個人的に「冒険者たち」をネタにしているところがツボだった
川上和人 「鳥類学者だからって、鳥が好きだと思うなよ。」 新潮社 2017年
読みたい本にずっと登録されていた本。
いつも利用している図書館には置いてなくて、取り寄せたのに予定が合わずに取りに行けず…
再度予約してやっと手に入れた!今回もぎりぎりのところで取りに行けて、本当に良かった。
と頑張って取りに行った甲斐があった!というくらい面白かった!!!!!!!!!!
文章は非常に軽快で楽しいのだけれども、内容は非常に本格的な鳥の話。
賢い人が書くウィットに富みまくった文章、めっちゃ好きーーーーーー!!!!となった。
あらすじというあらすじはないので(普通に鳥の話なので)
私が特に好き―――!となった文章と、なるほどと思った文章を抜粋していく;
私は流行に敏感である。いち早く花粉を捉え、誰よりも遅くまでこの身をティッシュボックスに委ねている。毎年春になると、そろそろ製紙業界から感謝状が来るのではないかと、そわそわの日々を過ごしている。
日本の人口の約10割とも言われる花粉愛好家は、日中は花粉乱舞のため活性が低下し、自ずと活動時間が夜間にシフトする。夜行性の動物はこうやって進化したにちがいない。黄色い靄の中に薄れゆく意識の片隅で、アレルギー進化論の考察が深まり、哺乳類の多くが夜行性となった原因が淡い輪郭を結ぶ。
哺乳類の外見は枯れた褐色を呈し、詫び寂びに満ち満ちている。地味な配色は、資格を重視せず嗅覚に依存しながら夜行性を研ぎ澄ませてきたことに対応している。一方、鳥類の特徴は色彩の豊かさである。鳥は昼行性を基本とし、視覚に頼って人生を謳歌している。鳥の艶やかなる外見は、視覚をコミュニケーションツールとしている証拠なのだ。(p40-41)
孤島である南硫黄島での調査にて。
鳥の死体がたくさんある中、夜に調査しようとしているシーンにて(死体を食べる脊椎動物がいない為、死体はゆっくり分解される)。
突如わき上がったのは、校内の不快感と嘔吐の声だった。ランプに集まる無数の小バエが、呼吸とともに口と鼻から侵入してくる。このまま電送機にかけられたら、恐怖のハエ男も夢じゃない。死体天国は、分解者たるハエ天国でもあったのだ。豊かな死体に支えられた豊満なハエどもが、息のたびに肺腑に達する。
もちろん息と共にハエも吐くが、不思議なことに入ったハエより出て行く数の方が少ない。呼吸のたびに、ハエ10匹分ほど体重が増えて中年太りが気になるし、何よりもキモチワルイ。原生の自然が美しいなんていうのは、都会派の妄想に過ぎない。現実の自然は死体にまみれ、口にハエがあふれ、心の中に悪態が湧き、心身共にダークサイドに堕ちていく。だからといって呼吸をやめると、私自身が死体天国の仲間入りだ。
よく考えろ、私。何か解決策があるはずだ。
呼吸はやめられないから、発想を変えるしかない。ここのハエは、鳥の死体を食べて育っている。体の素材は鳥肉100%。そうか、口に入っているのはハエの形をした鳥肉だ。それなら我慢できる。
うまく自分を騙せた私は、涅槃の心で調査を再開する。(p61-62)
人間のいる場所には大概ネズミがいる。ネズミは人間が大好きなのだ。それは大型テーマパークでお金を落としてくれるからでも、トムをとっちめてくれるからでもない。人間社会から発生する食物や環境が有益だからだ。農作物は大好物だし、ヒトの居住地にはテンやフクロウなどの捕食者が少ない。食物はあるわ天敵はいないわ、その極楽感たるや銭湯の番台のごとしだ。
神代の時代、大国主はネズミに助けられ九死に一生を得た。ネズミ様様だ。しかし、そんな蜜月も今は昔の物語である。ネズミは人間社会に接近してくるが、現代人はネズミを毛嫌いしている。農業被害を出し、伝染病を運搬し、ネコ型ロボットの耳を食いちぎる。こんなことならウマの耳にもネコの耳にも念仏を書いておけばよかったと後悔する。ネズミは人間につきまとう人類史上最初のストーカーなのだ。そしてストーキングをこじらせたネズミは積荷と共に船に乗り、世界各地の島にまで侵入した。(p122-123)
