三上延 「ビブリア古書堂の事件手帖~栞子さんと奇妙な客人たち~」 2011年 アスキー・メディアワークス
非常に話題になっていて、面白いと評判の「ビブリア古書堂の事件手帖」。
どんなものか気になって図書館で待って待って(しかも1回順番回ってきたのを気付かず逃してしまって)手に入れた1巻。
ジャンルがジャンルなのでさらりと読み終えたが、うーむ…人気な理由がよく分らなかったな…
私も本好きだけれども、物語とかそういう本の中身は好きだけれども、物体としての本は興味ないからかな、と思った。
漫画だけれど「本屋の森のあかり」の方がツボに来るかなぁ。
そういう意味で、物語としての本をテーマにした話ではないから、自分にとって琴線に触れなかったのかもしれないな。
推理小説としても薄かったし。
とりあえず収録作品はこちら(ネタばれしてます)↓
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スティーブン・R・コヴィー 「7つの習慣」 1996年 キングべアー出版
良いとは聞いていたけれども自己啓発本は基本読まないので手を付けていなかった「7つの習慣」。
読書会をやるとのことだったので、いいきっかけになると思って読むことにした。
読んでみたら、割と納得のいくというか、「なるほど~」と気付かされるところが多かった。
と言いつつ、後半に行くに従ってピンと来なくなってきたが…多分それは自分ができてないってことなんでしょう。
これを実践したら、非常に生きやすくなるんだろうなと感じたし、しんどいと思った時に立ち止まって読むには最良な本だと思った。
ベストセラーなのは頷ける。
とりあえず7つの習慣を書き連ねてみると;
第1の習慣 主体性を発揮する
第2の習慣 目的を持って始める
第3の習慣 重要事項を優先する
第4の習慣 WinWinを考える
第5の習慣 理解してから理解される
第6の習慣 相乗効果を発揮する
第7の習慣 刃を研ぐ
繰り返し読んでいくにつれ、心に響く箇所は違って来るかと思うが、とりあえず今回ピンときたところを抜粋すると;
朝井リョウ 「桐島、部活やめるってよ」 2010年 集英社
タイトルでなんとなく気になった「桐島、部活やめるってよ」。
一体誰が誰に言ってる科白なんだろう、そしてその会話の続きは?とちょっと気になっていたのだ。
しかも、映画化もするし、そんなに面白いのかと思って図書館で予約してみた。
やっと順番が回って来て読んだら、本と同じく薄っぺらい内容でした。
個人的にはなんでそんな人気なのかさっぱり分からない。
同年代だったら共感するから?
そりゃ、当たり障りのないこと書いてあるから、どっかでひっかかるでしょうよ。
でもこんな薄い内容でひっかかって、読み応えを感じるものなのか?
高校生以上の人が読んで、青春を懐かしめるから?
「あーこういうことあったよねー」となるだけで、「面白かったー」ってなるの?
「青春だね~」と思えるだけで、人に薦めたくなる本になるのか?
とりあえず、私にとっては一瞬で読めて、なんにも残らない本でしかなかった。
あらすじは、タイトル通り桐島がバレー部を止めるっていうのがキーとなった、同学年同じクラス5人の話。
ただしこの5人は桐島と同じクラスではないため、桐島が誰か知らない人もいる。
桐島はバレー部のキャプテンであったのに、部の中でソリが合わずにやめてしまう。
2話目は、桐島がバレー部に出なくなってからのバレー部員の目線なので、桐島の存在感はちゃんとあるが、そのほかの話は特に桐島は出て来ない。ただネタになっているくらい。
美人の友人が『好き』という男子のことはずっと前から好きで、それを言えないブラバンの部長の話とか(桐島が部活に出なくなったことで、それまで桐島を待ちながらバスケをしていた彼を、ブラバンの練習中に観れなくなった)。
学校でいわゆる下級のクラスにいる映画部の話とか(最後にバレー部を撮るつもりで体育館に行ったら、桐島が来なくなったから、なんとなくバトミントンと半々で使うようになった)。
実の父親と義理の姉(義母の連れ子)が亡くなってから、義母が自分を義姉としか認識されなくなったソフトボール部の子の話とか(彼女の彼氏が、桐島が抜けた後のキャプテン)。
最後は馬鹿にされている映画部がきらきらしているのを見て、ひたむきになるって素晴らしいと気付いた野球部の幽霊部員が、「桐島も戻った方がいい」と思うところで終わる。
これだったら恩田陸のさわやか系学園物読んだ方が良かったな。
宮本常一 「忘れられた日本人」 1984年 岩波書店
読書会にて課題本。
民俗学に興味があれども、読んだことあるのは柳田國男と中沢新一くらい。
柳田國男は東北の話が多いのに対して、「忘れられた日本人」は西の方ばかりで新鮮だった。
かっちりとした民俗学の話というよりは、散文的な感じがして読みやすかった。
前半は夜這いの話から始まって、性に関してかなりオープンだったという記述が多く、読書会ではどうなるのかと思いきや、皆遠慮がちだったのがおかしかった。
読書会で提出したレジュメは次の通り;
オィディウス 「変身物語(下)」 中村善也・訳 1984年 岩波書店
下巻の方が面白い話が多かった気がする。
始めからそうだが、“巻一”“巻二”と分かれているが、実際には巻二は巻一の続き、ということが多い。
巻一の中でも細かく章があるのになぜだろう…
これもよくある形式なのだろうか?
何よりも面白いのが、「嫉妬」とか「噂」とか擬人化されているところだろう。
絵画でもよく擬人化されているから知ってはいたけれども、実際に読んでみると“こういう表現なのか~”と分かって面白かった。
例えば「噂」の描写が
とかく「噂」というのは、真実に虚偽を混ぜることを喜び、はじめはごく小さかったものが、みずからの嘘によって大きくなってゆのだ。(p19)
と、はっきりとした擬人化ではないけれども(例えば上巻に出てくる「嫉妬」はしっかりと登場人物になっている)、書き方が人間っぽく書かれているのが面白い。
今回も目次だけ抜き出す;
オウディウス 「変身物語(上)」 中村善也・訳 1981年 岩波書店
読書会の課題本だった「変身物語」。
ギリシャ神話に興味があるので参加表明したものの、出張が入ってしまい行けなくなってしまった…
が、一応本だけは上下とも読んだ。
タイトルにある通り、“変身”にまつわる話だけ集めたもの。
面白いのが、一つの話の中で登場人物がまた違う変身譚を語る、といった入れ子になった構成が随所に見られるところ。
これはギリシャ・ローマ文学ではよくあることなのだろうか?
ギリシャ・ローマ神話はしばしば絵画になるが、それが納得できるくらい想像が広がった。
周知の通り、ギリシャ・ローマの神々はやたらと人間臭いが、その中にも神聖性がある。その人間臭さと神聖性のせめぎ合いのところが非常に魅力的に感じる。
とにかく沢山の物語が入っていて、一つ一つあらすじを書いていられないので、目次だけ記しておく;