京極夏彦 柳田國男 「遠野物語remix 付・遠野物語」 平成26年 角川文庫
遠野に旅行することになっていたので、本屋でこれを見つけた時に思わず買ってしまった。
京極夏彦なんて本当に何年ぶりだろう…と思いつつ、表紙の柄に魅かれての購入。
そしたら角川文庫がフェアしてたみたいで、ブックカバーもらえてラッキー。
遠野物語を現代語訳にして、かつ順番を入れ替えたのが本書。
入れ替えるってとこが“remix”なのだろう。
正直、がっかりな内容ではあった。
なんというか、ただの現代語訳ではなく、文章が京極夏彦風。
それがわざとらしい感じがしてしょうがなかった。
例えばちょっと長いが引用すると(p30-31)…
…山口という村名は、山への入り口の意なのだ。効率が良いので古くから能く使われる山路であった。
ところが。
近年になってこの道は使われなくなってしまった。
峠を越えようとする者は、山中に到って必ず出遭うのだそうである。
山人に―――である。
その道筋には、山男や山女がいるのだ。
それは恐ろしいものであるらしい。
…(中略)…いくら恐ろしいからといって、海側に通じる道がなければ暮らしに困る。そこで和山というところに馬次場を設え、境木峠を越えて行く新しい道が作られたのである。
今はこの道ばかりを使うそうである。
二里以上迂回することになるから、決して便利な道ではない。
それ程までに―――。
恐ろしいものなのだろう。
ひぃ~背中がかゆくなる~
因みにこれの元の文章は(p275); 山口村より六角牛の方へ入り路のりも近かりしかど、近年この峠と越ゆる者、山中にて必ず山男山女に出逢ふより、誰も皆恐ろしがりてしだいに往来も稀になれしかば、つひに別の路を境木峠といふ方に開き、和山を馬次場として今はこちらばかりを越ゆるやうになれり。二里以上の迂回なり。
と至ってシンプル。ま、遠野物語は淡々としていてシンプルなのは、研究報告書的なものだからなんでしょうけどね。
それにしてもちょっとやり過ぎ感がある。
高校の時にはこの文体があんなに好きだったのに…大人になったということだろうか。