらわれると信じられていたのである。陀羅尼と呼ばれる呪文の場合には、梵音そのままを唱えるから、その響きの中に宿る神秘感は一層強調されることになる。(p173-4)
・狐の嬢女、観音の銅像を憑み敬ひ、奇しき表を示して現報を得し縁 第三十四
本文の内容自体の解説というより背景にあるタブーが興味深かったので。
男は、雨に降り込められて家に戻れず、三日間娘の家に留まったとある。「雨に障りて」とあるように、雨に濡れることは一種の禁忌として意識されていた。それというのも、雨にはつよい呪力があると信じられていたからである。雨は異界である天上世界から降ってくる。その雨の水はこの世の水とは違うはたらきをもつ「天つ水」だった。うかつにそれを身に浴びるのは、危険なことと考えられていたのである。(p274)
「日本霊異記 上」 多田一臣・校注者 1997年 筑摩書房
読書会の課題本の「日本霊異記」の第一巻目。
どうやら日本最初の仏教説話集らしく、奈良薬師寺の僧・景戒によって書かれ、9世紀初めには今の形になっていたらしい。
全体を通しての感想は、本当に仏教を売り込む為のセールストークのような話が多く、僧はどんな悪いことをしても割と許されれば、凡人は僧の悪口言うだけで口が曲がるわ、信心深い人が叶えてもらう願望と言うのがわりと世俗的(金持ちになりたい、沢山の美女をはべらせたい等々)で、非常に面白かった。
しかも、人に借りたものを返さずに死んじゃうとすぐ牛になってしまうのが、なんともおかしかった。全然牛になるのは楽しいと思うんだけどな…と呑気に考えていたら、読書会で指摘されたのが、牛になって労働力として返済するということ。成程…すっかり読み逃していた。いい読書会でした。
上巻に載っている説話は以下の通り;
・雷を捉へし縁 第一
・狐を妻として子を生ましめし縁 第二
・雷の憙を得て生ましめし子の強き力ありし縁 第三
・聖徳の皇太子の異しき表を示しし縁 第四
・三宝を信敬しまつりて現報を得し縁 第五
・観音菩薩を憑み念じまつりて現報を得し縁 第六
・亀の命を贖ひて放生し、現報を得て亀に助けらえし縁 第七
・聾ひたる者、方広経典に帰敬しまつり、現報を得て、両つの耳聞こえし縁 第八
・嬰児の鷲に擒はれて、他国にして父に逢ふことを得し縁 第九
・子の物を偸み用ゐ、牛と作りて役はれて異しき表を示しし縁 第十
・人・畜に履まるる髑髏の救ひ収められ、霊しき表を示して、現に報いし縁 第十二
・女人、風声の行を好み、仙草を食ひて、現身に天を飛びし縁 第十三
・僧、心経を憶持し、現報を得て奇しき事を示しし縁 第十四
・悪人、乞食の僧を逼して、現に悪報を得し縁 第十五
・慈しびの心无く、生ける兎の皮を剝りて、現に悪報を得し縁 第十六
・兵の災に遭ひて、観音菩薩の像を信敬しまつり、現報を得し縁 第十七
・法花経を憶持し、現報を得て奇しき表を示しし縁 第十八
・法花経品を読む人を呰りて、現に口喎斜みて悪報を得し縁 第十九
・僧、湯を涌かす分の薪を用ちて他に与へ、牛と作りて役はれ、奇しき表を示しし縁 第二十
・慈しびの心无くして、馬に重き駄を負ほせ、現に悪報を得し縁 第二十一
・勤に仏教を求学し、法を弘め物を利し、命終の時に臨みて異しき表を示しし縁 第二十二
・凶しき人、嬭房の母を敬養せずして、現に悪死の報を得し縁 第二十三
・凶しき女、生める母に孝養せずして、現に悪死の報を得し縁 第二十四
・忠臣、欲小く足るを知り、諸天に感ぜられて報を得て、奇しき事を示しし縁 第二十五
・持戒の此丘、淨行を修めて、現に奇しき験力を得し縁 第二十六
・邪見なる仮名の沙弥、塔の木を斫きて、悪報を得し縁 第二十七
・孔雀王の咒を修持し、異しき験力を得て、現に仙と作りて飛びし縁 第二十八
・邪見にして、乞食の沙弥の鉢を打ち破りて、現に悪死の報を得し縁 第二十九
・非理に他の物を奪ひ、悪行を為し、報を受けて、奇しき事を示しし縁 第三十
・慇に懃めて観音に帰信し、福分を願ひて、現に大福徳を得し縁 第三十一
・三宝に帰信し、衆僧を欽仰し、誦経せしめて、現報を得し縁 第三十二
