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がらくたにっき |

仏教って意外に個人主義だなと思う

「日本霊異記 上」 多田一臣・校注者 1997年 筑摩書房




読書会の課題本の「日本霊異記」の第一巻目。
どうやら日本最初の仏教説話集らしく、奈良薬師寺の僧・景戒によって書かれ、9世紀初めには今の形になっていたらしい。

全体を通しての感想は、本当に仏教を売り込む為のセールストークのような話が多く、僧はどんな悪いことをしても割と許されれば、凡人は僧の悪口言うだけで口が曲がるわ、信心深い人が叶えてもらう願望と言うのがわりと世俗的(金持ちになりたい、沢山の美女をはべらせたい等々)で、非常に面白かった。
しかも、人に借りたものを返さずに死んじゃうとすぐ牛になってしまうのが、なんともおかしかった。全然牛になるのは楽しいと思うんだけどな…と呑気に考えていたら、読書会で指摘されたのが、牛になって労働力として返済するということ。成程…すっかり読み逃していた。いい読書会でした。

上巻に載っている説話は以下の通り;
・雷を捉へし縁 第一
・狐を妻として子を生ましめし縁 第二
・雷の憙を得て生ましめし子の強き力ありし縁 第三
・聖徳の皇太子の異しき表を示しし縁 第四
・三宝を信敬しまつりて現報を得し縁 第五
・観音菩薩を憑み念じまつりて現報を得し縁 第六
・亀の命を贖ひて放生し、現報を得て亀に助けらえし縁 第七
・聾ひたる者、方広経典に帰敬しまつり、現報を得て、両つの耳聞こえし縁 第八
・嬰児の鷲に擒はれて、他国にして父に逢ふことを得し縁 第九
・子の物を偸み用ゐ、牛と作りて役はれて異しき表を示しし縁 第十
・人・畜に履まるる髑髏の救ひ収められ、霊しき表を示して、現に報いし縁 第十二
・女人、風声の行を好み、仙草を食ひて、現身に天を飛びし縁 第十三
・僧、心経を憶持し、現報を得て奇しき事を示しし縁 第十四
・悪人、乞食の僧を逼して、現に悪報を得し縁 第十五
・慈しびの心无く、生ける兎の皮を剝りて、現に悪報を得し縁 第十六
・兵の災に遭ひて、観音菩薩の像を信敬しまつり、現報を得し縁 第十七
・法花経を憶持し、現報を得て奇しき表を示しし縁 第十八
・法花経品を読む人を呰りて、現に口喎斜みて悪報を得し縁 第十九
・僧、湯を涌かす分の薪を用ちて他に与へ、牛と作りて役はれ、奇しき表を示しし縁 第二十
・慈しびの心无くして、馬に重き駄を負ほせ、現に悪報を得し縁 第二十一
・勤に仏教を求学し、法を弘め物を利し、命終の時に臨みて異しき表を示しし縁 第二十二
・凶しき人、嬭房の母を敬養せずして、現に悪死の報を得し縁 第二十三
・凶しき女、生める母に孝養せずして、現に悪死の報を得し縁 第二十四
・忠臣、欲小く足るを知り、諸天に感ぜられて報を得て、奇しき事を示しし縁 第二十五
・持戒の此丘、淨行を修めて、現に奇しき験力を得し縁 第二十六
・邪見なる仮名の沙弥、塔の木を斫きて、悪報を得し縁 第二十七
・孔雀王の咒を修持し、異しき験力を得て、現に仙と作りて飛びし縁 第二十八
・邪見にして、乞食の沙弥の鉢を打ち破りて、現に悪死の報を得し縁 第二十九
・非理に他の物を奪ひ、悪行を為し、報を受けて、奇しき事を示しし縁 第三十
・慇に懃めて観音に帰信し、福分を願ひて、現に大福徳を得し縁 第三十一
・三宝に帰信し、衆僧を欽仰し、誦経せしめて、現報を得し縁 第三十二
・妻、死にし夫の為に願を立て、像を図絵し、験有りて火に焼けず、異しき表を示しし縁 第三十三
・絹の衣を盗ましめて、妙現菩薩に帰願しまつり、其の絹の衣を修得せし縁 第三十四
・知恵を締び、四恩の為に絵の仏像を作り、験有りて、奇しき表を示しし縁 第三十五


な・なんて打つのが大変なのか…
ネットでパクろうにもなかった…

何はともあれ、興味深かった解説をピックアップ;

・聾ひたる者、方広経典に帰敬しまつり、現報を得て、両つの耳聞こえし縁 第八
病を前世の宿業と考えて…という話について。

仏教が、過去・源氏あ・未来を貫く因果応報の原理を人々の間に神道させたことは、自己の存在に対する絶えざる自覚を生んだが、同時にそれは来世において蒙るかもしれない責罰へのつよい畏れを呼び起こしたのである。(p97)



・凶しき人、嬭房の母を敬養せずして、現に悪死の報を得し縁 第二十三
本書の一環とした思想のなかに、親子であっても経済的には独立した関係として捉えるものがある。

律令国家の誕生は、それまでの村落の秩序を変質させ、家族のありかたもまた戸籍・計帳の整備を通じて国家による支配を受けるようになる。そうした中で、人びとは一人ひとりが国家と直接に向き合うことになる。言い換えれば、それは、一人ひとりが国家と村落のはざまの中に新たな不安を抱え込みながら投げ出された状態になったことを意味する。そうした不安を救い取るはたらきを示したのが仏教だった。仏教は、因果応報の原理が一人ひとりに及んでいることを具体例をもって示す。こうして個体の存在への自覚がつよめられると、親子の独立した経済関係が主張されるようになる。(p175-176)



・慇に懃めて観音に帰信し、福分を願ひて、現に大福徳を得し縁 第三十一
この話は本当に世俗的な願いがかなえられたお話で、お金持ちになり美人と二度も結婚するお話。

仏教は人びとに個体の罪を突きつけることで個体の存在をつよく自覚させたが、本話は反対に個体の欲望の充足を積極的に肯定する。罪と欲望は一人ひとりの個体にかかわるべき問題として現れる。その背景には、貧富の差が拡大し、共同体内部に大きな亀裂が生じるようになった現実がある。共同体全体の豊かさがその成員の氏絵勝つの安定を保証するという共同体の理念が、もはや有効性をもちえなくなったということでもある。(p227)

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Category : 古典
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