川越宗一「熱源」
なぜ”読みたい本”リストに入れたのかは記憶が定かでないけれども、間違いなく「読んで良かった!」本。
恥ずかしながらアイヌのことをあまり知らなかったので(「ゴールデンカムイ」も最初の方しか読んでない…)、少しでも知れたという点でも良かったし、「いったい国って何なんだろう…」という気持ちにもなって色々と考えさせられた。
アイヌという、天皇家のもとで歴史を作って来た日本人(本書では和人と表現されていたが)とはまったく違う文化・伝統を持っていた民族が、その地にいたというだけで、後からきた日本人やロシア人に翻弄され、同化させられる…学校の日本史ではあまり大きく取り上げられない、「他民族を取り込む」という歴史的事実を、本当に遅ればせながらだけれども学ぶこととができたと思う。
因みに、本当に知識がなかったので、金田一京助先生の名前が出てきてようやっと、他の登場人物も実在の人ということに気付いた…(遅すぎる!)
以下、簡単なあらすじ;
物語は第二次世界大戦中の、ソ連の女性兵クルニコワ伍長の視点から始まるものの、次から始まるメインの5章は、視点を変えながら、時代を追って進む。
第1章はアイヌのヤヨマネクフの視点で物語が進む。
ヤヨマネクフは樺太のアイヌだった。樺太がロシアのものとなったため、樺太にいた和人が北海道へする際に、和人と親しんでいたアイヌも一緒に移住することになる。
最初は樺太が見える宗谷にいたのに、和人に強制的に対雁へ連れてこられ、そこで定住させられることになった。
まだ子供だったヤヨマネクフは、幼馴染となるシシラトカや太郎治(和人の父、アイヌの母のハーフ)と和人による学校に通う。学校では和人語などを学ぶことになり、「日本人になること」を求められていた。
しかし、ここで日本人=絶対的悪として描かれていないのが、この本の面白いところ。
ヤヨマネクフたちの先生は、鹿児島出身で西郷隆盛の西南戦争にも参加した元軍人。
そしてヤヨマネクフたちが、いじめられ喧嘩に発展した相手の和人は、戊辰戦争で負けた東北の武士の子であった。
アイヌが強要されていた近代化のなかでの敗者たちが集まっていた、というのは示唆に富んでいる気がした。
特にヤヨマネクフたちが喧嘩した和人の子供の親代表が、謝罪に来たシーンは非常に印象的だった。
(なぜ謝罪したのか、というヤヨマネクフの質問に対して)
「私と江別村の兵たち、つまりきみらを殴った子の親どもはみな、東北の大名家に仕えておった。御一新(明治維新)のときに起こった戊辰の戦で賊軍とされ、戦って敗れた。(中略)
それから我らのような賊軍とされた家中のものは、たいそう苦労した。(中略)それでも今日まで生き抜いたのはただ、我らは正しかったという一念のみによる(中略)
そもそも東北の大名は、正しき道をお上(天皇)に申し上げんとしただけであった。それが我らの非となり、賊とされる罪となり、討伐される理となった(中略)
我らは正しかった。正しからずんば、それこそまさしく賊となる。それだけは断じてならぬ。あの時に死んだ数多の朋輩たちのためにも、生き残った我らは、我らの正しさを証し続けねばならぬのだ。ゆえにきみらに詫びに来た。こたびのこと、非は我らにある。真に相済まぬ。」
p45-46
ヤヨマネクフは、村一美人だったキサラスイと結婚し子供も生まれる。
しかし村にコレラと痘瘡が蔓延する。
キサラスイも、ヤヨマネクフの育ての親(というか義兄)であり、村の総統領であるチコビローも死んでしまう。
因みに、登場シーンは少ないがチコビローが一番好きだったので、割と最初の方に亡くなってショックだった。。。
ヤヨマネクフは、キサラスイの願い通り、息子を連れて樺太へ渡るのだった。
第2章は、民俗学者となるブロニスワフ・ピョトル・ピウスツキの視点。
