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がらくたにっき |

“ツーカーの仲”の語源はググったらすぐ出てきた

三浦しをん 「舟を編む」 2011年 光文社




私が勝手に姉さんと慕っている三浦しをんさん。
エッセイを読んで本当~に勝手に親近感を湧かせているのだが、そんな三浦しをんさんが本屋大賞を受賞したということで早速読んでみた(親近感をわかせても買わない私…)。

「まほろば~」が直木賞を受賞した時にも思ったけど、なんで三浦しをんさんの作品でもそこそこ…っていうもので受賞するんだろう。
正直、本屋大賞受賞作品「舟を編む」ってそこそこ。
面白いっちゃ面白いけど、さっと読めて、それだけにさらりとした感じ。

物語は大手総合出版社、玄武書房の辞書編集部の話で、一つの国語辞書が出来上がるところまでの物語になっている。
最大の見せ場は、辞書を作るのに携わる人々の、言葉に対する暑い想いであろう。

元編集長の荒木。荒木と組んで数々の辞書を作ってきた松本先生。
それから荒木が引き抜いてきた馬締は、この物語の主人公格の人物。彼の変人だけど純真、というのが見せ場となっている。

物語は編集部の人、一人ずつにスポットがあたって進んでいく。

まずは荒木編集長。
彼の辞書への思いから物語が始まる。
定年間近となり、一緒に数々の辞書を作ってきた松本先生に退職する旨を伝える。
だが二人には、新しい辞書「大渡海」を作ろうとしていた矢先だった。
荒木は自分の後継者となる人材を探すべく、あちこちの編集部に話を持ちかけるがなしのつぶて。
そんなときに辞書編集部の若い部員(といっても正社員は荒木とこの人しかおらず、あとはパートの女性だけ)の西岡が、辞書に似合いそうな人材を見つけてくる。
それが馬締(まじめ)だった。
彼は辞書編纂に向いている!と確信した荒木は馬締を引き抜くのだった。

次は馬締。
早雲荘という下宿屋に学生のころからいるのだが、あまりのボロさに、ついに大家のおばあちゃんと馬締しか住んでいない状態に。
そんなときに大家の孫娘が、大家を心配して引っ越してくる。
恋に落ちてしまった馬締は、周囲の協力も得てなんとか射止める。

もちろん、こればかりではなく、辞書の話が出てくる。
荒木はついに退職してしまったものの、編集部にはちょくちょく顔を出す。
ところが、辞書はお金がかかってしょうがないからか、会社が「大渡海」の編纂を中止するかも…という噂が流れる。
後には引けないようにしてしまえ~とばかりに馬締は、どんどん先に進めていく作戦をとる。
が、その甲斐空しく、「大渡海」編纂び前に、既にある「玄武学習国語辞典」の改訂をするように、という会社の横やりが入ってしまう。
馬締のためにもなるだろう、と気を取り直していた折に、なんと西岡が広告部に異動になることが分かる。

お次は西岡。
荒木や馬締のように、何かに夢中になれない人の話となっている。
あんなに固執することができず、なんとなく憧れみたいのもありつつ、でも自分だってちょっとは辞書に愛着がわいてきたのに結局いらない人か…という葛藤などが描かれている。
でも西岡にもいいところがあって、辞書編集部には珍しいフットワークの軽さという営業的な部分。
大学の先生への依頼や催促などがうまい。
ただそれだけではなく、馬締は西岡の言葉のセンス、荒木や馬締が持っていない視点も評価している、てなことを言うので、西岡は救われるというところで話が終わる。

ここで随分時間が経って、新しく異動となった岸辺の話となる。
ファッション雑誌の部署にいたのに突然の辞書編集部への異動。
左遷かと思ってしまったところへ、更に変人の編集長の馬締に、他にはパートの女性と松本先生しかいない、という状況に愕然とする。
実は前の章から10年以上経っているのに、まだ「大渡海」は編纂が終わっていなかったのだ。
やっとこさ「大渡海」の最終ステージに入れたところで岸辺が入ってくることになる。
まず辞書の紙を作るところから岸辺は関わっていくのだが、このこだわり具合にびっくりするが、次第に惹かれていく。
そして最終的に紙が完成する。

