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がらくたにっき |

道長はやっぱり嫌いだわ

山本順子 「源氏物語の時代 一条天皇と后たちのものがたり」 2007年 朝日新聞社




日本の歴史の読書会で、平安時代の回の時に主催者さんに勧められた「源氏物語の時代」。
平安時代が好きなものだから図書館から借りてきてきた。

学術本というにはあまりに感情的ではあるけれども、
非常に読みやすくて面白かった。

簡単に書くと、まず物語の前半は一条天皇と定子の話となっており、定子が絶頂の時代である。
定子は一条天皇よりも年上であったこともあり、ちょっと年上のお姉さん、という形で一条天皇に慕われていた。

加えて、定子の実家はオープンな雰囲気の家で、
定子自体もなんでも笑いに繋げてしまう、朗らかな人だったようだ。
加えて、定子の兄・伊周も一条天皇の側に仕え、実際、一条天皇に漢文を教えたりしていたようだ。
つまり、天皇という孤独な身分であるはずなのに、家族の雰囲気を醸し出していたようだ。

前に呼んだ田辺聖子の「むかし・あけぼの」でも描かれていたことだったので
ここまではあまり目新しくなかった


その後、定子達の父親・道隆が亡くなってから、没落の一途を進む。
定子の兄弟伊周、隆家は流罪、母親は悲しみのあまり死んでしまう。
定子も思わず髪を切ってしまう。

しかし一条天皇の定子への愛は留まることがなく、
皆の反対を押し切って、定子を呼び寄せてしまう。

その頃権力を手に入れた道長の娘・彰子が入内する。
この時彰子は12歳。道長をたてるためにも彰子の元へ行くが、一条天皇はあまり馴染まなかったようだった。

そして寵愛された定子は男の子を産んで死んでしまう。

この頃からようやく紫式部が登場する。
彼女が描く彰子からすると、定子と違って彰子は非常に大人しかったようだ。
また、彰子を取り囲む女房たちもお嬢さま育ちでおっとりしていて、定子サロンのような華やかさにかけていたようだ。

ここで興味深いのが、定子サロンの女房たちは(清少納言含む)、ただ教養があっただけではなく
それをプレゼンする力に長けていたということだ。
清少納言の漢文の知識というのは、まったく本格的なものではなくて
派手な部分を聞きかじった程度、つまり浅い知識であった。
でもそれをプレゼンする能力があり、それがよく表れているのが「香炉峯の雪」の話なのだろう。
それに比べて紫式部は本物の漢文の知識があった。

ただ紫式部は別格で、彰子サロンはそのような派手さがなく、機智に富んでいるわけでもなく
(そもそも彰子は漢字が読めなかったらしい)
殿上人にも物足りなく感じられていたようだった。


ところでタイトルの「源氏物語の時代」というのは
何も「源氏物語」と一条天皇&定子の恋物語が類似している、と言っているわけではない。

 ・もともと高貴な血筋だが、不安定な地位にある女
 ・そんな女を寵愛する男
 ・それによりすがり、遂には死んでしまう女
 ・死んでしまうことにより、更に女の面影に哀しむ男
実はこれが源氏物語で繰り返し描かれるテーマらしい。
一条天皇&定子の話に似通っているといったら、それまでだろうが
作者は、紫式部がこの二人をモデルにした、というよりは
同時代を生きているものとして、この二人の愛の形に大変な影響を受けた、と説く。


本書は彰子の物語が続く。
ただし、一条天皇の心にはずっと定子がいて、最後亡くなる前に詠んだ歌ですら
一見彰子に宛てているかのようだけれども、
藤原行成の見解だと定子に宛てているのでは、と思われる節がある。

彰子はこの時代には珍しく長命(87歳)であったが、
一条天皇が亡くなってからは、それまでの彰子では考えられないくらい存在感が増す。


でもやはり彰子が一番可哀想な気がしてならなかった。
確かに定子の境遇は辛かったかもしれない。でも一条天皇とあれだけ結ばれていた。
それにひきかえ彰子は、一条天皇に合わそうと漢文を習ったりといじらしいのに
一条天皇の寵愛を受けることはなかった。
加えて強引な父親に従順にしていたのに、最後には父親に裏切られる。
(一条天皇の退位に関して、彰子の控室前を通ったというのに、道長は寄らなかった)


どちらかというと定子や清少納言、それから紫式部にスポットが当たりがちであるが
彰子を主人公にした物語を読んでみたいと思った。

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Category : 学術書
Posted by nizaco on  | 0 comments  0 trackback
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