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がらくたにっき |

新しく言語を学びたいと思った(すぐ感化される)


ジュンパ・ラヒリ 「べつの言葉で」 2015年 新潮社


大分昔に行った本の交換会でゲットした本書。
ずっと読むことなく本棚で眠っていたが、このコロナ騒ぎで図書館に行けなくなってしまい読み出した。
読むまでこの著者のことを知らなったけれども、ピュリッツァー賞を受賞したりと著名な作家らしい。
アメリカ人の著者がイタリア語に恋に落ち、ついにはローマへ移住して、初めてイタリア語で書いたエッセイが本書。
エッセイだけではなく、非常に短い短編も2作入っている。

正直なところ、最初の方はあまりピンとこなかった。
”イタリア語で書いた”というのがミソなのだろうけど、翻訳された日本語で読むと、いまいち実感がわかない。
多分、イタリア人とか、イタリア語をよく知っている人が読めばまた違うのかなーと思いながら読み始めたものの、途中からぐっと共感がわき起こる。
多分、母国語でない国に住んだことがあれば誰でも感じるような。もしくは、自分の容姿と合っていない国に住んだことがあれば(例えば日本人が欧米諸国に住むような)、めちゃくちゃ分かる。
著者の場合、インド人の両親がアメリカへ移住したことから、アメリカですら100%自分の国、という認識が持てないなかでのイタリアへの移住なので、更に複雑になっている。

以下、興味深かったり、印象的だったところから抜粋;

いつか将来、辞書も手帳もペンも必要なくなる日が来ることを夢見るべきなのだろうか?英語を読むように、イタリア語がこのような道具なしに読めるようになる日を?こういったことすべてが目標ではないのだろうか?
 ないと思う。わたしはイタリア語の読者としての経験は乏しいけれど、より積極的で情熱的な読者だ。わたしは努力が好きだ。制限があった方がいい。無知なことが何かの役に立つことはわかっている。
 …(略)…
 人はだれかに恋をすると、永遠に生きたいと思う。自分の味わう感動や歓喜が長続きすることを切望する。イタリア語で読んでいるとき、わたしには同じような思いがわき起こる。私は死にたくない。死ぬことは言葉の発見の終わりを意味するわけだから。毎日覚えるべき新しい単語があるだろうから。このように、本当の愛は永遠の象徴となり得るのだ。(p32-33)

私はどちらかというと、言語を習得するのは何らかの手段の為で、言語自体が好きで勉強した経験がなかったので新鮮だった。
友人もイタリア語が好きでイタリア語を勉強したので、イタリア語には言語としての魅力があるのかなーと思った。

イタリア語で小品を書き始めた時の話で;

 もうかなり上手にイタリア語がしゃべれるよになってはいるが、話し言葉は助けにならない。会話は一種の共同作業を伴うもので、多くの場合、そこには許しの行為が含まれる。話すとき、わたしはまちがえるかもしれないが、何とか相手に自分の考えを伝えることができる。ページの上ではわたしは一人ぼっちだ。より厳格で、捉えることが難しい独自の論理を持つ書き言葉に比べれば、話し言葉は控えの間のようなものだ。(p43)

話し言葉にある甘え、分かる分かる!と思いながら。

ほとんどすべてが可能のように思われ、どんな限界も誰も認めようとしない時代にわたしは生きている。わあしたちは一瞬でメッセージを送ることができ、世界の端から端まで一日で行くことができる。隣にいない人をはっきり見ることができる。テクノロジーのおかげで待ち時間も距離もない。だから、昔に比べて世界は小さくなった、と安心して言うことができる。わたしたいはいつもつながっていて、到達可能だ。テクノロジーは隔たりを否定するが、今日それはさらに顕著になっている。
 それでも、わたしのイタリア語の計画は、言語と言語の間に膨大な距離があることをはっきりとわからせてくれる。一つの外国語は安全な分離を意味することがある。いまでも、わたしたちの無知の残酷さを象徴することがある。新しい言語で書き、その核心に入り込むためには、どんなテクノロジーも助けにならない。プロセスを加速することも、省略することもできない。(p61-62)

超優秀な翻訳機、それこそほぼ同時に通訳してくれるようなスーパー翻訳機ができたところで、言語の壁って崩せないのだろうな、と思う。
結局、言語というのは、”言っていることを理解し合える”だけではなく、それ以上の共通意識を持たせるものだと思う。
言語の裏にある文化を感じたり、まったく同じ言葉を使っていることに対する同族意識を感じたり…例えば、韓国人とまったく同じ単語をお互い見つけ出すと、妙な連帯感を感じるような。