最後はまた馬締。
「大渡海」の大詰め。大学生アルバイトを呼んだりして、最後のチェックを入れている。
一語抜けていたというハプニングなどもあるが、それよりもずっと一緒に編纂を続けていた松本先生が病に倒れてしまう。
なんとか松本先生の存命中に終わらせたかったのだが、結局はあと一歩のところで間に合わなかった。
「大渡海」完成の祝賀会で思いを馳せながらも、荒木に「明日から早速、『大渡海』の改訂作業をはじめるぞ」と言われる。
辞書の仕事に終わりはないのだ、というところで終わる。


馬締の魅力は(それが本書の魅力にもなっているのだろうが)、誰かが発した言葉がちょっと気になる言葉だと思考がどんどんそっちに行ってしまうところだろう。
例えば下宿屋のおばあさんが「私とみっちゃん(馬締のこと)はつーかーの仲だからね」と言うと、“つーかー”が気になってしょうがなくなる。

 それにしても気になる。「おーいと言えばお茶」でも「ねえと言えばムーミン」でもなく、「つうと言えばかあ」。なんだ、「つう」と「かあ」って。鶴の化身の女が空へ呼びかけたらカラスが返事したのか。(p36)

もちろん、この“気になる”というのが辞書を編纂する上で大事な要素となる。
荒木が初めて馬締に会った時に『“しま”と聞いて何を思い浮かべるか?』という質問すれば、ありとあらゆる“しま”を出してきて、慌てて荒木が“島”と指定すれば

「こうですねえ。『まわりを水に、囲まれた陸地』でしょうか。いや、それだけではたりないな。江の島は一部が陸とつながっているけど、島だ。となると」…「『まわりを水に囲まれ、あるいは水に隔てられた、比較的小さな陸地』と言うのがいいかな。いやいや、それでもたりない。『ヤクザの縄張り』の意味を含んでいないもんな。『まわりから区別された土地』と言えばどうだろう」
これは相当なものだ。あっというまに「島」の語義を紡ぎだしていく馬締を、荒木は感心して見守った。以前、同じ質問を西岡にしたときなど、ひどかった。西岡ら、「しま」と聞いても「島」しか思い浮かべられず、しかも、「海にぽっかり浮かんでいるもの」と答えたのだ。あきれかえった荒木が、「ばかもん!じゃあ、クジラこ背中も土左衛門も『島』なのか!」とどやしつけても、「あれー、そっか。難しいなあ。なんて言えばいいんですかね」と、へらへら笑うばかりだった。(p20)


でも正直、私としては西岡の方が好き。松本先生に、馬締とかぐや(下宿屋の孫娘)と一緒に住んで、リアル『こころ』を再現して欲しい、と半ば冗談に言われた時の、『こころ』の話がおかしい;

「ああ、国語の教科書に載ってましたね。遺書が異様に長くて、まじウケた…(中略)…
 だいたい、これから自殺しようってのに、ふつうはあんなに長大な遺書なんて書きませんよ。小包で遺書を送りつけられたら、だれだってびびるってもんです」
「いえ、たしか遺書は小包ではなく、半紙で包んで糊付けし、懐に収まるサイズの書留郵便で届いたはずです」
言いながら馬締は、「変だな」と感じた。『こころ』の先生の遺書は、改めて考えてみるとたしかに長く、半紙や懐に収まるような嵩とは思えなかったからだ。(p54-55)


だから西岡が異動してしまった後は、物語がつまらなくなった気がしてしょうがなかった。
馬締と西岡の対比が面白かったのに…。
西岡の後に入ってくる岸辺は、現代の女の子って感じがして、馬締との対比がうまいこといっていない気がしてしょうがない。

そんな訳で、読み始めは面白かったのに、最後は割とあっさりした感が否めなかった。
辞書を作る大変さがそこまで出ていなかった気がしたし。
あともう少し、な作品だったと思った。
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Category : 小説:現代
Posted by nizaco on  | 2 comments  0 trackback

2 Comments

麻里 says...""
あー。私も職場の先輩に借りて読んだよ。大体nizaちゃんと同じような感想。さらーっと読めて、面白かったな、で終わってしまったかも。でもキャラが立ってて良かったよね。

私は、馬締の下宿のおばあちゃんが、馬締のために仮病を使って意中の彼女と二人きりにさせるシーンが一番笑ったよー。
2012.09.16 02:23 | URL | #- [edit]
nizaco says...""
>麻里ちゃん
だよね~。セリフ回しとかはさすが!ってくらい面白いけど、つるんとした感じだよね。
私も仮病シーン好き~ しかも馬締の賄賂ってのがインスタントラーメンってのもおかしいよね
2012.09.17 22:26 | URL | #- [edit]

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