酒井順子『金閣寺の燃やし方』
同じ題材で水上勉も書いてるし、両者の比較本も出てるとあって読んでみた。
結果、水上勉の『金閣炎上』はとても読みづらく挫折…なんか報告書を読んでるみたいに淡々としていて苦痛でした。。。
さわりしか読んでないけれどもとっとと比較本『金閣寺の燃やし方』の方に移行したのだった。
本書によると、水上勉は三島由紀夫の『金閣寺』を読んで、それはそれで文学としては認めたものの、実際の金閣寺炎上事件とは違う、と違和感を感じて書いたそうだ。
金閣寺が燃えたのは1950年、三島由紀夫が25歳、水上勉は31歳の頃。
三島由紀夫が『金閣寺』を出版したのは、事件の6年後、1956年。
水上勉はその後、金閣寺消失をテーマに『五番町夕霧楼』(1963年)、『金閣炎上』(1979年)を執筆。
その中でも『金閣炎上』は、三島由紀夫の『金閣寺』への答えともいえる作品だろう、とのこと。
この二人の最大の違いは金閣寺炎上に対するアプローチだった。
三島由紀夫が金閣寺炎上について書いたのは、放火犯の林養賢が金閣寺に放火した動機の一つとしていた「美への嫉妬」に非常に興味をそそられたからだった。結果、「美への嫉妬」、「美」についてをテーマにして書いたのが『金閣寺』であって、養賢自身にもみじんも興味を持っていなかったもよう。
対して水上勉は、林養賢に自分を重ねるところが多かった。というのが生い立ちが非常に似ていて、出身地も同じ若狭(まったく同じ集落というわけではないが)、幼くして親元を離れ、禅宗の寺に預けられたというところまで一緒だった。また水上勉は林養賢にも会っていた、と本書はなっているが、Wikipediaさんによるとここは水上勉の創作らしい。
養賢に自分を重ねていた水上勉は、三島由紀夫の描く『金閣寺』の修行僧(名前は溝口になっている)の描写を読んで、強い違和感を感じたのも想像に難くない。
個人的にとても分かりやすかったのは以下の文章;
三島は、自らの思想地図を説くのに最も適当な狂言回しとして、林養賢をピックアップしました。三島は、金閣寺放火事件という出来事のガワを借りて、そこに自らの思想を充填したのであり、だからこそ「金閣寺」は、小説なのです。
対して水上は、実在の人物である林養賢の隣に、自分が降りていきました。林養賢が立っていたのは、日本の、そして仏教界の、「下」であり「底」であり「裏」。そんなじめしめした地帯にこよなく親しみを抱く水上は、養賢の脇に立って事件を追体験したのであり、だからこそ「金閣炎上」はノンフィクション(であると私は認識しております)なのです。三島の華麗なテクニックによって、林養賢という放火犯が、美に復讐する抽象的な犯罪者・溝口という存在に変わったのを見たことが、水上にとって執筆の一つのきっかけになったことは、間違いないでしょう。(157-8)
もう一つ、この二人の違いを語る上で重要になってくるのが「裏日本」と「表日本」の概念。
現在、少なくとも私の世代では「裏日本」「表日本」という言葉を聞いたことがないと思うし、実際、差別用語として避ける言葉となっているらしい。
でも元々は地理的な用語として使用されていたものが、明治の中頃になると太平洋側と日本側の格差が意識されるようになり、戦後、「裏日本」「表日本」の格差をなくす努力が重ねられたとのこと。
そんな中、林養賢や水上勉は裏日本出身で、三島由紀夫は表日本出身というのも、大きなポイントなるようだった。
水上勉の他の本などでも、”京都にかしずく若狭”という構造が書かれ、若狭のものはすべて京都に持っていかれ、若狭はいつまでたっても豊かになれないという状況が書かれているそうだ。
それを考えると、水上勉にとって、同じ若狭出身の林養賢が、若狭がかしずく相手となる京都にある金閣寺、
しかも観光客がわんさか訪れお金を落としていっているのに、修行僧である林養賢にはまったく還元されず貧しい生活を強いられている、
その金閣寺を放火するというのは、非常に大きな意味があったことが伺える。
それを三島由紀夫が、まったくコンテキストで事件を物語化してしまったとなると、大きな違和感を感じ、それを拭い去る方法として『金閣炎上』を書いたのではないかと容易に想像できる。
一方で、こうした事情を全く知らない私のような人が読むと、三島由紀夫の『金閣寺』の方が小説として成り立っていて、三島由紀夫がこの小説を通して何を語りたいのかが分かりやすく、よって読み応えを感じるんだとも思った。
もう一か所、本書の結にあたる「おわりに」に記載されているものを引用;
三島由紀夫の「金閣寺」、そして水上勉の「金閣炎上」「五番丁夕霧楼」。両者の作品を読むことは、日本人の中の二つの感覚を、知ることになります。裏日本の小さな集落の貧しい寺に生まれた吃音の少年が、小僧として金閣寺に入って、やがてその寺を燃やすまで。それを水上は、養賢の側に立ち、と言うより養賢とほぼ一体化して、放火に至るまでの精神がいかにして醸成されたかを、細かく開陳していきました。彼の筆致は、裏日本に限らず、日本のあちこちに存在したであろう多くの日の当たらない道を歩いてきた貧しい人々に寄り添おうとしています。
対してに三島は、金閣の側から書いているような気がするのです。金閣が象徴するのは、日本人が憧れてきたものであり、目指してきたもの。金閣と一体化した三島は、自分の周囲で右往左往する人間達を描き、その人間を利用することによって、最後は自分が消滅したのです。(p252-3)
こうして比較本を読むと、『金閣炎上』も読もうかなと思ってきたけれども、三島由紀夫の『金閣寺』の印象が強いうちは、どうしても小説化された方と比較しがちになってしまうので、もう少し忘れた頃に読んだ方がいいのかなとも思った。
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