インドネシアにて、上司と二人で五人前の定食を前に途方にくれるところから話が始まる。
調査に通い始めたばかりの私たちはインドネシア語がチンプン、人の良さそうなインドネシア人の店員は英語も日本語もカンプン。我々の会話は、海綿とヒトデのコミュニケーションほどにすれ違っていたのだ。値段から一品料理と思い込んだのは痛恨のミス。まさか全てが定食だったとは恐れ入った。
きっと、彼は止めてくれたに違いない。きっと、私たちは笑顔でノープロブレムと応えてしまったに違いない。言葉なんてわからなくても、気持ちで意思が通じるなどというのは銀幕の夢物語だ。(p141)
ちなみにこの時の副題が「はじめに言葉あるべし」。
私も昔はただ鳥を見ているだけで幸せだった。家の近所のヒヨドリにすら心が癒された。しかし、それで満足できた時代は過ぎ、より強い刺激を求めて研究に踏み出した。恋心をこじらせてストーキングするのは自然な衝動である。相手を深く知りたいという純粋な知識欲は、研究者の本能と言えよう。ターゲットが女性でなくて、本当に良かった。
動機も行為も似たようなものだが、ストーカーと研究者には相違点がある。ストーカーは成果を自分のために使用するが、研究者は成果を公に披露することで研究を完成させる。一歩間違えるとストーカーと露出狂を併せた複合犯罪者だが、成果の公表こそ研究者のアイデンティティである。
以前にも述べたが、鳥類学は毒にも薬にもならない高尚な研究分野である。鳥が何を食べようが、どこを飛ぼうが、社会にも経済にもとんと影響がない。おかげさまで、一般営利企業によって研究されることはほぼないと言える。
そんな分野だからこそ研究には税金が投入される。国民の皆様、ありがとうございます。成果を論文にしてお披露目し世に還元するのは、研究者に課せられた当然の義務である。…(中略)…
そこで研究者はプレスリリースを行う。研究成果をわかりやすく書き下し、マスコミを通じて報道するのだ。新聞の社会面や科学面に見られる小さな学術記事は、出資者たる国民の皆様への領収書なのである。(p158-158)
初めてリンゴジュースを見た時に、赤くなかったことに衝撃を受けての話。
リンゴジュースが赤くない原因は果肉が白いことによる。では、なぜ外見が赤いか。それは間違いなく目立つためである。
果実はイブとニュートンと鏡に話しかけるナルシストのために神が作りたもうた訳ではない。種子分散を最終目標に、運搬の代償とするために進化させてきたものだ。果肉を報酬として種子を運んでもらうのが植物の戦略である。熟すと目出つ果実の色は、種子散布者に対するメッセージなのだ。
しかし、色素を生産するのには余分なエネルギーが必要である。見えないところまでコストをかけられるのは一部のブルジョアだけで、愛車のボンネットも裏側は塗装されていないのが道理だ。動物相手には色素が必要だが、そのコストは最小限に抑えたい。それがリンゴジュースがっかり事件の真相なのだ。
風呂上がりに銭湯で鏡を見ればどんなナルシストでも気づく。人間は地味な生物なのである。人間だけではなく哺乳類は基本的に褐色を主とした地味なグループだ。これは哺乳類が夜行性から進化してきたためだ。夜の世界では色彩は役に立たない。むしろ、昼間に捕食者の目を避けてこっそりと休息するには、目立たない褐色の方が有利になるのだ。
そんなグループの中から一部や昼行性に進化した。色彩あふれる昼間の世界では、色の認識は生存上有利な能力だ。こうして霊長類は色覚を発達させてきたが、残念ながら褐色のボディはどうにもならなかった。きらびやかな鳥やチョウチョを羨むことを幾年月、人間はついに体色を進化させることをあきらめて服を着る方向に舵を切ったのだ。
人類は色とりどりの世界の仲間入りをした。そんな私たちが赤いリンゴを見ておいしそうと思い、赤くなければイマイチと感じるのは、果実を食べる昼行性動物としていわば当たり前のことなのだ。(p195-196)