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がらくたにっき |

表紙の女の子の絵がちょっと怖い

山本一力 「たまゆらに」 2011年 潮出版社



本の紹介雑誌に出ていた本書。
初めての作家だったけれども結構面白かった。

何よりも物語の進め方というか、構成が面白かった。
多分、普通の筋書にしてしまうと何とも単純な話で、終わりもあっさりした感じがするだろうけれども
この話の順番だからこそ感慨深く終わった。

ただ、話がぶちぶち切れた感じもところどころあったが、連載ものだったということを鑑みると
それは仕方がなかったことなのかもしれなし。

以下あらすじ;

主人公の朋乃は青物の棒手振りを生業にする女の子。
ある朝、仕入れた青物を持って、自分の担当地域へ行こうとしていると
いつも一緒に連れている子犬のごんが財布を見つけた。

財布を見つけると自身番小屋に届け出なくてはいけない。
しかし、届け出ると、あれやこれや詰問されたりして、時間ばかり食ってしまうので
皆、財布を見ると見ないふりをすることが多かった。
そんな中で朋乃は、落とした人が困っているだろう、と思い、自身番小屋に行く。

そこには下っ引きの五作がいた。
最初はごんを可愛がったりして、良いおじさん雰囲気だった五作だったのだが
中身が五十両の大金と知ると厳しくなる。

場面が変わって、鼈甲問屋の堀塚屋のシーン。
惣領息子、正悟はどうしようもないドラ息子であった。
堀塚屋は一流の鼈甲問屋なので、傷物の鼈甲は納戸にしまっている。
その傷物の鼈甲を売却するのが当主の役目であった。
傷物の鼈甲の売却は、一応大義名分はあったのだが、実際は当主の遊興の為にそのお金は使われていた。
正悟がそれに則らないわけがなく、納戸からくすねてきた傷物の鼈甲を
手代の拓二郎に渡して売りさばいていたのだった。
が、その拓二郎は、あろうことが財布を落としてしまったという。
まっとうな商売で得たお金ではないので、届け出ることもできずにいた。

一方、朋乃たちは財布の中から書付を見つける。
書付には「日本橋室町 堀塚屋庄八郎商店」とあった。
それを見た朋乃は思わず声をあげる。
それは朋乃の生家だったのだ。

ここから朋乃の身の上話になる。

朋乃の母親・静江は鮮魚屋の娘だった。
大店堀塚屋の次期当主である庄八郎に見初められて
家の格に差があったものの嫁いでくる。
静江は女中たちに慕われたものの、姑には認められずにつらく当てられた。
舅は嫁いですぐに亡くなり、夫である庄八郎は当主となった。

静江はなかなか身ごもらず、それに対しても姑はつらくあたってくる。
やっと生まれた子供も女の子で、ついには夫も外で女を囲うようになるのだった。
夫もどんどん冷たくなり、外の女が男の子を産んだのをきっかけに、
静江とその娘、朋乃を突然追い出してしまうのだった。
その頃には、静江の両親は火事で亡くなり、身寄りがなくなっていた。

手切金で五百両という大金を渡され、
たった1つの駕籠しか用意してくれず、そこに荷物を入れると
歩いてついて行かなくてはいけない。
容赦なく早足で歩く駕籠を追いかけると、人気のないところに荷物を置いて去ってしまった。
すると強盗が現れ、五十両残して取って行ってしまった。
どう考えても庄八郎の差し金であった。

母と娘だけの厳しい生活が始まる。
周りの助けもあり、つつましい生活を送っている頃、
元姑が突然やってくる。
特に何の用かも言わずに、帰っていった一か月後に亡くなった。

頭取番頭・久右衛門が静江を訪ねて、そのことを伝える。
そして姑の仕打ちがひどかったことを承知でいながらも、
姑は静江を追い出したことを深く後悔していたことを伝える。

なんでも、静江を追い出して入れた妾は、大店の内儀と思えない振舞いで
大きな顔をするわ、店の事もしょっちゅう口を出してかき乱すのだ。

そして久右衛門は、姑が静江の両親の菩提寺までお参りに行っていたことも明かす。
静江が質素に暮らしていたことを喜んでいた、と言われて、
静江は手切金が奪い取られたことには、姑は関与していなかったことを知るのだった。

と、朋乃がここまで語ったところで、
途中から五作と一緒に聞いていた鉄蔵がすべてを信じきれないと言う。
堀塚屋にも聞いてみなければ、ということで、
もうすでに今日の商いを代わりの人に頼んでいた朋乃は
日本橋まで出向くのに同意する。

こうして、五作、鉄蔵、朋乃とごんは深川から日本橋まで出向くのだった。

堀塚屋では、あいにく主人は留守にしており、正悟と久右衛門が応対する。
あきらかに正悟は動揺しているのに、強情にその財布は知らないと言い張る。

途中、久右衛門は正悟を別室に呼んで問い詰めるが、
ここはドラ息子、久右衛門のことをクビにするだのと騒ぐだけでまったく聞き入れない。

もう一度朋乃たちの部屋に戻り、五作の言われるがまま手代頭を呼ばせる。
手代頭は、財布が自分たちのものではない、と詮議されていると勘違いして、
ことさら強調してこの財布はここの物だし、しかも拓二郎のものだと断言する。

拓二郎も呼ばれて詮議にかけられるが、やはり知らないと言う。
自分の財布でないのであれば、自分の財布を持って来い、とまで言われるのに頑なに知らないと突っぱねる。

朋乃は、堀塚屋にいた時分、店のお金に着服してしまった手代が
腕を折られ、店から追い出されたのを目の当たりにしていた。
だから、財布を拾った時に、手代がたいそう困った状況に陥っているのに違いないと思って
面倒になることも分かりつつも自身番小屋に届け出たのだし、
商いを休んで日本橋までやってきたのだ。

それが蓋を開ければ、知らぬ存ぜぬと突っぱねられ、埒のあかない堂々巡りが続く。
業を煮やした朋乃は、誰も知らない・いらないのであれば自分がもらうと言う。
ごちゃごちゃ言う正悟に、このまま知らないと付き通すのであれば
五作たちはお白州に持っていくだろう、
そうしたら噂に尾ひれがついて大変なことになる、と一喝する。

朋乃はその五十両を使って、堀塚屋の名前で花火を用意するのであった。

静江、朋乃が持っていた堀塚屋へのわだかまりは
全部ではないにしろ、少しとけて終わる。
姑に関してもそうだし、庄八郎の手代に対する厳しさも、
家を追い出されて棒手振を始めたからこそ理解できた。

そんな朋乃たちにひきかえ、追い出した方はあまり成長しておらず、むしろ悪化していたのは
少々「ざまあみろ」という感じだし、
朋乃が正悟に一喝した時には、少しばかりすかっとした。

でも!正直、庄八郎が見初めたくせに突然追い出すとか、
しかも追い出し方が相当ひどいとか、許せるほど私は大人ではないなと思った。
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Category : 小説:歴史
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