トーマス・マン 「トニオ・クレーゲル ヴェニスに死す」 高橋義孝・訳 昭和42年 新潮社
読書会で課題本となった本。
「ヴェニスに死す」は映画であらすじを知っているが、映画自体も観たことないし、もちろん原作も読んだことがないのでいい機会かと思い、参加してみた。
読んでみたら、うーむ…全然好みじゃなかった。
まず「トニオ・クレーゲル」、なんとなくヘッセを思い出したが、主人公のトニオ・クレーゲルが痛い感じでしょうがない。少年期の話は良いとしても、大人になってからがね…
「ヴェニスに死す」はあらすじをなんとなく知っていたが、読み終わった後の感想は「なんじゃこれー!!!」と釈然としないものだった。
特に何かが起こるわけでもなく、老年差し掛かった男が、美青年をじっと見ているというだけの話。
そして突然あっけなく死んで終わり。
美青年が出てくるからって美しい感じの話でもなんでもない。
ヴェニスの水の臭いのが漂って来る感じだった。
二編とも男が男を愛するシーンが出てくるので(「ヴェニスに死す」は徹頭徹尾そうだが)、男性陣の多い読書会では話が大いに盛り上がって面白かった。
一番おかしかったのが、「ヴェニスに死す」を読みながら、美青年の母親になった気分になってしまって“危ないおじさんが見てるから逃げて!”と思ってしまったとのこと。それでこの小説から学んだことは、娘じゃなくて息子が生れたとしても、美しかったら変なおじさんがいるから気をつけなさい、ということとのこと。ははは
さてあらすじは調べたら一発で出そうな有名なものだけれども、一応ざっくり書き留めておくと。
「トニオクレーゲル」
少年期:ハンスという非常に美しい少年を愛する。ハンスは皆の人気者。
かたや名前も奇妙で皆から浮いている。
青年期:ダンスのクラスで一緒のインゲという少女に恋する。彼女は健やかな少女。
自分は詩などを書いてからかわれることも。
30代くらい:詩人としてそこそこ売れるようになる。
画家のリザヴェータに芸術家とは、と語るが、リザヴェータに「迷える俗人」と言われる。
旅に出ることにする。まずは自分の故郷へと戻る(父親が亡くなってから、母親が再婚し南へと転居していた)。
すると、自分の家は図書館になっていた。
その後デンマークへ。そこで舞踊会へやってきた一向と出会い、そこにハンスとインゲの姿を見つける。
最後はリザヴェータへの手紙で終わり。
「ヴェニスに死す」
作家のアシェンバハはある時思い立ち、南へと旅し、最終的にヴェニスに行きつく。
同じホテルにポーランドからの家族が来ていて、息子の類まれなる美貌に目を奪われる。
そこから彼をずっと追う。
この時、ヴェニスではコレラがはやっており、観光客がめっきり少なくなっている。
最後は、その美少年を見ながら死んでしまう。
あまりにとりつくしまもない感想になってしまったので、最後に、ちょっと気に入った描写を抜き出してみる。
雲は月をかすめて飛んで行く。海は踊っていた。丸い形の同じような波が、秩序正しく押寄せてくるのではなく、見渡すかぎりの海面は、青白い震える光を帯びて、引き裂かれ鞭打たれ掻き回され、波は大きくとがった炎のような舌になってのび上がりはね上がり、深い泡の谷の横にぎざぎざの不思議な形の水の山を作り上げ、まるで途方もなく大きな腕が力にまかせて気でも違ったかのように騒ぎながら四方八方に飛沫をはねとばしているように見えた。(p92)
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トルストイ 「アンナ・カレーニナ4」 望月哲男・訳 2008年 光文社
いよいよ最終巻。
一番短い巻であった。
そしてアンナが死んでしまってからが思ったよりも長い。
最後にリョーヴィンの言葉で終わるところから、「アンナ・カレーニナ」って結局はアンナとリョーヴィンの物語だったんだと改めて思った。
トルストイ 「アンナ・カレーニナ3」 望月哲男・訳 2008年 光文社
実は3巻を読み始めた時点で、タイムアップとなり映画を観てしまった。
観る予定が早まってしまったのでしょうがないが、ちょっと残念。
そして映画ではアンナがひたすらひどい女だった。
