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がらくたにっき |

次作を読む時には、ちゃんと復習してから読もう


阿部智里 「弥栄の烏」 2017年 文藝春秋


「玉依姫」を読んで、その勢いで読もうとしたら、あまりに山内の面子を忘れすぎて、一旦停止。
自分のレビューを読んで、なんとか記憶を呼び起こしたのだった…書いててよかった。

これで第一部が完成らしいけれども、正直なところ、シリーズの節目にしてはあまりにあっさりで、拍子抜けだった。
終わり!ドーーーン!みたいのがないというか…
ちょっと残念。いつものような終わり方ではなくて、もう少し終わった感を出してほしかったな…

以下あらすじ;

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表紙絵があまり好きじゃないんだよね…


阿部智里 「玉依姫」 2016年 文藝春秋


図書館の棚を見ていたら「玉依姫」と、続く「弥栄の烏」が!
ずっと借りられていて読めなかったので、二冊をすぐさま借りた。
正直、前回の話もうろ覚えだったのでちょっと心配だったけれども、いつもとは違う視点だったので、うろ覚えでもまったく問題なく、すいすい読めた。

八咫烏シリーズ、大体面白いのだけれども、世界観がちょっと薄くて残念なイメージだったけれども、今回は我々の世界が舞台となっているので、そういったもどかしい思いもなく、純粋に楽しめた。

以下簡単なあらすじ;

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「レイディ」ではなく「レイデイ」というところに違和感


ウィリアム・モリス 小野二郎・訳 「世界のかなたの森」 1979年 晶文社


ウィリアム・モリスが小説を書いているというのを、何かのきっかけで知り、読んでみたいと思っていた作品。
図書館で、他の図書館にあるのを取り寄せてもらったら、想定したバージョンと違ったのは残念。
しかも古いせいか、翻訳がちょっと微妙で、本で読んだ方が読みやすかったかなと思った。

内容は、イギリスの雰囲気を感じられるファンタジー。
ウィリアム・モリスの美学が入っている感じでとても興味深い。

以下、簡単なあらすじ;

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女性の方が優秀なのがネックとなるのが、現実的なのだろうけど残念だったよ・・・


高殿円 「トッカン 徴収ロワイヤル」 早川書房 2018年


図書館をプラプラしている時に、トッカンの読んでない本を発見。もちろんすぐさま借りた。
楽しみに読み始めたのだが…
あれ、トッカンシリーズってこんなに面白くなかったっけ…?と思うくらいつまらなかった。
高殿円の他の作品に比べても面白くない部類に入ったかも…

面白くなかった原因の一つに、ぐー子の態度にある。
まず、あんなにも鏡特官を邪険にしなくても…と思ってしまう。仮にも上司だし、色々と教えてもらっているはずなのに、”人をこき使いやがって!”の感情が大きすぎて、若干引いてしまう。
もう一つが、滞納者への態度。滞納しているからしょうがないんだろうけど、そして色々と正論しか言ってないんだけど、なんかいらっとする。
例えばこんな感じ;

「みんな払ってないのに」
「払ってます」
「日本橋の署は待ってくれるって言ってたぞ」
「では、どうぞこちらのぶんんを綺麗にお支払いになってから、むこうにご相談ください」
「なんとかしてくれよ。あんたらプロなんだろ。だったら法律にも詳しいだろう。俺は五十年以上働いて税金を納めてきたんだぞ!」
 はい出た・”あんたらプロなんだろ”。
「徴収官はコンサルタントじゃないので」
「こっちだって、金があったら弁護士雇ってるわ!」
 はいまた出た・決まり文句“金があったら弁護士雇ってる”。
「十三日までに振り込んでください」
 さくっと引導を渡した。(p43-44)


いや、何度も言うけど、滞納者が悪いし、この滞納者だってすごく態度がいい訳ではない。
でもこの通り一辺倒の物言いが、腹の立つ行政の人の口ぶりっぽくてイラっとする。それで悦になっているぐー子にがっかりしてしまうのだ…
まぁ、立派な公務員として成長したと言えるのかもしれないけど。

今回は連作になっているので、各章の簡単なあらすじ;

Category : 小説:現代
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どこまでを無縁死と定義づけるのが難しいかも


NHKスペシャル取材班 「無縁社会」 2012年 文藝春秋


随分昔に参加した読書会で(多分、この本が出版されたころ)、勧められた本。
やっとこさ借りて読む。

正直のところ、読んでて楽しいものではなかった。
テーマも愉快なものではなかったけれども、書き方もむやみに不安をあおるような書き方だと思ったし、
それが仕事だからしょうがないと思いつつも、躊躇する人にぐいぐい行く取材班にもげんなりした。

例えば、最後の方で無縁死だと思っていた人が、生前、非常に親しくしていた家族がいることが分かる。
ただ、本人は何かをきっかけに自分の家族とは縁を切って、その地に移り住んできていたのだ。
仲良くしていた家族の子供たちからしたら、第二の父親というくらいの中の良さだったのだが、亡くなっても、自分たちのお墓に入れることができない。実際の家族が分からないということで無縁死扱いになっていたのだ。
その交流を見ると、遺体が引き取られない状態であっても、決して”無縁”死ではなかったのが分かる。
なのに揚げ足を取るかのように、子供に送ったアルバムに「ほんのちょっぴり思い出して」と書いている文章を読んで、取材班が「その言葉で木下さんが抱え続けた孤独の深さを知った。(中略)自分自身が生まれてきたことを、誰かに覚えておいて欲しいという想い――。」(p287)って、え!?それって違うんじゃない!?
普通に旅立つ子に写真のアルバムを渡す時に、思い出話と共に「私のことも時々思い出してね」くらい書くでしょう!?
それをこんな風に曲解して出すって、なんかおかしくない!?

とまぁこんな違和感が随所にある。

少し内容を引用してしまったが、本書の概要を端的に言うと、家族の在り方が変わっていく社会の中で、亡くなっても引き取り手がなかった人たちの人生を追うことで、現代社会の”縁”を問う、といったところだろう。
結婚していない、もしくは離婚して家族がいない人だけが対象、というわけではなく、夫・妻に先立たれて…というケースもあるので、この結末は、誰にでも起こり得ることだろう。
無縁社会の問題を提示しただけで、だからどうだという解決策も何もないのだが(そもそも解決策がないだろうけど)、
1つ思ったのが、将来、死生観が変わるのではないかなということ。

そもそも、宗教の色が薄くなっている現代社会において(もちろん、信仰心の強い人はまだいるかもしれないが、それは置いておいて)
”お墓に入る”ということが、どこまで重要になるのだろうか。
お墓の概念が変わって、「入るべきお墓がない」という発想がなくなれば、無縁死にある孤独さは少しでも減るのではないかと思う。

それとも人間は後世に何かを残したい生き物だから、なかなかその発想は変えられないのだろうか?
自分がまだ孤独感を感じていないからか、楽観的に考えてしまっているのかもしれない。
『そんなに不安を煽って…そんなにひどいかな…』と何度も思ってしまった。

Category : その他
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