・妻、死にし夫の為に願を立て、像を図絵し、験有りて火に焼けず、異しき表を示しし縁 第三十三
・絹の衣を盗ましめて、妙現菩薩に帰願しまつり、其の絹の衣を修得せし縁 第三十四
・知恵を締び、四恩の為に絵の仏像を作り、験有りて、奇しき表を示しし縁 第三十五
な・なんて打つのが大変なのか…
ネットでパクろうにもなかった…
何はともあれ、興味深かった解説をピックアップ;
・聾ひたる者、方広経典に帰敬しまつり、現報を得て、両つの耳聞こえし縁 第八
病を前世の宿業と考えて…という話について。
仏教が、過去・源氏あ・未来を貫く因果応報の原理を人々の間に神道させたことは、自己の存在に対する絶えざる自覚を生んだが、同時にそれは来世において蒙るかもしれない責罰へのつよい畏れを呼び起こしたのである。(p97)
・凶しき人、嬭房の母を敬養せずして、現に悪死の報を得し縁 第二十三
本書の一環とした思想のなかに、親子であっても経済的には独立した関係として捉えるものがある。
律令国家の誕生は、それまでの村落の秩序を変質させ、家族のありかたもまた戸籍・計帳の整備を通じて国家による支配を受けるようになる。そうした中で、人びとは一人ひとりが国家と直接に向き合うことになる。言い換えれば、それは、一人ひとりが国家と村落のはざまの中に新たな不安を抱え込みながら投げ出された状態になったことを意味する。そうした不安を救い取るはたらきを示したのが仏教だった。仏教は、因果応報の原理が一人ひとりに及んでいることを具体例をもって示す。こうして個体の存在への自覚がつよめられると、親子の独立した経済関係が主張されるようになる。(p175-176)
・慇に懃めて観音に帰信し、福分を願ひて、現に大福徳を得し縁 第三十一
この話は本当に世俗的な願いがかなえられたお話で、お金持ちになり美人と二度も結婚するお話。
仏教は人びとに個体の罪を突きつけることで個体の存在をつよく自覚させたが、本話は反対に個体の欲望の充足を積極的に肯定する。罪と欲望は一人ひとりの個体にかかわるべき問題として現れる。その背景には、貧富の差が拡大し、共同体内部に大きな亀裂が生じるようになった現実がある。共同体全体の豊かさがその成員の氏絵勝つの安定を保証するという共同体の理念が、もはや有効性をもちえなくなったということでもある。(p227)
G・ガルシア=マルケス 「コレラの時代の愛」 木村榮一訳 2006年 新潮社
知り合いが面白いと言っていたし有名だし、といって借りてきた「コレラの時代の愛」。
正直、これほど読みにくい本だとは思わなかった。
自分にまったく合って無かったと思う。結構読んだな、と思っても全然ページが進んでいなかったり。
でも頑張って読み切ってやった!
私の読解力が足りないせいかもしれないけれども、支離滅裂に見えて本当に読むのが困難だった。
それで一生懸命に読んだのにあの結末って!!!
まず話は、年老いた医師のウルビーノ博士のチェス仲間が自殺するところから始まる。
彼の遺書を読んで愕然としてウルビーノ博士は、彼の恋人に会いにスラム街に行く。
てっきりこの遺書の内容から話が始まるのかと思いきや…
ウルビーノ博士はこの後すぐに、逃げた鸚鵡を捕まえようとして梯子に登ったところ、そこから落ちてしまう。
“え?”と思いつつも、未亡人のフェルミーナ・ダーサが哀しみ
房飾りのついた部屋履き、枕の下のパジャマ、化粧台の鏡の中の、夫がいなくなったためにできた空白、自分の肌にしみついた夫の匂い、どれもこれも涙の種になった。<<愛する人が死ぬときは、身の回りのものもすべて一緒に死ぬべきだ>>という漠然とした考えが頭に浮かび、思わず身体が震えた。(p83)
という箇所を読んでいいな、と思ったりなんかした。
が、フロンティーノ・アリーサという男が現れ、“この時を待っていた”と求愛してくる。
“え?”と再び思っている内に、あれよあれよとフェルミーナ・ダーサとフロンティーノ・アリーサの恋の物語が始まるのだった…
じゃああのチェス相手の自殺はなんだったんだ…???