ブロニスワフはポーランド出身のサンクトペテルブルクの学生だった。
当時、ポーランドはロシアの支配されていて、ポーランド語を話すことも禁じられていた。
サンクトペテルブルクではロマノフ王朝への批判が高まっており、ブロニスワフもデモに参加したりしていた。
そんな折、先輩であるアレクサンドル・イリイチ・ウリヤノフ(レーニンの兄)に巻き込まれる形でアレクサンドル3世の暗殺計画の一味として捕らえられてしまう。
実際は何も知らず、ただアレクサンドルがブロニスワフの部屋でチラシを刷ったりしていただけだったのだが、拷問を受け、更には刑期15年の強制労働の判決くだり、サハリン(樺太)へ送られる。
希望をなくしていた頃、たまたまギリヤーク(ニクブン)たちと出会う。
そしてギリヤークとの交流が始まり、ブロニスワフはたまに至急される文房具でギリヤークの言葉や習性を書き留めるようになる。
また、ロシアに騙されたり不当な扱いを受けるのを見て、仲介に入ったりもしていた。
そんな折、同じく政治犯として送られたレフ・ヤコヴレヴィチ・シュテルンベルゲが訪れて、ブロニスワフに本格的な民俗学の勉強を勧める。そして論文を学会に送ることも勧めた。
帝立ロシア地理学協会に学会に送ると、研究に興味を持ち、更には囚人なので期限付きではあるけれども、ヴラジヴォストーク博物館の資料管理人という職まで用意してくれることになった。
研究に励むのと同時に、ロシア人から不当な扱いを受けないようにと、懇意にしていたギリヤークの息子インディンにロシア語などを教えたのでった。
第3章は、最初は頭領であるバフンケの養女であるイカペラの視点から始まる。
バフンケは実業家として成功し、顔も広く、しょっちゅう人を招いていた。
バフンケが熊の祭りをするのに多くの人たちを招待した中に、ヤヨマネクフ、シシラトカ(バフンケの遠い親戚)、ブロニスワフ、太郎治がいた。
太郎治はアイヌのために教員になったものの、和人教員たちのアイヌ蔑視に耐えられず辞め、母親と一緒に故郷である樺太に渡って来ていたのだ。
そこで学術調査をしにきていたブロニスワフに出会い、教員の話をしたところ、アイヌやギリヤークのために学校を作りたいという夢を語られる。
太郎治はブロニスワフに請われ、将来学校を作るために、学術調査をしながらロシア語を学んでいたのだった。
ブロニスワフや太郎治は一時的な学校ではなく寄宿舎を作りたかったのだが、バフンケにも了承を得られず資金繰りに困難を極めていた。
そんな折、ブロニスワフは、バフンケの姪であるチェフサンマと結婚し、子供もなす。
結婚直前の、インディンを亡くした後のシーンが印象的。
だから自分は異族人と付き合い、その教育に手をつけたのだ。それは文明人の憐憫であり、自分の文明を生んだ高等な人種の一員であると確かめる行為だ。チュウルカに受け入れられ、インディンの才能に驚嘆し、北海道帰りの三人のアイヌと志を同じくし、屈折したバフンケの同族愛に感心したのも全て。
「ー私は何を言っているんだ?」
言葉が、次に涙が零れた。
p217-218
この島で出会ったのは、環境に適応する叡智であり、よりよく生きようとする意志であり、困難を前に支え合おうとする関係だった。
それはつまり、人間だ。
非道や理不尽は飽きるほど見た。狡猾な悪人もいた。だが未開で野蛮な人間など一度も見なかった。これからも会うことはないだろう。いないのだから。
その後、ヤヨマネクフが働く漁場の経営者である日本人にお金を出してもらったり、ロシア軍の大尉から寄付をもらったりなどして、寄宿舎が建つ。
しかし、念願の学校が建ったと思ったら日露戦争が始まったのだった。
第4章は日露戦争から始まる。
学校はやめざるを得なくなり、ブロニスワフは収入を得るためにも、妻子を置いてヴラジヴォストークへ渡る。