小説ではカレーニンはもっと冷徹で、体面ばかり気にする嫌な奴だったが、映画の中では非常にしょぼくれていて(ジュード・ロウ様が!)哀れを誘うでしかなかった。
私の創造ではカレーニンって太ってて、自分が一番偉いと思っている嫌なおっさんだったのだが…
そしてヴロンスキーが非常に不満!ちょっと気持ち悪かった…
キーラは非常に美しくて、最後の狂っていくところとかの演技がすごかったし、演出も面白かったけれど。
映画では2巻までをメインで描いていて、3巻以降は駆け足で終わってしまう。
(リョーヴィンはあんまり出て来ないが、役者としては満足だった)
時間の都合上しょうがないけれども、3巻もなかなか面白かった。
トルストイ 「アンナ・カレーニナ2」 望月哲男・訳 2008年 光文社
2巻は、肉体をもって労働し純粋な心を持ったリョーヴィンと、領地からお金で生活し華やかな生活をするヴロンスキーがより対照的になっている気がする。
リョーヴィンは初恋を貫き通し、恋の手練に長けているヴロンスキーは真剣な恋を不倫に捧げる。
色々なことが起きて一層面白くなった2巻。
特にリョーヴィン好きには堪らん出来事も。
トルストイ 「アンナ・カレーニナ1」 望月哲男・訳 2008年 光文社
不倫の話なんて、と思って読むことはないかと思っていた「アンナ・カレーニナ」。
が、映画を観たくなり、観るなら原作読もうと急遽思い立ち、猛スピードで読むことにした。
そしたら今まで避けていたのがもったいない位の面白さ。
「罪と罰」は極貧の話でこちらは社交界の話だから全然違うことは違うのだが(そもそも作者が違うし)、ただやたら沢山人が出てくるところがちょっと似ている。
そして、正直アンナ・カレーニナの恋物語よりも、リョーヴィンが好きすぎて、リョーヴィンの話になるとぐいぐいと読めた。
ということで、沢山人が出てきてお互いに絡み合うので、簡単に1巻の話をまとめようとすると、なかなか困難だが、それを承知で書いてみると…
小林恭二 「心中への招待状―華麗なる恋愛死の世界」 2005年 文藝春秋
図書館をぶらぶらしていたら、本書に遭遇。
文楽で「心中天網島」を観に行く予定をしていたので、丁度いいやと借りてみた。
残念ながら「曽根崎心中」を掘り下げながらの心中についての話になっていたが、割と興味深かった。
途中で「カブキの日」の人だと気付いて、尚興味深かった。
ただ、最後の終わり方は若干ファンタジーが入っていて、“「カブキの日」の人だもんな…”と納得する材料にはなったが。
結論としては、遊女とその情夫との恋愛は、“死”でしか完結しないということだった。
どうやら心中というのは大抵が女性から持ちかけるものらしい。
結局、遊女なんて美しくてなんぼのもんだから、遊女としての寿命は非常に短い。
そんなお初は、一番美しい時期に恋愛で死ぬというのは最高の人生の終わり方であった。
時代背景としては、元禄時代の大阪は非常に経済的に栄えた。だからこそ“恋愛”というものが活発化した。
今までは貧困や戦乱でやむなく死んでいたものが、今度は“恋愛”で死ぬ、それこそある意味の人生謳歌の時代となった象徴というわけ。
また違った角度で、ロミジュリとの比較により、なぜお初徳兵衛は心中を選んだかという考察にて。
大体心中ものというと(恋愛の心中物という意味で)、遊女との死となる。
ロミジュリのような一般的な恋愛関係というのは、性行為を以て完結する。が、遊女との関係はまず性行為から始まる。
そうなるとこの恋愛を完結するとなると“死”をもってしかない。
といったこういう流れになっていた。
最後に興味深かったところの抜粋;
・大阪がいかに繁栄していたかの話で、大阪は日本中のモノが集まっていた。大阪以外では一般庶民は手に入れられないものも、入っていたという話で;
その端的な例が出汁です。出汁に使う、昆布にせよ、鰹節にせ、イリコにせよ、椎茸にせよ、一部の地方の特産品です。大阪以外の地方でも一つや二つの材料を手に入れることはできたでしょう。しかしこれらすべてを揃えた上、料理によって使いわけるなどという贅沢はとても可能ではありませんでした。……結局、元禄ほどの長高い繁栄を経験できなかったことが、関東に出汁文化を定着させなかったひとつの原因になっているとわたしは思います。(p29-30)