二人の仲はフェルミーナ・ダーサが女学生の時に遡って語られる。
フロンティーノ・アリーサが一目ぼれしてしまい、ずっとフェルミーナ・ダーサにつきまとい、ついに手紙をやり取りする仲となる。
それに気づいたフェルミーナ・ダーサの父親は、娘には良い家柄に嫁がせようと思っていたので、二人を引き離すために、遠く離れた自分の故郷へと連れて行く。
実はそれでも二人は秘密裏に手紙のやり取りをしていたのだが、父親はほとぼりが冷めたと思い、娘と二人で戻ってくる。
学校を退学させられたフェルミーナ・ダーサは家事を仕切ることになるのだが、市場へ行く途中でフロンティーノ・アリーサに出会う。
が、今まで理想化しすぎたのか、本物に出会った時にはものすごくがっかりして、彼とは決別するのだった。
こうしてフェルミーナ・ダーサとフロンティーノ・アリーサは別々の道を進むのだが、フロンティーノ・アリーサはずぅぅぅぅぅぅっと引きずってフェルミーナ・ダーサを想い続けるのだが、これが本当に気持ち悪い。
引きずりはしつつも、色んな女性と関係を持つ。持ちながらも決して本気にならない。
それが純愛というのか知らないけれども、粘着質で気持ちが悪かった。
しかも禿げて貧相なおっさんと思うと、本当にダメ… なんで関係を持った女の人達は、彼と関係持ったのか謎すぎる。
挙句の果てには、あどけない少女に手を出すところが気持ち悪すぎ。
そんでもって少女は、フロンティーノ・アリーサしか知らないからぞっこんとなってしまうのだが、その頃ちょうどウルビーノ博士が亡くなって、再びフェルミーナ・ダーサとのチャンスが訪れたものだから、フロンティーノ・アリーサは彼女を相手にしなくなる。
それに絶望した彼女は自殺してしまうのだった… それに対して良心の呵責があまり見られないのはいかがなものか!?
とフロンティーノ・アリーサのことが嫌過ぎて本当に読むのが苦痛だった。
まだフェルミーナ・ダーサの方はいい。
割とまっとうな人生を送り、ウルビーノ博士と結婚する。
もちろん順風満帆な人生ではなく、大ゲンカの末に関係を修復すべく二人で頑張ったり、ウルビーノ博士が浮気したり…と、夫婦の歴史が刻まれていくのだった。
そこらへんまでは、フェルミーナ・ダーサ側の話は良かった。
が、ウルビーノ博士が亡くなり、フロンティーノ・アリーサが近付いてからは、物語があらぬ方向へと行く。
フロンティーノ・アリーサは恋文では彼女が怒る、と察し、人生とは的な手紙を送るようになる。
こうしてフェルミーナ・ダーサの心をがっちり掴み、二人でクルーズの旅に出かけるのだった。
そしておぞましい(失礼)ことに、二人は結ばれるのだった…
いくらウルビーノ博士が亡くなって哀しいところを救われたからって、こんなきもいフロンティーノ・アリーサとできるなんて…
しかも爺さん婆さんカップルなんて…
ということで読み終わった時には“なんじゃこれ!!!”と怒りを感じつつも、やっと読み終わって解放されたことが嬉しかった。
野崎雅人 「"Nice to see you"とジェフは言う。」 2013年 日本経済新聞出版社
読書会で知り合った人が本を出したと聞いて買ってみた「"Nice to see you"とジェフは言う。」。
紀伊国屋さんで本が山積みになっているのを見て、なんだかテンションが上がった。
読んでみたら…なかなか読む手が止まらない面白さだった。
ゴスロリ衣裳に身を包んだ美少女の設定がベタだったり、自殺願望者と余命いくばくかの女の子の話なんかありきたりな設定だったり、陰謀(?)が割とあっさりしてたり、そもそも全体的に本の厚さの割にあっさりした話の展開なのは作者の人生観みたいな意見が多いからなのでは…?などなど、つっこみたいところは色々とありつつも、そういうところに嫌悪感を感じることなくサクサク読めた。
それより、最初の方は本当に面白くて、贔屓目なしでわくわくした。
まず話の設定が面白い。
タイトルに出てくるジェフというのはどこかの無人島にいる。
そこからインターネット上に動画を流して、無人島の生活などを伝える。
それに対して、皆がコメントを寄こしているのだが、ちょっとした人生相談に答えたりなんかしている。
ところがある時を境に、ふつりとジェフのブログ更新が終わってしまう。
このジェフ探しにハッカーたちが乗りだすのだ。
というのが、ジェフを無人島に送り出したのが、アメリカの大会社の社長。ところがその社長が急死してしまい、ジェフを連れ戻そうにも、ジェフの場所を知っているのはこの社長のみ…というわけで、この会社がハッカーを雇った訳だった。
はからずしも、このジェフ救出活動に手を貸すのが、ジェフへ「自殺したい」といった趣旨のメッセージを送り、それによって多数のコメントが返されて自殺を踏みとどまった日本人だった。
人探しにハッカーが繰り出されるのがなかなか面白かった。
このハッカー達のキャラがお決まりな感じなのが残念なところだったけど。
次回作あったら確実に読む!
