高殿円 「上流階級 富久丸百貨店外商部」 2013年 光文社
図書館で見かけて、高殿円さんの「トッカン」シリーズが大好きなので借りてみた。
とても面白かった――――!!!!
本当に一気読み。読みだしたら止まらなくて、夜更かしして読み切ってしまった。
働く女性が頑張っているの、やっぱり読んでいて楽しいよな。
しかも、トッカンもそうだけれども、女性の少ないところで活躍するって。
しかもしかも、百貨店の外商なんて、まっっっっったく接点のないところの話というのも、
いろんな世界が見れて単純に楽しかった。
塩野七生 「ローマ人の物語1 ローマは一日にして成らず[上]」 平成14年 新潮社
今年のゴールデンウイークにローマに行くと決めてから、
それならばこれを読まなくては、と長い長いシリーズを読み始めることにした。
考えてみると、トルコ旅行いく時には「コンスタンティノープルの陥落」を読んだし、
中身はきっちりあるのにすらすら読めるという点で、旅行前の知識付けには良いのだと思う。
文庫版のおかげでハードルが下がった感のある「ローマ人の物語」。
読み始めたらやはり面白かった。
以下、目次と簡単なキーワードなど。
沢村 凛 「黄金の王 白銀の王」 2007年 幻冬舎
本屋で面白そうだなと思って、読みたい本に入れてから早幾年。。。
その前に同じ作者で勧められた「瞳の中の大河」を読もうと、読み終わったのが2013年8月というから、
なんでそんなに放っておいたのか分からないが…
とりあえず面白かった!!!
読み終わってしばらく経って、冷静に考えると色々と突っ込みたいところもあったが
読んでいる最中は気にならない程、ぐいぐい読めた。
あらすじは以下の通り;
さだまさし 「はかぼんさん 空蝉風土記」 2012年 新潮社
本屋で「はかぼんさん」を立ち読みして面白かったので
「読みたい本」にしておいたのをようやく読み終わった。
「私」が多分、さだまさしのことではあるが、エッセイなのか小説なのかが微妙なところで
文体的に小説なんだろうな…という感じ。
日本各地の不思議な話を集めたような連作になっている。
正直、その地に行くまでの前置きがだるい感じもして
大変失礼なことだと承知しつつも、津原泰水に書いて欲しいな…と思った。
文体的に面白いと思うんだよな~なんて。
因みにまえがきの一節が素敵だったので引用しておく。
私の世代の幸福は今時のような科学的知識など無かったことが幸いしてか、世の中の数え切れない「不思議」に立ち向かうことなく、詮索することなく、また疑ることなく共存してきたことだと思う。…(中略)…
実際、「不思議」とは人の心の「のりしろ」や「余白」のようなものであると私は思っている。まことかも知れずまことでないかも知れぬような「不思議」との共存こそが「智によってもたらせたる閉塞」に苦しむ現代社会にとって重要な小窓のような気がするからである。(p6)
各話の簡単なあらすじは以下の通り;
キュッヒル真知子 「青い目のヴァイオリニストとの結婚」 新潮社 2014年
これまたお正月に実家へ帰っているときに、
ウィーンフィルコンサートを見ていたら、キュッヒル氏が出てきて
この方の奥さんが書かれた本がすごい赤裸々、と聞いたので
野次馬根性で読んでみた。
が…
なんというか全然面白くなかった。
婚約者がいたのにも関わらず、キュッヒル氏と結婚してしまい、
その後にどんな姑いじめがあったのか分からないけれども
(そんな詳しく書いていないし、書いている部分だけ読むとそこまで…?という感じ)
不倫までしてしまう。
そもそもなんでこんなモテるのかがよく分からない…
文章も下手くそで読みにくいわ、最後に日本に関する意見が書かれていたりするけれど
自分の不倫を、姑とのやり取りに疲れて~だとかって正当化してしまうような人に言われてもね…という感じ。
野次馬根性で読むんじゃなかったという感じのつまらない本だった。
吉田蓑助 「頭巾かぶって五十年―文楽に生きて」 1991年 淡交社
去年はほぼ本も読まず、したがってブログも更新できず
これではダメだ!!!ということで心機一転、
2017年は読書の年にしたいと思います。
(スマホはあかんな…)
1月1日、2017年最初に読み終わった本が本書「頭巾をかぶって五十年」だった。
実家にあったので、蓑助さん好きだし読んでみたのだが…
めちゃくちゃ面白い!
が!!!文章力の問題なのか、とても読みにくい!!!
結構、話が飛んで戻ってきたりするので分かりずらい。
どうせなら、聞き語りにして誰かがきちんと編集すれば良いのに…と思ってしまった。
内容は…
蓑助さんが幼少期より同じく人形遣いであった父親に連れられて文楽座に通い、そのまま入門。
なんと七歳の頃から舞台上がっていたというのだから驚き。
そして松竹派と組合派と分かれた時には、蓑助さんは師匠や父親と共に組合派(三和会)に入ったものの
非常に厳しい環境の中で文楽を続けることになる。
そんな中、父親は兄の薬代の為に三和会を抜けて松竹の方へ行ってしまう。
ここで父親との確執が生まれるのだが、何も言わずにじっと蓑助さんの怒りの言葉を聞いている父親の姿を想像すると胸がしめつけられた。
最期まできちんとした和解、ということはないのだが、
自分が遣っているのを舞台の袖から父親が見ているのに気付き、
見えている顔半分の目に涙が溜まっているのが見えた、というシーンが
文楽を通しての心の通い合いのように思えた。
父親の死の話も印象的だったが、師匠や兄弟子の勘十郎丈(今の勘十郎さんのお父様)の死に関する話も印象深かった。
特に勘十郎丈とは実の親のように慕っていて、亡くなった1年後の追善公演の折に、
千秋楽の日、勘十郎丈の宅に集まって宴会をしている中、
素面で思い出を受け止められずに泥酔してしまい、
「勘十郎、出てこい!」と号泣した(ご本人は記憶にない)というエピソードは
涙なしに読めなかった。
本書は蓑助さんがご病気になられる前に書かれたものなので
出来事としてはここら辺で終わる。
その後に次の世代の育成についてや、人形の動きについてなどが書かれて終わるのだが、
実際はこの後、ご自分の病気もさりながら、文楽が窮地に陥ったりしているので
これで終わりというわけではない(当たり前のことかもしれないけれど…)
是非、またなんらかの形で蓑助さんの想いを読んでみたいと思った。
(できたら次は聞き語りで)