派手派手しい事件もないのにぐいぐいと引き付けられるのがすごい
石持浅海 「セリヌンティウスの舟」 2005年 光文社
随分とこのブログが滞ってしまった。
本は読んでいてもブログを書くのが億劫でいると
更に読んだ時に『まだこの間の書いてないし…』とまた書かず。
という悪循環に陥ったので、いっそすっぱり、今まで読んだけど書いてないやつは忘れることにしました!
と言いつつ、今回書くのは読んでから大分経っていますが…
軽い本が読みたくなって借りてきた石持浅海。
私の中の石持浅海は、結構軽い感じだけど外れがないというイメージ。
今回も外れではなく、むしろ大当たりだった。
六人のダイバー、米村美月、吉川清美、大橋麻子、三好保雄、磯先義春、児島克之はたまたま同じダイビングツアーに参加した仲だった。
ところがそのツアーで大時化にあってしまい、九死に一生を得る。
その経験より、6人の絆がぐっと深まり、それ以来大切な仲間となって一緒にもぐりにいくようになった。
普段はまったく接点がない6人なのに、絆は深いという不思議な仲。
ある時、ダイビング後の打ち上げの夜に(打ち上げはいつも、年配の三好の家で行っていた)、皆が寝静まった頃に美月が自殺をしてしまう。
皆がいる中での自殺だったが、それ自体は不審な点もなく、自殺として処理される。
納骨式の日、メンバーは再び三好の家に集まった。
そこで美月の思い出話をしつつ、その死の意味を探ることとなる。
美月の死を発見してからすぐに撮った写真があったので、それを見ながら検証していると、磯崎が不審な点に気付く。
美月は青酸カリをあおって死んだのだが、その青酸カリの瓶のふたが閉じられているのだった。
協力者がいたということなのだろうか?
それとも美月が自分が閉めたのだろうか?
協力者がいなくて美月が自分で行ったのであれば、死ぬ前の美月は青酸カリをあおってどれくらいで死ねるのかが分からないことから、蓋を閉めれないかもしれないというリスクを伴うこととなる。もし蓋が閉められなかったら、扇風機の近くで死んでいたことを考えると、粉末の青酸カリは部屋に蔓延し、他の人も死んでしまうことになる。
美月はどんな意図であったのか…?
もしかして自殺ではないのではないか…?
と、残された5人は議論を続けて行くのであった。
(以下ネタばれ)
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