容姿のせいでイタリア語で話しているのに、違和感を感じられる著者。自分よりはるかにイタリア語ができない夫は白人のため、どんなに下手なイタリア語を話しても、イタリア人に受け入れられる。対して、著者はイタリア語で話しかけても端から理解しようとしてくれずに遠ざけられる。
それはイタリアに限ったことではなくアメリカでもそうであった。そして両親の故郷、インドでも。
アメリカではその容姿の為、インドではアメリカで育っているからという理由でベンガル語で話せるのに英語で話される。
そんな風に、どの言語においても所属しきれない著者。

 わたしは作家だ。言語とどこまでも一つになり、言語と仕事をする。それでも、壁はわたしと言語を隔て、遠ざける。壁は避けることができないものだ。どこへ行ってもわたしを取り囲む。だから、壁はわたし自身なのではないかと思う。
 わたしは壁を壊し、自分を純粋に表現するために書く。書いているときには、わたしの顔かたちや名前は関係ない。姿を見られることもなく、偏見やフィルターなしに耳を傾けてもらえる。わたしは目に見えない存在だ。わたしはわたしの言葉になり、言葉がわたしになる。
 イタリア語で書くとき、とても高く、もっと堅固なもう一つの壁を受け入れなければならない。それは言語の壁そのものだ。だが、創造的な観点から言えば、その言葉の壁は、どんなに腹立たしいものであっても、わたしの興味を引き、インスピレーションを与えてくれる。(p92-93)

容姿から判断されてしまうもどかしさは、すごい理解できた。
ただ自分の場合は、そこに甘えてしまう部分があったけれども、著者の強さがすごいなと思った。
逆に、どの言語にも所属しきれないからこそ、言葉に強い関心を持つのかなとも思った。

最後に、ベンガル語、英語、イタリア語の3つの言語についての話から2か所;

アメリカの店では、店員はわたしに向かって話すことが多かったが、それはただわたしの英語に外国訛りがなかったからだ。訛りのある父と母には理解できないというかのようだった。両親に対する店員の態度がとてもいやだった。二人を擁護したかった。彼らにこう言ってやりたかった。「二人はあなたたちの言うことが全部わかっているんです。ところがあなたたちは、ベンガル語だけじゃなく、世界のほかの言葉も一言もわからないじゃないですか」それなのに、両親が英語の単語一つでもまちがって発音すると、わたしはいらいらした。生意気にも彼らの言葉を言い直した。両親に弱みを見せてほしくなかったのだ。わたしが有利で、二人が不利な立場にあるのがいやだった。わたしと同じように英語を話してくれたらいいのにと思っていた。(p98)

ここは切なさを感じる。

この三角形(注:ベンガル語、英語、イタリア語)は額縁のようなものだと思う。そしてこの額縁にはわたしの自画像が収められているのだと思う。額縁はわたしの輪郭を明確にするが、そこには何が入っているのだろう?
 わたしはいままでずっと、額縁の中に何か具体的なものを見たいと思っていた。くっきりと明確な姿を映すことをのできる鏡が額縁の中にあることを願っていた。…(中略)…だが、そんな人はいなかった。二重のアイデンティティーのせいで、見えるのは揺れたり、歪んだり、隠れたりしている姿だけだった。あいまいで不明瞭な姿しか見えなかった。
 額縁の中に明確な姿を見ることができないのが、わたしの人生の苦悩なのだと思う。探し求めた姿が見えないことがわたしに重くのしかかる。鏡が空白しか映さないのではないか、何も映さないのではないかとおそれている。
 わたしはこの空白、この不確かさに源を持つ。空白こそわたしの原点であり、運命でもあると思う。この空白から、このありとあらゆる不確かさから、創造への衝動が生まれる。額縁の中を埋めたいという衝動が。(p101-102)

結局、言語というのはアイデンティティーに直結するもので、ベンガル語と英語、どちらにも帰属しきれないことは、本人にとっては苦悩だけれども、客観的に言えば、本人でも自覚しているけれども、彼女の個性なのだろう。

久しぶりにしみじみと考えさせらる本を読んだ気がした。
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Category : 随筆
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