そのさなかロシアが日本に負けてしまう。
ブロニスワフはいったん樺太に戻るが、ヴラジヴォストークにいた時に同郷人コヴァルスキに会って、弟のユゼフがポーランド独立のために動いているので戻って手伝って欲しい、と請われていた。
もちろんバフンケは反対。チェフサンマはついていく、と言ってくれたが、最後にブロニスワフは置いていくことを決意し、一人でヴラジヴォストークへ戻る。
しかしポーランドへはすぐ戻らず、コヴァルスキの願いで日本に渡り、支援を求めることになる。
そこで二葉亭四迷(本書では本名の長谷川辰之助となっている)や大隈重信に会ったりするのだ。
最後にポーランドに戻りユゼフに会うが、武力をもってして独立を勝ち取ろうとしているユゼフとは意見が合わず分かれる。
第5章は再びヤヨマネクフの視点となる。
ここで金田一京助先生が現れるのだ。
日露戦争でなくなった学校を再建しようとしたヤヨマネクフの努力のおかげで、「土人教育所」という名の学校が開校する。
この章では全体的に、アイヌの消滅危機が色濃くなる。
ヤヨマネクフは愕然とした。
アイヌとして文明の中で生きていく知識を広めるために作った学校が、アイヌを日本人に作り替える場所にされようとしている。
p343
(中略)
アイヌを滅ぼす力があるのなら、その正体は生存の競争や外部からの攻撃であはに。アイヌのままであってはいけないという観念だ。いずれ、その観念に取り込まれたアイヌが自らの出自を恥じ、疎み始める日が来るかもしれない。
これをきっかけに、南極探検に連れていく犬の手配を頼まれていたヤヨマネクフは、自らも南極に行くことを決意する。
シシラトカも一緒に、私設の南極探検隊に入り、世界初の南極点を目指すつもりだったが、結局目指さず南極だけ行って帰ってくる。
ブロニスワフのその後も出てくる。ユゼフと袂を分かったブロニスワフは独自の路線で祖国のために動いていたが、それがユゼフの動きの妨げとなるということでコヴァルスキに殺されてしまう。
この章の最後の最後では、金田一京助先生が樺太にやってくるシーン。
ブロニスワフの娘、キヨに会いに来たのだ。そこでヤヨマネクフも太郎治も亡くなり、ブロニスワフは四階から墜死したことになっていて、ユゼフがポーランドの元帥になっていることが語られる。
終章では、最初に戻り第二次世界大戦となる。歳をとったイカペラの視点で話が進む。
オロッコである日本兵、源田と出会い、源田が捕まえたクルニコワ伍長とも出会う。
クルニコワ伍長は学生時代、ブロニスワフが録音したイカペラのトンコリ(五弦琴)を聞いたことがあり、それで話が繋がる。
正直、終章がちょっとばたばたとしてしまっていて残念な気もしないでもない。。。
それを省いて、本当に読んで良かった!という本(何度も言うけど)。
ロシアはギリヤークに知識などを与えず、不当な扱いをして住処をどんどん追いやったのに対して、日本(和人)はアイヌに教育を施して、日本語を教えたりした。
日本がやっていたことは、いわばブロニスワフがやろうとしていたことに見た目は近いかもしれないけれども、根底がまるで違っていて、”アイヌ”を消すこととほぼ同じだった。
なにもアイヌだけではなく、世界の長い歴史を見れば、他の民族に吸収されてしまった民族も多々あるだろう。
野蛮・文明という構図も、時代と言ってしまったらそうで、当時の日本においても”文明”に随分苦しめられていた。
ただ本書を読んで、自分が罪深いなと思ったのは、本州に住んでいる身としては、つい日本を単一民族国家だと思ってしまうこと。
決して単一民族国家ではなく、素晴らしい文化を持った民族を取り込んで「日本人」が形成されていることを肝に銘じたい。
川越宗一「熱源」2019年 文芸春秋