木内昇「ある男」
以前読んだ「漂砂のうたう」がめちゃくちゃ良かったので、同じ作者の作品をばと思い、手に取ったもの。
「漂砂のうたう」と同じく、明治になった時の日本が舞台。
となると、今流行りの”鬼滅”といい、明治とか大正とかって、とかく浪漫を感じてしまうが、本書はまったく様相が異なる。
単純に言ってしまうと揺れる世情に翻弄される民衆。治める者が変わっても、治める者の性質が変わらないが故に、むしろ民衆は苦しむことになる。
短編になっているのだが、全編あまり救いがない。。。
それだけに文明開化などで、エネルギーに満ち溢れて、日本が変わっていこうとするポジティブなイメージの明治の裏に、こういった物語もあったんだと、強く訴えられるものがあった。
以下、各話の簡単なあらすじ;
「蝉」
南部の山で銅の採掘を行う、金工が主人公。
盛岡藩は佐幕派であったため、戊辰戦争後は憂き目にあい、主人公の仕事場となる山も、新政府に没収されてしまう。
所有者が変わっても仕事に支障はないと思っていたが、西洋式に器械や火薬を使ったやり方になるかも、という話を聞き、それでは山が死んでしまう、と主人公はいてもたってもいられなくなり、元凶である井上馨に直訴しに東京へ行く。
元金工で、今は江戸にいる捨松を頼って来たのだが、その捨松と再開するシーンが印象的;
「……おめ、ついに死んだだか」
p10-11
捨松は声を震わせたが、男はおよそ二十日ぶりに耳にした南部訛りにむやみと胸が熱くなった。喉元までせり上がってきた感泣を慌てて飲み下し、
「化けて出たんでね。足があるすけ」
と、笑ってみせる。
山ではよく人が死ぬ。落石や滑落も茶飯事であったし、仮に事故に遭わなくとも病で命を落とす者が数知れずあった。だから、思いがけないところで山の仲間に会うと、誰しも相手が御陀仏し、旅立つ前に今生の別れを告げに来たのだと合点する癖がついている。互いにシンとなって見詰め合い、幽霊かどうか確かめるために道端で身体を触りあったりするわけで、端から見ていると奇妙この上ない仕儀となる。花輪の町中で金工仲間に出くわしてさえもそうするくらいだから、何十里も離れたとうきょうとなれば、捨松の早計も無理はない。
南部訛りを矯正され、やっとの思いで井上と対面したが、一言いっただけで気圧され、何も言えなくなってしまう。
「喰違坂」
東京警視庁に勤める主人公。肥前出身で、薩摩・土佐出身が集まる職場では片身が狭いが、処世術を身に着け、着々と出世していた。
そんな折に岩倉具視が襲撃される。かすり傷だったが、警視庁をあげて犯人を捜す。
結果、薩摩出身の武市という男であった。最初、同じ薩摩出身の同僚が取調を行うが、口を割らない武市に拷問まがいのことまで始めたため、主人公がとって代わることになる。
この主人公、あまり性格がよろしくなく…なんでもそつなくこなすことを自負しているが、その分、物事を深く考えず、上っ面な人生を送っている。
武市に対しても調子よく合わせた為、口を割るどころか理解者と見なされるに至る。
武市を間者として起用しないかという動きがあるのを知り、更には自分が上辺だけの男と指摘されたのをきっかけに、大警視に、警視庁の面目をはかるためにも武市を斬首という刑に処すべきだと直訴する。
「一両札」
贋物細工の職人である主人公。歳で手元がおぼつかなくなったことから引退してしまう。
そんな折に、若者二人が訪ねてきて、贋札を作ってほしいと依頼する。断ったものの、年寄に交じることにうんざりしていた主人公は引き受けることにする。
この二人は、米沢藩士の雲井が謀反の疑いで捕らわれた関係で、至急金が必要になったと言うのだ。
雲井は、戊辰戦争で幕府についた武士たちが、士官先もなくなり困窮しているのを、新政府に訴えたところ捕まったらしい。
政治には興味ないが、職人として贋札作りに完璧を求める主人公。
しかし肝心の依頼主は適当。
最終的には、主人公が寝ているすきに版木などを持って行ってしまう。
その後、雲井たちの党は、捕まった人も多数、贋金作りのかどで死刑になった者も。雲井も煽動したということで斬首される。
「女の面」
代々地役人を勤める主人公の妻は、賢妻として誉高い瀬喜であった。
賢いはずなのに、人への依存度が高く、それが自分でなく、自分たちの子供というところが腑に落ちない主人公である。