・粋人であった徳兵衛。その粋についての特徴として「媚態」「意気地」「諦め」というものがある(「「いき」の構造」より)。その「諦め」について東京と大阪で違った;
江戸において恋は、結局は遊びだという見切りがないといけなかったのです。もしその見切りがないと、ゆくところまでいって心中をしなければならなくなる。そんなのは野暮の骨頂だ、というのが江戸人の美意識でした。
しかし大阪では違います。彼らは心中を決して野暮とは思いませんでした。むしろゆくところまでゆきついた愛であるとして、喝采したのです。
江戸は将軍を頂点においた身分社会が確立していました。普通の人間がどれだけ頑張ったところで、出世は限られている。…
これに対して大阪には商人の頭を抑えつける将軍も天皇もいません。彼らは誰はばかることなく欲望を全開にすることができました。…
金に対する積極的な姿勢は恋愛に必ずや反映されたはずです。実際、大阪の新町では女性を廻るトラブルから刃傷沙汰がしばしば起きていましたし、心中もまた続発していました。要するに彼らは恋愛を諦めもしなければ、見切ることもなかったのです。(p61-63)
・江戸と大坂の違いの続き
江戸の文化には金を不浄視するところがあります。…江戸の王者である大名や旗本ですら、お金に苦労しています。…
それに対して大阪における金は、努力と才覚と幸運の象徴でした。それを所有することは誇りでこそあれ、何ら恥ずべきことではありませんでした。(p62)
・心中について
死後の名声のために死ぬ、というのが心中のひとつの真相だとわたしは考えます。彼らはただ人生に窮して、消極的に死ぬのではありません。彼らはもっと積極的にしぬのです。(p136)
Yann Martel "Life of Pi", 2012, Canongate
イギリスにいる頃、本屋で山積みになっていた"Life of Pi"。
しかし私の周りにいる人で2人も『面白くなくて途中で止めた』というものだから、読もうと思っていなかった。
が、映画化されたのにあたって、映像がきれいそうなのと、虎という動物が好きなのとがあって、とりあえず映画を観ることにした。
そしたら…結構お話が深くて面白いじゃないか!
しかも、最後がもやもやして“結局真相はどうだったんだ!?”というのが気になったので、小説を読んでみることにした。
読み始めた頃の感想といえば、確かに映画での予備知識もなく読むと、最初でくじけるかも…というものだった。
突然、動物のナマケモノの話が出てきて、それが結構長かったりする。
映画を観ていたら大体な話が流れが分かっていて、ナマケモノの話は大事ではないと分かるから(何せ映画には出てこない)読み飛ばせるけど、知らなかったら何が何だか分からなくなっていただろう。
あと、映画の映像を想い浮かべて読むときれいな感じがしてよかったけれども、文章だけで想像で組み立てるとしたら、割と単調な話なのでしんどかったかもしれない。
映画を観てから読んで良かったと思った1冊だった。
ただ、やはり宗教観の話などは本の方が興味深く書かれている。
もちろん記述も長い(実際、本の半分以上がパイの生い立ちの話で、なかなか漂流しない…)。
動物園についての記述もなかなか面白かった。
が、残念ながら(そして映画を観た時も思ったけれども)、この少年の時の経験が、後の漂流時にあまり生かされていない気がする。
ヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教を同時に信仰するなんてめったにない設定なのに、どうにもこうにも漂流してしまうと、その設定なんて特にいらないのでは?という話の展開。
この宗教と動物園の話はもう一度読み直したいと思っているくらい面白かったから無駄とは言えないが…
そして一番肝心な最後の終わり方。
やっぱりもやもやで終わった。
結局どっちなんだ!?というのも、映画よりも益々分からなくなったし。
とりあえずざっとしたあらすじは、
渡辺京二 「逝きし世の面影 日本近代素描I」 1998年 葦書房