岩根圀和 「物語 スペインの歴史」 2002年 中央公論新社
読書会の課題本だった「物語 スペインの歴史」。
私にしては早く読み終わって、しかもつっこみ所満載の本だったので、非常~~~に読書会を楽しみにしていたののに…激務のせいで断念せざるを得なくなり…
本当に本当に無念だった…
本書はただのスペインの歴史書ではない。
タイトルの通り、“物語”風歴史書なのだ。
だから一体どこまでが史実なのか分かりにくいところがある。
それが難点といえば難点なのだが、逆にそれだからこそ読みやすかったとも言える。
もうひとつ特徴的なのが、歴史を漫然と語るのではなく、時代をしぼって語っているところ。
目次はこんな感じ;
第1章 スペイン・イスラムの誕生
第2章 国土回復運動
第3章 レパント海戦
第4章 捕虜となったセルバンテス
第5章 スペイン無敵艦隊
第6章 現代のスペイン
セルバンテスというのが「ドン・キホーテ」の作者。
どうやら本書の著者はセルバンテスの研究をしている人のようで、やたらとセルバンテスが出てくる。
第3章の「レパントの海戦」から第4章「捕虜となったセルバンテス」まで、特に4章なんて彼の為の章。
「ドン・キホーテ」を読んだことなかったので、セルバンテス自身の波乱万丈な一生が新鮮な驚きだった。
また、イスラムとスペインの関係が面白かった。
1492年までスペインでは常に、キリスト教徒とイスラム教徒が共存していたらしい(p53)。
というのが、イスラム支配下であった時、イスラム為政者は決して改宗を強制しなかったからだ(p56)。
だが、15世紀からイスラムを排除し、キリスト教徒になるよう強制されるようになる。そもそも、その動きはイスラムだけではなくユダヤ教にも及んだようだが。
ある意味、イスラムと共存していた歴史があるから、逆に走ったのだろうか。
それからはイスラムとの確執が起き、「レパントの海戦」へと繋がるのだった。
一応、この海戦はスペインの勝利に終わる。
ここら辺についてもうちょっと知りたいと思ったのだった。
余談だが、トマトが新大陸発見と共にヨーロッパに入って来た野菜ということを初めて知ってびっくりした。
斎藤惇夫 「冒険者たち―ガンバと15ひきの仲間」 1990年 岩波書店
「グリッグの冒険」読了からしばらく経ってしまったが、2巻目「冒険者たち」。
はぁ~ やっぱり面白いな。
子どもの頃に、こんなクオリティーの高い本に出会えて嬉しい。
タイトルからしてワクワクするが、内容も「グリッグの冒険」をはるかに超えて面白い。
「グリッグの冒険」から時間が遡って、ガンバがまだ冒険を知らずに貯蔵穴にのんびり暮していた頃の話。
マンプクに誘われて船乗りネズミの会合に行くことになる。
初めは気が引けていたが打ち解けて飲み比べをしたり、踊ったり楽しくなっていたところへ、瀕死の状態の忠太というネズミが現れている。
忠太とその家族が住んでいる島に、イタチのノロイとその仲間がやってきて、次々のネズミが殺されているらしい。助けを求めにやってきたというわけだ。
その話を聞いてすっかり同情したガンバは「助けに行こう!」と呼びかける。
が、ノロイの怖さを知っている船乗りネズミのヨイショやガクシャは全然乗ってくれない。
結局、海になんか出る気がさらさらなかったガンバが、たった一匹で忠太と島に行くことになったのだ。
が…船に乗ってみると次々に現れる仲間たち。
ヨイショ、ガクシャ、イダテン、イカサマ、ボーボ、バレット、バス、テノール、ジャンプ、アナホリ、マンプク、カリック、オイボレ。
忠太の家族と出会い、皆でノロイ達に立ち向かうのだった。
途中で、やはりノロイに怨みのあるオオミズナギドリと友達になったり、忠太の家族とは別のネズミ達の阻止にあったりなどなどするのだが、最終的には勝利で終わる。
ただ犠牲者は出て、ボーボ、オイボレ(本当は島を出て行ったネズミだった)、忠太の姉の潮路が死んでしまう。
そうして、ガンバたちはまた旅に出るのだった…
という終わり方がまたいい。
所詮ネズミだけれども、ガンバたちがかっこよく見えてくるのだからすごい。
次で終わりと思うと残念でならない。