その土地に新しい県知事が就任する。
穏和な前任者と異なり、眼光鋭く、次々と改革を進めていく。
しかしその改革も農民たちにとっては負担が大きいものばかり。
農民たちは各役人に嘆願に行くが、なかなか取り合ってもらえず、その中で主人公だけは話を聞いてあげるので、非常に喜ぶ。
しかし、この主人公はただ話を聞くだけなのだ。一応、県知事にも進言するが、あっさり流されるだけで、しかも主人公も世襲制ではなくなった今、罷免になることを恐れ、強く出れない。
農民の不満は爆発し、県知事を発砲。死には至らなかったが大怪我を負う。
暴徒化した農民たちは役人にも怒りの矛先を向け、主人公の家にも火を付けてしまう。
という話と並行して、主人公の長男に来た非常によくできた嫁と、瀬喜のバトルも描かれる。
最終的には、瀬喜はこのことを見越して家財をすべて家の外に出しており、逆に嫁の方は、実は暴徒化した農民の中には自分の兄がいたため、完全なる瀬喜の勝利で終わる
「猿芝居」
兵庫県の県吏が主人公。
丁度そのころ、和歌山県沖で、横浜から神戸へ向かう船が難破。乗船していたイギリス人は助かったのに対し、日本人は全員死亡。日本人だけ見殺しにされたのではと、大きな問題になっている。
一方で、政府としては不平等条約である日米修好通商条約の改正に力を注いでおり、そのためにイギリスと険悪になるのを避けたいところ。
和歌山ではまったく打開策が見出されないまま、目的地の神戸に行きたいと言われたのをきっかけに、管轄が兵庫県になってしまう。
中央からは、日本人だけが死んだ理由をイギリスに有利なように捏造しろ、というのと、政府がイギリスに対して何もしていないという批判を避けるために、イギリス人船長を弾劾しろ、という、つまり猿芝居をしろというお達しがくる。
主人公は日本人の名誉も守る理由を捏造し(潔い日本人は、船長たちが救命ボートに乗るように促しても乗らなかった、みたいな)、世間は美談としておさまるのだった。
船長は有罪になったが申し訳程度の刑、遺族には賠償金すら払われないという判決に、主人公は空しさを感じる。
「道理」
京都見廻組にて勤王家を斬っていた過去を持つ主人公。今は会津にて、農民たちに塾を開いている。農民たちにとって勉強することは、ささやかな娯楽なのだ。
「女の面」と同じく、新しくやってきた県令により、今までの安寧な生活が崩れていく。
道路工事や増税、農民たちの負担がどんどん増えてくるのだ。
しかもこの県令もなかなかひどく、県会にはまったく顔を出さず、勝手に決めてしまうので誰も反論できない。
自由党が抵抗しようとするが、取り締まるという形で追い詰めていく。
主人公は過去反省から暴力による抵抗に反対しており、なんとか民主主義的な形で、投票や司法の力を借りて変えていこうとするが、県令の方は暴力的にそれをつぶしていく。
ついに暴徒化した農民たちは警察を襲撃する。
その時に、主人公と一番懇意だった青年が人をかばって警察に殺されてしまう(彼は元々、主人公に従って、暴徒化した農民の中にいなかったのに…)。
かたき討ちするしかない、と詰め寄られる元生徒たちに、”憎しみからは何も生まれない”と説くが、まったく伝わっていないのを感じつつ、会津のために生涯をささげることを誓う。
この話が一番好きだったのは、他の主人公と違って、タイトル通り道理の通った、魅力的な主人公だったから。それだけに最後にはやるせなさが残る。
「フレーヘードル」
めちゃくちゃ賢い主人公。あまりに賢すぎて、子供の頃から誰とも話が合わず、最終的には自分の意見などを言うのを止めてしまっている。
同じ塾に通っていた豪農の窪井に、共之社という結社へ勧誘され続けている。
主人公の秀才ぶりは、結社に代表にも知れ渡っており、彼らに頼まれているらしい。
しかし主人公は、自分と合わない人たちに囲まれる気もせず、農作業に専念している。
が、ある時、新聞にて千葉の桜井という人の文章を読み、自分と同じレベルの人だと分かり、突然千葉まで行く。
意気投合した二人は、国会を開くために、文通しながら活動するのだった。
本書の特徴は、主人公のみが「男」と表現されていること。
だから本のタイトルが「ある男」なのだろう。
固有名詞をつけないことで、誰でもこの時代でなり得た人、という意味なのか…?
木内昇「ある男」 2012年 文藝春秋