読書会の課題本。
本のテーマが面白そうだから参加してみたのだが、読んでみてがっかり。
素人が書いたのかと思うくらいの出来だった(個人的に)。
批難モードで読書会に参加してみたら、肯定的な人と真っ二つに分かれていて、なかなか面白かった。
こういうところが読書会の面白いところだな。
以下レジュメより↓
全体的な感想(辛口)
外国人(主に西洋人)が描く“古き良き日本”は、単純に日本人として読んでいて心地よかった
特に子供の話や、他者へ対する思いやりの部分はじんとした
一方で、日本人が陽気であったのには驚いた。描写がまるでイタリア人のよう
ただ第一章にも出てくる“オリエンタリズム”を随所に感じた。例えばいくら日本を褒めても、中世ヨーロッパとの比較や、もしくは“自国と比べても劣っていない”という考え方などは、明らかに未開の地を観察する目である
作者の論点がいまいち図りづらかった。特に第一章は分かりづらい文章(“からなずしも極論とはいえぬ正当さを感じないわけにはいかない。(p18)”)の上に、結局何が言いたいのか分かりにくかった。
外国人の記述で日本のいい所を書いた部分ばかりを抜粋している印象を持った。“日本に辛口な○○でさえ”などといった記述が随所に見られ、逆に彼らが書いてあるであろう批判の文章は圧倒的に少ない
日本賛美への嫌悪、日本批判を歓迎する風潮に対する批判をベースに“古き良き日本”を描くには中途半端な日本批判部分の引用が多い気がした
筆者はしばしば断定的な物言いをするが気になった。それを裏付ける資料が外国人の見聞録の抜粋というならば、あまりに偏ったものだし、むしろその抜粋で煙を巻いている感じがした
興味深かった点
西洋文明についての林語堂(1895~1976)の言明「あなた方は価値を精神的と物質的に分ける。ところが吾々はそれをば一つのものとして混同しているのである。……あなた方の精神の故郷は天上にあるが、吾々のは地上にある」(p50)→非常に分かりやすい説明
1867年(明治9年)に来日した英国人ディクソン「西洋の都会の群衆に見かける心労にひしがれた顔つきなど全く見られない」(p62)→今の日本は西洋の都会化したとしか思えない
日本人の心は異人に対して開かれていた(p127)→排他的な民族かと思っていたので驚いた
オールコック「東洋では時間はけっして高価なものではない……まったく日本人は、一般的に生活とか労働をたいへんのんきに考えているらしく」(p193)→現代日本人からは考えられない姿。特にヨーロッパ人に言われたくない感が募る
体の露出について;たんに健康・清潔のため、せねばならぬ仕事をするのに便利だからといった理由で体を露出するのは、まったく礼儀にそむかないし許される。が、見せつけるためにだけ体を露出するのは不謹慎(p258)→それまでの日本人のあけっぴろげな感じの記述に驚いたが、ここで納得した
文化人類学…大英帝国の世界経略の副産物として生まれる(p272)→この学問の歴史に興味がわいた
ヒューブナー「この国では、暇なときはみんなで子供のように遊んで楽しむのだという。私は祖父、父、息子の三世代が凧を揚げるのに夢中になっているのを見た」(p341)→漫画などが海外では子供のものという認識が、日本では大人も楽しんでいるという現状を彷彿させる
実践してみたいこと
外国人の日本見聞記を読みたい
望月守宮 「無貌伝~夢鏡ホテルの午睡~」 2009年 講談社
1巻がめちゃくちゃ面白かった!というわけではないけれども、なんとなく2巻目に手を出してみた「無貌伝」。
そしたらめちゃくちゃ面白かった!
基本的に舞台設定がファンタジーチックなのだが、それが非常にうまく生かされていたと思う。
事件とその謎解きが、この舞台設定ならではのものだったので非常に満足。
なんとなく前作でも思ったけれど、探偵のはずの秋津があまり存在感がなく、その助手が目立つのが面白い(主人公だからだろうけど)。そこがちょっと少年探偵団みたいで、気に入っている一要素かもしれない(今更ながら“秋津”が“明智”に似てるのはそこを狙ってる!?)。
ざっとしたあらすじは(ネタばれ含む)↓